閑話 ある新米幹部の優雅な一日 その一

 お久しぶりです。


 ふと本編というより支部の日常を書こうと思い立ち、こうして久々に筆を執ってみました。


 少々雰囲気が普段と違いますが、こういう時もあるのだと思っていただければ幸いです。




 ◇◆◇◆◇◆


 シャー。


 シャワーから流れ出る湯がその肌を伝い、目覚めたばかりで血の巡りの悪い青白い肌にぽっと赤みがさす。


 少し緑がかった髪は濡れて肩の辺りに掛かり、丸みを帯びながらもそれなりに筋肉の付いた少々小柄な肉体は所々湯気で隠れている。


 キュッと栓を締めてシャワーを止めると、その人は湯の張った浴槽にゆったりと身を沈め、ふぅと脱力するようなため息を漏らした。


 そう。……こそ、



「あ~。やっぱり朝風呂は最高だよね!」



 我らが悪の組織の新米幹部。ピーター君その人である。


 これは、そんなピーター君の優雅な一日の一コマだ。





 午前七時半。


 朝風呂を終えて良い気分のピーターは、のんびりとした足取りで支部の食堂に向かっていた。

 

 幹部ともなると、自室に特注の食事を届けさせる者も多い。しかしピーターは元々一般職員の頃から基本自炊派。


 まあ実家から定期的に送られてくる大量の野菜を消費するためという微妙な理由もあるのだが、それは置いておいて今日もいつも通りに自炊する筈だった、だが、


「うっかり米を炊くのを忘れていた時はマズイと思ったけど、たまには食堂で朝食を摂るというのも乙だよね。今の時間なら数量限定デラックス朝食セットも狙えるな!」


 昨日は仕事が重なり、部屋に戻るとシャワーも浴びずに布団にダイブ。


 その結果諸々忘れていた事に気づき、もう開き直ってのんびり朝風呂を堪能して朝食は食堂で摂ろうと歩いていたのだが、


「……んっ!?」


 食堂を目の前にして、突如ピーターは何とも言いようのない予感に襲われる。


 それは昔彼がと仰ぐ人物に目を付けられた時や、メレンが正式に自身の副官に決まった時。近場で言うなら炎の中でアズキを助けると決めた時などにも感じた直感。


 つまり、彼にとっての厄介事の気配だ。


(……ちょっと時間を置いてから来ようか)


 幹部に必要なスキルの一つに、自身及び部隊への危機察知能力というのがある。


 そしてピーターはその点においてかなり優れていた。虫の知らせに敏感とでも言おうか。


 人命や組織の大事など避けてはいけない事態ならともかく、それ以外ならわざわざ自分から首を突っ込む事もない。ピーターはそう考えて速やかに回れ右をし、



「あれっ!? ピーターじゃん。おはよっ!」


(ああ。そう言えば昔、最初にネルさんに名前を覚えてもらった時も直感が働いたっけ)



 歩いてきた暴君ネルに声を掛けられた。


「丁度良かった! 腹ごなしに訓練室で軽い運動でもしようと思ってたの。ちょっと付き合ってよ!」

「ハハハ。おはようございますネルさん。じゃあボク今から食事なのでこれで」


 目に見える面倒事の塊のようなネルから脱兎の如く逃走しようとするピーターだが、


「あたしから逃げようったってダ~メ♪ こういうのはどうせならめいっぱい動いてもっとお腹を減らした方が美味しく食べられると思わない? 思うよねぇ? という訳でレッツゴーだよ!」

「か、勘弁してくださ~いっ!?」


 あえなく襟元をむんずと掴まれ、そのまま暴君に引きずられていく空腹のピーターであった。





 ?時間後。


「う~ん! ああ楽しかった!」

「……お、お役に立てて幸いです」


 訓練が終わり、良い汗かいたと笑顔で軽く背伸びするネルに対し、ピーターはもう疲労困憊魂抜けかけといった状態で床に突っ伏していた。


「いつもはオジサン下僕一号に付き合ってもらってるんだけど、たまには相手を代えると新鮮だよね! もうシミュレーションの仮想敵相手だけじゃ束になっても動きが丸わかりで作業に近いし、やっぱ動きの読めない対人戦の方が楽しい」

