「惹かれる」に惹かれる

 「………………と、いうことなので、どうか、同棲の許可を下さい!お父さん、お母さん。」

 五月始めの早朝、宇佐美家の食卓で私・夏海は、【昴君と同棲を始めたい】という話題を切り出したのだった。

 あのお泊まりの夜以降の日も、私達は仕事帰りにちょっとだけデートしたりはした。

 突然…というよりは、前触れはあったので、私の両親達は、「ああ、あの彼の事か。」といった風な顔で、落ち着いて話を聞いていた。

 「…まあ、全くどこの馬の骨という奴ではないなら、ほかの男達よりは安心して夏海を任せられるな。」「俺はそう思うんだが、母さんはどうだい?」

 朝食の野菜炒めと味噌汁を、ご飯と共に交互に食べながら、父が少し機嫌の悪そうにして聞く。本心では、私を実家から出したくないのだろうけれど。

 「うーん…、私は、ねぇ…。夏海ちゃんから、猛アプローチする男性なんて、この世に居ないって思ってたから…。」「この人を逃したら、夏海ちゃん、結婚できないかもしれないし。同棲したら?」

 母は私の事をよく解ってる!昴君の他に、私が結婚できそうな人は居ないんだよ…!

 どうか、同棲の許可を!私は最後の一押しにと、両親に向けて御辞儀した。父も根負けしたのか、溜め息をついて、「婚期を逃さないように、頑張りなよ。」と、応援してくれた。

 昴君との同棲の許可が下りた。私は心の中でガッツポーズした。昴君は既に同棲を受け入れてくれているので、後は同棲の為の荷物を纏めるだけ。

 弾む気持ちが抑えられないけど、丁寧に朝御飯を食べて、御馳走様でしたをする。

 食事を終えた私は、小走りに階段を登って、自室へと行く。

 「姉ちゃん、どしたの?ウカレすぎてない?」

 妹・秋羅ちゃんだ。寝ぼけ眼で、目を擦りながらも遅くに起きてきた。

 「何良いことあったの、教えてよ。」

 「それがねー秋羅ちゃん、………。」

 「私、彼氏と同棲するんだ~!!」

 「…は?嘘でしょ?」

 何故かキレ気味に秋羅ちゃんが聞き返してくる。秋羅ちゃんは、姉の私よりも強くて怖い、我が家一番の権力者なのだ。

 「彼氏って。…この間までヌイグルミが彼氏の変わりだって、嘆いてたアンタが?」

 秋羅ちゃんには、何でも話す仲だけど、痛いトコロを突いてくる。オブラートなんてない。秋羅ちゃんは悪態をつきながらも、私の部屋まで付いてきた。面白い話だと思ったのだろう。

