第3話  玉音放送をつくった男たち


 昭和6年に『満州事変』が勃発した。事変……などというと何か自然におこったことのようだが、ハッキリいうと日本軍による侵略である。1932年(昭和7年)には満州     

国という日本軍の傀儡政権国が成立する。

 浜口雄(お)幸(さち)首相暗殺の後の後継者は若規となったが、人気がなく、ついに犬養(いぬかい)毅(つよし)が昭和6年(1931)12月13日、第29代首相となった。大蔵(現・財務省)大臣には高橋是(これ)清(きよ)が就任した。

 犬養毅は軍縮をすすめようとした。そこで軍部からの猛反発にあう。

「満州は仕方ないとしても、中国との関係をよくしなければならない」

 しかし、またも軍部が暴走する。

 昭和7年(1932)2月9日 前大蔵大臣・井上準之助が暗殺される。続いて3月5日には三井の会長が暗殺。そして、ついに5月15日午後に軍部の若手将校たちが首相官邸に殴り込む。将校たちは警備の警察菅たちを射殺していく。そして、ついに犬養毅が食堂で発見される。将校は拳銃を向けて、トリガーを引くが弾切れ。

「まぁ、待て。話せばわかる」犬養毅はいった。

 しかし、午後5時30日頃、将校が「問答無用!」と叫び、犬養毅に発砲して殺した。

 世にいう〝五・一五事件〝である。

 事件を起こした青年将校たちの90%もが東北などの貧しい地方出身者であったという。 自分の妹や親戚の娘が売春宿に売られ、大凶作で餓死者が続発しているのに恨みを抱いての事件だった。

 斎藤実海軍小佐が犬養毅の後の首相に。これで事実上、政党政治がダメになったのだ。軍部が実権を握った瞬間だった。斎藤は満州国を認め、昭和8年(1933)3月、日本は国際連盟から脱退した。…すべては軍部のためである…………

  この当時、世にいう二・二六事件が勃発していた。

 昭和11年(1936)2月26日、軍の若手将校一団が徒党を組み、斎藤実や高橋是清らの邸宅を襲撃し、暗殺した。そして、次の年には日中戦争が勃発した。

 昭和天皇はいう。

「これまでのところ満州国はうまくやっているようだが、万一のときにそなえて仇義をかかさぬように…」

 天皇は米英の軍事力を心配していた。のちの山本五十六のように欧米の軍事力と日本の差を知っていたからだ。ならばもっとましな策を考えればよさそうなものだが、神の子としての天皇に、「人間的な言葉」は禁じられていた。

 ただ、「であるか」という「お言葉」だけである。

 今でいう、カリスマ・ジャーナリスト(勝海舟や森鴎外、山本五十六、中曽根康弘、東篠英機などと親交)徳富(とくとみ)蘇峰(そほう)はTVがなかった時代、ラジオで、

「アメリカ人たちに一泡ふかせてやれ! あいつら天狗どもをぶっつぶせ!」とアジる。そして、蘇峰は天皇の『開戦』の詔まで執筆する。

 昭和12年(1937)7月7日には盧溝橋事件(侵略)が勃発して本格的な日中戦争になった。昭和天皇は軍部の暴走を止められない。

「重点に兵を集めて大打撃を加えため上にて(中訳)、速やかに時局を収拾するの万策なきや」昭和天皇は戦争の早期終結を望んでいた。

 しかし、パペットには何もできはしない。

 昭和13年(1937)11月、皇居内に大本栄が設置される。天皇は国務と統帥に任ぜられた。といっても〝帽子飾り〝に過ぎない。

 昭和15年(1940)6月、ナチス・ドイツがパリに入城した。つまり、フランスがやぶれてドイツが侵略したのである。ヒトラーはシャンゼリゼ通りをパレードした。ナチスの鍵十字旗が翻る。ナチス式敬礼……

 日本は真似をした。原料補給のための侵略は日本軍部にとっては口実だった。

 同年9月、日本軍は北部仏領・インドシナに侵攻した。

 昭和天皇は呟く。

「私としては火事場泥棒的なことはやりたくないが、認めておいた」

 それは心臓がかちかちの岩のようになり、ずっしりと垂れ下がるかのようだった。

 ……朕は無力ぞ……

 そして、日独伊三国同盟が成立される。悪のトライアングルである。

 昭和天皇は帝国日本の象徴として、白馬に跨がって軍事パレードを行った。

 昭和16年(1941)4月、日ソ中立条約が成立した。つまりソ連(現・ロシア)と中立にいると日本側がサインした訳だ。

 昭和16年(1941)7月には、日本軍は、南部仏領・インドシナに侵攻した。米国のフランクリン・D・ローズベルトは日本への石油輸出を禁止。日米関係は悪化した。

 昭和天皇はいう。

「外交による戦争回避をしたかったが、御前会議で軍部が猛烈な戦争運動を展開。もっともらしい数字をあげて戦争には必ず勝てるという」

 天皇はパペットに過ぎない……

 米国国務長官コーデル・ハルによる命令書『ハル・ノート』が出される。東篠英機は何とか戦争を回避したかった。昭和天皇も同じだったろう。

 しかし、統帥部(陸軍統帥部と海軍統帥部)の暴走に負けた。東篠は天皇に開戦の言葉を述べながら号泣したという。すべての運命はここで決まった。破滅の道へ……

 そして、

 昭和16年(1941)11月「大海令」……日本は戦争の道を選んだ。


 阿南惟幾は威風堂々としたがっちりした体格で、禿げではないが坊主頭で包容力があるというかなんかカリスマ性があった、という。

昭和天皇の侍従長を四年間も務め、昭和天皇の信頼も篤かった。

天皇陛下の父親的な立場でもある。

何故なら父親の大正天皇は病気がちで体が弱く、まんぞくに子育ても出来ない人間だったからだ。

阿南が父親、というよりは明治天皇にとっての乃木希典が昭和天皇の場合は阿南であったということであろう。

阿南の評伝を書いた作家の角田(つのだ)房子(ふさこ)は、阿南を「立派な平凡人」と評している。

華やかな戦歴もなく、頭脳明晰・才気煥発(かんぱつ)というタイプでもない。

ただ公正無私で「八方美人」ともいわれたが、部下にも同僚にも好かれる人物であった。

映画『日本のいちばん長い日』の俳優・役所広司さんみたいに昭和天皇(役・俳優・本木雅弘さん)が軍衆の前で御言葉を述べられる前に、背後から歩み寄って軍服の乱れをなおした、というようなところはよく描けていた。

実際にああいう場面はあったそうである。

阿南氏の遺族も証言しているし、他にも目撃者がいる。

最近の2015年版の半藤一利氏原作の『日本のいちばん長い日』(監督・脚本 原田眞人氏)を観たがよく複雑な人間模様を描き切っていた。

原田監督の天才的な才能には目をみはるしかない。

昭和天皇がたばこや酒を一切好まず、あまり庶民とぺらぺら話す方ではないというナーバス(繊細)さ、も見事に俳優の本木雅弘さんが演じていた。見事! と思った。

また、鈴木貫太郎おじいさん(第二十四代内閣総理大臣役の俳優・山崎努さん)も見事な飄々とした老獪さが出ていた。

山崎努さんは「今までの役の中で一番難しかった」とおっしゃる。そうだろう。老獪な男で、軍部を手玉にとりながら、老人ぼけや耄碌(もうろく)を演じながら、終戦工作を隠密にすすめる古狸老人…。まるで家康のよう(笑)

降伏か?本土決戦・一億総玉砕か? 

鈴木首相の書記官長の迫水久常(俳優・堤真一)は今でいうなら官房長官である。

玉音放送を阻止してクーデターを起こし、戦争継続を叫ぶ陸軍将校・陸軍少佐畑中健二役は若手の松坂桃李さん、である。

松坂さん演ずる畑中少佐は只のファナチティック(狂信的)な国体維持の青年将校という一面だけでなく、最後まで天皇陛下の為に動く、企む、走る、祈る。

あくまでキャラがひとりひとり際立って、最後まで目が離せない映画であった。

ひとりも〝いなくてもいいキャラクター〝がいない。原田監督の天才ですよね(笑)

旧版の映画『日本のいちばん長い日』(1967年版)もDVDで拝見しましたが、現代版(2015年版)のほうが当たり前だけど素晴らしいですよね。

同じ原作の映画でも脚本と監督が違うとこうも違うのか?と当たり前ですがパソコンの世界の進化〝ドックイヤー〝後の世界観みたいな(笑)

まさに進化版の映画『日本のいちばん長い一日』(2015年版)でした。

 この物語は当たり前ながら、半藤一利氏著作原作、映画『日本のいちばん長い日』(1967年版、2015年版)、小林よしのり氏著作『昭和天皇』、NHK著作プレミアムドラマ『玉音放送を作った男たち』等を参照して執筆して話を展開させていきます。

