2-2 やあ、マイ・プリンセス?
「なんでお前、半そでなん?」
「うるせえな。ジャージ家に忘れてきたんだよ」
「うっわー。やっちまったなー」
「ほんとにな」
ズル休み明けの昼下がり。昼休みの終わり際、ヤナギはタカトからのからかいに苦々しくうめいた。
秋も半ばというだけあって、半そで半ズボンのジャージ姿では風が染みる。次の授業が体育ということで着替えたのだが、ジャージの長袖をアマツマに貸したのを完全に忘れていた。
そのせいで大半が長袖長ズボンを着用する中、一人だけ季節外れの格好をする羽目になったのだが。
「……正直、クソさみぃ」
「まあそらそだろ。今日天気悪いし。上着かなんか着てくりゃよかったんじゃないか?」
「上着つってもな……ハーパンにワイシャツはなんか変態的じゃね?」
「ビジュアル的には最悪だな」
グラウンドまでの道すがら、空を見上げてそんなことをぼやきあう。あいにくと天気は曇天。幸いまだ雨は降っていないが、そのうち一雨降りそうな気配だ。最近はこんな天気ばっかりで気が滅入る。
とにもかくにも、体育の授業だ。グラウンドに出る頃にちょうどチャイムが鳴ったので、少しだけ駆け足で集合場所へ向かう。
今日の授業はニクラス合同のサッカーだった。しかも男女混合なので、一か所に集められると生徒の数もそこそこだ。それだけ集まれば先生が話していても誰も聞いておらず、先生もあきれ顔である。
そんなこんなで先生は話をさっさと終わらせると、適当にチーム分けして授業開始となった。といって生徒全員がしっかりサッカーできるよう、作られたチームの半分は休憩兼観戦ということになっている。
ヤナギとタカトは別チームだが次の試合の組ということで、そそくさとコートから立ち去る――
と。
「せーのっ!」
「テンマくーんっ!! がんばってねー!!」
「うん?」
黄色い歓声にきょとんとそちらを見やると、見学グループの女子たちがアマツマにエールを送っているところだった。
アマツマは前半組のようで、コートの中央に向かっていたが。歓声に気づくとニヒルに微笑んで、女子たちに二本指でジェスチャーを送っていた。伸ばした人差し指と中指を額に当ててからピッと話す、カッコつけがやるキザなジェスチャーだ。
そんな返礼に女子たちはキャーキャー声を上げる。当然そうなれば面白くないのが相手側の男子で、嫉妬と怨恨の入り混じったほの暗い目が何個か見つかった。
「……相変わらず人気だなあ、アマツマ」
「そらまあ“王子様”だしなあ」
しみじみと呟くと、これまたしみじみとタカトが言う。
だがさらにため息のように、彼はこうもぼやいた。
「試合始まると、もっとひどくなるんだよな」
果たしてその通りになった。
部活所属者や経験者がちらほらいるとはいえ、素人のサッカーなんて塩仕合になるのが常だ。ついでに言えば男女混合なので、ボールをパスされた女子が怖がって逃げていくなんてのもよくある光景である。
そんな中で一際暴れまわったのが案の定というべきか、アマツマだった。
「……なんか普通にうまくねえか、あいつ」
男子を差し置いてドリブルにパスカット、時々強烈なシュートを打ったり、かと思えば女子たちが退屈しないようにと優しくボールを回したり。
八面六臂というと大げさにもほどがあるが、試合の中心には必ずアマツマの姿がある。なにより相手が男子――ついでにいえば経験者――であっても、普通にプレーできているのが恐ろしい。
アマツマが何かするたびに、観客席からきゃーきゃー黄色い歓声が飛んだ。そして男子の嫉妬も飛びまくった。「王子様なんかに負けてんじゃねー」などとヤジまで飛んでくる始末である。
と、先ほどの呟きを拾ってタカトが言ってくる。
「なー。昔からああなんだよなーあいつ。すんげー運動できんの。男子顔負けどころかズタボロよ。中学の時なんかもっと凄かったぞ?」
「そーいや同じ中学なんだっけ? お前ら」
「そーそー。その頃って男子より女子のが体格いいから、アマツマなんかバスケでもサッカーでもバレーでも無双しちゃってさ。女子からの視線独り占めよ」
おかげで男子の青春はひどい味になった……などとタカトはうめく。
とにもかくにも、試合はそんなこんなで一から十までアマツマ劇場のまま終わりを迎えた。
試合の終わりに全員で礼をした後、振り返ったアマツマが観客席に手を振る――と、まるでそれに誘われたかのように、女の子たちがきゃーきゃー騒ぐ。
そしてこれまた一部男子がほの暗い嫉妬の目線でぐぬぬしてたりするのだが。
「お、んじゃ次か。さっさと行くか」
「サッカーは苦手なんだよなあ……正直行きたくねえなあ」
「恰好だけはやる気満々のくせに」
「うるせってんだよ」
呻いて立ち上がると、気の進まぬ足取りでグラウンドに向かった。
先ほど試合をしていたチームと入れ替わる。経験者の一部は審判をやるということで、ボールで遊びながらグラウンドで待っていた。器用に談笑しながらリフティングしてるが、どうして足であんなに上手に球遊びができるのかがわからない。
と、彼らの会話が聞こえてきた。
「だっせーなー。アマツマにしてやられてんじゃん」