 私の部屋に入って、早速、洋服とかの荷物をキャリーバッグに纏める。

 「私の彼氏ね、優しくて格好いいんだよ~!私、幸せ者なの。」

 着々と荷物を纏める私を見つめる秋羅ちゃん。

 「…そういう紹介は誰でもそうだと思うんだけど…。」「姉ちゃん高給取りなんだから、変なのに騙されんなよ?」

 「それはないから、大丈夫だから!」

 「…同棲なら、使えそうな服を持っていきなよ…。」

 私をみかねた秋羅ちゃんは、使えそうなモノを次々と私のキャリーバッグに突っ込んできた。

 「男の部屋には、無いものだらけだからね。」

 呆れつつも、何だかんだで私に良くしてくれる秋羅ちゃんは、最高の妹である。

 私を大切にしてくれている家族との暮らしから離れるのは寂しいけれども、私は昴君との暮らしを楽しみに、準備に勤しんだ。


 昴君の家に到着すると、昴君から部屋の合鍵を受け取った。

 ようやく昴君との同棲が始まるのだ。

 同棲準備が出来た私達は、部屋でのんびりと過ごす。

 「ねぇ、ゴールデンウィークに街中をデートしない?」

 昴君は私が持ってきたマシュマロを食べながら提案してくれた。

 「うん!是非ともお願いします!」

 にんまり笑ってしまう私。電球がスイッチで直ぐにつくみたいに、顔が瞬時に輝いた。

 「ははっ。本当に夏海って飼い犬みたいに俺に懐いてるな。」

 「犬じゃないよ~。彼女なんですからね。」

 「むくれるなって、子供じゃないんだし。」

 「昴君が、私を彼女だって認めないからでしょ。」

 他愛もない言い合いをしながらも、わたしたちは仲を深め合う。

 今日は五月二日。って、明日からゴールデンウィークだった!?そういえば、職場で休みの事で盛り上がったっけ…。

 「早速、明日は商店街でも巡るかな。」

 昴君はソファーの上で体育座りしながらも、身体を揺らしてリラックスしてる。すっかりゴールデンウィークの事を忘れていた私。

 「商店街にいくの?…だったら、昴君と行きたい喫茶店があるの。」

 「お、喫茶店好きなの?」

 「うん!喫茶店のあのまったりとした空間でのんびりするの、好きなんだ。」

 「なるほどねぇ。」

 「どんなお店かは、着いてからのお楽しみね♪」

 私は口元に手を当てて、気取ってみせた。昴君と、あのお気に入りの喫茶店で過ごせるんだ。そんなこと前は思わなかったのに。

 「明日が楽しみだ。うんうん。」

 昴君はそう言って、昼寝をし始めた。

 私もつられて、午後の微睡みに身を任せた。


 五月三日。ゴールデンウィーク初日。

 私と昴君は朝御飯を済ませてマンションを出た。即席で作ったけれどベーコン目玉焼きご飯は美味しかった。十五分もかからない内に、私達は街の市駅前へと来ていた。

 ゴールデンウィークなので、家族連れの人が特に多い。爽やかな五月上旬、カラフルな服で賑やかで楽しげな人達の行き来につられて、私も楽しい気持ちが膨らんでいく。

 昴君は、黒いTシャツに白いズボン、オリーブ色の帽子に茶色のリュックと青いスニーカーといった出で立ち。他の人が着たら野暮ったいだろうけれど、昴君が着ていると様になる。いや、昴君がきたら何でも一等の服装になるに違いない。

 私はというと、白地に黄色の花柄ワンピースに黒くて小柄なショルダーバッグと赤いスニーカー。昴君の足手まといになりたいないから、ミュールは止めてスニーカーにした。

 「夏海の服装は何時でも百点満点に可愛いよね。」

 当たり前のように昴君は私を褒めてくれた。

 「コーラルのルージュも似合ってて最高。」

 駅前の人集りにも拘わらず、私の頬にキスする昴君。

 「ちょっ…!?皆みてるから!?」

 逆に私の声が大きすぎて、道行く人達の視線を集めてしまった。

 「ドジっ娘だな、夏海は。」

 「ああ…。」

 出張中のサラリーマンにも、旅行中の綺麗なお姉さんにも見られて、照れてしまった。

 「………昴君、商店街の方に行こ?」

 「はいはい。」

 落ち着こうねと、私の頭を昴君は撫でる。大きくて温かい手が私を宥める。落ち着いてから、私と昴君は、駅前を離れて商店街の方へと向かった。

 信号が青になったので横断歩道を渡る、人達を掻き分けて行く。

 「夏海、どこみたい?」

 「えっ?うーん。………。夏に使えそうな洋服を見たいな…!」

 「やっぱり女の人だね。了解。」

 商店街に行けば、洋服を売っているお店は幾つもある。カジュアル、フェミニン、ボーイッシュ………、どんなテイストの服でも、商店街の裏路地まで含めたら何でも揃っているのである。 

 ウェーブヘアーのカツラを被って化粧までしている美人マネキンが「こっちを見て」と訴えている。着ている洋服は流行りのファッションで、見映えがとてもいい。スタイルいいな、でも、あの服は私に着られるかな?立ち並ぶショーウィンドウに目移りしてしまう。