不出来な部分も多いでしょうがしばらく御付き合いください。

後で参考文献は一覧にして掲載していますので、文章が似ている=盗作、ではありません。裁判とか勘弁してください。盗作ではなく、引用、です。





         2 パールハーバー




「この局面を打開するにはこの作戦しかない」

 日本軍軍幹部は、暗い部屋で薄明りの中いった。皆、軍儀で黒い軍服姿である。

 いったのはそのうちの幹部の老人だった。日本軍の暗号はとっくの昔に解読されていた。「ハワイの真珠湾攻撃! これしかない」

「しかし…」           

 軍儀に同席していた軍服の、山本五十六総裁は何かいいかけた。

 五十六は米国に留学した経験があり、米国の軍事力、兵力、技術力を熟知していた。その結論が、日本の力では米国軍には勝てない……

 というものだった。

 しかし、軍儀ではみな集団ヒステリーのようになっている。天皇(昭和天皇・裕仁)でさえ戦争反対ともいえない状態にあった。

 五十六はためらった。

 自分の力では戦争を止める力はない。天皇陛下が「戦争回避」といってくれればいいが天皇は何ひとつ発しない。現人神だから、自分の、人間としての言葉を発しないのは当たり前なのだ。五十六は……〝短期決戦なら勝てるかも知れない〝と甘くよんだ。

 長期戦となれば、圧倒的に軍事力が違うから勝つ見込みはほとんどない。

 山本五十六は意を決した。

「わしも真珠湾攻撃は賛成いたす。ただし、奇襲ではいかん」

「……もちろんだとも」

「まず、米国外務省に電報で〝攻撃〝を知らせてそれから開戦だ!」

 五十六はいった。

 ……日本軍は確実に米国に〝攻撃通知〝を打電した。しかし、米国の外交官がそれを見るのを忘れ、結果として「日本軍はパールハーバー(真珠湾)を奇襲攻撃した」などと事実を歪曲されてしまう。これはあきらかに米国役人のミスなのだ。

「総統、わが日本は勝てるでしょうか?」

 あるとき、部下がきいてきた。

「日本と米国の差は歴然……短期決戦なら勝てるかも知れない」

「しかし」

 部下は訝しがった。「わが日本帝国は清国(中国)にも、露国(ロシア)にも勝ちまし               

た。わが国は尚武の国です。まける訳がないじゃないですか?」

 五十六は何もいわなかった。

 ……負けなきゃわからぬのだ。この国の人間は…


 日本が太平洋戦争に踏み切ったこと自体、考えれば、国家戦略などなかったことを物語っている。ちゃんとした戦略があったなら、あの時点で、アメリカと戦うなど考えられなかったからだ。

 当時の日本はアメリカと比較すると生産力は十分の一でしかなく、領土は二十四分の一、人口は半分、島国のうえ原料はほとんど輸入に頼っており、補給路を絶たれたらそれでおわりである。

 これではちゃんとした戦略などたてられる訳がない。

 少なくても生産力がアメリカの二分の一、原料、とくに石油の自給率が七十パーセントくらいならまだ勝てるチャンスがあったかも知れない。

「この絶対的不利である日本国をすくうために開戦するのだ!」

 軍部の老人はいきまいた。

「ABCDラインからの自衛の戦争である!」

 老人たちはいう。

 確かに、彼等のごく狭い視野からみればそうであったかも知れない。

 ちなみに『ABCDライン』とは、米国・英国・中国・オランダによる対日包囲網のことである。

 ABCDラインで外交的にシャットアウトをくらい、日本はいきずまっていた。

 原料確保のためにはなんとか行動をおこさなければならない。

 そこで南方進出を決定する。

 ブルネイやインドネシアには石油がある。フィリピンには天然ガスが……

(当時、日本は満州国を保有していたが、石炭しかでなかった。また侵略していた中国では長期戦に引き摺りこまれていた)。

「この戦争はなんとしても勝たなければならない!」

 日本軍部はいきまいた。

「この国は、皇国帝国日本は必ず米英に勝てる! 上官の命令は即ち天皇陛下のご命令である! 少し負けても最期には皇国日本国に神風がふく! 日清日露戦争にも勝った!日本軍の一個師団は米英の三個師団に匹敵する! 神の国帝国日本は最後には神風が吹いて確実に勝てる!」

何を根拠に言っているのかよくわからないが、当時の日本軍人たちは必ずそう狂信的に発言していたという。文句があれば鉄拳制裁、つまり、殴られ蹴られ、暴力を受ける。

雄弁でも強くもない庶民や一兵卒は黙るしかない。

確かに戦争終結を希望した軍人や庶民もいたに違いない。(小説『少年H』妹尾河童著作みたいな大嘘じゃなく(笑))

だが、主張すれば『鉄拳制裁(暴力)』だ。

確かに「天皇陛下万歳!」と言って死んでいった軍人や特攻隊員も大勢いたのだろう。

だが、昭和天皇も政治家も一部の軍事官僚も馬鹿じゃない。硫黄島やサイパン島、ダガルガナル島、ルソン島まで陥落して、東京や名古屋、大阪、福岡、仙台、兵庫など大空襲を受けて、沖縄もやられていよいよ本土決戦!となれば「もう(おわりで)いいのではないか?」という声だっておおきくなる。日本国内中焼野原である。

しかし、ポツダム宣言受諾にしても、『国体護持確約(つまり、天皇制度維持の確約)』がなければ日本国として丸呑みする訳にもいかない。

 この物語の元ネタは作家半藤一利氏原作の映画『日本のいちばん長い日』、小林よしのり氏著作漫画『昭和天皇』、NHKプレミアムドラマ『玉音放送を作った男たち』で、ある。

が、この物語では映画『日本のいちばん長い日』ではあまり活躍のなかった鈴木内閣の情報局総裁下村海南(海南・号、本名・下村宏)も主演級で物語の中にいれてみたい。

1945年(昭和20年)は屈辱的な敗北が続いている最中で、ある。

昭和天皇はさすがに眉間に深い皺をよせていた。

痩身なお体に軍服、近眼の為に丸い縁なし眼鏡をかけていて、猫背で背が低い。口髭。

軍部のプロパガンダ(大衆操作)の道具になっていたラジオや新聞は『大本営放送』を続けていた。まさに〝勝った、勝った〝の嘘八百の大号令である。

だが、庶民も天皇も馬鹿じゃない。そんな大嘘でごまかしきれる訳はない。

昭和天皇は「もうじゅぶん国民は苦しんだのではないか?」とおっしゃった。

しかし、誤解があると困るから書くが当時の昭和天皇は、陸海空軍を統べる国家元帥、ではあったが、所詮は立憲君主制度である。

いわば〝帽子飾り〝であり、〝自らの決定権〝もなかった。

いわゆる〝統制権〝は陸海軍にあって、天皇がどうこう言える立場ではなかった。

当時の憲法では、現在のように〝元帥(象徴)〝ではあるが、何でも〝軍部(特に陸軍・関東陸軍)が統制権を握って〝いた。

天皇陛下は思ったろう。クソッタレ、と。

このままでは軍部の狂人たちの言うように『本土決戦』『一億総玉砕』、である。

だが、昭和天皇の偉大なところはあくまで国民側のお立場にお立ちになったことだろう。

政治経験がまったくない鈴木貫太郎を懇願して内閣総理大臣として、しかも軍部トップの陸軍大臣にはなじみの阿南惟幾をもってくる。随分な策士ではないか。

私の記憶にある昭和天皇は「あ、そう。」を繰り返す眼鏡の白髪のご老人であるが、それは晩年であり、私が19歳の誕生日の次の日(つまり1989年1月7日)崩御(ほうぎょ)(天皇が死ぬこと)なされたので正直、あまり馴染みがない人物ではあった。

だが、現在、歴史を勉強してみれば以外にも『偉大な人物』であったことがわかる。

昭和天皇なし、で、昭和も終戦も語れない、のだ。

昭和天皇は当時、まだ丸焼けになる前の皇居執務室で、ひとり、椅子に座り、考え込んだ。

深いため息が出た。

「………朕は無力ぞ」

言葉にするといっそう〝自分の無力さ〝がわかった。

陸海空軍を統べる元帥、総司令官、現人神(あらひとがみ)としての自分…。

拳をぎゅっと握って、震えた。

「…朕は……無力ぞ。」

そういってひとり泣きした。ハンカチで涙をぬぐった。

そして、かっと目を見開いた。「国民はもうじゅうぶん苦しんだ。泣いている場合じゃない!朕にも何か出来るかも…知れぬ」

そうか!朕が…!そして昭和天皇は自分の〝歴史的存在価値〝を確信した。

……朕が………この国の戸締りをする…!

昭和天皇は椅子から立ち上がった。やっとわかった!そういうことか!

