第二話 玉音放送をつくった男たち 

長尾景虎

第2話 玉音放送をつくった男たち

ここから数行は漫画家・安彦良和著作『虹色のトロツキー』(中公文庫)から引用する。

昭和十三年六月満州(まんしゅう)――新京(しんきょう)(長春(ちょうしん))、日本の建国大学に旧・満州国旗がはためく。五族同和のシンボルである。

時代が時代なだけに西部劇などで出てくるようなベンツのクラシックカーが蒼天の元、大学正門にやってくる。参謀旗章の黒いやつだ。

大学内で野良仕事をしていた学生たちは「すげい、ベンツだぞ!」「誰なんだ?」「げ!鬼辻!」等とひそひそ噂している。

辻(つじ)政信(まさのぶ)――関東軍参謀(建国大学創設主任)後ノモンハン事件、シンガポール戦、ダガルカナル戦等の作戦指揮。強引・専断・無情――鬼参謀として知られる。背が低く、痩せていて、丸ぶち眼鏡に大きなネズミのような鼻の軍服の小男。

戦後、衆議院議員、ラオスにて行方不明――鬼辻はあるモンゴル人と日本人のハーフの〝将校チョッキを着た〝ウムボルト(安彦良和先生の『虹色のトロツキー』ではウムボルト)、ここではジョルダビドが降り立った。

「なんだあいつ?」「学生じゃねえの?」「軍の車で?偉そうに?」

「ジョルダビド、こい」

辻政信は建国大学の学長に、そのモンゴル系の男子参謀候補生を「例外的に六か月間だけ入学させろ!」と、大声でまくしたてる。

辻のくせは主張が強く、怒鳴り声のように要求することである。小心者だが、残虐性がある。

この人物の存在がのちに『ノモンハン事件』を一層悪質なものにして、その陰湿で無残な敗北であるが故に、天才・歴史作家・司馬遼太郎(故人)をして「ノモンハン書いたら僕死んじゃうよ」といわしめた。

司馬先生は何千冊もの関連本をあたり、取材も行っていた。それでも書けなかった。

いや、書く(価値)にあたらなかった、のである。

〝建国大学〝五族協和の実現(石原莞爾が唱えた理想・五族とは漢・満・蒙・朝・日の五民族を指す)。辻政信は石原莞爾の心酔者。登張信一郎名誉教授、中山優教授、辻権作教授。〝建国大学〝――それは満州国国務院直属という位置づけで、昭和十三年に開学を見たばかりの大学だった。

総長は満州国総理・張景(ちょうけい)恵(けい)の兼務。そして創設委員長は当時の関東軍参謀長・東條(とうじょう)英機(ひでき)……。

見事なまでの国策大学の図式だが、実態は少し違った。

総長職はお飾りであり、東条英機は創設に使なりと担がれた〝オミコシ〝にすぎなかった。

元々、建大の理想は東條英機のライバル・石原莞爾の持論『五族協和の実現』に立脚する。

石原莞爾は建国大学の演説で「ソ連との戦争は必ずあるが、すぐにではない。多分、日ソ不可侵条約を結ぶだろうが必ず日ソは戦争状態に突入する」と予言する。

現実に、日本が敗戦を発表した1945年8月15日の玉音放送後、ソ連軍は南下して進撃して樺太や満州国(日本国の傀儡国家・中国東北部)やクリル諸島を占領し、日本人を〝シベリア抑留〝した。

天才の参謀・石原莞爾にはそこまで〝見えて〝いた、と描いた。

この前、山本一太沖縄・北方担当大臣(当時)が「ビザなし交流」で北方領土に電撃訪問して不評を買ったがハッキリ馬鹿行為であった。

今のプーチン政権は千載一遇の好機なのである。早めに日露安保条約を締結して、「50年間シベリア独占開発権」を握り100兆円出す代わりに石油・天然ガス等を日本にただ同然で50年間提供してもらう。

大体にしてロシアにとって北方領土等、9時間もの本土の時差の範囲、でしかないのだ。

馬鹿の一つ覚えみたいにヒステリックに「北方領土を返せ!」と日本人が70年間も叫ぶもんだから反発しているに過ぎない。(この部分の記事はウクライナ戦争前の記事である。現在のプーチン政権のロシアとは話すだけ無駄である)

プーチン政権は現在あまり国内人気がない。チャンスだ。国内の人気が高いうちは国民に対して、かつてのメドベージェフ大統領(当時)みたいに「ロシア人の意地」を誇示する必要があるが、今なら変な国民へのPRもいらない。

対中韓国戦略としてもロシア・モンゴル・中央アジアは抑えたい。

「紙に書くだけならば誰にだって出来る」、と、私の才覚を恐れる「エリート官僚(笑)」の口車にのっている。愚かだ。誰にでも出来るなら誰も苦労しない。

この創造力・戦略力こそ今の日本人に必要なのだ。私は「キャリア試験廃止」「公務員給与削減・ボーナス削減」をする人間だから、官僚が恐れる。連中にとっては、只の「鬱病のガキ」かも知れない。だからこそ、政府には必要な「軍師」なのだがなあ(笑)。

20世紀の古いマクロ経済理論に基づいたアベノミクスでは日本の反転攻勢のきっかけにならないことは、すでに指摘してきた。

日本の突破口として私が大いに期待しているのはロシアだ。逆に、にっちもさっちもいかないのが中国、韓国。両国のメディアや教育システムが、あれだけ反日一色に染まると、関係改善のきっかけが見つからない。朴槿恵大統領(当時)は反日を政権のエネルギーに換えている側面があるから、大統領任期の5年間は放っておいたほうがいい(現在は不正疑惑で辞任したが文在寅大統領がまた朴おばさんと同じ事を言い出している)。

中国にしても経済成長が鈍化して国内の不満が今後高まっていく中で、不満のはけ口にしてきた日本との関係が良化するとは思えない。

習近平体制が持つかどうかの問題もあるし、バブル崩壊となれば余波は日本にも及ぶ。中国、韓国にしても日本から買わざるをえない機械や部品はたくさんあるから経済的な付き合いは粛々とやっているわけで、目下、中韓との関係改善に外交的なエネルギーを注いでも、アップサイドの要因はない。