「うーるっせーっつーの。相手女だぞ? やりにくいったらありゃしねーよ」
「女ぁ? 王子様の間違いだろ? やりにくいってことはあれか? お前も実はオトされちゃってっキャーってクチだったり?」
「んなわきゃねえだろが! ほんとにやりにくいんだよ、なんか中途半端にウメーし、思いっきりやると女子の目もキツいしよ!」
(好き勝手言ってんなあ……)
とはさすがに口に出さないが、半分近く同情もしていた。
確かにやりにくいというのはあるかもしれない。一応アマツマは女子なので、男子同士でやるほどハードなプレーはできないだろうし、アマツマびいきの女子たちの視線も厳しいものがある。
これでもしアマツマをケガでもさせようものなら、しばらくはすこぶる居心地の悪い学校生活を送る羽目に陥るのは間違いない――
「だったら今度はお前がやってみろって――」
と。
「あ、おいバカっ!」
「うわミスった――あぶねえ!?」
「あん?」
悲鳴を向けられたのが自分だと気づいた時には、ヤナギの世界は揺れていた。
引きずり倒されるような衝撃とともに、世界が揺れる。
急変の中で、ヤナギが見たのは空と、自身の眼前をすれ違っていくボールだ。怪我するほどではないが、当たれば痛そうな程度には勢いのついたボールが吹っ飛んでいく。
男子の叫んだ“あぶねえ”はそれだったようだ。リフティングにミスって飛んできたようだが、誰かがヤナギの体を引っ張ってくれたらしい――
と思ったその一瞬後、ヤナギの体はさらに回転させられた。
何をどうやったのか。今度は服を引くだけではなく、ダンスのように半回転。急変に追いつけないヤナギをその手にすっぽりと抱き寄せて……ヤナギを助けてくれたらしい、そいつがキザに言う。
「やあ、マイ・プリンセス? お怪我はありませんか?」
「…………」
アマツマだった。
つまり、いつの間にか近くにいたらしい彼女が、飛んできたサッカーボールから自分を助けてくれたようだが。
それがどうして、なぜ演劇のように抱き寄せられているのか――しかもなぜか無駄にいい笑顔で、にっこりと。
言いたいことはいろいろあったが、一番初めに口から出たのはこれだった。
「まい・ぷりんせすだあ?」
「おや、そこが疑問かな? だってキミは、“ヒメノ”だろう?」
「……そのあだ名のつけられ方、ガキの頃メチャクチャ嫌いだったの思い出したよ」
つい本心からうめく。ついでに言えば最近気づいたが、実はアマツマのほうがヤナギより微妙に背が高いので、姫扱いは心にクる。
「とりあえず離してくれ。というかそもそも、なんでこんなポーズ取らせんだよ。ボールからかばってくれたのは助かったけど、明らかにこれはいらなかったろ」
「まあその通りではあるけどね。キミがどんな顔をしてボクにお礼を言ってくれるのか、間近でじっくり見たくなっちゃってね」
「お前……そういうのを悪趣味って言うんだぞ」
苦々しくうめくが、お互い小声でだ。なので遠目には寸劇めいたことをやっているようにしか見えなかっただろう。一部の女子がキャーだのギャーだの言ってるのが聞こえた気がしたが、ひとまずヤナギはアマツマを押しのけた。
悪い! と大声を上げるサッカー男子には「問題ないよ」と手を振って、改めてアマツマに向き直る。
彼女はにやにやと、どこか面白がるように、
「おやおや、お姫様はご機嫌斜めかな?」
「次その呼び方したらキレる程度には不機嫌かな。二度と呼ぶな。キレるぞ」
「二度とって。そんなにイヤかい? かわいいあだ名じゃないか」
「男に使うあだ名じゃねえってんだよ」
大したことでもないのだが、おかげで子供の頃嫌な思いをしたのを思い出した。あまりいい思い出でもない。
眉間に深々としわが寄ったが、「まあいい」とつぶやいてすぐに戻した。
「それより、すまんアマツマ。おかげで助かった」
「いいよ。困ったときはお互い様さ」
それじゃあ頑張ってね、と言い置いてアマツマはグラウンド外周へと歩いていく。先ほどわーきゃー言ってた女子たちと合流するようだ。
瞬く間に囲まれて、それでも身長の高いアマツマは見えなくはならなかったが。
ふと気づいてヤナギは首をかしげた。
(あいつ、なんで俺の近くにいたんだ?)
タカトと話していて気づいていなかったが、ヤナギを助けられたということは、サッカーボールが飛んできた頃にアマツマはヤナギの近くにいたということになる。
何か話でもあったのだろうか。だが今の話しぶりだとそんな素振りもなかったし――
と、近くにいたはずだが今まで蚊帳の外だったタカトが言ってくる。
「……昼にも聞いたけどさー。お前、ほんとにアマツマとなんもなかったの?」
「なんもねえっつってんだろ。なに邪推してやがる」
「いや、でもさあ……」
何か言いたげではあったが、言葉が続かなかったらしい。タカトは何か喉に魚の骨でも刺さったかのような、何とも言えない表情をしていた。
だがそのすぐ後にサッカーの試合が始まったので、結局タカトの疑問はうやむやになった。
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