「宮内省大臣を呼べ!」

昭和天皇は声を発した。粋な発音の言葉であった。

昭和天皇は考えたのである。自分と腹を割って話せる側近たちで「終戦工作をする」…要するに昭和天皇はそう考えたのである。

「なんでござりましょうか?陛下」

「鈴木貫太郎を呼べ!今の小磯国昭首相の後任の首相としてお願いしたい」

「…な? ……天皇陛下? 鈴木さんはもうよぼよぼの老人で政治家でもないですし…」

「とにかく鈴木貫太郎じゃ! 急げ!」

昭和天皇は激しく言った。

「ははっ!」部下は平伏した。

やがて、鈴木貫太郎が皇居に呼ばれた。第二十四代内閣総理大臣、鈴木貫太郎内閣が発足するのは1945年(昭和20年)4月7日である。

鈴木は昭和天皇(裕仁)に、首相就任を懇願されるとは夢にも思っていない。

もうよぼよぼの老人である。禿ではないが白髪に白い口髭、天子さまへの拝謁とあって燕尾服を着てきた。

「鬼(おに)貫(かん)」の愛称で知られた海軍大将。日清・日露戦争で武勲をあげ、海軍トップの軍令部長まで登りつめた。退役後は侍従長を8年間務め、天皇の信任は厚い。また、侍従長時代、2・26事件で青年将校に襲撃され、四発もの銃弾を受けるが奇跡的に九死に一生を得た。信条は「軍人は政治に干与せざるべき」(阿南、鈴木人物説明小林氏本参考)

「天皇陛下におかれましてはご機嫌うるわしゅうことと…」

「挨拶はよい」昭和天皇は遮った。「それよりものう鈴木、頼みがあるのだ」

「なんでございましょうか?」

実は鈴木貫太郎の嫁は元・裕仁の乳母である。父親のような感覚がある。

ゆえに終戦工作を隠密にすすめる大役は彼しかいなかった。

「鈴木よ、今度現内閣の小磯国昭内閣が総辞職する。代りの総理大臣(第二十四代内閣総理大臣)に、次の首相に就任してはくれまいか?」

「えっ?」

鈴木貫太郎は驚いた。そして「いやいや、陛下。わたくしはもうヨボヨボの老人で、耳も遠くなり、政治などやったこともありません。無理です!」

「鈴木よ! まあ、聴け!」

「はっ!」

「じつはそのほうには、この国の〝戸締り〝をお願いしたいのだ」

「えっ? 戸締り?」

「そうだ。隠密に終戦工作をしてほしいのだ。お前なら出来る。頼む!」

「しかし…」鈴木はためらった。「統制権は完全に帝国日本陸軍が握っております。軍部がどんな横槍をいれてくるか…確実につぶされます! 断言してもいいです!」

昭和天皇は鈴木貫太郎の言葉を受けて、遠い目をした。考えた。

「鈴木よ、ならば本土決戦、一億総玉砕、でよいとおもうのか?」

「いいえ、それは。そのような惨事では日本は復興さえできません」

「…だから! だから、貴様に頼むのだ! もう国民はじゅうぶんに苦しんだ」

「しかし…軍部が…」

天皇は頷いた。「わかっておる。だから、軍部を統べる陸軍大臣には阿南(あなん)(本当はあなみだが昭和天皇はよくあなみをアナンと呼び間違えたという)をあてることにする」

「阿南閣下をですか? しかし、阿南惟幾閣下といえばごりごりの交戦派で口を開けば〝本土決戦!〝〝一億総玉砕〝と叫ぶほどでして…」

「阿南なら、わかってくれる。あの朕が知るあの阿南なら…」

昭和天皇はゆっくり言った。「もはや、戦争継続は無理である。朕には最後に神風が吹き勝つとはとても思えん。降伏か? 本土決戦か? 一億総玉砕か? 阿南ならわかるであろう」

「なにとぞ、この一事だけは拝辞(はいじ)のお許しを願い奉ります」

「そう申すと思っていた。その心境は、よくわかる。しかし、この重大な時に当たってもうほかにひとはいない。ほかにひとはいない」

「………」

「頼むから、どうかまげて承知してもらいたい」

「わ…わかりました!」鈴木貫太郎は深々と平伏した。

何故だか涙がでてきた。

当然ながら阿南惟幾は陸軍大臣になるのを固辞し続けた。

阿南は、しばらく考えさせてほしい、と桜の木々の間の山道をたったひとりで散策しながら考え込んだ。

山から帝都の町並みをみて、俯瞰して、感慨ふかげにため息をもらした。

この帝都もいずれは火の海になり、国民は焼け出される。

自分が隠密に終戦工作を…?

頭をふった。

馬鹿な! しかし、陛下のおっしゃられることもごもっともである。

阿南は東京大空襲後に同じく山道から焦土と化した帝都を見て唖然となった、という。

阿南惟幾は小磯国昭内閣総辞職後の鈴木貫太郎内閣の陸軍大臣に就任した。

600万人の陸軍軍人を統べる陸軍大臣である。

その当時は戦争末期の状態で、大本営放送のウソの〝大勝利情報〝とはうらはらに日本軍は負け続けた。日本軍は『神風特攻隊』『回天特攻隊』などと称して、戦闘機や潜水艦に爆弾を積んで米軍艦隊に体当たりで攻撃する〝自爆テロ〝のようなことをしていた。

大勢が「天皇陛下ばんざーい! 万歳!」といって体当たりして死んでいった。

国会内で、鈴木おじいさん内閣が発足すると前首相・小磯(こいそ)国昭(くにあき)(のちにA級戦犯)が嫌味をいった。

鈴木貫太郎は飄々としている、そして「は?」と耳を傾けた。

「なに? わしは爺じゃで、耳が遠くて聞こえんかった。何て?」

無論、わざとである。小磯は顔を真っ赤にして怒り、「なんでもない!」と怒号を発して、去った。まさに鈴木おじいさんの策士ぶり老獪ぶり、がわかる。まさに家康(笑)

阿南惟幾のほうには『戦争継続・本土決戦』を叫ぶ畑中健二少佐たち青年将校が集合して阿南にお伺いをたてる。

頭を下げて平伏して、「阿南閣下! 戦争継続ですよね? 閣下!?」等と問う。

まさに狂信的な青年帝国軍人たちである。負ける、敗北する、? まだ数百万の兵士が残っておる。沖縄の次は本土決戦である! 天皇陛下万歳! 陛下の為にも戦争継続!

鈴木内閣の情報局総裁は下村宏(号・海南)で、ある。

首相が懇願して就任してもらったのだ。下村宏は当時、有名人、であった。

鈴木貫太郎の孫で、現在(2015年)映画評論家として活躍する鈴木道子さんは、鈴木貫太郎の嘆願で、秋田県に疎開したという。「祖父の〝決死の覚悟〝が語らずともわかった」という。また、阿南惟幾が覚悟を決めた日の朝、出勤する阿南惟幾のただならぬ〝決死の覚悟〝を感じた妻が小さな子供達を必死に連れ出し、〝無言の今生の別れ〝、をさせた。

その阿南邸の玄関先での場面は、映画『日本のいちばん長い日』でも描かれたが、号泣確実の名シーンである。まさに満身創痍の阿南惟幾と日本国………

下村宏は明治8年から昭和32年までの人生である。逓信省から朝日新聞に入社、妻は文という。文の親戚は佐々木信綱という有名な詩人であるから、下村海南(雅号・本名 下村宏)はよく漢詩や詩をつくったという。仲のいい夫婦、である。

「この詩をどう思う?」

「そんな、親戚のおじさんに訊いてください。わたしが詩人ではありませんから」

妻は思わず笑った。

「それもそうか?」宏は笑った。

「その沢山のファンレター、旦那様はもう有名人ですねえ(笑)」

下村宏はラジオで番組を受けもって有名人になる。テレビもないパソコンもない携帯やスマートフォンもない時代だから、ラジオは最先端のマスメディアであった。

下村は政府に不利な情報が〝検閲〝されている、と耳の痛いことも言ったがラジオの放送はそれをいわせなかった。途中でラジオの音源を遮断して、言論統制をする有様であった。

「〝正確な正しい情報〝こそ〝武器〝なのに〝英語を話す事を禁止〝したり、大本営は間違っている!」下村はそういう男である。

妻の文は「それでも相手の気持ちも考えて発言することも大事なのですよ」と、当たり前のように言う。これは釈迦に説法か? と思うが違った。

「それもそうじゃのう」

確かにその通りである。そういう下村だからこそ、情報の重要さがわかっているからこそ、鈴木貫太郎は下村海南(宏)を情報局総裁に任命したのである。

就任時は朝日新聞の専務役員であった。誰よりも情報戦略、外交戦略、等戦略に長けていた。

下村海南は早くから『天皇陛下の肉声』つまり、『玉音放送』に着眼する稀有な人物でもあった。だが、下村は早すぎたジャーナリストでもあった。

『玉音放送構想』は木戸幸一やらに「無理だ」「現実的じゃない」と拒絶されたし、空襲の情報を正しく伝える事も拒絶される有様であったという。

下村は〝天皇陛下のお写真〝を〝庶民が陛下に親近感を抱く為に朝日グラフ等に掲載〝していた。が、庶民からは「不敬だ!不敬罪だ!」と反発されていた。

まだ、天皇陛下が象徴でも人間でもなく、現人神の陸海空軍を統べる大元帥、の時代、である。天皇陛下の写真は『ご神体』と呼ばれていた。

下村宏(雅号・海南)おじさんは〝早すぎる改革者〝であった。

「下村さん、どうか鈴木内閣で終戦工作に与力してはくれまいか?」

鈴木首相は渋る下村海南に嘆願し、頭をさげた。

「わかりました!」下村は涙声で、言った。

参謀の内閣情報次長の久富辰夫氏(毎日新聞記者の若者)、内閣情報局秘書官の川本信正(朝日新聞記者の若者、オリンピックを「五輪」と最初に訳したひと)らである。

「玉音放送ですか?」

久富さんは下村に聞きかえした。「天皇陛下の御肉声を?」

川本は「無理じゃないですか? この前だって軍衆によびかける陛下の声を遠くのマイクが拾ってしまい大問題になりましたばかりでしょう。陛下のお言葉は確かに強大だとは思いますが軍部がだまってないでしょう」