「それで二人で組手をするってのはまだ分かるんですけどねぇ……だからって締めに大乱戦モードにしないでくださいよっ!? 僕こういうの苦手なんですから」

「え~。ピーターだってそこそこ頑張ってたじゃん。……まっ! あたしの四分の一も倒してないけどねぇっ! ぷぷっ!」

「うわぁ。そのドヤ顔腹立つぅ。最後まで残ったんだから良いでしょうよっ!」


 なお余談だが、組手の後ネルが設定したのは本来事を前提としたモード。


 一体一体が並の怪人一歩手前の仮想敵が、次から次へとそこら中から出現して襲ってくるので協力して耐久戦を行うというシチュエーションだ。


 決して一人や二人で戦い抜く事を想定したものではなく、ましてやものでもない。




 その訓練の様子をこっそり観戦していた数少ない職員は、口を揃えてこう言った。


「あのハードな訓練を腹ごなしでやるネルは、紛れもなく怪物である。そして、それにまがりなりにも付き合えるウチのボスも充分幹部として上澄みである」と。




「ところでさピーター。アンタここでの調査期間を延長する申請をしたらしいじゃん。基本事なかれ主義で言われた分の仕事しかしないのにめっずらしい」


 まだへばっているピーターに対し、ネルはそう何の気もなく話しかけた。


「……悪心という不安要素があるにせよ、魔法少女という未知の存在もある訳ですからね。まだまだ侵略するか否かは情報不足な訳で期間の延長も視野に」

「それ、 あとあたしが来た事もちょっぴり原因かな」


 その言葉に対し、ピーターは伏したまま何も言わない。そして、


「おっと。仕事仕事っと」

「俺ちょっと耳を塞いでますんで」


 周囲に居た職員達が、巻き込まれてはかなわないとばかりにそそくさと離れて行った。


 色々と体面的に問題になるような内容の会話は、最初から聞かなかった事にするのが悪い大人のやり方なのだから。


「逃げ足早いわねアイツら。まあ良いけど。……続けるよ。下手にここで調査期間が終わって撤退命令が出たら、正式なメンバーじゃない現地協力者とははいそれまで。無理やりでも後遺症が残ってでも、邪因子を引っぺがして記憶処理してお別れだもの。それを避けたいんでしょ? まったくピーターはそういうとこマメなんだから」

「ははっ。何の事やら? 新米とはいえ幹部のボクが、そんな協力者一人の為に動く訳ないじゃないですか。これはあくまでさっき言ったように、良くも悪くも要素が多いから慎重かつ多く情報を集める必要があるってだけですよ」


 よいしょっと起き上がって静かに笑うピーターに対し、ネルは揶揄っているような、そしてどこか拗ねたような顔をする。


 それは数少ない友人に対して激励する同僚のようにも、お気に入りの玩具が取られそうな子供のようにも見えて。


「ふ~ん……まっ。そういう事にしとく。大人って面倒だもんね。その代わり、和菓子食べ放題の件は早めにセッティングね! もし約束を破ったら」

「分かってますって。行けそうな頃合いになったら連絡しますから。ホントですよ?」


 こうして、軽く運動して満足したネルと別れたピーターだったが、まだこの優雅な一日は始まったばかりなのであった。





 ちなみに、空腹と疲れで息も絶え絶え食堂に辿り着いたピーターが見たものは、デラックス朝食セットの上から売り切れと貼られたお品書きだったりする。





 ◇◆◇◆◇◆


 という訳で、ピーター君の優雅な日常風景の始まりです。


 ……えっ!? どこが優雅だって? まだ始まったばかりですし、これからですって!

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