4-7-1 やっぱり……追ってこなかったんだね

 夜を裂くようにして降る、雨の冷たさに体が震えた。

 秋も半ば、夜ともなれば空気は冷え込む。雨天ともなればなおさらだ。吐く息が白むほどではないが、防寒もせずに出歩きたいような気温ではない。

 そんな雨の中を、ヤナギは傘も差さずに走っていた。

 久々の全力疾走に全身が悲鳴を上げるが、速度は緩めない――というより、緩められない。自分のはるか前を走る人影に、追いつける気配が全くなかったからだ。


(クッソ、アマツマのやつ――ホントに足速えな……!?)


 明らかにお互い全力疾走。息が上がるのはあちらのほうが先だと思っていたのだが。一向に詰まらない距離に、ヤナギは舌を巻いた。

 唯一の救いは、アマツマが元来た道を逆戻りしていることだ。ふとした拍子に変なところで細道に入ったりしないので、まだ追いかけていられる。

 もう少し幸運だか何だかを期待して、ヤナギのマンションに戻ってくれればよかったのだが――アマツマはそのままマンションを素通りして、更に駆け抜けていった。


(……あいつ、どこに行こうとしてるんだ?)


 一旦自転車を取りにマンションに寄ろうか迷ったが、やめた。行き場所がわからない以上、見失えばもう追いかける方法がない。

 喉から血の味がするのも我慢して、全力疾走に付き合った。さすがにその頃には速度も落ちていたが、それはお互い様だ。

 結局追いつけないまま、アマツマがふらりと道を途中で曲がる――


(あそこは……)


 アマツマが立ち寄った場所を見届けて、ヤナギは駆ける足を緩めた。もう見失うことはないから――というよりは、肺のほうに限界が来た。

 その場で倒れてへばりたくなる衝動をどうにか押し殺し、ぜいはあと喘鳴を上げる。

 アマツマが立ち止まったのは、通学路にあるあの公園だった。遊具なんて小さな滑り台とブランコしかない、小さな公園。

 アマツマが怪我をして、途方に暮れていた公園だ。

 今はその中央で独り……アマツマは立ち尽くしている。


 かろうじて話ができる程度に回復してから、ヤナギは歩き出した。

 なんて声をかけようかは、まったく考えていなかった。それも当然だ。ただ衝動に任せて追いかけていただけなのだから。どうしてだとか、何のためにだとかは考えていなかった。だから言葉なんて出てこない。

 公園に足を踏み入れた時、先に声を上げたのはアマツマだった。

 やってきた闖入者にハッと振り向き――そして見つけた姿がヤナギだと気づいて、苦笑する。


「やっぱり……追ってこなかったんだね」


 父親が、だろう。ヤナギのことではなく。

 それを囁いたアマツマの表情を――というよりその変化を、ヤナギはしっかりと見ていた。

 目を見開いて驚愕し、瞳にはわずかな期待を浮かべて。だが相手が自分の予想と違ったと気づいたとき……その光は陰り、相手がヤナギだとわかって苦笑した。

 その変化の痛々しさには触れないまま、答えた。


「頼まれたよ。自分が行っても、もうダメだろうからって」

「……頼まれたから、来たの?」

「いや。そもそも何を頼まれたのかもわからん。話してる暇もなかったし」


 言い返しながら――ふと思う。本当に追うべきは、やはり自分ではなかったのではないかと。

 アマツマが本当に欲しがっていたのは。アマツマを本当に負うべきだったのは……

 と。


「似てたでしょ? ボクとあの人」

「あ? あ、ああ……まあ」


 唐突に話を切り出されて。一瞬、ヤナギは反応が遅れた。

 確かに、よく似た親子ではあった。子供は異性の親に似るとはよく聞くが、それにしたってと思わされたほどだ。

 微妙な頷き方になったのは、アマツマがハッキリと父親を嫌っていたからだが。嫌いなものに似てると言われて、不愉快な思いをしないか。それが気になった。

 だがアマツマは特に気にした様子もなく、苦笑とともに、


「昔はもっと、そっくりだったんだよ。子供の頃の写真、母さんが持っててね……あの人と母さん、幼馴染だったらしいから。子供の頃からずっと一緒で……結婚して、一緒に幸せになりたかったって。ずっと言ってた」

「……家の都合だかなんだかで、別れさせられたって言ってたっけか」

「うん……実家の都合。なんだか、大きなとこらしくてね。家業が傾いて……融資を受けるために、跡取り息子として嫁取りさせられることになったんだったかな。そのせいで、母さんはあの人と別れさせられた」

「……今時あるんだな、そんな話」

「ボクもそう思うよ。だからってわけでもないだろうけど……母さんとあの人の家、すごく揉めたらしい。そろそろ結婚しようって話もしてて、幸せの絶頂にいたらしいから。好きだった人を奪われて、どうしようもなくなって……」


 苦笑に別のものが混じったのは、おそらくその時だった。


「きっと、その頃には母さんも狂ってたんだろうな」

「……狂ってた?」


 奇妙に突き放したような。そんな言い方に、つい繰り返した。

 アマツマは頷きこそしなかったが……声には同意する色を含めて、言ってくる。


「言ったよね? ボクとあの人は似てたって。服装も、母さんの趣味で男装ばっかさせられてたって。どうしてだと思う?」

「……まさか」


 嫌な味を、舌の上で感じた。

 思い出すのは、父親に最後に言い返した言葉だ。

 ――ボクは、誰かの代わりじゃない。


「そうだよ。ボクは、ボクがあの人に“なる”ように育てられたんだ」


 こちらの理解を悟ってだろう。アマツマはシニカルに微笑んだ。


「男の子みたいな遊びばっかりさせられて、男の子みたいな話し方しか許されなくて。男の子みたいな習い事をさせられて、男の子みたいな恰好しか許されなくて……そうやって、母さんはボクをあの人に見立てて、あの人をなぞらせて身代わりにしたんだ」

「…………」

「交通事故で、母さんが亡くなって。お葬式の日に、初めてあの人に会った。ボクが大人になったら、こんな人になるんだろうって。ボクにそっくりな、ボクじゃない男の人から、母さんの話を聞かされて……ようやくわかったんだ」


 ――母さんはボクのことなんて、見てもいなかったんだってことに。

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