5
「眠ってしまったみたいですね」
「ええ、きっと疲れていたのよ。このままじゃ風邪を引いてしまうわ。繭子さん、レオンを呼んできてくれる?」
葉月はプリンと紅茶を口にした後、意識が朦朧とし、テーブルの上に伏して眠りについた。
繭子が美月に言われた通り、レオンを呼んで来ると、レオンは葉月を横抱きにしてベッドの上にそっと乗せる。
こんこんと眠りについている葉月。
美月と繭子は葉月をパジャマに着替えさせ、掛け布団を上からかぶせる。
部屋の電気を消して、三人とも葉月の部屋を出た。
「繭子ちゃんはもう下がっていいわよ」
「はい、かしこまりました」
繭子が立ち去り、葉月の部屋の前には美月とレオンだけが残る。
「それで、葉月お嬢様の様子がおかしい原因はわかりましたか?」
「……ええ。大体のことはね。でも、困ったわ」
美月は悩ましげな表情で、ポケットに入れていた赤い三角ネクタイを取り出すと、レオンに見せながら言った。
「
「ええ、もちろん。シノダ製薬のご令嬢も被害に遭われましたし……今この国でその事件を知らない者の方が少ないのではないかと思います。それと、そのスカーフのような布が何か関係が?」
「被害者のものらしいの。ほら、ここ、血のようなシミがあるでしょう? これが、うちの裏庭に落ちていたって……」
「裏庭に————?」
レオンは三角ネクタイを美月から受け取ると、広げてよく観察した。
確かに茶色っぽいシミがいくつか付着していて、裏側には山下の刺繍が入っている。
「犯人がこの二階堂家に出入りしている者の中にいるんじゃないかって、疑っているのよ。それも、いつか私が狙われるんじゃないかと……その事件の殺された被害者の顔つきが、私に似ているそうよ」
「……なるほど、それで、何か様子がおかしかったんですね」
「私が殺されるなんて、そんなありえないことを考えて悩んでいたみたい。葉月は明日、警察に全部話すって言ってるけど……」
美月は一度大きくため息をついた。
「二階堂家の使用人に、あんなセンスのある人間がいるなんて、葉月は何を考えているのかしらね」
「センス……ですか?」
「ええ、そうでしょう? 使われているのが死体であることを除けば、あの花やリボンの使い方はとても芸術性が高いわ。あれは間違いなく、美術や芸術に造詣が深い人物の作品よ」
美月の推理した犯人像は、葉月のものとはまるで違っている。
犯人の作品と、離れにある絵は一致していると葉月は言っていた。
あの絵を再現しているに違いないと。
しかし、二階堂家の使用人が簡単に目にすることのできない場所にある絵の通りに人を殺すなんて、可能なわけがない。
離れの鍵が、珠美の寝室にしかないことを美月は知っていた。
撮影や舞台公演で家を空けることの多い珠美の部屋に、使用人が何の用もなく一人で出入りして入れば、怪しまれるだけだ。
「きっと、犯人は芸術家よ。葉月は思い違いをしているのよ。この三角ネクタイだって、山下って苗字だけしか刺繍されてないでしょう? たまたまそこに落ちていただけで、そんな風に思ったんだわ。焼却炉に血のついたグレーのセーラー服が入っていた……なんて言っていたけど、誰がそんなところに捨てるの? きっと、勉強のしすぎで疲れていたのね。だから、何か別のものをそう勘違いした。そうでしょう?」
「……ええ、その通りです」
聡明な美月が、間違ったことを言うはずがない。
もし間違っていたとしても、レオンには美月の言葉が全てだ。
美月が正しいと思うことが、レオンにとっては正解なのだ。
「この三角ネクタイ、処分しておいて」
「……え?」
「こんな汚いものが家にあるなんて、気持ち悪いでしょう?」
笑いながらそう言って、美月はくるりと踵を返し、隣の自分の部屋へ戻っていく。
レオンは、美月の後ろ姿を見つめながら、美月に聞こえるか聞こえないか微妙な声で
「……かしこまりました」
そう言った。
一方で、管理室から防犯カメラの映像を見ている者がいる。
薫だ。
葉月の部屋前に設置された防犯カメラの映像。
別の位置にある盗聴器の音声を左耳のイヤフォンで聞きながら、薫は美月とレオンが映っている今の映像を消去する。
「犯人は芸術家————ね」
そう呟いて、お気に入りのウェッジウッドのティーカップに手を伸ばす。
すっかりぬるくなった紅茶に口をつけると、すぐに吐き捨てるように「不味い」と言った。
紅茶を入れなおそうと、ティーセットを抱えて自分の部屋に戻って行く薫。
『ああ、それと、レオン』
左耳につけたままのイヤフォンから、美月の声が再び聞こえる。
『明日、朝出かけるから用意してね』
『行き先はどちらですか?』
『警視庁』
『…………警察ですか?』
『ええ、葉月の代わりに私が行ってくるわ。犯人は、芸術家だって……伝えにね』
音声だけでは、美月の発言が本気か冗談かわからなかった。
薫はやれやれとため息をつきながら、カメラの映像を巻き戻し消そうとする。
「まったく……このお嬢様は本当に、何がしたいのかわからない…………わ」
ところが、画面の向こうの美月と一瞬、目が合ったような気がして肝を冷やした。
まるで薫が見ているのを知っているかのように、美月はカメラを一瞬だが見て笑っているように思えたからだ。
『さぁ、この話は終わり。お正月だからって、夜更かしは体に良くないわ。おやすみ』
そうして翌朝、なかなか起きてこない葉月を置いて、美月はレオンと本当に警視庁に行った。
昼前になって、警視庁からとある一人の男を連れて二階堂家に戻ってきた。
「————お姉ちゃん、その人は……?」
上背がありがっしりとした体型。
黒いスーツの胸元に『S1S mpd』と刻まれた赤いバッチをつけたその男は、葉月に軽く会釈をして、名乗る。
「警視庁捜査第一課長の
時枝
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