「だからこそ、だ」下村は強く言った。「今こそ陛下のお言葉でこの地獄のような国民の凄惨なありようを伝えて、終戦に導かねばならん。それが国の為道の為だ」

「しかし…」

「しかしも屁ったくれもない。今こそ玉音放送なんだ!」

下村たちが出会ったのがのちの『玉音放送担当アナウンサー』の和田(わだ)信(しん)賢(けん)さんである。和田氏は安芸ノ海VS双葉山のラジオ中継をやって「双葉山敗れる」と

実況して有名になった。戦後は日本初のクイズ番組の司会で有名になった。

「私は只のトーキングマシーン(話す機械)ではなく、声優とまで呼ばれるくらいのアナウンサーになりたい」下村の前で和田さんはそう夢を語ったという。

当時のアナウンサーの悩みは空襲警報の情報検閲であったという。〝軍事情報は漏らさず〝等の綺麗ごとで空襲警報の正確な情報がラジオで流れない。よってその被害者は莫大なものとなり、いつしか少国民らはアナウンサーや大本営を憎むような心情になっていたという。

下村宏(雅号・海南)はその情報検閲を規制して、徐々に正確な情報がラジオや新聞で伝えられるようになっていく。まさに情報改革、であった。

空襲が激しくなり陛下の身を案じた君臣たちが、東京の宮城(皇居)の壕から、長野松代に建設していた地下壕に大本営の移転を強く願いあげたが、陛下は、

「わたくしは、国民とともに、この東京で苦悩を分かちたい。わたくしは行かない!」

と強く申されたという。皇太后さまも同じ意見であった。

(小林よしのり氏著作より引用)

1945年(昭和20年)4月12日、米国のローズベルト大統領死去

1945年(昭和20年)4月30日、ヒトラー自殺

1945年(昭和20年)5月8日、ナチスドイツ、連合軍に無条件降伏

1945年(昭和20年)5月25日、東京大空襲(宮城(皇居)も焼失・天皇ら皇居近くの防空壕基地に移動)

「空襲警報をすぐに出させてください!」

軍人は「いや、まて! 検閲が先だ!」等という。

和田信賢さんは怒鳴るように「何を考えているんですか?!国民の命がかかっているのですよ?!検閲は国民の命より大事なんですか??」と我鳴った。

鈴木貫太郎はもう悟っていた。

「もうこの戦争に勝ち目はない。軍部がいじになっている」

下村は「国内が焦土と化し、本土決戦、一億総玉砕………となったら新しく根ぶくこともない」とため息を漏らした。ひどく疲れていた。

「下村さん、なんかアイディアがないかい?」

「総理、それはわたしより総理の方がアイディアがあるんじゃありませんか?」

うながした。

「……天皇陛下の御聖断か?」

「御明察。今こそ玉音放送、陛下のお言葉です。軍部でも政治家でもなく天皇陛下のお言葉だからこそ国民は敗戦でも受け止められるでしょうな」

「それしか…ない……な。」鈴木首相は深く頷いた。

御聖断をあおぐ。それが〝最後の道〝である、な。

1945年(昭和20年)7月27日に米英中3国が、ポツダム宣言で日本国に無条件降伏をせまってきた。しかし、『国体護持』つまり天皇制の維持の約束がまるでない『ポツダム宣言受諾』に反対する者も多かった。阿南も軍部も文句たらたらである。

だが、8月6日午前7時17分に広島市に原爆が投下されると日本国は「もう駄目だ」という意見が大半になった。

アメリカ人が学校で教わる詭弁『広島・長崎の原爆投下で戦争が早期終結した。原爆は必要だった』等とは私(著者)はけっして思わない。

詭弁であり、大嘘である。原爆の人体実験がしたかっただけだ。庶民が住む非軍事施設への原爆投下や空襲は明らかな『戦争犯罪』である。

広島・長崎で何十万人も犠牲になったのだ。しかも、軍人でもない庶民が、である。

あの当時、日本国中が焼野原であり、確かに一部の狂信的な軍人は竹やりででも戦ったであろうが、象に立ち向かう蟻、である。

『戦争終結を早める為に原爆投下は必要だった』等とふざけるな! とアメリカ人には言いたい。

そして、アメリカ人は広島や長崎にきてちゃんと歴史を学んでほしい。話はそれからだ。

当時は核爆弾を投下された、という認識はまだなく、「何やら新しい新型爆弾を米軍がつかったようだ」という認識だった。が、専門家らは「あれは原水爆だよ」という意見もあった。要は『人体実験』の『原爆投下』であり、黄色い日本人等どうなろうが知ったことではない、という〝アメリカ人(WASP)の主張の塊〝のような〝新型爆弾〝であった。

広島や長崎の被爆者は爆弾を『ピカドン』と呼んだが、正式名称を知らなかったからで、『原爆投下』は後付けの歴史観である。

日本放送協会会長の下村海南は、君民一体となる為に、天皇陛下のお声を一億国民に向けて放送すべきと考えていたが聞き入れられなかった。その下村は、終戦時の鈴木貫太郎内閣に情報局総裁として入閣していた。

昭和20年(1945年)8月8日、下村は天皇に拝謁する。君民の間はあまりにも隔離されていた。この重大時局にあたり、玉音放送などとんでもないことと堅く阻止されている。しかしいまや日本帝国存亡の秋(とき)に直面した。

さような窮屈なことなどいっていられる時ではない。下村はそのような内容の奏上(そうじょう)を熱心に行い、拝謁は二時間にも及んだ。そしてその帰りの車中、下村は涙を目にため、震えた声で言った。

「陛下は承知してくださった。わたしが陛下に「マイクの前にお立ちください」と申し上げると、陛下は「必要とあらばいつでもマイクの前に立つ」とおっしゃったんだよ。」

(小林よしのり氏著作より引用)

1945年(昭和20年)8月8日にソ連軍が、日本国に宣戦布告して満州や樺太・クリル列島や北方領土を蹂躙、『シベリア抑留』という悲劇がうまれた事は歴史に刻まれている。

もはや、ここまでか! 御前会議で鈴木首相は、突如、天皇陛下の御聖断をあおいだ。

「陛下! 天皇陛下、どうかご聖断を! 天皇陛下の御心をおききしたい!」

鈴木首相は伝家の宝刀を抜いた。

『最高戦争指導者会議』1945年(昭和20年)8月9日午前11時30分。宮中で開かれたその会議のメンバーは、総理大臣・鈴木(すずき)貫太郎(かんたろう)、外務大臣・東郷(とうごう)茂徳(しげのり)、陸軍大臣・阿南惟幾(あなみこれちか)、海軍大臣・米内(よない)光政(みつまさ)、参謀総長(陸軍最高指揮官)梅津(うめづ)美(よし)治郎(じろう)、軍司令総長(海軍最高指揮官)豊田(とよた)副武(そえむ)。

鈴木貫太郎首相の書記官長の迫水久常氏は「1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分、今度は長崎に新型爆弾がおとされて大勢が死んだそうです(広島原爆投下(ウラニウム型水爆 長崎の原爆はプルトニウム型水爆)1945年(昭和20年)8月6日午前7時15分)。…最後の一兵まで戦うしか…ないのでしょうか?」という。

最高戦争指導会議では決戦派と和平派とが紛糾して議論がまとまらない。

だからこその、鈴木首相の、突如の、ご聖断の懇願である。

「広島長崎の原爆といいソ連の参戦といいこれ以上の戦争継続は不可能であります。ポツダム宣言を受諾し、戦争を終結させるほかない。ついては天皇陛下のお言葉をたまわりたく願います」

昭和天皇は「国民はもうじゅうぶんに苦しんだ。もう戦争はよろしかろうと思う」と述べた。御聖断である。つまり、戦争終結、ポツダム宣言受諾、である。一同は号泣した。まさに満身創痍の御聖断で、あった。嗚咽だけが静かに聞こえる。おわった……。

しかし、軍部や国民が納得するのか?それが最大の問題であった。

(小林よしのり氏著作より引用)

陸軍大臣の阿南惟幾に「戦争終結という噂はデマですよね?日本はまさに神の国で天皇陛下がおられる限り負けはしません!一億総玉砕、本土決戦で戦争継続を!どうか軍部の総意をお守りください!」等と若手将校らがせまる。