 服を眺めて右左と首を振っている私を、昴君は微笑ましく見ててくれている。

 人に当たりそうになるときも、さりげなく、繋いでいる手を引っ張ってエスコートしてくれる昴君は紳士だ。

 「あの洋服を着てる夏海を見たいな。」

 昴君は指差している。その先には青い色のミニ丈のワンピースを着ているマネキンがある。

 「夏に似合うよ。海みたいだし、夏海そのものなんじゃないかな?」

 「夏海だから、夏の海って、…安直では?」

 「でも、似合うでしょ。綺麗な色してるし。ね!」

 昴君は青いワンピースのマネキンへと私を連れて近づく。マネキンがある店は、いかにもお洒落で上品な大人の女性御用達の店といった雰囲気で、カウンターには黒髪でハッキリとしたメイクのお姉さん店員さんがいる。

 店員さんみたいな女の人は、私は馴染みがないので、緊張した。

 「これ買おうよ。」「すみませーん。」

 昴君は間髪いれずに店員さんを呼ぶ。

 私は慌てたが、ダルそうにしつつも店員さんはマネキンから、洋服を取ってくれた。

 「お会計は一万二千円になりますけど。」

 私が普段している買い物と桁が違う。

 「大丈夫、出せるんで。袋に包んでください。」

 昴君はクレジットカードを取り出して、お会計をする。

 無言でカードを受け取り店員さんは洋服を可愛いビニール袋に詰めてくれた。

 

 買った青いワンピースは、ミニ丈が気になるけれども、青い色が深くて少しラメがかっていて綺麗だった。傾けると僅かにきらきら星と光る。

 「このワンピース、綺麗だね。ありがとう。」

 私は昴君にお礼を言う。昴君は満更でもない微笑みを私に向ける。

 「また何時かそのワンピースを着てくれると俺が嬉しいな。」

 「俺が。って、疚しい~。」

 昴君をからかいながら、私達はあてもなくただただ商店街を歩く。商店街の一角に、古いお堂と公園がある。そこにあるきつかれた人達が一休みしている。お堂には黒猫が住み着いていた。黒猫は商店街のアイドル的存在になっている。

 「ナーゴ、ナーゴ。ニャオン。」

 お堂の縁側に座っていると、私の方に黒猫がすり寄ってきた。

 「お前は、人懐っこいね。よしよし。」

 黒猫は悪びれもせずに膝の上に乗ってきた。眠たいのか甘えたいのか、黒猫は丸くなって黒い綿毛になる。私が撫でてやる毎に、黒猫は喉をゴロゴロとならして甘える。

 「ふふふ。いいこ猫ちゃんだ。」

 「うん?そいつ雄猫だろ?人の彼女の膝の上にのるなんて。その場所寄越せと。」

 黒猫に悪口を言いながらも、昴君は黒猫のお腹をひたすら撫でている。

 お腹を撫でられている黒猫はくすぐったいのか、プスプスと鼻をならしていた。

 「あっ、もう十一時半じゃない!喫茶店に行こ?」

 お昼になると混んでしまう!あそこは人気店なのだから。

 昴君と一緒にお堂の公園を出て、目的の喫茶店へと私達は商店街を歩いていった。

 

 喫茶店はゲームセンターの直ぐ近くにあった。下の階は、少し離れた県内の南の地域の特産品を売っていて、二階に喫茶店がある。

 少し狭まっている階段を登ると、外からは予想できない広々とした店内が広がる。薄暗いけれども、店員さんの顔も足元もわかる。優しそうなおばちゃん店員さんに案内されて、私と昴君は奥にあるテーブル座席に座った。

