第4話 ポメラニアンと闇金と省エネと
二月二十三日 午後七時二十分
駅前のスーパーで買い物をして自宅に戻ると、スマートフォンが鳴った。メッセージアプリの通知音だ。
メッセージアプリのアイコンをタップすると、メッセージは葉梨からだった。
『ご連絡が遅くなりました。今週末からでしたら時間が取れます』
あれから何度か私は葉梨に連絡を取って会う日を打ち合わせたが、その都度キャンセルになっていた。
私は葉梨に電話をしてもいいかメッセージを送るとすぐさま既読が付き、電話がかかって来た。
――先輩に気を遣ってるんだな。
葉梨は岡島が何を考えているのか分かっているのだろうか。おそらく葉梨は賢いから分かっているだろう。
――誰にも染まりたくない、か。
「もしもし」
「もしもし! 葉梨です!」
「うん、ごめんね、電話大丈夫なの?」
「はい! 今日は実家に帰ってます!」
――休みだったのか。なら今日でもよかったじゃないか。
だが葉梨にも都合がある。実家に帰れるのなら帰った方がいい。私はいつ実家に帰ったか思い出せないほど帰っていないから。
父からは毎日メッセージアプリでスタンプが送られて来る。父はそれに既読が付くと安心するようだ。まるで生存確認――。
警察官になると言った時、猛反対した父は十四年も経つと生存さえ確認出来ればいいレベルにまでなっていた。
「三月一日はどうかな?」
「はい! 空けておきます!」
その時だった。電話の向こうで犬の鳴き声がした。キャンキャンと耳をつんざくような小型犬の鳴き声だ。葉梨のアイコンの可愛い犬だろうか。
「犬、飼ってるの?」
「はい! ちょっと移動します!」
そう言った葉梨は別室に行ったのであろう。ドアを閉めた音がして、犬の鳴き声は小さくなった。
「騒がしくてすみませんでした。最近もう一頭飼い始めてケンカしてるんです」
「犬の種類は?」
「二頭ともポメラニアンです」
「モメラニアン」
私はポメラニアンが揉めているのならモメラニアンだ、と考えてそのままを口にした。だがそれを聞いた後輩は今、無言だ。
――お父さん、ウケなかったよ。
「あの、ダジャレ、ですよね? すみません、頭の回転が悪くて。でもすぐにそうやって面白いことを言える加藤さんはすごいですね!」
――やめろ。フォローされたら尚更恥ずかしいじゃないか。
「うん、ありがとう」
とりあえず三月一日の予定で組む旨を約束し、何かあればまた連絡すると言って電話を切った。
私は一人掛けソファの肘置きにスマートフォンを置き、そのまま肘をついて頭を抱えた。私は三十二歳にもなって何をしているのだろうか――。
――これがアラサー女子の悲哀、か。
そんなことを考えていたが、アラサー女子の悲哀はダジャレがウケないことではないな、と思い至った。
◇
三月一日 午後五時二十四分
私は待ち合わせ場所の駅前にあるオブジェの前に来た。
ここは私の自宅最寄り駅だが、私の家の反対側にある。葉梨とのやり取りの中で知ったが、このオブジェは一昨年に出来たらしい。葉梨は私に気を遣って自宅最寄り駅まで行くと言った。
――あ、あれかな。
葉梨らしき男が駅の方から歩いて来るのが見えた。
――えっと、闇金の取り立て、かな?
葉梨は雨が降っても大丈夫そうな白いカッパみたいな揃いの上下に、黒いTシャツを着ている。腕まくりをして喜平のネックレスとブレスレットもしている。
――イカついな。よく似合っているが。
葉梨の前にいる人は皆避けていくから葉梨はオブジェに向かってまっすぐ歩いて来る。
葉梨は私を探しているようだった。このオブジェ付近にいる人は私を含めて四人の女性だけだが、葉梨は順に顔を見て、私を見た時に二度見した。なぜだろうか。
「お待たせしました」
「今来たとこだよ」
「そうですか……」
葉梨はなぜか気まずそうにしている。葉梨は私の服装にチラッと視線をやって目をそらす。
ああそうか、そういうことか。
――お父さん、ジャージじゃだめみたいだよ。
葉梨の気持ちを察した私は自分の格好を見下ろした。
脇に二本の黒いラインが入っている濃いグレーのジャージ上下で、リュックを背負っている。
一応、私はよそ行きのジャージを着て来たのだが、葉梨にはご不満だったようだ。
――自宅最寄り駅前で飲むんだからジャージでいいかと思ったんだけどな。
「あの、加藤さん」
「なにー?」
「よくお似合いですね」
見上げるイカつい葉梨は優しい笑顔でそう言っている。ジャージに引いたわけではないようだ。少し、安心した。
「ありがとう。じゃ、行こうか」
「はい!」
私が歩き出すと葉梨も隣に並んで歩いた。葉梨はこの後に仕事に戻るという。だからイカついこの格好なのか。私は横目で葉梨の服を見た。
――やっぱり闇金の取り立てだ。
私は心の中でほくそ笑みながら居酒屋を目指した。
◇
私たちは目的の店に着いた。
ここは玲緒奈さんの息がかかってる店だ。
個人経営の小さな飲み屋といった風情のあるお店で、入り口に大小の狸の置物がある。小さい方は酔っぱらった玲緒奈さんが破壊したから二代目だ。
中に入るとカウンター席に案内され、二人並び座った。店内はL字にカウンターがあり、奥の壁側にはテーブル席がある。まだ早い時間で他に客はいない。
私は生ビール、葉梨は烏龍茶を頼み、料理は適当に注文した。
私は乾杯をしてジョッキを半分ほど空けた。
――ああ、美味い。
久しぶりの外での酒は格別だった。だが葉梨は一口飲んだきりで、グラスを手に持ってじっと見つめている。何か考えているような表情だ。
私は葉梨のグラスに自分のジョッキをぶつけた。ゴチンと音がする。
葉梨は驚いたようにこちらを見て謝罪した。
「あの、緊張してしまって」
「なんでよ?……まあいいや」
緊張するのは当たり前だ。岡島に連行され、そこにいた女が私だ。あの玲緒奈さんの舎弟だ。私は女だが。
しかも岡島に裏拳をお見舞いしている姿を見たのだ。緊張せずにはいられないだろう。見た目は熊で闇金の取り立てなのに。
「あのさ、私、あんたが初めての男なんだよ」
「はっ!?」
――あ、完全に言葉足らずだ。
「えっと、私が、プライベートで、仕事を教えるのは、葉梨が、初めての、男、なんだよ」
「……なるほど」
葉梨はまたグラスをじっと見つめてしまった。
「あのさ、普段は省エネなんだよ」
「……えっと、はい」
葉梨は相変わらずグラスを見ている。
――これは相当、戸惑ってるな。
「あー、ごめん。言い直す。私はプライベートではあんまり喋らなくなるけど、仕事の話ならちゃんと話せるから。安心して」
「あ! はいっ!」
――通じたようだ。
もう一つ、私には葉梨に伝えなくてはならないことがある。言わなくては。言葉足らずはよくない。ちゃんと、言わなくては。
「ねえ葉梨」
「はい!」
「次は玲緒奈さん同席」
体を向けて私の顔を見ていた葉梨の目から生気が失われていった。
「もうグーパンされないから大丈夫だよ、多分」
私はそう言って、残りのビールを飲み干した。
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