阿南は戦争継続など、無謀で、もうおわり、とわかっていたが「貴様たちの総意はわかっておる!まだ、本土決戦、一億総玉砕、の道は残っておる!まだ望みを捨てるな!」

と一喝した。嘘だった。御聖断を有効にするための大嘘であり、詭弁だった。

「日本に天皇陛下がおられる限り皇国日本は亡びない!」

「はっ! 天皇陛下万歳!」

畑中少佐らはにやりとなった。

だが、御聖断はくだったのである。

ファナスティック(狂人的)な軍人は机を叩いて「国体護持」を叫ぶ!古賀少佐と畑中少佐は阿南邸宅で阿南と酒をくみかわした。

「阿南閣下は呑まれないのですか?」

「ううん。息子が戦死してから断酒してねえ。これも七生報國だよ」

この頃、軍部の青年将校の間では『ポツダム宣言』の「サブジェクト トゥ…」が問題となっていた。「おい!この〝サブジェクト トゥ〝は隷属(れいぞく)するって訳せるぞ!」

「何? アメ公め、ふざけやがって!」

「阿南閣下はどうしますか? 本土決戦、一億総玉砕がなければ皇国日本が滅びますよ!」「………天皇陛下次第だろう…」

こうして日本政府は『(降伏要求の)ポツダム宣言』を〝黙殺〝……広島、長崎に原爆が落とされ、不可侵条約を結んでいたソ連が参戦してきた。

阿南惟幾陸軍大臣が「御聖断はくだったのである。もし、まだ戦いたいのならこの阿南を斬ってからにせよ!この阿南の屍(しかばね)を越えていけ!」と喝破する。

すると畑中少佐は机をばんばん叩き「……まだ戦えますよ、閣下あ!一億総玉砕!後、二千万人の特攻をだせば勝てます!」

部下や同僚は荒れる畑中少佐をはがいじめにして下がらせた。

鈴木貫太郎内閣は『ポツダム宣言』の閣議をしていた。自体は一刻の猶予もなかった。

鈴木はいう。「一日遅れればソ連は樺太、満州、北方領土どころか北海道まで侵攻し、北海道がドイツのように分断される。敵がアメリカのうちにやらねば……ここは天皇陛下の御聖断を仰ぐしかない。まことに異例のことだがなあ」

天皇は言う。「わたしは一億総玉砕に反対である。わたしの命はどうなってもかまわないから和平をすすめてほしい。わたしのことばが必要ならいくらでもマイクの前に立つよ」

下村海南は天皇陛下と拝謁した。そこで『玉音放送』の話をした。

天皇は「大変に参考になった」という。

下村は部下たちに涙を流して「玉音放送が出来るかも知れない」と言った。

「それは〝朕(ちん)、大いに嘉(か)尚(しょう)す(私は大いに褒め称える)〝ですね?」

鈴木首相はにやりとなった。

吉積参謀が軍服のまま「鈴木首相、話が違うではありませんか!」と詰め寄るが、

阿南が割って入り「吉積、もういいではないか!」と止めた。

「首相、総辞職しますか?」

「玉音放送の後にね。我々の内閣はそのためのだけの内閣だ」

「算盤づくでは米英には勝てない!国体護持ならば…しょうがないですね」

やがて、昭和天皇により玉音放送用の録音、が行われた。

録音の音声はレコード盤(玉音版という)に収められた。だが、その情報が近衛兵や抗戦派の若手将校に流れると、畑中健二少佐たちは顔面蒼白になった。そして怒りに震えた。

「馬鹿な! まだ内地に三百七十万の兵がいる!神国日本が負ける訳はない!ふざけるな!」

こうして、クーデター計画は始まる。

畑中少佐と古賀少佐らはクーデター計画を決意する。

どうしても天皇陛下の玉音放送をストップする。彼らは天皇陛下が君側の奸にだまされて、降伏の宣言を録音させられた、としか思っていない。

「現在のうちに陛下の玉音放送をおとめして、君側の奸らにだまされた陛下の名誉を回復し、一億総玉砕! 本土決戦への道を! まだ間に合います。本土決戦で後二千万人の特攻をやれば必ず勝てます。この皇国日本が負ける訳ありません!」

「畑中! もうおわったんだ……陸軍士官は全員切腹……それだけだ」

「まだ間に合います! 君側の奸らにだまされた陛下のご名誉を……」

「畑中! ……このままではクーデターでただの反乱だぞ? 貴様、わからんのか!?」

畑中少佐と古賀少佐らはクーデター計画を推し進める。自転車で東部司令官の下にいくが、叱られた。「貴様らー!何しにきたー!馬鹿野郎、お前らの無謀な行動はわかっている。調子に乗るな! 馬鹿たれ!」

畑中少佐と古賀少佐らは近衛軍師団長の下に向かった。

「……森師団長! お話があります! 近衛師団で玉音放送をとめて頂きたい!一億玉砕! 本土決戦しかありません!」

「まあ待て! それより俺の人生論を一時間ぐらい聞いてくれ」

「……師団長! 時間がありません!」

「………じゃあ、参拝するか?」

「は?」

「明治神宮にだよ」

「……時間稼ぎだ」

「近衛師団長の印鑑と偽勅で近衛師団を動かせ。何としても玉音盤を破壊するんだ!」

軍は本土になお370万の兵士を有し、本土決戦、徹底抗戦を叫ぶ声が圧倒的だった。

若手近衛兵たちは畑中少佐をリーダー格にして、クーデターを企んだ。

まず、畑中少佐ら叛乱将校らは上官の近衛師団長に「師団長! 玉音放送を阻止してください! 陛下は君側(くんそく)の奸(かん)(君主の側で君主を思うままに動かして操り、悪政を行わせるような奸臣(悪い家臣・部下)、の意味の表現。「君側」は主君の側、という意味。)に騙されたのです! この皇国日本軍が負けるわけありません! 必ず本土決戦でけりがつきます! どうか、師団長(森赳)、ご決断を!」

だが、近衛師団長は「馬鹿を言うな! 畑中。これは御聖断だ。ならん!」と首をふる。

「……なら死ね!」

畑中少佐は森赳師団長を拳銃で撃ち殺した。刀を鞘に納める叛乱(はんらん)将校ら。

「とにかく、玉音放送をとめるぞ! 戦争継続だ! 君側の奸を倒すぞ!」

「おおっ!」

叛乱将校らは怒号の元、狂気の行動を続ける。森近衛師団長の偽命令書で近衛兵を動かす。

畑中健二少佐は、総務省で玉音版を必死に探すがなく、自転車(自動車を動かす石油がないから)ですすみ、放送協会まで占拠し、和田さんらアナウンサーらを銃や銃剣で脅す。

「玉音版は何処だ? 玉音放送をやめよ! われら青年将校の主張をラジオで流せ」と銃で脅す。

だが、「ここでは放送をすることが出来ません」と和田さんが言うと畑中は「なにい?」と怒鳴ったという。

和田さんらは恐怖でぶるぶる震えていた。相手は狂人集団だ。

「今は空襲警報が出ていて東部軍からしか放送できません!」

「嘘を言うな! 軍人の命令は天皇陛下からのご命令だぞ!」

「いえ。事実です。どうしてもというならその直通電話で東部軍の軍人さんとお話し下さい!」アナウンサーたちは冷や汗を流しながら言う。

叛乱将校らは銃や刀で武装して、脅迫する。脅す。畑中少佐は電話を掛けるが…

「そんな…閣下! 君側の奸に陛下は……天皇陛下は…騙されているのです! 我が日本軍はいまだに内地に三百七十万もの兵がいるのです! 戦争継続を決断すれば必ずや勝てます!」

「馬鹿もん! 出来ない! 諦めろ畑中!」

だが、もうおわり、であった。

万事休した畑中少佐は椎崎(しいざき)中佐と二人、宮城周辺でビラを撒いて、決起を叫んだ後、午前十一時過ぎ、「我らは草莽の志士! 皇国帝国日本軍は不滅也! いざ立てよ! 天皇陛下の為に草莽の民よ、たちあがれ!」

宮城前二重橋と坂下門との間の芝生で自決した。

「て…天皇陛下、万歳!………日本国…ばん…万歳!」

 血だらけで畑中らは自決して命を絶った。

同じころ、陸軍でも陸軍大臣阿南惟幾に青年将校らが詰問しているところであった。

だが、阿南は一歩も引かない。

「御聖断は下ったのである! もはや、天皇陛下は御聖断を下されたのである! もう終戦は決まりだ! もし、陛下の御聖断に不服があるならこの阿南を斬ってからにせよ!

