第141話 旅館での目覚め
「おはよう、そーくん」
目覚めた瞬間、すぐ隣で布団に包まっている紬にドキリとさせられる。浴衣に慣れていないせいで、昨日みたいにはだけてしまわないか心配にもなった。
「起こしちゃった?」
「いや、自然と目が覚めたと思ってたけど」
「なら大丈夫。……なんでもない」
明らかに怪しい。紬はいたずら好きな一面もたまに覗かせたりするし……俺の頬に触れてたとか、かな。
「ところで、紬は昨日の夜のこと、覚えてる?」
「……そーくんが強引だったこと?」
紬は昨日と同じように、布団を深く被って警戒を強める。そこまでしなくても……。
「誤解を招きそうな言い方はやめてほしい」
「間違ってないと思う」
「……じゃ、これは?」
俺は切り札となる、例の証拠写真を紬に見せる。
紬が俺の浴衣を脱がそうとしているようにしか見えない。実際のところもそうだったのかもしれないけど、微睡んでいた昨夜の紬の思惑はたぶん誰にも分からない。
「……こ、これは」
紬は布団から抜け出してじっとスマホを見つめて、自分が何をしていたのか理解すると、恥ずかしそうにまた布団に顔を引っ込める。
紬はどう出るだろう。布団の中で身悶えるのか、開き直るのか。どちらにせよ、可愛い反応であることには違いない。
「わ、わたし……こんなことを」
漫画だったら、頭からぼわっと白煙を出してそうなリアクションだ。
「これは……えっと、その、蒼大くんが好きすぎるが故の行動です」
紬は慌てて弁明を始める。が、聞こえてきた言葉を脳内で反芻すると、かなり大胆なことを言っていることに気づいた。
「……そーくんも、私に触れたいって思う時、あるよね?」
「めちゃくちゃある。なんなら今も」
「えっ……あ、嬉しいけど、そんなに真っ直ぐ言われると」
ペットショップでじっと観察したくなる、ヤドカリが貝殻に引きこもる様子と同じように、紬はさっきから布団を被ったり外に顔を出したり、というのを繰り返している。
「……言われると?」
「照れる……だけ」
可愛いな、と思いつつ、触ってほしいとアピールされるまでちょっと待ってみる。
そうすると、紬は何か言いたげな視線を向けてくる。普段の俺ならここで堪えきれず紬に触れていることだろうけど、ちょっと焦らしてみよう、と思う。
紬はしばらくの間そわそわと落ち着かないみたいだったけれど、俺と目が合うと口を開く。
「……触ってくれないの? その、いつもみたいに」
決定打、と言うにはもう一声足りない。ただ、「……触らないの?」と言われるのに比べてパワーが増し増しではある。
「……ん」
紬は俺の腕を両手で抱えて、自分の頭の上に俺の手を乗せる。
「これで、どう?」
「……触らさせていただきます」
「時間ギリギリまで、こうしてたい」
そんな風に、微笑みながら言うのはずるい。もう布団から出たくなくなってしまった。
紬のおねだり通り、チェックアウトギリギリまで布団でごろごろして、少々ばたばたしながらも荷物を持ってロビーに出た。
「じゃあ、軽く足湯でも巡ってお土産も買って帰ろうか」
「……うん」
紬は看板猫に吸い寄せられていて、顔を撫で回している。紬が看板猫をあまりに幸せそうに撫でるものだから、旅館の女将さんも微笑ましそうに俺たちのことを見守ってくれている。
また来るね、と呟いてから紬は立ち上がる。
風情のある石畳の坂道をゆっくりと歩いていると、目の前にふらっと野良猫が現れた。
ちょうど曲がろうとした小道に、尻尾を立てて様子を伺う様子で先に歩いていく。
足を止めて、後ろ姿の紬とともに写真を撮ると、尻尾だけ曲がり角から飛び出していて、頭隠して尻隠さず、という言葉がぴったりだと感じた。
「あれ、もういない」
「ほんとだ」
紬に続いて角を曲がると、猫の姿はもうそこにはなかった。
もう少し後ろ姿を愛でたかった、という気持ちもあるけど、気まぐれなところがいかにも猫らしいなとも思う。
「……なんか、うちの子たちに早く会いたくなってきちゃったかも」
「うん、俺も」
新幹線は予約しているというのに、早く電車に乗ろうかな、なんて考えてしまった。
湯けむりが立ち上る通りの景色を楽しみながら、紬の手を握って歩いていく。
「あったかそう……!」
「出られなくなりそうだけど、入ろっか」
冬場の足湯はこたつの上位互換すぎる。入ったら出られなくなる魔法をかけられそうだな、と思いながら靴下を脱ぐ。
「……幸せ」
「うん、ほんとに」
足湯の心地よい温かさと、紬の、頬を赤く染めていて柔らかな表情のダブルパンチで多幸感が溢れている。
「そーくん、時間って大丈夫?」
「うん、大丈夫。どうする、もう少しこのままでいる?」
「お土産も見たいから、そろそろ出ようかな」
「そうしよう」
紬は透き通るような、綺麗な脚をゆっくりとお湯から引き上げる。水滴がすべすべな肌を滑っていく。
「……やっぱり寒いかも」
片脚を上げたところで、紬の動きが一瞬止まり、足湯から上がるはずがするすると逆戻りしていく。
「あはは、まあそうなるよね。紬のタイミングでいいよ」
「……ありがと」
いつの間にか俺の手はぎゅっと握りしめられていて、暖かく感じた。
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