企業経営の常道を適用すれば、こうした近隣諸国とは一線を画して、大きく動く可能性が出てきたロシアに集中的なエネルギーを注ぐことで、日本経済に刺激を与えることを考えるべきだ。新型コロナ問題もある。

日本にとって心強いのは2012年5月にプーチン大統領が戻ってきたことだ。

プーチン大統領といえば柔道の有段者で週に1度は鮨屋に行くほどの鮨好きで、日本と日本文化に対して深い敬意と愛情を持っている。

前任者のメドベージェフ大統領といえば、日本を挑発するために悪天候の中、わざわざ国後島に降り立った。

彼は北方領土問題についても全く自分の意見を持っていない、情報不足のロシア人の典型的な振る舞いをした。こんなトップとの話し合いは時間の無駄だが、日本贔屓のプーチン大統領なら話は別だ。

安倍晋三首相が日本の総理大臣として10年ぶりにロシアを公式訪問したのは、政府もプーチン大統領を停滞している日ロ関係を動かせる相手と見込んでいるからだ。

プーチン大統領の人気が、ロシアで落ち込みを見せていることも、日本にとって都合がいい。

人気がある間は、国内に気兼ねして北方領土の返還交渉に応じられないが、今のプーチン大統領なら「I don't care」(気にしない)だ。

プーチン大統領が、日本との関係を正常化することがロシアのためになる、と思えば状況は一気に進展する。

そもそも極東の小島など、全土で時差が10時間もあるロシアにとっては〝誤差〝の範囲でしかない。

しかし日本側が史実を曲げて「北方領土は日本固有の領土」などと盛んに喧伝するものだから、ロシアは態度を硬化してきたのである。

北方領土の歴史認識に関しては、日本側に問題がある。

日本の教育では、日本がポツダム宣言を受諾した後に旧ソ連軍が北方領土を不法占拠したように教えているが、史実は異なる。

ヤルタ会談やカイロ会談などの戦勝権益に関する話し合いで、当時のスターリンは対日参戦の見返りとして北海道の北半分を要求した。

しかしアメリカのローズベルト大統領はこれを認めずに、「南樺太を返還して千島列島の内南クリル(北方四島)をロシアが取る」代案を示した。

最終的に決着したのはトルーマン大統領の時代で、旧ソ連は〝正式な戦利品〝として北方四島を含む千島列島を得たのだ。

明治以前の帰属は双方に言い分があって不明だが、明確な事実は日露戦争以降、日本が南樺太(南サハリン)と千島列島(クリル列島)を領有していたこと。そして第2次大戦の結果、戦勝国の旧ソ連は南樺太と千島列島を奪い取ったのではなく、〝戦利品〝として与えられたということだ。

おかげで敗戦国の日本はドイツのような「国土の分断」を免れた。こうした視点が日本の歴史認識に欠けている。

こういった話は、尖閣問題における中国の姿勢と通じるところがある。〝日ソ不可侵条約に反して宣戦布告なく北方四島を占領した〝と日本では信じられているが、樺太と異なり、旧ソ連軍の侵攻・占領は終戦後である。

北方領土の四島一括返還論にしても、「北方四島は日本固有の領土であり、四島が揃って返ってこなければ日ロ平和条約は結ばない」と外務省が言い出したのも、1956年のダレス米国務長官と重光葵外務大臣のロンドンでの会談がきっかけだ。

当時、領土交渉が進展して日ソ関係がよくなることを警戒したダレスは、沖縄返還の条件として、旧ソ連に対して「(呑むはずのない)四島一括返還」を求めるように重光に迫った。

つまり、四島一括返還論は旧ソ連に対する〝アメリカの嫌がらせ〝から始まっているのだ。

戦争終了後、10年間もの間、日本はそのような要求はしていなかった。

外務省は長い間「北方四島返る日、平和の日」と書いた垂れ幕を、屋上から掲げていたが、アメリカの忠犬ポチとしての同省の性格がよく出ている。

安倍首相との首脳会談でプーチン大統領は、他国との領土問題を解決した方式として係争領土を等分する「面積等分」を紹介したという。

北方領土問題に関しても「面積等分論」を持ち出す可能性は高く、日本政府と外務省は過去のペテンを国民にきちんと説明し、これを受け入れるべきだ。

そして直ちに「日ロ平和条約」を締結すべきだ。四島の面積等分なら、歯舞、色丹、国後の3島と択捉島の一部が還ってくる。

択捉に関しては面積等分で島の3分の1程度で軍事境界線のような線引きをして中途半端に返してもらうのなら、「島全体を日ロの共同管理」にする手もある。

日ロが接近しすぎるとアメリカが妬くし、択捉上空は重要な航空路でもあるため、共同管理にアメリカを加えてもいい。

実は、北方領土問題でロシアの最大の関心は領土ではない。そこで生活しているロシア人の処遇についてだ。旧ソ連が崩壊したとき、ウクライナやカザフスタン、ベラルーシ、バルト3国などに暮らすロシア人はロシアに引き揚げる場所も資金もなかったので、それぞれの国に残って国籍をもらった。

旧ソ連が横暴を極めていた時代の裏返しで、在留ロシア人が各国でいじめられたり、虐げられている話がロシアで伝えられている。

親戚や友人などもひどく気をもんでいて、内政上は、大切な問題なのである。北方領土に暮らすロシア人が同じ憂き目に遭うことをプーチン大統領は憂慮しているはずで、解決策を提示しなければいけない。

キーワードは「寛容」で、少なくとも3つのオプションが考えられる。第1は日本国籍を与える。第2は、グリーンカードのような形で居住権を与えて、ロシア国籍は残す。3つ目は一時支度金のようなものを支払って、本人が希望するところに移住してもらう。

