第19話 簀巻きと香水とパイナップルと

 午後九時十二分


 私は今、中山さんの部屋で簀巻すまきになっている。


 羽毛布団の端に寝て、布団を巻き込みながら転がしてくれたのは葉梨だ。

 今回は体力の回復が遅く、体が寒くて仕方ない。

 私は簀巻きのまま体育座りをして、ベッドに腰かける葉梨に後ろから抱えてもらっているが、後輩にこんなことをさせるのは申し訳ないと思いつつ、寒いものは寒いからお願いをした。


 私の部屋はエアコンの温度を上げているが、中山さんの部屋は冷えている。

 熊の葉梨が室内に入れば室温が上がるかと思ったが、そんなでもなかった。葉梨を見ている分には暑苦しかったが、体は寒いままだった。


 中山さんはすでに体力の回復が済んでいて元気だ。普段通りに私の部屋へ忍び込んで私のベッドで寝ていた中山さんを凄いなとは思うが、迷惑なことには違いない。


 中山さんは向かいのソファに座り、私には見せたことの無い笑顔で葉梨と話をしている。二人は約一年ぶりに会えたという。

 中山さんにとって葉梨は可愛い弟なのだろう。岡島も葉梨を可愛がっているが、中山さんはそれ以上だ。中山さんがこんなに優しげな笑顔が出来る人だとは思わなかった。


「まさか中山さんのペアが加藤さんだとは思わなかったです」

「そう? ふふっ」


 その時、ドアがノックされた。

 私は葉梨から離れようとしたが、それを中山さんが手で制して来訪者に返事をした。


 立ち上がった中山さんがドアを開けると、そこには須藤さんがいた。部屋に入った須藤さんは私の姿を見て驚いていたが、すぐに納得したような顔をして言った。


「葉梨はいいんだね」


 ――どういう意味だろうか。


 その言葉に私は首を傾げた。だが、それは一瞬の出来事だった。中山さんは私に背を向けたまま、いつもより低い声音で言った。


「葉梨、加藤を部屋に連れてけ」


 私は簀巻きのまま抱えられて、中山さんの部屋を出た。


 見上げる葉梨は少し、緊張しているようだった。



 ◇



 葉梨は簀巻きのままの私をベッドに寝かせ、掛布団をかけてくれた。だがこのまま簀巻きだと身動きが取れない。どうしよう。


「葉梨、取り出して」

「んっ!?」

「えっと、布団、取って、かな?」

「……ああっ! はい!」


 ――通じたようだ。


 葉梨は上の掛布団を外し、簀巻きにした羽毛布団の端を掴むと勢いよく引っ張ったが、回転する私はそのままベッドの下に転げ落ちた。


 ――どうしてこうなった。


 もう少しこう、手心を加えるとか、葉梨には出来なかったのだろうかと思ったが、駆け寄って焦る顔をした葉梨に私は何も言えなかった。


「加藤さん! 大丈夫ですか!? すみませんでした! 本当に申し訳ございませんでした!」


 起き上がろうとしたが、肩を打ってしまったようで起き上がれない。少し鈍い痛みを感じた。


「ごめん、痛い。手を貸して」


 謝罪しながら私を抱える葉梨に申し訳ないなと思ったが、私はあることに気づいた。


 ――香水が変わった。


 この香りはいつもの香水のトップノートなのだろうか。ミドルノートとラストノートならいつもの香水だとわかるのだが、香水を纏ってすぐのトップノートを私は知らない。


「ねえ、香水、つけたばっかなの?」


 私の背中と脚から腕を抜いている葉梨を見上げながら尋ねると、葉梨は五時間以上経過していると言う。


「いつもの香水?」


 葉梨の目が、少し曇った。

 これ以上のことは聞いてはいけないだろう。おそらく恋人が関わっている。

 私は、葉梨を守るためには今のプライベートも知らないとならないと考えている。考えているが、聞けない。

 私はどうすればいいのだろうか。

 だが掛布団を掛ける葉梨は、私の体を気遣う言葉をかけ続けている。ならば私だって――。


「あの、葉梨……」

「はいっ!」

「今までつけてた香水は、もうつけないの?」


 目が動いた。

 私は葉梨を見つめたままだが、視線が合わないように目をそらしているのだろう。それでも葉梨は目を動かしていた。

 そして、小さな声で答えた。『ええ、もうつけません』と。私と目を合わせた葉梨は笑っていた。


 ――無理に笑って欲しくないのに。


 ベッドの脇で優しく微笑む葉梨は私を見ている。


 ――こんな顔をさせたかったわけじゃないのに。


