第21話 てめーの本気に私は入ってないのかよ

 あるとき、自分の部屋のパソコンで調べてみたら、俺が思っていたのと違って、日本の柔道人口って別に世界一でもなんでもなかった。


 一位はブラジルの二〇〇万人、二位がフランスの五十六万人、三位がドイツの十八万人、日本は十七万五千人。


 一億二千万人もいて、たったの十七万人。


 俺自身がそうだったように、いまどき柔道をやろうっていう日本人は多くないのだ。


 そのせいで、柔道部のある学校も少なくなってきている。


 俺の住む田舎だと特にそうだ。


 近くの高校の名前を検索してみたけど、たしかに自転車で軽く通えるような場所の高校に柔道部なんてひとつもない。


 完全に八方塞がりってやつだ。


 まさかこんな状態で三年間、泣きまくる羽黒と一緒に過ごすことになるのかな、と思ったら、ちょっと暗い気持ちになった。


 それ以上に羽黒がかわいそうでならない。


 でもどうしようもない。


 羽黒のバイトが六時半から、というのが厳しい。


 他のバイトを探せばいいじゃないか、というやつは甘い。


 田舎だから、高校生のバイトを受け入れてくれるような店はとても少ない。


 人口十万人もいない東北のくそ田舎の市だぜ、東京あたりに住んでる奴には想像もつかないだろうけどな。


 バイトしないという選択肢も難しいらしい、あんなにちっちゃい妹もいるんだし、まあいろいろあるんだろう。


 俺は大きくため息をついて、ノートパソコンを閉じる。


 明日学校にいったら、まためそめそ泣いてる羽黒と一緒に体操着で腕立て伏せか。


 俺も気が重い。


 どうしてこんなことになっちまったんだろうな。


 せめてうちの高校に柔道経験者の先生がいてくれたらなあ。


 または柔道経験者の正式なコーチとか。


 でも、俺も秋本をはじめ、学校の友人に訊いて回ったりしたけど、そういう人は見つからなかった。


 野上先生も知らないっていうし。


 最近の日本人、柔道やらなすぎ。


 あーあ。


 インスタントコーヒーでも飲もうと、俺は階段をおりる。


 そこでは妹の羽美うみが今のテレビでバラエティ番組を見ていた。


 俺をジロリと冷たい目で見ると、あとは無視。


 中学三年の妹、それだけ聞けばうらやましがる友人もいるけど、あのなあ、実際の妹ってのはなあ、ほんと殺意を持つほどむかつくもんだぜ。


 かわいらしい顔をしているからクラスの男子にはけっこうモテるらしいが、そんなのこいつの本性をしらないだけだ、こんな奴にれるとはあわれな奴らめ。


 二次元ならともかく、三次元の妹ってやつはもう、ほんとに腹がたつ存在なのだ。


 ポットのお湯が空だったので、俺はヤカンを火にかけ、お湯が沸くのを待っていると。


 妹が俺に話しかけてきた。


 実に珍しいことだ。



「あんたさー、」



 でもまず第一声が『あんた』だぜ、小さい頃はお兄ちゃんお兄ちゃんってなついてかわいかったのになあ。


 ミニ羽黒のことを思い出して、あいつもいずれこうなるのかなと思った。


 時の流れというものは残酷だぜ。


 で、その羽美だが、いかにもだるそうな調子で俺にいう。



「最近、柔道部入ったって? 全然似合わないんだけど。柔道着の洗濯大変だってお母さん言ってたよ。やめちゃえば? そんなの」



 いちいちむかつくことをいいやがるな。


 俺は少し考えて、



「ああ、そうだな、やめちゃうかもな」



 と答えた。


 会話するだけ無駄だ、こんな妹と話すと精神力が削られる。 



「……あんた、ほんとに柔道もうやめちゃうの? こないだ始めたばっかなのに? お母さん言ってたけど、最近柔道着使ってないみたいじゃん。根性なさすぎでしょ、だっさ」



 くっそ、沸騰したお湯をぶっかけてやろうか。