 この阿南の屍を越えていけ!」

阿南は怒号を発した。

すると、会場内のひとりの少佐が火をつけたように泣き出した。号泣とはこういうことか、というぐらいの凄い泣きっぷりに会場はどよめきと騒乱が襲った。

「阿南さん、死にますね」

迫水書記官が鈴木首相にささやくように言った。

「阿南さんはいとまごいに来たんだよ」

「鈴木首相、首相も死にまするか?」

「いや。」鈴木はおおきく息を吸い「こんなヨボヨボ老人の命など何の役にも立たん。阿南さんはひとりで自刃して軍部の全責任を負う覚悟だ。花道を汚す訳にはいかんよ。」

阿南惟幾は8月15日午前4時40分、宮城庭園で割腹(かっぷく)。介錯(かいしゃく)を断り、絶命したのは午前7時10分であったという。着ていたワイシャツは天皇陛下に拝領したものだった。「お上がお肌につけられた品だ。これを着て逝く」と言い残して………

血染めの遺書には『 一死 以テ大罪ヲ謝シ奉ル

            昭和二十年八月十四日夜

            陸軍大臣阿南惟幾[花押]

             神洲不滅ヲ確信シツツ』

(小林よしのり氏著作より引用)



話を少し戻す。

当時のアメリカ大統領はフランクリン・ローズベルトだった。

 この老獪な政治家は、一方で策士でもあった。

(副大統領はのちの大統領、ハリー・S・トルーマン)

 当時のアメリカは日本に対しては表向き中立を保っていたという。日本は、イタリアやドイツと反共同盟を結んでいた。

 そのナチス・ドイツがヨーロッパ中を火の海にし、イギリス、フランス、ソ連は出血多量で虫の息だった。

 ローズベルトは「なんとかアメリカ軍をヨーロッパ戦線に投入し、ナチス・ドイツをストップせねばならない」と信じていた。

しかし、第一次世界大戦の後遺症で、アメリカ国民は極端に厭戦ムードであったという。              

「この厭戦ムードをなんとかせねば…」

 ローズベルトはホワイトハウスで、書類に目を通しながらいった。

「…このままではナチスにしてやられる」

 部下は「一発はらせるのはどうでしょうか?」ときく。

「……一発?」

「そうです。OSS(当時の情報機関、CIAの前身)からの情報があります」

「情報? どんな?」         

「日本に関することです」

「この厭戦ムードを断ち切って、国民世論を参戦にもっていくにはよほど衝撃的なことがおこらなければならないのだぞ」

 ローズベルトは目を上げ、強くいった。

 ……強くインパクトのあるものが必要だ。

「ナチス・ドイツ第三帝国がヨーロッパを牛耳れば必ずアメリカ本土もターゲットになる。そうなればアメリカは勝っても相当の苦戦を強いられるぞ」

 ローズベルトは情勢にも明るかった。

 当時ドイツの科学者は世界一優秀といわれていた。だから、ローズベルトの心配もまんざら根拠のないものでもなかった。

 潜水艦ひとつとってもドイツのUボートに匹敵するようなものはなかった。

「ドイツの科学者は世界一優秀といわれている。十分な時間を与えてしまえばドイツはその頭脳を駆使してとんでもない兵器を作りあげてしまう可能性は高い」

 ローズベルトは危機感をもっていた。

「そうなるまえに手をうたねばならぬのだ」

「まったくです」

 ローズベルトはいった。「まず黄色いジャップ(日本人の蔑称)をなんとか刺激して、アメリカ国民を激怒させるような行動をおこさせるのがてっとり早い。

 ABCDラインで日本を資源市場からシャットアウトすれば、ジャップは必ずその挑発にのってくるだろう」

「……それなのですが…」

「まず相手に一発張らせて戦闘が当然だと米国人たちにわからせるのだ」

「それにはジャップは乗りました」

 部下はにやりとした。

「とうとう」ローズベルトは勝利の笑みを浮かべた。

「とうとうジャップは動いたか?」

「はい」

 部下は礼をして「ハワイ沿岸に日本の空母が接近中です。このままジャップはハワイの真珠湾を奇襲するというOSSからの情報です」

「そうか…」

 ローズベルトはにやりとした。

「いいか?! 箝口令を敷け! ハワイの太平洋艦隊指令部にはいっさい知らせるな! ジャップの攻撃を成功させるのだ」

「…しかし…」

「もし知らせれば、わが軍が応戦して、ジャップの卑劣な行為を国民に知らせられない」「大勢が犠牲になります!」

 部下は反発した。

 それにたいしてローズベルトは、

「国益を考えたまえ」といった。

「戦争をはじめるのにはインパクトだよ、インパクト!」

  かくして、日本の戦略のなさを露呈する奇襲(相手のトップは知っていた)が開始される。一九四一年十二月八日、日本の機動部隊はハワイのパールハーバー(真珠湾)を攻撃した。百対一以下のギャンブルに手をつっこんだ。

「よし!」

 真珠湾に日本の戦闘機・ゼロ戦が多数飛来して、次々と爆弾を落とす。

 米国太平洋艦隊は次々と撃沈、また民間人への射撃により負傷者が続出した。

 その中には、パイロットとしてハワイにいたマイケルの姿もあった。

「くそっ! ジャップめ!」

 マイケルは右脚を負傷して倒れ、道路に倒れ込んだ。

 スイス人医師、マルセル・ジュノーは、その頃、赤十字の派遣医師としてエチオピアに、さらにスペインへと転々としていた。

 内戦の中、野戦病院で必死に介護治療にあたっていた。

「なに?! ハワイに日本軍が奇襲?! 馬鹿なことを…」

 ジュノーは激しく感情を剥きだしにして怒った。

 いつも冷静な彼には似合わない顔だった。

 彼は長身で、堀の深い顔立ちである。ハンサムといえばそうだ。しかも痩せていて、腕も脚もすらりとしている。髪の毛もふさふさで、禿げではない。そんなハンサムな彼が苛立ったのだ。感情を出した。

「とにかく、大変なことだよ」

 マルセル・ジュノー博士は若さからか、感情を剥きだしにした。

 ……日本がアメリカ合衆国と戦って勝てる訳がない。

 ジュノーは医師ではあったが、立場上、国際情勢にも詳しかった。

「また無用な血が流れる」

 ジュノーは涙声でいった。「日本がアメリカ合衆国と戦って勝てる訳がない」

「きっと日本は悲惨なことになる…ナチス・ドイツよりも…」



「よし! でかした!」

 パールハーバー(真珠湾)攻撃を喜んだのは日本人ではなく、ローズベルトだった。これは説得力がある。当時のアメリカは日本との外向的話し合いを極力さけていた。

 せっぱつまった近衛内閣がトップ会談をほのめかしてもローズベルトは冷ややかだったという。

 ヒステリーが爆発した日本は軍部のさそいにのって真珠湾攻撃となってしまった。

 当時の日本人の考えは極めて単純だった。

 まず、諸戦でパールハーバーにある米国艦隊に壊滅的大打撃を与える。

 これによって軟弱なアメリカ人たちはパニックになる。

 日本では国民に総動員をかけられるが、自由の国アメリカではそれができず個人が言いたいほうだいのままバラバラになる。

 士気は日本のほうが優れている。

 アメリカ本土からの機動部隊を太平洋で迎撃するが、それも長くはつづかない。

 そのうち、アメリカ人たちは戦争に嫌気がさして、講和に持ち込んでくる。

 日本人が有利な形で講和を結べる………

 このごく幼稚な希望的観測で戦争をはじめてしまったのだから恐ろしい限りだ。

 まさに〝井の中の蛙、大海を知らず〝。

 もちろん山本五十六のように米国に滞在し、アメリカの力を知っていた軍人もいた。しかしその声は、前述したように狭い世界しか知らぬ蛙たちにかき消されてしまう。

 当時の商工大臣だった岸信介はこういったという。

「普通一プラス一は二だが、それを精神力によって三にも四にもできる」

 大和魂のことをいっているのだろうが、アメリカ人にだって魂がある。

「ジャップめ!」

「ナチスとふっついた黄色いのを撲滅しろ!」

 日本人の希望的観測はものの見事にくつがえされた。

 軟弱だったヤンキーたちは真珠湾奇襲に激怒し、次々と軍隊に入隊、女性たちも銃後の仕事についていった。軍事工場はフル稼働、兵士という雇用で失業もなくなった。

 アメリカは敵・日本だけでなく、ナチスとも戦うことを決意した。

 結局、日本はヒステリーを爆発させて真珠湾奇襲をし、アメリカ人の厭戦ムードを一掃させ、巨大な〝軍産複合体〝を始動させてしまった。「この日は屈辱の日である」ローズベルトは演説でいう。軍産複合体が動き出す。

 しかも、ローズベルトが大統領就任以来かかえていた失業をはじめとする問題も解決してくれた。

 ローズベルトは笑いがとまらなかった。

 何億ドルという広告費をだしてもできないことを日本が勝手にやってくれたからだ。

「よし! まず日本よりもドイツだ!」

 ローズベルトは初めから日本ではなくドイツを一番の敵と考えていた。その証拠に戦争時投入された八百万人の陸軍機動部隊の七十五パーセント以上はヨーロッパの対ドイツ戦にそそがれたという。

 真珠湾攻撃からさかのぼること三十五年前、アメリカは『ウォー・プラン・オレンジ』という戦略を練っていたという。オレンジとは日本、ちなみに米国はブルー…

 いつの日か日本との戦争が避けられないとして三十五年も前から戦略を練っていた米国、それに比べて日本は希望的観測で戦争に突入した。太平洋戦争ははじめる前から日本の負けだったのだ。