このような人道的な選択肢を与えて優遇する国はいまだかつてないから、ロシア人も感激するし、日ロ友好に前向きになってもらえるだろう。

領土問題を解決し、平和条約を締結すれば互いの行き来も投資も非常に楽になる。

すでにエネルギー分野のビジネスは動き出していて、サハリンで発電した400万キロワットの電力を直流高圧送電で日本に送るプロジェクトがサハリン地方政府から出ている。

400万キロワットといえば「原発4基分」である。

海底ケーブルを使えば、これを東北電力や東京電力の管内まで持ってこられる。サハリン側は25年の実動を目標にしているが、急げば5年以内に可能だろう。

これに刺激を受けたのがウラジオストクで、バイカル湖から東のオイルやガスがパイプラインでウラジオストクに集まってくるプロジェクトが進行中だ。

これをLNG(液化天然ガス)で輸出したり、海底パイプラインを敷設して直接日本に持ってきたり、現地で発電した電力を(東電の送電網が完備している)直流高圧送電で、新潟の柏崎・刈羽などに送る案が有力である。

日本海側に受け入れ基地を造れば、福井や新潟など、退潮する原発を代替する産業拠点となり、環日本海経済圏の重要基地として期待できる。

そうすれば、新潟、富山、石川、福井などで、LNGやガスパイプラインの陸揚げ基地争奪戦となるだろう。

「日ロ経済連携」の第1ラウンドはエネルギーであり、ガスパイプラインや直流高圧送電で日本とロシアがシームレスにつながる。この意味は非常に大きい。

カタールなどからバカ高いLNGを買っている日本としては、価格交渉力がアップするだけでなく、アメリカのシェールガスに涎を垂らす必要もなくなるからだ。

第2ラウンドは、日本企業の輸出基地を極東ロシアに展開することだ。極東ロシアに工業団地を建設し、現地で組み立てて、シベリア鉄道でサンクトペテルブルクなどの西部の主要都市、さらにヨーロッパに製品を送るのだ。

極東ロシアの生産拠点とシベリア鉄道による陸送ルートを確立すれば、対ロ輸出の枠組みが広がる。また、先々、ロシアがEUに加入すれば日本はEUの隣国となり、産業政策上、非常に重要な基地ができる。

産業と仕事が少ない極東ロシアでの雇用創出は、願ったり叶ったりだ。さらに、日本海を挟んで、子供や学生などの人的交流も活発に進めて、両国にある警戒感や猜疑心を解きほぐしていく。

第3ラウンドは原子力。日本は核廃棄物の最終処分場を持っていないし、中間貯蔵施設すら圧倒的に不足している。

そうした施設の受け入れにロシアの広大な国土の一部を使わせてもらう。ロシアが不得意なことを日本が補完し、日本にできないことをロシアに助けてもらうのだ。

北方四島にこだわるあまり、関係の深化が手つかずだった日ロ関係には、互いの閉塞状況を打ち破って突破口となりうる経済的に魅力ある項目がいくらでもある。

安倍政権は気合を入れて今年中に平和条約を締結し、目玉の乏しい第3の矢(成長戦略)に本稿で述べたような前向きなロシアプログラムを加えるべきではなかろうか。

安倍首相が訪露し、モスクワのクレムリンでプーチン大統領と首脳会談をしました。まあ、日本人も「馬鹿の一つ覚え」みたいに「北方領土を返せ!返せ!」ではなく、ロシアとの間でシベリア共同開発や日露間の経済交流を密にしてから「ところで北方領土ですが…」という外交センスが欲しい。「日露安全保障条約」「まずは二島返還」で「ひきわけ」「はじめ」ということだよ。

ロシアのイシャエフ極東発展相(当時)は2013年2月27日、北方領土問題について日露がまず四島の共同開発を通じて協力関係を築き、そのうえで解決を将来の世代に委ねるべきだとの見解を表明しました。

またプーチン大統領と森喜朗元首相の会談について「首脳会談に繋がる建設的な会談だった」と評価し、首脳会談での成果に期待するという。だが、大前先生はイシャエフ氏(当時)には申し訳ないが日露の共同開発を日本側が受け入れることはないだろうといいます。

「共同開発」となれば「帰属問題」を明確にする必要もあり、パスポートの問題など細かい点の調整も必要となる。四島一括返還を主張しているだけでは堂々巡りになるだけなので意味がない。

だから森氏とプーチン氏との間で「今年中にいくつかの策をだして、それをベースにまた話し合いましょう」と上手な言い回しをしている。日本の北方領土の歴史認識はある意味尖閣に対する中国に似ている。

中国が最近トーンダウンしているのも「歴史的には台湾の問題だ」と中国人が気付いたからです。そもそも日本が「北方四島一括返還」を主張したのは1956年の米ダレス国務長官と重光外務大臣との会談がきっかけです。

米国は北方領土問題が解決して当時のソ連と日本が近づくのを嫌がり、「沖縄返還」の条件として、ソ連に「四島一括返還請求」することを求めたのです。

要するに米国の嫌がらせです。森氏は正しく理解していますが、政治家やジャーナリストの中にもこの事実を知らないひとが沢山います。。

日本とロシアの両政府は先ごろ、極東地域でのエネルギーや農業、インフラ開発で関係を強化することで合意した。

日本はロシアからパイプラインで天然ガスを引くだけでなく、ロシアで発電した電力を直接購入すべきだ。日本は、ロシアとの経済関係強化は北方領土問題が解決してからだ、という態度をとってきた。

日ロ間には平和条約もないのだが、外務省は「北方領土 かえる日 平和の日」と呪文を唱えて今日まで引き延ばしてきた。

ビジネスマンにとっては信じられないくらい面倒くさいビザの取得をお互いに意地悪しているとしか思えないほど難しくしている。

しかし過去70年間、北方四島を実効支配してきたのはロシアで、このまま行けば次の70年間も膠着状態のままだろう。つまり日本側が交渉のテーブルについてコマを一つ進めなければ、前には進まないのだ。

