狐につままれる

内藤ふでばこ

第1話 扉

 幼い頃から神社が好きだ。何故なのかはわからない。物心ついた頃から、身近にいつも神社があるからかもしれない。私の通った幼稚園の向かい側には神社がある。その神社には広場があり、柵などなく誰でも気軽に入れるようになっている。鉄棒やジャングルジムなどの遊具も備えられている。近所の子供たちは、皆そこで遊んでいると思う。幼稚園の運動会は、毎年その広場で開催されている。子供会のキャンプにも利用され、キャンプファイヤーも行われる。子供会の運動会にも使われている。お盆には盆踊りで盛り上がり、お正月には初詣に行く。どんど焼きはその広場でなされ、神社のお鏡餅のかけらが近所の家々に配られる。春のお祭りの時はお店が並び、お餅も撒かれる。当たると痛そうで、怖くて、いつも私は見ているばかりであるが。


 私の名前は、早瀬ヒロコ。この4月から高校2年生に進級することになっている。今は春休みなので、毎日のんびり過ごそうと決めた。これから先、じわじわと受験勉強が大変になって来るのが目に見えているからだ。今日は、朝の散歩のついでに本屋に行って、何か読みたい物がないか物色してきた。文庫本を1冊、購入した。そして、家に帰ろうとだらだらと歩きながら、あの神社に立ち寄った。一応、お詣りをしてから広場のベンチに腰掛け、買ったばかりの文庫本を開く。あまり、読む気分になれないな…読みたくて買ったのに。

 私は、子供の頃から馴れ親しんだこの神社によく立ち寄るのだが、それには理由がある。幼稚園の頃に仲の良かったコタロー君と一緒に通った、美しい庭への通路を探し出したいのだ。コタロー君は近所に住む滝川さん宅の末っ子。6歳上の百合ちゃん、4歳上の蘭ちゃんの2人のお姉ちゃんたちにとても可愛がられていた。私とコタロー君は同い年で、いつも一緒に遊んでいた。この神社には、毎日のように2人で来た。神社に着くと、いつも決まって境内の傍らにある大きな木に向かう。その木の幹に触れると小さな扉が現れる。その扉を押すと奥に続く通路がある。仄暗い長い長い一本道。その道を歩いていると、次第に明かりが近づいて来る。もうすぐ、もうすぐ…。そして、庭に辿り着く。梅、桜、ツツジ、バラ、向日葵、金木犀、曼珠沙華、沈丁花、etc、etc…。四季折々の美しい花々が咲き誇る、まるで夢の中にいるような庭。

 でも、そこに行くことはもう出来なくなってしまった。


 幼稚園を卒園して、小学校に入学した時、コタロー君はいなくなった。コタロー君のお姉ちゃんの百合ちゃんは中学生になり、蘭ちゃんは5年生にいたのに。私は訳がわからず、戸惑った。

「お母さん、学校にコタロー君がおらへんよ。百合ちゃんも蘭ちゃんもおるのにおかしいやん。コタロー君だけ引越したの?」

「コタロー君?コタロー君って誰やね?」

「えっ…。滝川さん家の1番下の子やん。百合ちゃんと蘭ちゃんの弟の。幼稚園の時、私と一緒によう遊んどったやん」

 この時の母の表情を、私はよく覚えている。目を大きく見開いて、息を深く吸い込んで。この子は一体何を言っとるんや、ふざけとるんか…と、探るように私を見つめてこう言った。

「ヒロコ、滝川さんのお宅には男の子はおらへんよ。あそこの子供は、百合ちゃんと蘭ちゃんの美人姉妹だけやでね」

「そんな…。幼稚園の時、いつも一緒におったのに。コタロー君と一緒に、神社の通路を通ってきれいなお庭に行っとったんやよ」

「あんた、そんな狐につままれたような話せんときゃあ。滝川さんのお子さんは百合ちゃんと蘭ちゃんだけやし。あそこの神社に、どこかのお庭につながる通路があるなんて聞いたこともないわ。夢でも見とったんやないかね?」

 あれは夢なんかじゃない。私は、神社に駆けて行って、境内の傍らに立つ大きな木の幹に触れた。コタロー君がいつもやっていたように。でも、扉は現れなかった。何の変化も訪れなかった。

もう、あのお庭には行けないの?もう、コタロー君には会えないの?

 私は、母の言う事には納得出来なかったので、父にも、3歳上の兄のまことにも尋ねてみた。父と兄の答えは母と同じ、滝川さん家には男の子はいない…だった。4歳下の弟のみのるには何も聞かなかったが。小さかったからね。

 それ以降、私はコタロー君のことも、美しい庭のことも口にしなくなった。


 それでも私は諦めた訳ではない。定期的に神社にやって来ては、木の幹に触れている。誰か、扉を開けて庭に向かう人がいないか、観察し続けている。し続けてはいるのだが、何度触れても扉は現れないし、通路を通って庭に向かっている人など、1度も見たことがない。


 コタロー君と最後に会った日、私たちは一体何を話したんだっけ?うすぼんやりと覚えているような気がする。あれは確か、小学校の入学式の前だったから、3月の終わりか4月の初め。あの庭で遊んだ帰り道だった。コタロー君は私に何か言った。何だっけ……。……。……そうだ。コタロー君は私にこう言ったんだった。

「ヒロ、僕はそろそろあっちに帰るよ。ヒロはどうする?」

 えっ、コタロー君って私のことを『ヒロ』って呼んどったんやっけ?でも、私の記憶の中ではそうなっとる。それで、私は何と答えたんやったかな…。えぇっと……。あっ、思い出した。

「そうなんや…。コタ、私はまだここにおりたい。大学に入って卒業したいの」

「わかった。ヒロ、卒業したら、ちゃんと帰って来るんやぞ。元気でね」

「うん。コタも元気でね。またね」

 私、コタロー君のことを『コタ』って呼んどったの?そんなつもりなかったけど、最後の会話の中ではそうなっとるな。話の内容が少しも理解出来んし。『あちら』ってどこのこと?滝川さんのお家のことやないんか?

 私は、混乱しながら自分の思い出をたどっていた。すると、何かが腕に触れた気配がした。少し温かくて固くて…。あれっ、ちょっとモフっとしている。これは何だろう?

 腕に視線を移すと、そこにいたのは1匹のキツネ。狐が私を上目遣いに見上げ、私の腕にそっと触れている。私は今、…!何で?ここは田舎だけれど、山の中じゃない。平野部の普通の住宅街だ。野良犬だっていないのに、何で狐がここにいるの?

「ひゃ…」

「声を上げないで、ヒロコちゃん。僕の姿は君にしか見えていないんだから」

 しゃべった、き、狐がしゃべった!

「きゃ…」

「落ち着いて、ヒロコちゃん。僕のことはコンちゃんって呼んで。コタローに頼まれて、ヒロコちゃんのこと迎えに来たんだ。僕と一緒に来て」

 コタローに頼まれて?この狐、コタロー君のこと知っているの?

「だからぁ、コンちゃんだってば。ヒロコちゃん、早く行こう。みんな待っているよ」

 みんなって誰よ…と疑問に思いつつも、私は狐…じゃなかった、コンちゃんの後について行った。コンちゃんが向かったのは、境内の傍らにある大きな木。コンちゃんはその幹に手(前足?)をかける。すると扉が現れた。コンちゃんは、器用に扉を開けた。子供の頃、コタロー君がしていたように。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る