第8話
「団体競技苦手なんだよね」
学校の帰り道、部活動には入らないの?と質問した宣美に彼女はそう答えた。文化部は部活動の枠に入らないらしい。
「成美は?」
午前中は木下さん、お昼休みは成美ちゃん、そして放課後にはすでに成美と呼び捨てになっていた、そのあまりにも自然な呼び方はまるで何年も前から友人であったかのようだ、悪い気はしなかった。
「私は……、あんまり人に関わりたくないから」
元々、運動はあまり得意ではない、文化部にも興味が湧くような部はなかった。そもそも人に関わらないようにしているのだから部活動なんてもってのほかだ。
「もしかして在日の事、気にしてる?」
「え、あ、いや」
なんて答えたら良いのか分からなかった、気にしていない、と言えば嘘になる。
「くだらないよね、成美が頭良いから僻んでるだけだよ、馬鹿みたい」
なんて返して良いか分からずに戸惑っていると不意に背後から声を掛けられた。
「長崎さん」
二人で同時に振り返ると背の高い男の子が緊張した面持ちで立っていた、制服を見る限り同じ学校の生徒だが少なくともクラスは違う、見た事がない。
「ちょっと話があるんだけど」
ああ、なるほど。どうやら愛の告白の現場に立ち会ってしまったようだ、彼女程の可愛さならばこんな事もさほど珍しい事じゃないのかも知れない。
「なに?」
その声の冷たさに思わず彼女の顔を見た、能面のようにすべての感情を失ったような表情で心底辟易したような態度だった、男の子の方に目をやると明らかに動揺している。
「いや、あの、ここだとちょっと、二人になれないかな?」
なんとか声を絞り出した、少し気の毒になったのと気まずさで宣美はその場を立ち去ろうとした。
「あのさぁ、随分と自分勝手な人ね、今、私は成美といるの見て分からない? 二人になるって彼女を置き去りにしろって事?」
「あ、私は先に帰るから」
その場を辞去しようとしたがノールックで腕を掴まれた。
「成美が帰る必要ないでしょ、何か用があるなら今言いなさいよ」
男の子は大量の汗を額から流している、それでも走って逃げないのは立派だ、彼もまさか愛の告白をするのにこんな仕打ちを受けるとは予想だにしていなかったに違いない。
「あの、好きです、付き合ってください」
おお、よく言った、その勇気は賞賛に値する、この空気の中で中々できる事じゃない。しかし、恐る恐る隣を見る。
「イヤです、さよなら」
まったく表情を変えずにそれだけ言うと、踵を返して歩き出す、宣美の腕は掴んだままなので引っ張られながら後に続いた。男の子は呆然と立ち尽くして口をパクパクしている、気の毒だが少し面白かった。
「あっ、ごめんね」
そう言って彼女は掴んでいた腕を離した、なんか見てはいけないものを見てしまったような罪悪感がある。
「うん、でも少し気の毒だったね」
「じゃあ、もじもじしながら嬉しいー、ありがとう、でも、ごめんね……。とか言えば良かったかな」
ツートーンほど高い声を出しながら体をクネクネと動かしている、その仕草が面白くて思わず声に出して笑ってしまう。
「どっちみち断るんだから、嫌な奴だと思われた方が良いでしょ、お互いに」
その発想はなかった、常に嫌われないように、在日朝鮮人だとバレないように生きている、周りの目を気にして生きている。彼女のように堂々と意見を言える事は素晴らしい事に思えた。
「典子――、は怖くないの?」
差別されたり、嫌われたり、ひとりぼっちになるのは怖くないのか、いくら強がっていても宣美は怖かった。だから一人でいた、今の状況は自分の意思であるかのように振る舞う事で自分に嘘をついた、可愛そうな人だと思われたくなかった。
「なにが?」
「嫌われたり、嫌な奴だと思われたり……」
「全然」
微笑みながら言った言葉に嘘は感じられない、こんな風に強い人間になれたら、いや、ならなければこの先、生きていく事は出来ない。宣美は小走りで彼女の、典子の前に回り込んだ。
「典子、友達になってくれないかな」
「え?」
戸惑った表情の典子の目をみて唾を飲み込んだ。
「私の名前は朴宣美、友達になってくれないかな」
他人に本名を名乗るのはこれで二回目だ、優しいお巡りさんの亮二、宣美が憧れる強い意志をもった典子。
「もちろん、宣美、よろしくね」
少しづつ、何かが少しずつ良い方向に向かっている気がした、酷い人間ばかりじゃない。味方になってくれる人も、友達になってくれる人もいる、坂道が多くて嫌になる帰り道も、隣に典子がいるだけで遊園地よりも、どんな映画より小説よりも楽しかった。
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