さいわい、3.11の後にはエネルギー問題が国家の緊急課題として浮かび上がってきたし、ロシア側でも極東シベリア開発が重要な政治課題に浮き上がってきた。

お互いにじっくりと話し合う好機が到来したと言える。日ロ両政府は、貿易経済に関する日ロ政府間委員会を外務省で開いた。

両政府は、ロシアが重視する極東地域のエネルギーや農業、インフラ開発で協力する方針で合意した。日本は経済関係を強化することにより、北方領土問題の交渉を進めたい考えで、ロシアは資源分野に偏った経済構造の転換や、極東で高まる中国依存からの脱却を進める考えだ。

現在、ロシアの極東地域では、中国が存在感を強めている。特に天然ガスなどの資源を多く買っている。またヒトについても、中国の黒竜江省などからロシアの極東地域へ、大量の労働者が出稼ぎに行っている。

ロシアはこの中国依存に危機感を強めており、このバランスを変えようとしている。そこでロシア政府は、日ロ関係を重視し、極東地域へ日本を呼び込もうとしているわけだ。  

今回の日ロ政府間委員会では、ロシア側から外務、運輸などの各省次官級やカムチャツカ州の地方知事など80人が来日した。

相当、気合いを入れていることがわかる。まず、極東・シベリア地域において、エネルギー、農業、インフラ、運輸分野の共同プロジェクト実現に協力していくことで日ロ両政府の見解が一致している。

個別の分野については、医療においてロシアは日本企業の進出を歓迎する意向だ。ハイテク医療機器、医薬品普及支援も強化される。

また、都市環境においても、交通渋滞解消などインフラ整備を協議する作業部会が設置されることとなった。

日本にとって喫緊の課題であるエネルギー問題でも進展があった。石油・天然ガスの対日供給は互恵的な条件で実施すべきとの認識で日ロ両政府が一致。「サハリン3」プロジェクト(サハリン北部沖の区域における石油・天然ガス開発事業)への日本企業の参画に対し、ロシア側が配慮する姿勢も見られた。

「サハリン3」プロジェクトに象徴されるように、従来、日本側から見た日ロ経済関係と言えば、天然ガスを調達することが主な目的とされてきた。その際は、パイプラインの建設が大きなテーマとなる。

天然ガスをわざわざ液化してタンカーで運び、日本でまた天然ガスに戻すのは効率が悪い。そこで、サハリンから北海道(あるいはウラジオストクから新潟あたり)までパイプラインを引いて、天然ガスをそのまま送り届ける必要がある。

ロシアはヨーロッパ向けのパイプラインを何本も持っているし、最近着工された黒海を通る南ルートは2兆円のプロジェクトと言われているが、ロシアが全額負担している。

いずれも数千キロの長さだ。ウラジオストクと新潟の距離が800キロと言われているので、決して遠くはない。

サハリンからガスのまま北海道の石狩湾から内浦湾(噴火湾)へ抜けて太平洋を南下させ、茨城県鹿嶋市あたりにパイプラインを引いても1000キロくらいで決して驚くような長さではない。

ロシアにはガスプロムという世界最大の天然ガス企業があるが、アメリカのシェールガス開発によって、ガスの値段が下がり経営的に打撃を受けている。また、ガスプロムの顧客はほとんどがヨーロッパ勢であり、アジア市場に弱いという事情も抱えている。

こうした焦りがロシアにはあるので、それをうまく利用して、日本はなるべく有利な条件で天然ガスの調達を進めていくべきだろう。

いずれにせよ、多くの原発が停止し火力発電への依存度を高めている日本に天然ガスを売りたいロシアと、安定的な天然ガスを廉価に調達したい日本の利害はかなり一致していると言える。まあ、日本の交渉の窓口はメドベージェフ首相ではなく、プーチン大統領です。大人げない反発やデモはやめて欲しい。(無論、この記事はロシアのウクライナ侵攻前の記事です。ご了承ください)


 明治天皇は紙に主色のペンで、〝裕仁〝と書いた。

 それが病弱な嫡男の皇太子(のちの大正天皇)の嫡男の名前である。

 昭和天皇(裕仁)は、一九〇一年(明治三十四年)、四月二十九日に産まれた。父は大正天皇となる皇太子である。その他に妻(良子・香淳)、弟君が擁仁、宣仁、崇仁といる。こののちの昭和の息子が平成天皇→上皇明仁(皇后美智子(皇后→上皇后))常陸宮正仁(妻・華子)であり、孫 徳仁(妻・雅子、子・愛子)秋篠宮文仁(妻・紀子、子・眞子、佳子、悠仁)紀宮清子(05年、民間に嫁いだ)などである。(妻(良子・香淳)平成12年6月16日死亡享年97歳) 昭和天皇が生まれたとき、時代は混沌としていた。苦悩する世界。世界的な孤立とあいつぐ企業倒産、大量の失業者、夜逃げ、身売り、政治不満が吹き荒れていた。

「私は天皇家の長男として生まれた。殿下の希望の天皇にもなった。父は非常に有能なひとであった。が、病弱ですぐに風邪をおひかれになられた。父と曽祖父はすぐれた審美眼の持ち主で、日本や中国の美術工芸品の収集に没頭していた。(中略)本業をおろそかにし、日本の経営をひとまかせにしていたため、事業は衰退の道をたどったのである」

 1908(明治四十一)年四月、裕仁は学習院初等科に入学した。院長は日露戦争の英雄でもある乃木希典陸軍大将である。

 十歳頃になると、もう帝王学を習いはじめ、事務や税務、事業、憲法、もろもろの〝いろは〝を手ほどきをさせられた。会議、部下からの報告、打ち合わせ、中学生になるともっぱら事業で一日が過ぎてしまったそうである。

 大正天皇は、お抱えつきのアメリカ車、ビュイックで出掛け、家の中にはすでに外国製の電気冷蔵庫や洗濯機が置かれてあった。

 皇后は、クラシック音楽が好きで、レコードを聴かせた。家には、小さい時からビクトロンと呼ばれる古い手回し式の蓄音機があったが、アメリカから電気蓄音機が輸入されるようになるとすぐに買い入れた。日本では第一号であったという。