 座席の壁棚には西洋風アンティークランプが三つ程飾ってあって、古めのぼやけたステンドグラスが綺麗で。のんびりとした大人の雰囲気が漂う喫茶店。ここは私のお気に入り。

 「ここのおすすめメニューはスパゲッティなんだよ。ナポリタンが美味しいの。」

 「ふーん、結構量がありそうだね。成る程美味しそう。」

 昴君は出されたお冷やを頂きながら、メニュー表を眺めている。変わったのは何かない?と、好奇心一杯で彼はページを捲っている。

 「お、イカスミパスタがある!俺はこれにするよ。これ好き。」

 「ん?イカスミパスタあったんだ!?」

 私はいつも王道メニューを頼むから、イカスミパスタがあることには気づかなかった。普段食べることもないし、イカスミパスタって美味しいのかな?

 「私はナポリタンにするね。メニュー頼むね。」

 さっきの店員さんに聞いてもらって、注文をする。店員さんが料理人にメニューを告げると、厨房からジュワっと美味しそうな調理の音がし始めた。

 「昴君って、変わった感じの好きなのね。」

 「んー、というよりは、できる限りは色々な経験をしたい派かな?」

 「なるほどねぇ。」

 先に私が頼んだオレンジジュースが着たので頂きながら話を聞いている。物珍しいのか昴君は喫茶店の店内を天井までをも見回している。

 きっと、小説に使えそうなところを探しているのだろう。

 「昴君、この喫茶店は小説っぽい?」

 「………!?……あ、俺が書くタイプとは違うけど、小説に出てきそうだよね。喫茶店らしくて際立ってるというかさ。」

 「よかったら、今度出せそうなら、出してよ~。」

 「ははは、出せたらね。」

 イラストレーターをしている秋羅ちゃんに、この手の無茶苦茶な注文をつけたら直ぐ様怒って却下する。クリエイターに、ただの思いつきの無理難題なんて厳禁。でも、昴君は大人なので、否定せずに私の無邪気さを許して、やんわりと返してくれるのだ。

 「こちら、ナポリタンとイカスミパスタになります。」

 注文した品が届く。パスタからは湯気が立っている。薫りは勿論、美味しい美食の薫りがする。

 「さっ!昴君、食べて食べて!」

 「思ったよりも、麺が太麺…。頂きます。」

 昴君はさっとフォークでイカスミパスタを巻いて、上へと持ち上げて口へと運ぶ。濃厚な黒いイカスミが黒く照ってしっかりと美味しそう。

 「うん、美味しい。ちゃんと本格的で、これはまた食べたくなる…!」

 本当に昴君はこの喫茶店のパスタを気に入ったようで、フォークはカチャカチャと動く。

 私のお気に入りを昴君も気に入った。私は嬉しいな。

 「へへへ。私も頂きますよ。」

 ナポリタンにはピーマンやニンジン玉ねぎ等の色とりどりの野菜が入っていて、食べるとケチャップの親しみある味が美味しかった。私の馴染みの味で、やっぱりナポリタンとオレンジジュースの組み合わせは喫茶店の醍醐味。

 「ねぇ、昴君。こんなのんびりした食事、幸せだねぇ。」

 「夏海と食べると、何時でもほっこりできて、俺幸せだからさ。」

 美味しい食事についつい口も元気になる。

 午後からのデートも、元気回復でもっともっと歩けそうだった。


 午後からは昴君の提案で、百貨店の上にある観覧車に乗ることにした。

 百貨店の上に観覧車…?!なんて、どういう発想なのかと思うけれど、本当にあるのだ。高いところに観覧車を作ればもっと高くなる!という天衣無縫の考え方は、私は発想が楽しくて好きだよ。

 「普段あんまり百貨店には行かないから、なんか緊張するな。扉重たいし。」

 昴君は先に重たい百貨店の扉を開けてくれて、私は早足で百貨店内に入る。昴君のエスコートは、前よりも動作が慣れてきているような。

 ゴールデンウィークとあって、百貨店は下から上まで全ての階が人集りだった。老若男女が楽しく休日を満喫している。同じ観覧車に乗ろうとしているのか、学生や社会人カップルがエスカレーターに乗って屋上を目指している。

 私と昴君も屋上にある観覧車を目指す。エスカレーターから眺める店内は華やかで。特に家具売場の水彩画風の赤い花柄のカーテンには目を惹かれた。

 屋上に着いた。屋上にはフードコートがある。ここが一番人が多いかもしれない。あちこちテーブルは親子連れと遊びに来ているグループばかりだ。

 テーブルを抜けて観覧車の入り口を目指す。入り口付近に住宅情報スペースがあって、昴君との新居が頭にちらついたけれども、私ったら気が早い!

