第44話 居酒屋とクリップと情報網と

 午後七時三十六分


「二人で飲みに来るの、久しぶりだよね?」

「そうですね……半年ぶり、でしたか」


 鬼子母神奈緒のスキップ大作戦を終えて署を後にして、帰りがけに須藤さんと飲みに来た。

 ここは松永さんの息がかかっている居酒屋だ。

 岡島、葉梨、相澤と四人で来たあの日以来、来ていなかった。一年八ヶ月ぶり、か。


 二の腕ムニムニの女将さんの件で、松永さんはずいぶんと対応に苦慮していたが、葉梨があのタイミングで気づいてくれたから、何事もなく解決した。本当によかった。


「ここ、いい店だよね」

「そうですね。私は女将さんが好きです」

「ふふっ、蚤の夫婦」

「んふふ……」


 須藤さんの夏は忙しく、日毎に萎びていく姿は直視出来なかったが、今はもう大丈夫だ。

 美味しそうにビールを飲む須藤さんは肌の色艶もよく、元気そうだ。おそらく、恋人とも上手くいっているのだろう。内から溢れ出す幸せそうな雰囲気がある。


「須藤さん、彼女とは上手くいっているんですか?」

「え? 彼女じゃないよ、友達だよ」


 プライベートの話はしたくないのだろうか。須藤さんの目を見ても、特にそんな雰囲気ではないが……。


「そうだ。クリスマスにさ、白い薔薇を選んでくれたでしょ?」

「ええ……えっと、何か……」

「ああ、いや、彼女は喜んでくれたんだけど、俺さ、意味を聞かれて、知らなかったから困ったんだよ」


 ――そうだ。意味を須藤さんに伝えなかったんだ。


 白い薔薇は葉梨が選んだが、葉梨には秘密だと言ったから葉梨も意味を説明出来なかったのか。


「申し訳ありませんでした」

「ふふっ、大丈夫だったよ」

「えっ……?」

「彼女には、『解釈はお任せします』って言ったから」

「んふふ……さすが須藤さん」


 そうだ。白い薔薇五本の解釈はいくらでも出来るのだ。葉梨が込めた意味はわからないままで、私もどう受け取ればいいのか、答えを保留にしている。


「俺もさ、白い薔薇五本の意味を調べたけど、たくさんあるんだね。ふふっ、彼女がどう受け止めたのかは、わからないけど」

「須藤さんは、どんな意味を込めました?」

「あー、うーん……そうだなー」


 須藤さんは頬が緩んでいる。

 私に、こうしたプライベートの話をしてくれるようになったのはクリスマスの白い薔薇の時からだ。

 昨夏までは松永さんを介してでないと近寄れない雰囲気があり、私は須藤さんが少し苦手だった。直属の上司ではあるが、私に対してきっちりと線引きをして、元からセクハラはしないがパワハラも無かった。


 ――関係が近づくとパワハラをされる。最悪じゃないか。


「ふふっ」

「ん? 何よ?」

「えっと、須藤さんは、『この先もずっと相思相愛でいたい』あたりの意味を込めたのかなと思いまして」

「あー、いいね、それ」

「それで?」

「んー、そうだな。『心から尊敬しています』かな」

「えっ……」


 須藤さんは私に優しく微笑んでいる。

 そうか。まだ須藤さんは片思いのままなのか。

 クリスマスのあの日、彼女は想いを受け入れてくれたのだろうと須藤さんは言ったが、関係はそのままなのか。


「素敵な女性なんですね」

「そうだね。俺なんていなくても生きていける強い女性だよ」

「……そうなんですか」

「だから好きなんだよ」


 ――おっと、須藤さんが惚気けたぞ。


警察官サツカンだから近寄る女にも、公務員だからと近寄る女にもウンザリなんだよ。色目使って近寄る女にも、一人で生きていけない女にも、ね」

「あー……なるほど」

「彼女の見た目は小柄で化粧っ気なくて大人しそうな女性だけど、中身は男前だよ」

「男前」

「ああ、見た目を例えるなら、防犯講話の担当者、石川さんに似てるよ」


 石川さん、か。

 須藤さんは石川さんを化粧っ気がないと言うが、あれはかなり作り込んだナチュラルメイクだ。男にはわからないのだろう。

 まあ、石川さんの気合いの入ったナチュラルメイクは職人技だとは言わないでいいか。


「石川さん、この前お会いした時に素敵なヘアクリップをお召しだったんですよ」

「へえ」

「レース編みで、白とピンクの花がたくさんついたクリップでした。レース編みでもヘアアクセサリーって出来るんですね」

「ああ、出来るよ」

「石川さんはご自分で作ったとおっしゃってました」


 須藤さんの目が少し動いた。なせだ。


 ――もしかして、須藤さんの彼女って石川さんなのだろうか。


 須藤さんは彼女との共通の趣味はレース編みだと言っていた。

 あのレース編みのクリップは、もしかして須藤さんの手作りなのか。須藤さんが来るから、石川さんはクリップをつけていたのか。でも、まさか石川さんじゃないだろう……でも須藤さんは彼女を『小柄で化粧っ気なくて大人しそうな女性』と言っていた。


