植物に伝わる歴史と伝承

中澤京華

植物名[ア行]

アイ(藍) :Persicaria tinctoria

アイは藍より出でて藍より青し」


という『荀子じゅんし』のことわざにも記されている藍ですが、青色の植物原料として古来から使われ、最古のものは、古代エジプトの紀元前二千年頃のミイラに巻かれた麻布の藍染が記録されています。その後、藍染は、インド・中国、東南アジアや日本へと広がり、日本においては、三世紀末に残された『魏志倭人伝ギシワジンデン』に、「西暦二四三年、倭国から魏王に、赤や青に染めた絹織物が献上された 」という記述があり、弥生時代には染料として使われていたことが推測されています。


 日本で今でも藍染に用いられる植物は、タデ科イヌタデ属の蓼藍タデアイで、『出雲風土記いずもふどき』に七三三年に、藍が栽培植物であると記されていることから、奈良時代、遣唐使により渡来したと考えられています。


 指定有形文化財として伝わる徳島県の阿波藍は平安時代の初期に荒妙あらたえという布地を織っていて、『古語拾遺』や『延喜式』に系譜として記されている阿波忌部あわいんべが栽培したのが発祥であるという伝承があり、さらに天文十八年(一五四九年)に阿波の守護細川家の重臣であった三好義賢みよしよしたかが上方から青屋四郎兵衛あおやじろべえを呼び寄せ、「すくも」を使った藍染めを始めたことが、江戸時代に記された軍記物語『みよしき』に記されています。その後、江戸時代には吉野川流域の農村で広がり、「本藍ほんあい」としてジャパンブルーと呼ばれるようになりました。板野町松谷の藍染庵には、藍染料の製造法の改良に取り組んだ阿波藍発展の立役者である犬伏久助いぬぶしきゅうすけの木像が藍の守神として安置されています。


 また、埼玉県の伝統的手工芸品に指定されている武州藍染は青縞あおじまを由来としていて、江戸時代後期 (天明年間)に騎西周辺の農家の副業として始まった藍染めの綿織物から埼玉県の武州地域(現在の埼玉県羽生市・加須市・行田市・深谷市)に発展したと言われていて、日本資本主義の父といわれる武州出身の渋沢栄一も、家業である藍玉の製造販売を原点として偉業をなしえた人物であり、藍染とゆかりの深い人物の一人として知られています。


 このように藍染めとして有名な藍ですが、タデ科の蓼藍以外にもアブラナ科の大青、キツネノマゴ科の琉球藍リュウキュウアイ、また、アジア各地では、マメ科の木藍モクラン、同種のナンバンコマツナギ(別名アメリカキアイ)なども広く利用されていて、藍に含まれるポリフェノールやフラボノイドの抗酸化作用による肌荒れ、冷え性予防、防虫効果、殺菌効果があり、鎮静剤としての薬効もあり、身体にやさしい植物染料といわれています。

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