 観覧車の入り口では、アルバイト社員のお姉さんが待ち構えていた。

 「はーい、只今二十分待ちでーす。」「申し訳ありませんが、順番がくるまで、お待ち下さーい。」

 駄々をこねる子供をなだめながら、社員のお姉さんはアナウンスする。私と昴君はお喋りしながらゴンドラ席を待つ。

 ガランガラン、と、上から無数のゴンドラが回転している音が降ってくる。ゆったりと観覧車は回っている。

 「百貨店の屋上に来るなんて、中学生ぶりだ懐かしい。」「あん時は、男友達と新作ガチャガチャ目当てに来たなー。」

 なんて事ない事を、昴君は思い出話を語る。

 「私も、最近は屋上までは来てなかったなー。」「観覧車乗るの、お母さんと乗ったくらいかな?」

 「お母さんと?夏海って、家族っ子なんだな…。」

 「いや、でも今は自立してるから!」

 「箱入り娘も可愛いと思うよ?」

 私の思い出話に男の影が無さすぎて、昴君は安心しきっている。本当に年齢が彼氏いない歴の私だったけれども、さすがにこんなデートの時に他の男の話なんてしない。

 「はい、ゴンドラ着きました!乗ってくださーい、お願いしまーす。」

 揺れるゴンドラに足を踏み入れる。私が入るとゴンドラは安定した。昴君と向き合う形になって座席に座る。

 ゴンドラはゆっくりと上昇する。ガラス窓からは、街の景色が一望できる。城山の上に街のシンボルの城がある。別方向を見ると、山上にある公園にある西洋風の塔まで見えた。

 私の実家の方まで見えそうなくらい、見晴らしがいい。五月晴れの空は、どこまでも蒼く高い。白い光の太陽光が、昴君に後光を差す。

 昴君が眩しい。天使みたい。

 「やっぱ観覧車はデート感満載だな。夏海が俺の彼女なのが実感できる。」

 「観覧車デート、憧れだったから私幸せ…。」

 「………。」

 観覧車が頂点に達する。

 何を思ったのか昴君は、立ち上がって私の方の座席に座ってきた。

 ゴンドラがビクンと揺れて、昴君が近すぎて、私の心臓も跳ね上がる。

 ゴンドラが徐々に下がりはじめるのだけど、昴君はゆっくりと私を抱き締めてくる。

 私の顔に顔を寄せる昴君。

 「…観覧車、降りたくないね。」

 昴君の甘い声。耳元に当ててくるなんてズルい。

 「…降りたくないけど、おうち帰ったらもっと近寄れるよ?」

 「…そだね。」

 私は寂しがる昴君の頭を撫でてあげた。柔らかい髪の毛が犬みたいで可愛い。


 よしよし、よしよし。

 昴君も、こうやって好きな人とデートするの、楽しみだったんだね。

 私達、似てるね。


 昴君に強烈に惹かれてく。恋に恋する淡い気持ちがじんとくる。 

 惹かれる気持ちに惹かれたい二人。そんな気持ちを持ち寄る二人。

 だから、こうして。何気ない日々でも恋愛出来るのだと思う。

 