 1912(大正元年)年、明治天皇が崩御した。それにあわせて乃木将軍は夫婦で後追い自殺を遂げている。裕仁の父は天皇……大正天皇となり、裕仁は皇太子となった。

 あわせて陸軍小佐にもなっている。

 裕仁は東宮学院で帝王学を学んだという。教えるのは東宮御学学問所総裁東郷平八郎である。帝王学と軍事兵法……

 1921(大正十)年、昭和天皇は皇太子としてヨーロッパを視察した。船でいき、第一次世界大戦後のヨーロッパをみてまわった。オランダ。ベルギー、イギリス……

 立憲君主として学ぶためだった。

 しかし皇太子は「……本当にこれでよいのだろうか?」と思っていたという。

 1926年(昭和元年)、つまり病気だった大正天皇が崩御して、皇位を継承した。元号は昭和となり、裕仁は昭和天皇となった。

 視力が悪くなり、眼鏡をかけ、国民の前にも姿を見せない。そんな天子さまは軍事色に染まっていく……

 1930年(昭和5)年4月、ロンドンで軍縮会議が始まった。このとき、「相当権干渉」と日本軍部が騒ぎ始めた。この頃から熱しやすい軍部と日本国民は軍事色の波にのまれていく。それはドイツでも同じであった。

 アドルフ・ヒトラー(ナチス党党首・総統)は画家になりたかった。パウル・ヨーゼフ・ゲッベルス(ナチス党宣伝大臣)は作家になりたかった。

 しかし、ふたりとも夢をかなえることは出来ず、右翼的思想を持ち、ナチスとしてさまざまな虐殺にかかわっていく。挫折が屈折した感情となって、侵略、虐殺へとむかった訳だ。その結果が、ユダヤ人を六〇〇万人も殺す原因となった。

 ゲッベルスは作家になりたかったが、誰も彼を認めなかった。(大学の国文学博士号を取得していたが)とうとう何にもなれず、定職にもつかず、金欠病に悩まされ続けたという。そんな若者は、藁をもすがる思いでナチス党のポストにしがみついた。

 そして、〝宣伝〝という武器で、ナチスの重要な人間にまでなる。

 しかし、それはまだ先の話しだ。

 アドルフ・ヒトラーもまた、苦労していた。

「私が画家になれないのは……画壇や経済を牛耳っているユダヤ人たちのせいだ! 憎っくきジュー(ユダヤ人)め!」ヒトラーは若かった。自分の力不足をユダヤのせいにした。とにかく、ユダヤ人が世界を牛耳っている……かれはそう考えていた。

 ユダヤ人たちを殺さなければ、わがドイツに未来はない!

 ヒトラーは屈折していく。

 しだいに彼は絵を描かなくなって、政治活動に目覚めはじめる。とにかく、偉くなってやる、とういう思いがヒトラーを揺り動かしていた。つまり、全部〝己のため〝である。 ヒトラーは「ユダヤ人たちを殺さなければ祖国はダメになる」といって憚らなかった。 呑むとかならず「ジューどもを殺す! それがドイツの再建だ!」とまでいった。

 そして、ヒトラーは〝武装蜂起〝を考えた。

 自分の意のままに動く組織をつくり、そのトップにたつ。そうすれば自分の政治指針は完成する。団体名はNSDAP(ナチス)、旗印は……

 ヒトラーは閃く。日本の神社の称記号「卍」、これを横に傾けて…ハーケン・クロイッツ(鉤十字)だ。色は赤と白にしよう。主義はナチズム、つまりドイツ第三帝国をつくり、ユダヤ人たちを一掃し、祖国をヨーロッパ一の大国にする。

 ヒトラーにはそれはとても簡単なことのように思えた。それにしてもこんなにおいしい計画なのに、なぜ自分の目の前でバラバラになってくずれてしまうのだろう。どうして、アドルフ・ヒトラーの耳のまわりでばらばらになって倒れてしまうのだろう。

 共産党もヴァイマール政権も糞くらえだ!

 失業者や餓死者を出すかわりに、祖国を再建するとか、ビルを建て直すとかしたらどうなんだ?!

  1920年代のドイツ・ベルリンは、まさにカオス(混沌)であった。

 第一次大戦の敗北によりすべての価値観は崩壊していた。インフレにより金は紙屑にかわり、大量の失業者があてもなく街をうろついていた。女たちは生きるために街角に立ち、人間的な感情は夜毎、乱痴気騒ぎの中でお笑いの対象となった。

 絶望と餓死がベルリンを飾っていた。

 ヒトラーは意を決する。

「よし、〝武装蜂起〝だ! NSDAP(ナチス)を決党し、ドイツを再建するのだ!」  それは、人々の絶望の中でのことであった。

 ナチスは人々に〝今日と明日のパン〝を約束した。輝かしい未来、〝ドイツ第三帝国〝をも……人々の飢餓に訴えたのである。

 街角には共産党とナチスたちがうろうろしてアジを張るようになる。

「ドイツ共産党です! 今こそドイツに革命を! ヴァイマール政権を倒し…」

「だまれ共産党め! 我々NSDAP(ナチス)に政権を! 敗戦の屈辱をはらし 再び大ドイツ帝国を…」

「売国奴! 楽隊、〝ホルスト・ヴェッセル〝をやれ!」

「ナチスを黙らせろ! 楽隊〝インター・ナショナル〝だ!」

 まさにカオス状態だった。

 ヒトラーの「わが闘争」は始まった。

「はやく武装蜂起を!」ハインリヒ・ヒムラーは焦っていった。ナチス党のNO2である彼は、のちにユダヤ人六〇〇万人を殺す首謀者となる。彼等はナチス党の本部にいた。

 ヒトラーは「まぁ、待て」と掌を翳してとめた。「まずは政党として正式に認められなければならない。まず、選挙だ」

「しかし…」ゲッベルスは続けた。「勝てるでしょうか?」

「そのために君に宣伝係になってもらったんだよ」ヒトラーはにやりとした。「国民は飢えている。〝今日と明日のパン〝〝輝かしい未来〝をみせれば、絶対にナチスに従うに決まってる」

