第89話 旅の話

 お茶を飲んで一息ついたところで、学院長の部屋に行くことにした。

 学院長もシリウスの身を案じていた。甥っ子と(ついでに姪っ子の)帰還を知らせて、一緒に旅の様子を聞こう。

 例の石版は布で包まれたまま、テーブルの上にある。早く見たいのはもちろんだけど、石版は逃げない。旅の話を聞いた後に手を付けることにした。


 念のため、石版も持参して学院長室へ向かう。

 ドアを開けて迎え入れてくれた学院長は、カペラに驚いていた。ひげもじゃのシリウスに対してはさほど驚かず「父さん……お前の祖父にそっくりだな」などと言っていた。


「初めましてだね、カペラ。妹夫婦に娘が生まれたのは知っていたが、会うのは初めてだ」


「伯父さま、お初にお目にかかります。お母さんとお父さんがくれぐれもよろしくとのことです」


 お互いに挨拶を済ませて、ブリタニカの話になる。


「往路はそれなりに順調だった。北西山脈も天気に恵まれて、案外あっさり行程をこなしたからな。ブリタニカに到着するまでノルドの各地を通って行ったが、まあ、その話は省く」


 シリウスが話し始めた。


「予定通り2ヶ月弱でブリタニカに着いたよ。向こうはもう冬で、どこを見ても雪ばっかりだった。寒くて死ぬかと思ったぞ。途中のノルドの街で買った熊の毛皮がなければ、凍死してたかもな。

 フェイリムの――ひいじいさんの縁者がいる街まで来て、案内人と別れた。それでその縁者を訪ねたら、両親がいた」


 兄の言葉をカペラが引き継ぐ。


「うちの両親はノルド各地を旅して魔法の知識を広めたり、反対にその土地の伝承や魔法に関する話を集めているんです。だからあの時、ブリタニカに居たのは偶然でした」


「その時、初めて妹の存在を知った」


「お母さんはちゃんと手紙を出したんですよ! それなのに兄さんは『誰だこのガキ』って言って、ひどいと思いました」


 カペラはふくれっ面をしている。伯父の学院長はちゃんと知ってたから、シリウスが手紙をきちんと読んでいなかったんだろう。


「うるさいな。どうでもいいだろ、そんなこと。それより続きだ」


 と、シリウス。


「白魔粘土と記述式呪文を披露したら、絶賛されてな。フェイリムの遺品を改めて確かめてみることになった。僕は知らなかったが、ブリタニカにも彼の家や倉庫が残っていたんだ。

 両親とカペラと一緒にそこを探した。それから新しい魔法文字の遺跡がないか聞いて回ったんだが、これは空振りだったな」


「遺跡の発掘は大変な作業なんです。まず遺跡を見つけないといけないし、見つけた後も遺物を壊さないように発掘するのは骨が折れます」


 カペラが言う。


「ひいおじいさんのもう一世代前くらいまでは、ブリタニカにも有力な支族の長がいて発掘の指揮を取っていたそうです。でも、今はもうブリタニカに強いリーダーはいません。魔法の知識も失われる一方です。

 ひいおじいさんがブリタニカを出てユピテルに行ったのも、そういう状況に絶望したからとお母さんが言っていました」


「まあ、その辺の事情はどうでもいい。重要なのはその石版だ」


 シリウスは私が持っている石版を指さした。

 どうでもよくはないだろ。かつての魔法先進国、しかもお前さんの先祖の土地が衰えてるんだから、ちょっとくらい憂慮しろよ。

 と思ったけれど、私は良識人なので口には出さない。


「フェイリムの家や倉庫は外れだったが、昔の弟子の家にそれがあった。弟子といっても先代までで、僕たちが会った当人は魔法使いじゃなかったがな。とにかくそいつがそれを持っていた」


「そのひとは魔法使いではないですから、快く石版を譲ってくれました。不要だからって」


「大馬鹿者だよな! 長年手元にあった宝の価値に気づかず、それをあっさり手放したんだから!」


「兄さん、他人のことを馬鹿だなんて言っちゃ駄目だよ。あの人が保管してくれていたおかげで、石版を見つけられたんだから」


「む……それもそうか。馬鹿は取り消す」


 年の離れた妹に正面から諭されて、シリウスは素直に反省している。

 なんか、カペラはシリウスの扱いをちゃんと心得てるな。微笑ましい。


「大きい成果が見つかったから、僕はユピテルに帰ることにした。そしたらこいつが一緒に来ると言いだした」


「わたしももう親元を離れて大丈夫な年ですから。ユピテルに行って、兄さんのお世話をしようと思ったんです。一人じゃ心配すぎるもの。

 ちゃんと両親に許可は取りました。伯父さんに身元引受けを頼む手紙を書くから、好きにしていいって」


 ご両親は放任主義だのう……。

 シリウスに対しても伯父さんに預けたっきり、ほとんど会いに来てないみたいだし。

 まあ、よそのご家庭にやり方に口を出しても仕方ないね。


 もう少し詳しく旅の話を聞きたい気もするけど、新しい石版も気になる。

 カペラを学院長室に残して、私の研究室に戻ることにした。


 さあ、研究の始まりだ!


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