ダーキア王国史

広瀬妟子

プロローグ 或る時の日常

 その都市は、非常に栄えていた。


 赤い屋根瓦に白い漆喰塗りの壁が印象的な、古くからある伝統的な趣きを感じさせる建物で成り立つ旧市街地を中心に、鉄筋コンクリート製の柱をコンクリート製やガラス製の壁で覆ったビル群が整然と立ち並ぶ新市街地が囲むこの都市には、数十万もの人々が住まう。


 旧市街地の石畳が敷かれた道路や、新市街地のアスファルト舗装された道路を、ヨーロッパ系の顔立ちをした者や、アジア系の顔立ちをした者たちが行き交う。乗り物も同様に、旧市街地は馬車が、新市街地はバスや路面電車が走るなど、客観的に見れば、二つの異なる時代が共存している様に見えるだろう。


 そして旧市街地と新市街地の境に位置する、三階建ての白いビルの一室にて、一人の男が目覚めていた。


「おはようございます、ご主人様」


 執事のノルマンに出迎えられ、宮川信一みやがわ しんいちは僅かに顎を撫でながら答える。彼はこの都市にある『学園』で働いており、多くの人々から『賢者』の称号でたたえられていた。


「ノルマン、今夜は夕食は無くていい。王国政府の関係者と会食がある」


「承知いたしました」


 宮川は着替えて朝食を済ませると、カバンを片手に持って、玄関前に停められた一台の自動車に乗り込む。1920年代にイギリスで生産されていたオースチン乗用車に酷似したそれは、古めかしいガソリンエンジンによって駆動しており、工作精度にはやや粗さが見て取れた。


 理由は単純。この国の工業水準では、この程度の自動車しか国産化できないからである。新市街地を走る自動車はいわゆるノックダウン生産であり、いちから部品を開発・生産しようと思うと、馬車に用いられている技術を出来る限り流用しなければならないからである。


 とはいえ、一部は伝来した技術や概念を取り込む事で実用的な水準に仕上がっており、宮川はそのレトロチックな外見を気に入っていた。


 そして車に揺られること10分、郊外にある広大な施設にその姿はあった。それはいわゆる学園であり、数百人の若者があらゆる学問を学んでいた。宮川の仕事はこの学園での講師であり、割と様々な事を教えていた。『この世界』の若者にとって、異なる常識を基にした雑学も貴重な知識であるため、講義や実習は常に多くの生徒を集めていた。


「おはようございます、ミヤガワ先生!」


「おはよう」


 駐車場に車を止め、校舎に向けて歩く中、近くを駆けた一人の女子生徒が話しかけ、宮川は軽く会釈しながら挨拶を返す。そして彼は、ネクタイの歪みを直しながら、職場たる学園へ歩みを進めていった。


・・・


 学園での講義をメインとした仕事を終え、旧市街の一角にある高級レストランに宮川の姿はあった。


「流石は賢者、中々に学園での評判は上々である様だな」


 客室にて、ダーキア王国政府の内務局に属する官僚セルジョフは、ワインの入ったグラスを回しながら話しかけ、宮川は肩をすくめる。彼は宮川と長い付き合いがある貴族の一人であり、家柄ではなく実力と功績によって名声が決まるこの国では中々の有能として知られていた。


「いえ…私の様な若輩者が、こうして教師として別に珍しくもない話をしているだけで稼げるのは中々に違和感があります」


「その若輩者が、どうしてより優れた技術を生み出し、我が国の産業発展に貢献出来ているのだぞ?十分に誇ってもよいではないか」


 セルジョフの言う通り、宮川はこの国にて、日常生活に役立つ様々な技術を発明しており、その功績によって当代限りの伯爵位が与えられ、賢者の二つ名で称えられるに至ったのである。


「それと政府より、君の教え子から特段に優秀な者たちを選抜して、いわゆる特殊部隊が作られる事となっている。何せ西のヘレニジア帝国が今、怪しい動きを見せているからな。我が国の助けになる人材は、例え若すぎても欲しいのが、この国の実情だ。年を食った連中はニホンの凄さを今一度理解できていない節があるからな…」


「全くです。さっさと世代交代が進んでほしいところですね…」


 こうして、ダーキア王国首都ウラキアの一日は過ぎていく。しかし今の様な日常に至るまでには、実に20年もの月日を必要としたのである。

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