 ゲッベルスはにやりとした。「プロパガンダを考えます。まず、庶民の無知と飢えに訴えるのです」

「うむ」

「まず、人間の〝値札〝に訴えなければなりません」ゲッベルスはにやにやした。「〝値札〝とは人間のそれぞれのもつ欲求です」

「欲求? 金か?」ヒトラーは是非とも答えがききたかった。

「そうです。ある人間にとっては〝金〝でしょうし、また〝正義感〝、〝名誉〝、〝地位〝、〝女〝〝豪邸〝……その人間が求めているものにアピールしていけば九十九%の人間は動かせます」

 ゲッベルスは『プロパガンダ(大衆操作)』について論じた。

 この頃は、まだプロパガンダについての研究は浅く、しかも幼稚であった。しかし、勉強家のゲッベルスはあらゆる本をよんで研究し、プロパガンダの技を磨いていた。

「ゲッベルス博士、頼むぞ。わがナチスに政権を! ヒトラーを総統にしてくれ」

 ヒトラーは握手を求めた。ゲッベルスとヒトラーは握手した。

 こうして、ナチスは政権をとるために、動きだした。

 一九三三年、ナチス・ヒトラーが政権を奪取…

 一九三六年、ドイツ軍非武装地帯ラインラント進軍…

 一九三八年、オーストラリア併合

 ……「ハイル・ヒトラー! ハイル・ヒトラー!」

  (ヒトラー万歳)という民衆がナチス式敬礼で興奮状態だった。


 一九三二年、日本帝国は世界の反対をおしきって満州国という傀儡国家を作った。国際連盟はこれを非難、翌三三年連盟はリットン調査団の報告書を採択、満州国不承認を四十二対一、棄権一で可決した。一は当然日本、棄権はシャム……

 日本は国際連盟を脱退した。

 そのときの様子を日本の新聞は〝連盟よさらば! 総会勧告書を採択し、我が代表堂々退場す〝と書いている。これを機に日本は孤立し、ヒステリーが爆発して「パールハーバー(真珠湾)」攻撃にふみきる。結果は完敗。

 当時の世界情勢をきちんとみていれば日本はあんな無謀な戦争に突入するはずはなかった。しかし、現実は違った。軍部によってつくられた戦闘ムードに熱しやすい国民は踊らされ、破滅へと走った。そこにはまともな戦略もヴィジョンもなかった。

 あるのは「大東亜共栄圏」という絵にかいた餅だけ……

 その結果が、アジア諸国への侵略、暴行、強姦、強盗、虐殺である。

 その日本人のメンタリティーは今もかわらない。

 国会や世俗をみても、それはわかる。

「日本は侵略なんてしなかった」だの「慰安婦なんていなかった」などという妄言を吐く馬鹿があとをたたないのだ。

 最近ではある日本のマンガ家がそういう主旨の主張を広めている。

 戦争当時も盛んにマンガや映画やラジオで、同じように日本とナチスとイタリアは戦闘ムードを煽った。現在となんらかわらない。

 プロパガンダに踊らされているだけだ。

ちなみにこの作品の参考文献はウィキペディア、「ネタバレ」「昭和天皇」「明治天皇」「大正天皇」朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞、日本経済新聞、昭和天皇回顧録、司馬遼太郎著作、池波彰一郎著作、堺屋太一著作、童門冬二著作、藤沢周平著作、「虹色のトロツキー」安彦良和著作、「天皇論」「沖縄論」小林よしのり著作、映像文献「NHK番組 その時歴史が動いた」「歴史秘話ヒストリア」「ザ・プロファイラー」小学館SAPIO誌、漫画的資料「花の慶次」(原作・隆慶一郎、作画・原哲夫、新潮社)「義風堂々!!直江兼続 前田慶次月語り」(原作・原哲夫・堀江信彦、作画・武村勇治 新潮社)等の多数の文献である。 ちなみに「文章が似ている」=「盗作」ではありません。盗作ではなく引用です。


 その頃、石原莞爾は妻と共に茨城県・大洗町(おおあらいまち)の住居にいた。左遷されて身分は低かったが、辻政信(ノモンハン事件の実質的な戦犯)らから一目置かれていた。辻政信は石原邸を訪ねた。

「内地(日本国内)は暑いですな?」

「辻! 日本と中国の戦争は早めにやめさせんといかん! でないと、日本は悲惨なことになる!天皇陛下のお命でさえ危うくなるぞ」

石原莞爾は予言めいたことをいったという。すでに癌に羅患していた。

「石原莞爾は満州を捨てて、内地に逃げ帰ったと…」

「なにぃ! 辻!」石原は怒った。

「いえ! 私がいってるのではなく、あくまで………世論が…」

「どうせ、あの馬鹿の東條だろう。そういう噂を流しているのは…ちいさい輩だ」

「そうですねえ」辻は冷や汗が出る。ハゲネズミのような顔に汗が滲む。

「東條や古見(古見忠之。協和会指導部長。のちに総務副長官。実力者)に負けたなどと。石原さんほどのひとが…」

「いわせとけ。馬鹿は死なねば治らん。東條や古見忠之はいずれ絞首刑だなあ(笑)」

「中国にですか?」

「馬鹿! いや、アメリカかソ連か…。辻! 勉強が足らんぞ!」

「は、はあ」

「中国軍はバラバラじゃないか。だが、中国国民党にせよ中国共産党にせよ、アメリカやソ連の傀儡だよ。操り人形さ。裏に大国がおる。それがわからんか? 辻」

辻政信は「………はあ、大国でありますか?」と訊いた。

よくわからなかったからだ。辻政信のような小者には、石原莞爾のような先見性がある訳もない。あったら、ノモンハンであれだけボロ負けしなかったろうし、ああいう人生の終わり方もしないだろう。

確かに石原莞爾は天才だった。早すぎる天才、であった。

石原莞爾が東条英機ではなく、首相だったなら終戦をもっと早く工作し、謀略を仕掛けたに違いない。鈴木貫太郎内閣や昭和天皇の二度のご聖断も、玉音放送ももっと早く、原爆投下の〝人体実験〝〝戦争犯罪〝もなかったかも知れない。

