第22話 彼氏の祖父母

 下山したら、午後3時頃になっていた。

 すぐ電車に乗って帰るのかと思ったけれど、ちがった。

「寄りたいところがあるんだ」と堀切くんが言ったのだ。

「どこ?」

「ちょっとね」

 彼がぼかして答えたので、わたしはコードキスを思い出して、不安になった。

 またあれを迫られたらどうしよう。

 あまりやりたくないが、あからさまに拒絶して嫌われたくもない。


 堀切くんはわたしを山の麓の町に連れていった。

 瓦屋根の古ぼけた一軒家の前で立ち止まる。

 表札には「堀切」とあり、わたしは軽く驚いた。彼の親戚の家だろうか。

「ここは?」

「おれのおじいちゃんとおばあちゃんの家なんだ」

「え? そうなんだ……。まさか中に入るの?」

「入るよ。せっかくここまで来たんだしね」

「堀切くんのおじいさまとおばあさまに会うなんて、わたし、心の準備ができてないよ」

「気を張る必要はないよ。気楽にして」

 彼はまた微笑もうとして失敗したようなゆがんだ笑みを浮かべた。

 気楽になんてなれない。

 彼の本当の目的地が山ではなく、ここであったような気がして、心がざわついた。


 堀切くんが呼び鈴を鳴らした。しばらくして玄関が開き、年老いた女性が現れた。

 疲れたような生気のない顔が、彼を見てパッと輝いた。

「拓斗、いきなり来て。連絡してくれればいいのに」

「ごめんよ、おばあちゃん。近くでハイキングをした帰りなんだ」

「まあ、お入り。あら、この方は誰かね」

 おばあさんがわたしに目を止めて、怪訝そうな顔をした。

「おれの高校のクラスメイトだよ」

「こんにちは。相生奏多と申します」

「あらまあ、拓斗の彼女さんかい?」

「まあそんなとこ」

「山に登ったんなら、疲れたろう。ゆっくり休んでおゆき」

 他人の家でゆっくりなんてしたくなかったけど、断れるはずもない。


 わたしは堀切くんの後について家の中におじゃました。

 室内にはまったく照明がつけられていなくて、薄暗かった。掃除が行き届いていないみたいで、空気が微かに埃っぽい。

 彼は居間の古いソファに座った。隣に座るようにうながされて、わたしも腰掛けた。

「誰か来たのか……?」と弱々しい声が聞こえた。

「おれだよ、おじいちゃん!」

 堀切くんが大きな声を出した。

「拓斗か……。来てくれたのか……」

 小さな声だが、そこには喜びが含まれているようだった。

「おじいちゃんは体が弱っていて、ほとんど寝たきりなんだ。ちょっと話してくるから、待っていて」

「うん……」

 わたしも挨拶をした方がいいのかなと迷ったけれど、寝たきりの知らない人に会うのは気が進まなかった。

 彼は奥の部屋へ行き、わたしは取り残された。

 おばあさんがお茶を出してくれた。

「ごめんねえ。なにかお菓子でもあればよかったんだけど、急なことで切らしていてね」

「いいえ、おかまいなく」

 突然訪問したこちらが悪いんですから、と言いそうになったが、ここに来ることにしたのは堀切くんだ。わたしが謝るのはおかしい。わたしは頭を下げ、少しだけお茶をすすった。


 夕暮れが近く、家の中はますます暗くなってきたが、まだ照明をつけるようすはない。

「暗いだろう? 電気代を節約しているんだよ。このうちは貧乏なんだ」

 堀切くんが奥の部屋から戻ってきて言った。

「そうなんだ」

「年寄りのふたり暮らしで、恋愛発電もできないからね」

「うん……」

 わたしは生返事をした。

「家庭蓄電池はあることはあるんだけどね。おれの父親が住んでいた頃は使っていたそうだ」

 居間の壁にかなり年代物の蓄電池が設置されていた。

 彼がわたしの目を見て、真剣な表情をした。ちょっと怖いような顔だ。

「相生さん、あれに充電してくれないか。照明をつけられるようになる」

 わたしは驚いた。コードキスのことを思い出し、理不尽な要求をされていると感じた。

「堀切くんが充電してあげればいいんじゃない? あなたのおじいさんとおばあさんの家なんだし」

「おれは自分の家の蓄電池に充電したいんだ」

 彼の顔は苦しそうにゆがんでいた。

「実はうちもあまりお金がなくてさ。相生さん、十人級だろう。分けてやってくれないか」

 貧乏な人に施すのは、やぶさかではない。でも不意打ちで連れてこられて、急に頼まれるのは不快だった。

 嫌だな、と思ったけれど、口には出せなかった。


 わたしの体内蓄電池を旧式の家庭蓄電池に接続した。それはすぐに満杯になった。

「ありがとう」と堀切くんが言った。

 どういたしまして、という言葉がのどに詰まって出てこなかった。

「おばあちゃん、相生さんが充電してくれたよ。電気が使えるよ」

「ごめんなさいね。申し訳ないわ。なんのお礼もできなくて」

「いいえ、美味しいお茶をいただきましたから……」

 黙っていると感じが悪いので、わたしはなんとか声をしぼり出した。

 おばあさんはまだ照明をつけなかった。

 完全に夜になってから、電気を使おうと思っているのかもしれない。

 本当に貧乏なのだろう。同情はしたけれど、突然この家に連れてきた堀切くん対して、がっかりした気持ちも抱いてしまって、わたしの発電は完全に止まっていた。

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