 真珠湾攻撃からさかのぼること三十五年前、といえばセオドア・ローズベルト(のちのフランクリン・ローズベルトのいとこ)が米国大統領だった頃だ。

 その当時、大統領は親日家で、ロシアとの交渉であたふたしていた日本に優位な姿勢をみせたという。ポーツマス講和では、日本は金も領土も得られないような情勢だった。が、アメリカの働きかけで、ロシアは樺太の南半分を日本に譲渡する……という交渉をまとめてノーヴェル平和賞にかがやいている。

 その頃から、対日戦略を考えていたというのだ。

 こんな状況下のもと、例のパールハーバー攻撃は起こった。

 こうして日本帝国は破滅へ向かって突き進んで、いく。


 

                        

         3 エリザベスとローズベルトの死







「大変です! 副大統領閣下!」

 合衆国ニューハンプシャー州に遊説のために訪れていたトルーマン副大統領に、訃報がまいこんだ。それはあまり歓迎できるものではなかった。

「なに?!」

 トルーマンは驚きのあまり、口をあんぐりと開けてしまった。

 ……フランクリン・ローズベルト大統領が病いに倒れたというのだ。

 ホワイトハウスで病の床にあるという。

「なんということだ!」

 ハリー・S・トルーマンは愕然とし、しきりに何かいおうとした。

 しかし、緊張のあまり手足がこわばり、思う通りにならない。

「とにかく閣下……ホワイトハウスへ戻ってください!」

「……うむ」

 トルーマンは唸った。


  トルーマンの出身地はミズーリー州インデペンデント。人口は一万人に過ぎない。1945年わずか三ケ月前に副大統領になったばかりである。

 ホワイトハウスでは、ローズベルトが虫の息だった。

「大統領閣下! トルーマンです!」

 声をかけると、ベッドに横たわるローズベルトははあはあ息を吐きながら、

「ハリー…か…」と囁くようにいった。

「閣下!」

 トルーマンは涙声である。

「…ハリー……戦争はわれわれが…必ず…勝つ。センターボード(原爆の暗号)もある」

「センターボード?」

 ローズベルトはにやりとしてから息を引き取った。

 1945年4月のことである。

 すぐに国葬がおこなわれた。

 トルーマンは『原爆』について何も知らされてなかった。

「天地がひっくりかえったようだ」

 トルーマンは妻ベスにいった。「わたしがアメリカ合衆国大統領となるとは…」

「…あなた……ついにあなたの出番なのですね?」

「そうとも」                        

 トルーマンは頷いた。「しかし、センターボードとは知らなかった」

「センターボード?」

「いや」トルーマンは首をふった。「これは政府の機密だ」

 ……センターボードこと原爆。その破壊力は通常兵器の何百倍もの破壊力だという。

「ドイツに使うのか? 原爆を」

 トルーマンは執務室で部下にきいた。

「いいえ」部下は首を横にふった。「ドイツはゲルマン民族で敵とはいえ白人……原爆は黄色いジャップに使います」

「どれくらい完成しているのだ? その原爆は…」

「もう少しで完成だそうです。原爆の開発費用は二十万ドルかかりました」

「二十万ドル?!」

「そうです。しかし……戦争に勝つためです。日本上陸作戦もあります。まず、フィリピンを占領し、次に沖縄、本土です。1945年秋頃になると思います」

 トルーマンは愕然とした。

 自分の知らないところで勝手に決められていく。

 部下は続けた。

「七〇万人もの中国にいる日本軍を釘付けにする必要があります。原爆は米軍兵士の命を救う切り札です」

 トルーマンは押し黙った。

 この後、トルーマンとスターリン・ソ連首相とで〝ヤルタの密約〝が交わされる。ドイツ降伏後、ソ連が日本に攻め込む……という密約である。

 …………これでいいのだろうか?

 トルーマン大統領は困惑しながらあやつられていく。


         4 中国へ






  スイス人医師、マルセル・ジュノー博士は海路中国に入った。

 国際赤十字委員会(ICRC)の要請によるものだった。

 当時の中国は日本の侵略地であり、七〇万人もの日本軍人が大陸にいたという。中国国民党と共産党が合体して対日本軍戦争を繰り広げていた。

 当時の日本の状況を見れば、原爆など落とさなくても日本は敗れていたことがわかる。日本の都市部はBー29爆撃機による空襲で焼け野原となり、国民も戦争に嫌気がさしていた。しかも、エネルギー不足、鉄不足で、食料難でもあり、みんな空腹だった。

 米国軍の圧倒的物量におされて、軍艦も飛行機も撃沈され、やぶれかぶれで「神風特攻隊」などと称して、日本軍部は若者たちに米国艦隊へ自爆突撃させる有様であった。

 大陸の七〇万人もの日本軍人も補給さえ受けられず、そのため食料などを現地で強奪し、虐殺、強姦、暴力、侵略……

 ひどい状態だった。

 武器、弾薬も底をついてきた。

 もちろん一部の狂信的軍人は〝竹やり〝ででも戦ったろうが、それは象に戦いを挑む蟻に等しい。日本はもう負けていたのだ。

 なのになぜ、米国が原爆を日本に二発も落としたのか?

 それはけして、

 ……米国軍人の命を戦争から守るために。

 ……戦争を早くおわらせるために。      

 といった米国人の詭弁ではない。

 つまるところ原爆の「人体実験」がしたかったのだ。

 ならなぜドイツには原爆をおとさなかったのか?

 それはドイツ人が白人だからである。

 なんだかんだといっても有色人種など、どうなろうともかまわない。アメリカさえよければそれでいいのだ。それがワシントンのポリシー・メーカーが本音の部分で考えていることなのだ。

 だが、日本も日本だ。

 敗戦濃厚なのに「白旗」も上げず、本土決戦、一億日本民族総玉砕、などと泥沼にひきずりこもうとする。当時の天皇も天皇だ。

 もう負けは見えていたのだから、                       

 ……朕は日本国の敗戦を認め、白旗をあげ、連合国に降伏する。

 とでもいえば、せめて原爆の洗礼は避けられた。

 しかし、現人神に奉りあげられていた当時の天皇(昭和天皇)は人間的なことをいうことは禁じられていた。結局のところ天皇など「帽子飾り」に過ぎないのだが、また天皇はあらゆる時代に利用されるだけ利用された。

 信長は天皇を安土城に連れてきて、天下を意のままに操ろうとした。戊辰戦争、つまり明治維新のときは薩摩長州藩が天皇を担ぎ、錦の御旗をかかげて官軍として幕府をやぶった。そして、太平洋戦争でも軍部は天皇をトップとして担ぎ(何の決定権もなかったが)、大東亜戦争などと称して中国や朝鮮、東南アジアを侵略し、暴挙を繰り広げた。

 日本人にとっては驚きのことであろうが、かの昭和天皇(裕仁)は外国ではムッソリーニ(イタリア独裁者)、ヒトラー(ナチス・ドイツ独裁者)と並ぶ悪人なのだ。

 只、天皇も不幸で、軍部によるパペット(操り人形)にしか過ぎなかった。

 それなのに「極悪人」とされるのは、本人にとっては遺憾であろう。

 その頃、日本人は馬鹿げた「大本営放送」をきいて、提灯行列をくりひろげていただけだ。

 また、日本人の子供は学童疎開で、田舎に暮らしていたが、そこにも軍部のマインド・コントロールが続けられていた。食料難で食べるものもほとんどなかったため、当時の子供たちはみなガリガリに痩せていたという。

 そこに軍部のマインド・コントロールである。

 小学校(当時、国民学校といった)でも、退役軍人らが教弁をとり、長々と朝礼で訓辞したが、内容は、                   

 ……わが大和民族は世界一の尚武の民であり、わが軍人は忠勇無双である。

 ……よって、帝国陸海軍は無敵不敗であり、わが一個師団はよく米英の三個師団に対抗し得る。

 といった調子のものであったという。

 日本軍の一個師団はよく米英の三個師団に対抗できるという話は何を根拠にしているのかわからないが、当時の日本人は勝利を信じていた。

 第一次大戦も、日清戦争も日露戦争も勝った。      

 日本は負け知らずの国、日本人は尚武の民である。

 そういう幼稚な精神で戦争をしていた。

 しかし、現実は違った。

 日本人は尚武の民ではなかった。アメリカの物量に完敗し、米英より戦力が優っていた戦局でも、日本軍は何度もやぶれた。

 そして、ヒステリーが重なって、虐殺、強姦行為である。

 あげくの果てに、六十年後には「侵略なんてなかった」「慰安婦なんていなかった」「731部隊なんてなかった」

 などと妄言を吐く。

 信じられない幼稚なメンタリティーだ。

 このような幼稚な精神性を抱いているから、日本人はいつまでたっても世界に通用しないのだ。それが今の日本の現実なのである。


  一九四五年六月………

 マルセル・ジュノーは野戦病院で大勢の怪我人の治療にあたっていた。

 怪我人は中国人が多かったが、中には日本人もいた。

 あたりは戦争で銃弾が飛び交っており、危険な場所だった。

 やぶれかぶれの日本軍人は、野蛮な行為を繰り返す。

 ある日、日本軍が民間の中国人を銃殺しようとした。

「やめるんだ!」

 ジュノーは、彼らの銃口の前に立ち塞がり、止めたという。

 日本軍人たちは呆気にとられ、「なんだこの外人は?」といった。

 ……とにかく、罪のないひとが何の意味もなく殺されるのだけは願い下げだ!