「ふふっ、奈緒ちゃん、気づいた?」

「えっ、あの、須藤さんの彼女って石川さんなんですか?」

「そうだよ。石川さんと面識があるのは敦志と奈緒ちゃんだけ。玲緒奈さんは又聞き。奈緒ちゃん含めて三人だけだよ。秘密は守ってね」

「……はい。もちろんです」


 なぜ、須藤さんは私に教えてくれたのだろうか。

 ああ、そうか。松永家の情報網の件か。私を引き込んで、逃げられないようにするための秘密の共有か。


「六月に奈緒ちゃんと防犯講話へ行った時、あのクソジジイが余計なことを言ったの、覚えてる?」

「余計なこと……ああ、須藤さんの好みのタイプと離婚歴の話ですか?」

「そう。あのクソジジイのせいで、石川さんから連絡が来なくなったし、電話にも出てくれなくなった」


 ――最悪だ。あのクソジジイめ。


 あの日、クソジジイは須藤さんの好みのタイプをバラしていた。須藤さんの好みは背が高くて茶髪で大きいカールのロングの派手な女性だ。痩せていて美脚とプリケツが条件だと言っていた。胸はどうでもいいらしい。

 石川さんは小柄でムニムニほっぺの可愛らしいタイプだから、嫌な気持ちになったのだろう。連絡が途絶えるのも無理もない。


「七月末が石川さんの誕生日でね。俺、必死にレース編みでヘアクリップを作ったんだよ。指先くらいの小さい花、奈緒ちゃん見たんでしょ? あの花ね、八十個もついてるんだよ。俺、すっげー頑張ったよ」


 松永さんが熱中症で救急搬送されたと岡島から聞いた時、須藤さんはレース編みを一心不乱にやっていると言っていたが、あれは山積する仕事から現実逃避をしていたのではなかったのか。石川さんの誕生日プレゼントを作っていたのか。私の付け襟でもなかった――。


「そのレース編みのクリップをプレゼントして仲直りしたんですか?」

「……仲直り、したのかな」

「んんっ!?」

「でも、まあ、俺が防犯講話に来ると思ってヘアクリップをつけてくれたんだろうから、大丈夫じゃないかな」


 須藤さんの顔を見ていると、そこはかとない不安が胸をよぎるが、大丈夫だろう。きっと。



 ◇



「捜査員の再編の件、あと一人を誰にするか、決めかねててさ」


 鬼子母神奈緒のスキップ大作戦に向かう時、私も十一月から神奈川県の捜査に加わると教えられた。

 松永さん、相澤、本城、飯倉、武村、ポンコツ野川だと聞いていたが、あと一人いるのか。


「岡島か葉梨なんだけど、奈緒ちゃんはどっちがいいと思う?」

「二人セットはダメなんですか? 岡島は、葉梨がいないと寂しくて泣きますよ」

「知らないよ、泣かしとけよ」

「ふふっ」


 葉梨、か。

 直接の仕事ぶりは知らないが、神奈川県の捜査に関しては岡島の方が適任だと思う。

 私としては葉梨がいい。岡島と毎日顔を合わせるとなると、おそらく物理的に抹殺してしまうだろうから。だが仕事だ。ムカつくが、岡島の方がいい。


「岡島がいいのではと思いますが」


 そう言った私の目を、須藤さんは真っすぐ見た。

 射抜かれるような厳しい目線だ。なぜだ。


「奈緒ちゃんは、葉梨がいいんじゃないの?」


 口元を緩めた須藤さんは厳しい目線のままで、葉梨が捜査員に加わる手配をすでにしてあると言った。

 私と葉梨の関係を知っているということか。

 だが、私たちにはまだ何も起きていない。


「ふふっ、顔色ひとつ変えず、目も動かない。さすがだね、奈緒ちゃん。頼もしいよ」


 これは褒められているのではない。私と葉梨の間には何もないが、私の心の機微を読み取ったのだろう。そして、それをあえて口に出して、反応を見たのだ。

 この人は、やはり油断ならない。


 ――萎びてたチンパンジーのくせに。


 だが私は思った。

 これが松永家の情報網なのだ、と。

 私はもう、松永家に搦め取られているのだ。

 諦めよう。私はそう思った。





 ❏❏❏❏❏


 あとがき


 ここまでご覧いただきありがとうございました。

 次回、最終話です。





 

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