「しょうがねえだろ、指導してくれる人がいないから、柔道着で練習は禁止になったんだよ」


「だっさ。ちゃんと探したの、教えてくれる人」


「探したよ! でもいねえんだよ、事情があって近くじゃないと出稽古にもいけないしな。もう、お前うるせえ、黙ってろ」


「本気で探してないんだよ」


「本気で探したよ、いねえんだよ、黙れってんだろ!」


「中学の柔道部も部員一人しかいなくてもう来年廃部決定だってさ、今時柔道なんて信じられない。あんたもやめちゃいなよ柔道なんて。ださいし。日和ひよりちゃんだって心配してたよ」



 日和は俺の幼馴染なわけで、当然俺の一つ違いの妹である羽美とも幼馴染である。


 まったくどいつもこいつも。



「ほんと、あんた、だっさい。日和ちゃんにも心配かけて」



 日和は関係ねえだろ。


 ああくそ、殺意をとおりこして猟奇殺人にまで発展するぞ。


 俺はコーヒーを持って自分の部屋に戻り、ネットの配信チャンネル(年会費数千円で見放題だ、いい時代だ)でアニメを見ることにした。



「ああくそどいつもこいつもむかつくな」



 ほんと、むかつく。


 でも何にむかつけばいいんだ。


 どうしようもないことだらけじゃないか。


 俺にはどうしようもない。


 しっかし羽美の中学にも柔道部なんてあったんだな。


 っていうか羽美は俺が通っていた同じ中学校に通っているじゃねーか。


 そういえば、中学時代に一応柔道部なんてのがあった気がするな。


 帰宅部一筋の俺は興味なくて意識したこともなかったけど。


 ん?


 待て待て待て待て、俺の通っていた中学校と俺の今通っている高校はチャリで一〇分もかからない距離だぞ。


 そのたった一人の柔道部員はどうやって練習してるんだ?


 高校生でも駄目なのに、中学生が一人で練習とか絶対許可されないだろ。


 もしかしたら……。


 俺はダッシュで再び階段を駆け下りる。



「なあ、羽美」


「ああ?」


「中学の柔道部って、顧問とかいるのか」


「顧問いるよ。今年赴任してきた先生で、学生のときは結構活躍したんだって」


「…………」



 羽美は自分からはしゃべってやらないぞ、って感じであとは何も言わない。



「…………どこで練習してるんだ?」


「体育館の中二階。でも毎日畳を自分たちで敷いて、練習終わったあとまた畳を片付けるとかやってるらしいよ。それだけで一時間はつぶれるって」


「…………」


「どこか武道場のある学校とかで練習できたらいいのになって言ってた」


「………………」



 俺と目を合わせようともしないふくれ面の羽美の横顔を見る俺。


 その手があったか、そうか。



「羽美、あのさ、もしかして……」


「そうだよ! 気づくのおせーよ! 私だって一応妹なんだからさ、お母さんとか日和ちゃんに聞いてから私もいろいろ友達に聞いてまわってやったんだよ、なにが本気で探しただよ、てめーの本気に私は入ってないのかよ!」



 まじかよ、生意気なだけのチャラチャラしたこの妹が、俺のためにそんなことしてたってのかよ。



「すまん。ありがとう」



 俺は素直に頭を下げた。



「その柔道部員の人の電話番号、わかるか?」


「知ってるよ、今かけてやるから話はそっちでやりなよ」



 やばい、この妹、俺にはできすぎだ。


 人間、見た目とか表面だけじゃあわからないもんだなあ。


 たとえ妹であってもだ。


 くっそ生意気でむかつくけど、本質としてはなかなかちゃんと人のことを思いやれる人間に育っていたんだなあ。


 ところで、それだったら羽黒の本質ってどんなんだろうな。



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