 マルセル・ジュノー博士の戦いは続いた。



 戦がひとやすみしたところで、激しい雨が降ってきた。

 日本軍の不幸はつづく。

 暴風雨で、艦隊が坐礁し、米英軍に奪われたのだ。

「どういうことだ?!」

 山本五十六は焦りを感じながら叱った。

 回天丸艦長・森本は、

「……もうし訳ござりません!」と頭をさげた。

「おぬしのしたことは大罪だ!」

 山本は激しい怒りを感じていた。大和を失っただけでなく、回天丸、武蔵まで失うとは………なんたることだ!

「どういうことなんだ?! 森本!」とせめた。

 森本は下を向き、

「坐礁してもう駄目だと思って……全員避難を……」と呟くようにいった。

「馬鹿野郎!」五十六の部下は森本を殴った。

「坐礁したって、波がたってくれば浮かんだかも知れないじゃないか! 現に米軍が艦隊を奪取しているではないか! 馬鹿たれ!」

 森本は起き上がり、ヤケになった。

「……負けたんですよ」

「何っ?!」

 森本は狂ったように「負けです。……神風です! 神風! 神風! 神風!」と踊った。 岸信介も山本五十六も呆気にとられた。

 五十六は茫然ともなり、眉間に皺をよせて考えこんだ。

 いろいろ考えたが、あまり明るい未来は見えてはこなかった。

  大本営で、夜を迎えた。

 米軍の攻撃は中断している。

 日本軍人たちは辞世の句を書いていた。

 ……もう負けたのだ。日本軍部のあいだには敗北の雰囲気が満ちていた。

「鈴木くん出来たかね?」

「できました」

「どれ?」


  中国の野戦病院の分院を日本軍が襲撃した。

「やめて~っ!」

 看護婦や医者がとめたが、日本軍たちは怪我人らを虐殺した。この〝分院での虐殺〝は日本軍の汚点となる。

 ジュノーの野戦病院にも日本軍は襲撃してきた。

 マルセル・ジュノーは汚れた白衣のまま、日本軍に嘆願した。

「武士の情けです! みんな病人です! 助けてください!」

 日本の山下は「まさか……おんしはあの有名なジュノー先生でごわすか?」と問うた。「そうだ! 医者に敵も味方もない。ここには日本人の病人もいる」

 関東軍隊長・山下喜次郎は、

「……その通りです」と感心した。

 そして、紙と筆をもて!、と部下に命じた。

 ………日本人病院

 紙に黒々と書く。

「これを玄関に張れば……日本軍も襲撃してこん」

 山下喜次郎は笑顔をみせた。

「………かたじけない」

 マルセル・ジュノーは頭をさげた。


  昭和二十年(一九四五)六月十九日、関東軍陣に着弾……

 山下喜次郎らが爆撃の被害を受けた。

 ジュノーは白衣のまま、駆けつけてきた。

「………俺はもうだめだ」

 山下は血だらけ床に横たわっている。

「それは医者が決めるんだ!」

「……医療の夢捨…てんな…よ」

 山下は死んだ。

  野戦病院で、マルセル・ジュノー博士と日本軍の黒田は会談していた。

「もはや勝負はつき申した。蒋介石総統は共順とばいうとるがでごわそ?」

「……そうです」

「ならば」

 黒田は続けた。「是非、蒋介石総統におとりつぎを…」

「わかりました」

「あれだけの人物を殺したらいかんど!」

 ジュノーは頷いた。

 六月十五日、北京で蒋介石総統と日本軍の黒田は会談をもった。

「共順など……いまさら」

 蒋介石は愚痴った。

「涙をのんで共順を」黒田はせまる。「……大陸を枕に討ち死にしたいと俺はおもっている。総統、脅威は日本軍ではなく共産党の毛沢東でしょう?」

 蒋介石はにえきらない。危機感をもった黒田は土下座して嘆願した。

「どうぞ! 涙をのんで共順を!」

 蒋介石は動揺した。

 それから蒋介石は黒田に「少年兵たちを逃がしてほしい」と頼んだ。

「わかりもうした」

 黒田は起き上がり、頭を下げた。

 そして彼は、分厚い本を渡した。

「……これはなんです?」

「海陸全書の写しです。俺のところに置いていたら灰になる」

 黒田は笑顔を無理につくった。

 蒋介石は黒田参謀から手渡された本を読み、

「みごとじゃ! 殺すには惜しい!」と感嘆の声をあげた。

  少年兵や怪我人を逃がし見送る黒田……

 黒田はそれまで攻撃を中止してくれた総統に頭を下げ、礼した。

 そして、戦争がまた開始される。

 旅順も陥落。

 残るはハルビンと上海だけになった。

  上海に籠城する日本軍たちに中国軍からさしいれがあった。

 明日の早朝まで攻撃を中止するという。

 もう夜だった。

「さしいれ?」星はきいた。

 まぐろ               

「鮪と酒だそうです」人足はいった。

 荷車で上海の拠点内に運ばれる。

「……酒に毒でもはいってるんじゃねぇか?」星はいう。

「なら俺が毒味してやろう」

 沢は酒樽の蓋を割って、ひしゃくで酒を呑んだ。

 一同は見守る。

 沢は「これは毒じゃ。誰も呑むな。毒じゃ毒!」と笑顔でまた酒を呑んだ。

 一同から笑いがこぼれた。

 大陸関東日本陸軍たちの最後の宴がはじまった。

 黒田参謀は少年兵を脱出させるとき、こういった。

「皆はまだ若い。本当の戦いはこれからはじまるのだ。大陸の戦いが何であったのか……それを後世に伝えてくれ」

 少年兵たちは涙で目を真っ赤にして崩れ落ちたという。


  日本軍たちは中国で、朝鮮で、東南アジアで暴挙を繰り返した。

 蘇州陥落のときも、日本軍兵士たちは妊婦と若い娘を輪姦した。そのときその女性たちは死ななかったという。それがまた不幸をよぶ。その女性たちはトラウマをせおって精神疾患におちいった。このようなケースは数えきれないという。

 しかし、全部が公表されている訳ではない。なぜかというと言いたくないからだという。中国人の道徳からいって、輪姦されるというのは恥ずかしいことである。だから、輪姦さ               

れて辱しめを受けても絶対に言わない。

 かりに声をあげても、日本政府は賠償もしない。現在でも「慰安婦などいなかったのだ」などという馬鹿が、マンガで無知な日本の若者を洗脳している。

  ジュノー博士は衝撃的な場面にもでくわした。

 光景は悲惨のひとことに尽きた。

 死体だらけだったからだ。

 しかも、それらは中国軍人ではなく民間人であった。

 血だらけで脳みそがでてたり、腸がはみ出したりというのが大部分だった。

「……なんとひどいことを…」

 ジュノーは衝撃で、全身の血管の中を感情が、怒りの感情が走りぬけた。敵であれば民間人でも殺すのか……? 日本軍もナチスもとんでもない連中だ!

 日本軍人は中国人らを射殺していく。

 虐殺、殺戮、強姦、暴力…………

 日本軍人は狂ったように殺戮をやめない。

 そして、それらの行為を反省もしない。

 只、老人となった彼等は、自分たちの暴行も認めず秘密にしている。そして、ある馬鹿のマンガ家が、

 …日本軍人は侵略も虐殺も強姦もしなかった……

 などと勘だけで主張すると「生きててよかった」などと言い張る。

 確かに、悪いことをしたとしても「おじいさんらは間違ってなかった」といわれればそれは喜ぶだろう。たとえそれが『マンガ』だったとしても……

 だが、そんなメンタリティーでは駄目なのだ。

 鎖国してもいいならそれでもいいだろうが、日本のような貿易立国は常に世界とフルコミットメントしなければならない。

 日中国交樹立の際、確かに中国の周恩来首相(当時)は「過去のことは水に流しましょう」といった。しかし、それは国家間でのことであり、個人のことではない。

 間違った閉鎖的な思考では、世界とフルコミットメントできない。

 それを現在の日本人は知るべきなのだ。


  民間の中国人たちの死体が山のように積まれ、ガソリンがかけられ燃やされた。紅蓮の炎と異臭が辺りをつつむ。ジュノー博士はそれを見て涙を流した。

 日本兵のひとりがハンカチで鼻を覆いながら、拳銃を死体に何発か発砲した。

「支那人め! 死ぬ!」

 ジュノーは日本語があまりわからず、何をいっているのかわからなかった。

 しかし、相手は老若男女の惨殺死体である。

「……なんということを…」

 ジュノーは号泣し、崩れるのだった。                       

 

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