 観覧車は街の空を降る。

 甘い夢ごこちの世界から、緩やかな現実の世界へと降りて行く。

 「また来れるよ昴君。そうだ、クリスマスに絶対来よう?」

 「…約束。」

 昴君は右手を【ユビキリ】の形にする。

 「うん、約束ね。」

 私と昴君は、クリスマスデートの約束をした。

 「お疲れさまでした!足元に気をつけて、降りてくださーい。」

 元気なお姉さんの声で、私達は地上に帰ってきた。


 夕方が近づいてきた。最後も昴君のリクエストで、海辺を散歩することにした。昴君の実家近くに海水浴場があるらしい。

 一旦マンションまで戻って、昴君の車に乗る。車で二十分程度で、目的地に着いた。

 キチンと公園として整備された立派な海水浴場で、五月だというのに、釣り人や海を眺めている人たちが居る。

 車を降りると、潮風が迎えてくれた。潮風は私の髪を撫でる。フワリと潮風に流れる私の髪。

 「こっちにおいで夏海。」

 「うん。」

 駐車場から海水浴場へと歩く。海の方を見ると、既に夕日が海に沈み行こうとしている。

 「絵になる夕日さ、ご覧。」

 昴君は、何回もここで夕日を見たのかな?彼はこの夕日に懐かしさをみているような気がする。

 「ああ………。」

 赤々と燃え盛るように照りつつも、海の向こうに沈み行く。名残惜しいという言葉が、これ程にまで似合う光景もないだろう。

 「綺麗だね。」

 「だろ、綺麗なんだ。」

 ここは昴君のお気に入りの場所。私もこの景色を昴君と分かち合った。二人の共通の秘密が増えて行くのが素敵。

 「ここは、また夏に来ようね。」

 「夏海の水着姿、楽しみにしてるからな。」

 「またまた~。」

 約束も増えていく。もっと、昴君との思い出を増やしたい。私は何時になくワガママになってゆく。

 でも、このワガママは清らかなワガママだ。

 私はこんな気持ちを抱えて生きて行きたい。

 昴君の隣で。

 太陽が沈んだ夕闇の中で、私はしんみりした。

 日中が暑かったので、日が暮れて涼やかな潮風は丁度よい。火照った身体を沈めてくれる。

 「風強いね。でも、気持ちいいね。」

 「…そろそろ帰ろっか。」

 昴君はポツリと呟いた。私も名残惜しい。

 「…お部屋で夕飯食べよっか?」

 「うん。それがいい。」

 さざ波が音を微かにたてる波打ち際。白い砂浜を踏みしめて、私達は駐車場へと帰る。

 「…早く夏になーあれ。」

 「…早く夏になれ…。」

 私に続いて、昴君も星空にお願いする。

 早く夏になって欲しい。そうすれば、昴君との距離もーーー、もっと、もっとーーー………。

 「線香花火やりたいね。」

 「そだね。夏海との恋を願掛けしたら、絶対に線香花火は落としたくないね。」

 「なにそれ。………やって欲しいな。」

 駐車場でも惚気てしまう。夏になったら私達は蕩けてしまっているのでは。と、思う。


 夜も八時前に帰宅。

 私達は帰りに買ったお弁当をテーブルに広げて食べる。歩き疲れた身体に、肉じゃが弁当は染み渡る程美味しい。

 部屋でのんびり食べる肉じゃが弁当は、美味しい!私は足をバタつかせながら食べていた。

 昴君は肉じゃが弁当を黙々と食べている。

 昴君は、マンションの部屋に入った途端、全てを失ったかのように無表情になった気がした。明らかに不自然だった。

 私が観察すると、昴君は肉じゃがを一点張りに見つめて食べているのだ。

 もしかして、歩き疲れてストレスがでたのかな…?

