62 そんな可哀想なものを見る目で俺を見るな

「なあ、マサ。俺の杵柄は一体どこで取ったのか、って話をしたのを覚えてるか?」


「……う、ぐっ」


 そう問われたマサは嗚咽こそ止まらないが、死にたい、と繰り返すのを止めた。


「俺の杵柄はこの先の未来で取ったもの。三十三歳で幕を閉ざした人生の記憶が、小学五年生の自分に蘇った。そんな話をしたら、真面目に話を聞いて損したって、信じてくれなかったよな」


 返事はない。ただ、この状況にそぐわない話を始められ、戸惑っている気配は感じた。


「あの話はな、嘘でもなければはぐらかしたわけでもない。なにかの比喩ですらない。俺の身に起こった、本当の話なんだ」


「…………」


「ま、そう言われてもやっぱり、言葉だけじゃ信じられないよな。母ちゃんにだって、事件が起きるまで本気で信じてもらえなかったんだ」


「……事件?」


「覚えてるか? 幸嶋のドームツアーのチケットを取れなかったファンが、車で行列に突っ込んだ事件」


「覚えてる」


「本当はな、母ちゃんはあの事件に巻き込まれて、死ぬ運命だったんだ」


「死ぬ……?」


 悲哀でぐしゃぐしゃになった顔が、こちらを見上げてきた。


 マサは俺の性格をよくわかっている。冗談でも母ちゃんが死ぬなんて、不謹慎なことを言うはずがない。それを信じているからこそ戸惑っている。


「事件が起きるのがわかっていても、止める方法がわからなかった。だから代わりに、コンサートへ行く母ちゃんを必死で止めたんだ。そうやって俺は、クソみたいな人生を送るはめになった一番の原因、未来を変えたんだ」


「クソみたいな人生?」


「母ちゃんを失った俺はな、今みたいな成績優秀品行方正、教師たちからは手放しで称賛される学校一の優等生、なんてものとは無縁な人生だった。むしろその逆だったんだ」


「……不良だった、ってこと?」


「いや、DQNドキュン……そんな大層な輩だったわけじゃない。むしろ人様に迷惑かけても気にしない、あの面の皮の厚さがあれば、もうちょっと生きやすかったんだろうな」


 あの手の奴らは、なんだかんだでコミュ力は高い。彼女だって普通に作っているから、夜のお店すら怖がっていた俺とはまるで違う。


「俺は、クラスで余った者同士の寄せ集め。孤立だけはしないように必死だった陰キャなんだ」


「陰キャ?」


「根暗で陰気でコミュ力がクソ雑魚の、悪目立ちしないよう教室の隅で縮こまってる日陰者のことだ。趣味はゲーム、漫画、アニメ。テストじゃ赤点だけ取らないよう、いつもギリギリを這いずってる底辺だった」


 現実離れしているものを前にしたように、葉那はキョトンとしてる。今の俺とは、それほどかけ離れたキャラだからだ。


「そんな資格もなければコミュ力もない。成績を上げようなんて努力もしてこなかった高卒が、まともな就職先を見つけられるわけがなかった。ろくな研修も、福利厚生も、残業代もない。なんだったら有給だってあってないようなブラック企業にしか勤められなかった。一年持っただけでも、当時の俺には大健闘だ」


「……それからは?」


「十年くらい、アルバイトを転々とやってきた。安い給料なりに、食うことには困らなかったからな。趣味らしい趣味といえば、ゲームに漫画にアニメだけ。彼女どころか友達すらいなかった。そうやってずっと、ひとりで生きてきたんだ」


 たしかに職場で飲み会があれば欠かさず参加はしてきた。仕事だって教えてもらってきたし、ミスをしたら助けてもらった。仕事に関係のない雑談だって、沢山してきた。


 でもそれは、仕事で関わっている間だけだ。仕事が終わった後、同僚やバイト仲間たちと飲んで帰ることはなかったし、休みの日にみんなで出かけるようなこともなかった。あったといえば精々、購入上限があったアイドルのCDを買うため、上司に駆り出されたことくらいだ。


 そんな繋がりも、仕事を変えたらプツンと切れて、二度と連絡を取り合うこともない。仕事仲間以上の繋がりなど、生まれたことなどなかった。


 家族もいない。友達もいない。恋人もいない。楽しみも悲しみも分かち合うような相手は、母ちゃんを失ってからひとりもいなかった。


 だからずっと、ひとりで生きてきた。支えてくれる相手も支えたい相手もおらず、なんのために生きているんだろうと、後ろ向きになっていったのだ。


「そんな人生を送ってきた俺だったが、三十のとき、ついに運命の出会いを果たしたんだ」


「運命の出会い?」


「彼女と出会ってから、俺の人生に生きがいが生まれた。それこそ彼女だけが……ヒィたんだけが、俺の生きる希望になったんだ」


「……どんな人なの?」


「ネットアイドルだ」


「……は?」


 ポカン、とマサは間の抜けたように口を開いた。


「しかもただのネットアイドルじゃないぞ。ヒィたんはヴァーチャルユーチューバー。略してVチューバーと呼ばれる存在なんだ」


「ヴァーチャルって……もしかして、アニメのキャラが好きなったってことか?」


「断じて違う! 未来のIT技術にフェイストラッキングというものがあってな。カメラが人の表情の動きを追跡して、アニメキャラクターのような絵を動かせるんだ。そんなVチューバーの活動の場は、テレビじゃなくてネットの動画配信サイトでな。生配信で俺が投げた赤スパを読んでもらうのが、一番の楽しみだったんだ」


「赤スパ?」


「簡単に言うと……一万円を渡して、手紙を読んで貰うようなものだ」


「……うわ」


「おい、今うわって言いやがったな! 俺にとってのヒィたんはな、おまえにとっての天河ヒメだったんだぞ! 生放送で天河ヒメにファンレターを読んで貰えることを想像してみろ。一万なんて安いものだろ」


「…………」


「そんな可哀想なものを見る目で俺を見るな!」


 あれだけ人生終わったようにしていた顔が、戦争で犠牲になった子供を前にした痛々しげなものへ変貌していた。


 唯一無二の友人と、対等の関係を取り戻そうとしていたはずなのに、なぜか立場が逆転してしまった。


 どんな推し活をしていたのか、まだ触りすら話していないのになぜだ。


 俺の人生は悲惨だったと、友人の評価で改めて突きつけられたのは、正直きつかった。

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