だが、歴史にIF(もしも…)…は通用しない。石原莞爾は敗戦後、すぐに病死するが、それも運命であり、それが歴史でもあるのだ。

当たり前に知っていると思うが、日本の初代内閣総理大臣である伊藤博文はこのハルビン駅で、暗殺者の凶弾で命を落としている。

 辻政信たちはハルビン駅にある伊藤博文銅像に敬礼していた。

ウムボルトは敬礼をしなかったが(もっとも現在ではハルビン駅に伊藤公像はない)、辻は「こらあ! 伊藤公に敬礼せぬとは!…ふん、まあ、お前のようなツッパリ青二才に伊藤閣下の偉大さはわからんか?」というのみである。

そして旧式のベンツ車の後部座席に辻政信とウムボルト(→ここではジョルダビド)は乗り込む。天気のいい蒼天の午後くらいである。人通りが多い。

「みろ!ロシアのいい女たちが闊歩しておるだろう?いいか、我々が気を付けなければならないのは女と金だ」

「……」

「最近はソ連の赤化に反対するロシア御嬢さんどもが哈爾浜まで、南下してきているのだ。内地からやってきた助兵衛どもが毎夜小銭で抱いてやにあがっておる。堕落だな」

「………」

「ウムボルト、女と裏金ワイロには気付けろ! やつらは、コミュニスト(共産主義者)だ。まあ、石原閣下はロシア人だけでなく、ユダヤ人も優遇して国家を満州で…と。まあ、ナチスドイツのヒトラーに気を遣っておもてだって動けんがな。ま、ユダヤ人が金持ちだから助ける価値があるってこったろ? 貧乏なクルド人や琉球人やアイヌ人とは違うんだ」

辻政信がデカイ鼠鼻をぴくぴく動かし、丸眼鏡で、ウムボルトの顔を見た。

確かに、その通りだった。

戦後、国連や超大国・米国らがホロコーストでの(ナチスに大虐殺にあった)ユダヤ人たちに国家としてエルサレムを与えたのも〝ユダヤ人〝たちが金持ちだったからだ。ちなみにエルサレム以外にも、ロシアのシベリア地区や旧満州などユダヤ人たちに(国家建設地として)提案されたのだが、やはり、ユダヤ人たちは『約束の地』の、『エルサレム』を選んだのだった。

石原莞爾はそういう知恵、つまり、ユダヤ人たちに(満州を)ユダヤ国家建設地と提案する程ヴィジョンがあった、と。

さすがは天才である。

『虹色のトロツキー』第三巻では、ウムボルトの過去についての関係者の日本人の中年男が連行され尋問を受けるが、お茶に毒がもられていて、その禿げかかりの中年男は毒死する。ロシア人女性美人スパイがあらわれるが、所詮はジャムツ(→ここではダボルド)たちや麗花たちにロシアスパイの工作は阻止される。ロシア人スパイはジャムツに抱かれるが、麗花(→ここでは春麗)が「ジャムツは疲れているのよ。だから、あんなこと」とウムボルトにいう。ウムボルトは童貞であったが、やがて麗花と初めて、男女の関係になる。

 ウムボルトは所詮、〝根無し草〝である。

ジャムツたちに同行、レジスタンス(反政府)活動に参加したり、麗花(→ここでは春麗)と関係を持ったり、と、まさに〝根無し草〝のように時代に翻弄される。

ソ連側の女スパイに拉致されたウムボルト。窮地を、またしてもジャムツ率いる抗日聯軍(れんぐん)に救われ、しばらく行動をともにすることになる。ジャムツの過激な考え方に反感を覚えながらも、日本人でも蒙古人でもない、差別なき満州国人としての理想を追い求めていく。やがてジャムツなきあとはウムボルトが抗日聯軍を率いる、という設定。

勿論、この『虹色のトロツキー』は架空の物語だから、あくまで設定だ。

   

『虹色のトロツキー』第四巻は昭和十四年(一九三九年)一月の満州鉄道特別車両の中から始まる。訪欧使節団副団長甘粕正彦(あまかすまさひこ)(後の満州映画会社社長・敗戦後服毒自殺)が満州に帰国した。

甘粕は一団の席にいて「やっぱりいいですなあ、わが満州国の大地は」と感慨深げに言う。軍服や制服の男ばかりだ。

「その満州も、甘粕さん、あんたがいないとすこし寂しいな」

そういったのは満州国国務総理・張景(ちょうけい)恵(けい)で、立派な高そうな背広姿である。関東軍司令官・植田健吉(うえだ・けんきち 制服組)は、

「ヒットラーはずいぶんと戦車に力をいれとるらしいが強そうかね、ドイツは?」と訊く。ハゲのひげ男である。参謀長の磯谷(いそがや)廉(れん)介(すけ)は制服姿で隣に座っている。だるまみたいな風体の男である。

甘粕はインテリ風に「強いですなあ、彼は丸ごと機械化された部隊をどんどんと作っております。戦車とトラックと自走砲から成る機甲師団です。これは強い。フランスもイギリスも多分かなわんでしょう」などという。

植田は「キカイ――といえば、なあ?うちの二十三師団、小松原(小松原道太郎中将・ノモンハン戦を指揮)んトコ、アレもそうだが」と磯谷に水を向けた。

磯谷は「いやあ、キカイはどうも、アブラばかり食って困ります」と言う。

満州国総務長官・星野直樹は「しかし、まあ。強い――ということはたのむに足りるということかね、盟友として…」声が俳優の寺田農さんのようだ。

甘粕はふふんと笑ってから、

「ゲルマン民族は偉大ですよ。ヤマト民族ごとき東洋の野蛮人と馬鹿にしています。連中とは友達になれません」

と、ハッキリ言った。不敵な笑みである。

満州国の次長で、のちの東條内閣商工相、戦後に首相になる満州国二キ三スケのひとり岸信介(安倍晋三氏の母方の祖父)は苦笑して、

「こりゃ、手厳しい。甘粕さんらしいナ」と大笑いした。

甘粕は言う。

「わたしはムッソリーニともフランコとも会って話しましたがヒトラーは別格です!ムッソリーニは気性はいいがいい加減でたよりにならない。フランコの頭の中は内戦で勝った その後の、スペインのことで一杯です。相手として足りるはヒトラー一人しかいない!」