 私は折角元気になってくれた昴君がまた辛い思いをするのが怖かった。でも、そのために私が居るのだから。

 病状が悪化する前に、昴君にストレスを与えずに、然り気無く聞くしかない。

 私はお茶を注いで、昴君にコップを手渡す。

 「…昴君、今日歩きすぎちゃったから、疲れてない?」

 「………?俺の顔、疲れ出てる?ごめん。」

 「いや、謝らなくていいの。昴君、またストレスで参っちゃうといけないって気づいて…。」

 昴君は目を見開く。二人の間に空白が、時が止まる。

 「…心配ないよ。寝たら今日の疲れなんて治るからさ。」

 俺ももう歳なのかな…参ったね。と、昴君はぎこちなくしている。

 目が游いでいる。心配させまいと何かを隠してそうだ。

 ここで疲れを隠されてしまっては、更に様態は悪化してしまうだろう。私は昴君を責めるつもりなんてない、助けたいのだ。

 「昴君…。何かあったら言って?その為の主治医の私なんだから。」

 昴君を、怯えさせないように責め立てないように、私は、ゆっくりと言った。

 昴君の表情が更に曇る。彼の心は行き場を失っている。肉じゃが弁当は既に空になっているのに、彼は割り箸の先を歯で噛み続けている。

 「………寝るわ。ごめん、ごめん…。」

 静かに立ち上がって昴君は、ベッドに横たわる。

 ボスンと大きな音を立てて、昴君は布団に沈みこんだ。

 「…そっか。」

 何かあるのだけど、無理やり暴くのも昴君本人にストレスだ。

 「私、お弁当片付けとくね。」

 私と昴君は一緒に暮らしてるのだし、時間をかけて教えてくれたら、それこそ本人のペースで徐々に治してゆけるだろう。

 私は空いたお弁当のゴミを捨てた。

 明日はどうしようかなと、カレンダーを見る。カレンダーに特に予定は書いていない。まっさらだ。

 昴君は私に背を向けてベッドに横たわっている。

 私はこっそりと、昴君の本棚にある本をまた読んでみようとした。あの緑色のプラスチック籠の中にある本を。昴君が書いた本を。

 カコン。

 緑色のプラスチック籠を覗き込む。

 何故か、籠の中で積み重なっている本の上には、スケジュール手帳があった。

 私のエメラルドグリーンの手帳とは全く違う、焦げ茶色の本皮の高級そうなスケジュール手帳。

 確実にこのスケジュール手帳は私にわからないように隠してあった。私は知るためにも容赦なくスケジュール手帳を開く。

  スケジュール手帳には、今年の三月以降、予定がない。入っていた筈の予定は二重線でキャンセルされていた。


 「…夏海、俺、もう小説家じゃないんだ…。」

 思い詰めた昴君の声がした。

 「もう書けそうにないんだ、小説が。」


 昴君は私の背後に立っていた。

 昴君は私の手からスケジュール手帳をはたき落とす。手帳は無惨にも床に転がる。

 「まだ、小説家だって、嘘ついてた………ごめんなさい、ごめんなさいーーー………。」

 昴君は物凄い剣幕で私に謝り続けた。昴君は確実に追い詰められていた。

 「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいーーー………。」

 私は慌てて、昴君をベッドに寝かす。

 そして、彼の頭を撫でて、落ち着けさす。

 「昴君!私の方こそごめんなさい!!」

 「お願い、落ち着いて…、怒ってないから…昴君のこと、心配だから…。」

 昴君は段々と落ち着き始めた。

 事の真相は解ったけれども、私は昴君を追い詰めてしまった。

 「私が…ごめんなさい…。」

 昴君を深く傷つけてしまった。ごめんなさい、ごめんなさい…。私の眼から涙が零れた。

 私の涙は零れ落ちて、昴君の顔に伝う。

 「…涙温かいね。夏海の心配する気持ちがわかったから、いいよ。」「俺、大丈夫だから。」

 途端に弱ってしまった昴君は、衰弱しても精一杯の笑顔を私に向けてくれた。

 「私と一緒に治していこう、治せるから。」

 私は昴君の精一杯に、感極まってまた泣いてしまった。

 嗚咽が漏れて、泣きじゃくるしかなかった。


 大切な君を、絶対に救いたい。

 私は昴君と共に行くことを決心した。

 

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