「あの……ごめんね、こんなこと聞いて」

「えっ、あのいいんです、気にしません」


 私は葉梨に正直に話そうと思った。

 警察組織で働く者として、後輩の面倒を見なくてはならないのに、私はずっと逃げていた。警察官を拝命して十四年も経つのに、私は誰も守っていない。

 そして私はまた守られた。私が至らなかったからペアの中山さんは危険な目に遭った。


「葉梨、私ね、今回の任務で、中山さんを危ない目に遭わせたんだよ」


 体を仕上げられずにいた私を無理して抱えていたから、中山さんは背後に忍び寄る松永さんと須藤さんに気づけなかった。そして私たちは襲われた。

 それは葉梨に言えることではないから言わないが、原因は私が体を仕上げられずにいたからだと言った。


「今、無事にここにいるけど、相手が違っていたら中山さんも私も命は無かった」


 見上げる葉梨は目を見開いて、何か言おうとしているが言えないでいる。


「葉梨、ごめんね。葉梨の大切な人を危険な目に遭わせて」


 本来なら、葉梨がここに来る理由は無いし、来てはならないはずだ。だが葉梨はいる。

 中山さんが無理を言って呼んだのだろう。須藤さんはそれを許可したのだろう。そうでなければ葉梨はここにいない。

 中山さんは葉梨に会いたかったのだ。


 私は掛布団から手を出して、葉梨に腕を伸ばした。

 手を握る葉梨に私は言った。


「私は必ず葉梨を守るから。私の命は葉梨にあげる。そうさせて欲しい」


 私は葉梨の返事を聞かないうちに、中山さんの部屋に戻るように言った。葉梨は何か言いたそうにしていたが、早く行くようにと言った。中山さんが待っているから、と。



 ◇



 葉梨が去ってから私は天井を眺めていた。

 そのうち眠くなった。視界が暗い。私は目を閉じたのだろうと思ったが、ランプが消えていることに気づいた。暗さに慣れない私の視界で何かが動いている。


「今回は守れなくてごめんね。次、お前が重くても対応出来るように俺はする。だから無理しなくてもいいからね」


 耳元で囁く優しい声は中山さんだった。

 だがランプが点いた時にはもう、いなかった。

 幻聴だろうか。そう言って欲しいという私の甘えた考えがそうさせたのか。だが私の枕にいつものアレがある。こめかみに微かに当たる綿素材――。


 その時だった。

 ランプの灯りが届かない暗がりから滲み出る人影があった。松永さんだった。


「中山さんはもう行っちゃったんですか?」

「うん。あと三日くらいは休む予定だったけどね」


 中山さんは任務の後、体力の回復が済むと私の部屋に忍び込み、ベッドに入って私を抱きしめて、それを松永さんに頭を引っ叩かれるまで何度もやる。

 そして最後の日、同じように部屋に忍び込み、枕元にコレを置いて別の任務へ行く。使用済パンツを置いて――。


「今回のパンツはずいぶんと派手ですね」

「ふふっ……そうだね」


 これまでは赤、黄色、蛍光グリーンなど、派手な無地のパンツを置くことはあったが、初めての柄物パンツだった。オレンジ色でパイナップル柄――。


 私は中山さんの使用済パンツを広げ、『斬新な柄ですね』と言うと、松永さんは『俺も持ってる』と言う。


 松永さんと中山さんが飲みに行く時はいつも同じクラブへ行く。そこのママが誕生日とバレンタインデーにパンツをプレゼントしてくれるのだが、ママは絶対に自分では選ばないだろうと思われるパンツをチョイスして、二人を毎回困惑させている。


 捜査員用のマンションでは松永さんは風呂上がりにパンイチで出てくるから、何度かその謎チョイスのパンツを見たことはあるが、どのパンツも松永さんは気に入っているようだった。


「奈緒ちゃん、俺は明朝にはここ離れるよ」

「そうですか」

「裕くんのことだけど、さ」

「ん?」


 ベッドに腰かけて私を見下ろす松永さんは、『彼女出来たよ』と言った。

 私は返事をしたが、動揺が松永さんに伝わったのだろう。少しだけ息を吐いて、『ちゃんと言えばいいのに、どうしてしないの?』と言った。


 松永さんはいつまでも答えない私から中山さんの使用済パンツを奪うと、『俺はいつも通りのことをするだけだからね』と言って、部屋を出て行った。





 

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