一同は甘粕のペースに引きつられる。

「――だが、ヒトラーには誠実さのカケラもありません。権謀術数と権力欲にこり固まったような男です!残念な事に、わが国には彼と張り合えるような人材がいない」

同席のお偉いさんが「近衛さん(近衛文麿首相・当時・戦後服毒自殺した)じゃ、ダメかい?」

甘粕は即座に「駄目です! 格が違いすぎます。なにしろこう言っては失礼だが、あの方は蒋介石にさえ相手にしてもらえないのですから!」

「………う~むぅ」

「しいてあげれば日本人でヒトラーの相手が出来るのは松岡(まつおか)洋右(ようすけ)(外相のちにA級戦犯)と――――あと、イシワラさんくらいのものでしょう」

甘粕は顎鬚を指でさすった。一同はしらけた。

………松岡閣下はわかるが、あの石原莞爾か? というのである。

場をとりもとうと岸信介は冷や汗を額に浮かべながら、

「ま、たしかにお二人とも、ハッタリはお上手ですからな」という。

甘粕は「岸さん、ハッタリもウソも必要な芸ですよ。それがなくてはきょう日の乱世は生きていけません」

…そりゃ、ま、そうですねえ…

「もっとも、お二人とも評価するか否かということならハナシは別ですよ。わたしに言わせれば松岡さんは策を弄しすぎるし、石原さんには明日の思想らきものはあるが今日の実践が―――ないっ!

 それはともかく、欧州をつぶさに見てきたわたしの感想では今年中には大事が勃発しますな! ヒトラーはたぶん大きな賭けに出るでしょう!」

植田は「なにかい、また…戦争になるのかい?」と水を向ける。

甘粕は頷いて、

「なります! ヒトラーはチェコを手に入れただけではおさまりません。彼は―――内心ポーランドもほしがっている。問題は当面はどちらと事をかまえようとするかです。つまり!…ソ連か―――英仏か。

 いずれにしても、ヒトラーは戦争をするつもりになっていますよ!」

星野は渋い顔をして、

「うぅ~ん。どちらかといえばスターリンに突っかかってほしいところだがねえ………」

「やあ、みなさんおそろいで」

そういってコート姿で来たのは松岡洋右(満鉄総裁のちに外相)だった。

一同、総立ちである。

「正月早々、我が満鉄が世界に誇る「あじあ」の一等を借り切って初会議ですかな?さすがに粋なことをなさる」

お偉いさんが「松岡さん、今、甘粕くんと岸くんがあんたのことを話していたんだよ」

松岡は「そうですか。……実は東京から急電が入りまして、近衛さんがとうとう内閣を投げ出しましてな。ちょうど連絡しようと思っていましたが、好都合です。

閣内では板垣さん(板垣征四郎・後の軍部幹部・國体維持派)と米内さん(海軍大臣・反戦派)が喧嘩ばかりで五相会議もあてにならんで嫌になったんでしょうが、ダメですなあ公家出身のあのダメ首相は…後任が平沼騏一郎らしいですが、ハッキリ言うとあの人じゃ駄目ですなあ。

もどかしいですなあ、内地は。まったく見ちゃおれん!」

「で、松岡さんの相談の向きは?」

「いや、僕はね、満鉄総裁を辞めようと思っておりましたんですよ」

「ほう? 辞める?で、?」

「ぼくは日本の外交戦略のなさにムカムカしとるんですよ。まずはスターリンのソ連とは不可侵条約を結ばなくては。それと日独伊三国同盟ですわ! さらに赤化したソ連は米英仏とは水と油ですからな、ソ連を米英にぶつける。

〝戦わずして勝つ〝これが戦略の最上等の外交戦略です。そうなれば満州も日本も安泰であるし、ぼくが外務大臣にならねば他のアホどもでは話にもなりません!」

「ま、松岡さんらしいお考えではありますなあ。いま、ヒトラーと話が出来るのは松岡さんと石原さんくらいだと甘粕くんがねえ」

「ほう? まあ、卓見かもしれませんなあ。僕のやり方で外交をさせてもらえればヒトラーともスターリンともうまくやる自信があります」

「ほう。そうかい?」

「ところで植田閣下! 閣下の下にはずいぶんとふざけたチンピラがいますな!」

「チンピラ? …ああ、辻の事か?あいつ随分とふらふらなんかわけのわからんことをやってるが…」

「この大事な時に、トロツキーを招聘するだのユダヤ人自治州だの…、誰の入れ智慧か知らんが馬鹿げた軽挙妄動をしてもらっては困るのです! ソ連やナチスドイツを刺激する」

「辻政信は馬鹿でな。あいすまぬ」

「馬鹿ならせめて内地に閉じ込めておいてもらいたい! 目障りだ!」

「まあ、あれも一応皇国日本の為と、天皇陛下の為と、まあ、行動自体が馬鹿なんだが」

松岡はパイプのタバコをふかした。

そうである。辻政信は馬鹿げた敗戦『ノモンハン事変』をのちに引き起こす。

歴史に詳しいひとなら誰でもご存じだが、ソ連軍やモンゴル軍や中国軍に惨めなほど叩き潰されて敗北するので、ある。

終戦工作の鈴木貫太郎内閣の陸軍大臣が阿南惟幾(あなみこれちか)に決まったと、陸軍幹部や畑中少佐らは「やった!これで軍の士気があがる!」と喜んだ。

まさか敗戦工作の内閣だとは思っていない。車で桜の道をいく鈴木貫太郎首相(当時)は、「本土決戦になれば桜は咲かないねえ。」とため息をついた。

五月二十五日は東京大空襲であった。しかし、アメリカ軍は宮城(皇居)は焼かなかった。

防空壕の中の通路で昭和天皇裕仁は「阿南(あなん)よ。お前の娘の結婚式は帝国ホテルで開くといっていたが、帝国ホテルは休業したという。式は無事にすんだのか?」

阿南は「……は、はい。式場を変更いたしまして、無事行いました」と嘘をついた。




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