第35話 看病のお礼
「……熱、測らなきゃ」
俺は目を覚ますと、横になったまま辺りを手で探って体温計を掴む。花野井さんは近くですぅ……すぅ……と肩を小さく揺らしている。
「36度8分か、けっこう下がったな」
立ち上がってみると、昨日の熱によるふらつきはなくなっていた。
眠りすぎで多少頭が痛いが、外の新鮮な空気を吸えばたちまち良くなるだろう。
まだ花野井さんを起こすのには早いし、水分取ったらもう一回横になろう。
そう思って、俺は忍び足で台所に向かい、水を飲んでまた寝床に戻った。
……そろそろ7時だし、早く起きて朝ご飯でも作るか、と思って体を起こそうとする。
「……まだ寝てたいです」
花野井さんは、寝てるのか起きてるのか分からない感じで、可愛いお願いをしてくる。いつの間にか服を掴まれていて、花野井さんは両手でぎゅっと握りしめている。
……あと1時間は待てる。今日が土曜で良かった。
もう少し寝ててもらおうと思ったが、クロときなこは朝ご飯が食べたいらしく、ふんふんと鼻を鳴らして花野井さんと俺の近くを歩き回っている。
猫たちが少し騒がしくしたので、花野井さんは、ん……と声を漏らしながら瞼をゆっくりと開く。
「おはようございます。……その、熱はだいぶ下がったみたいですね」
花野井さんは、俺の額に触れると、少し熱っぽいような表情で言う。え……もしかして移してしまったのか?
「花野井さんは、体調大丈夫? ……移してしまったりしてない?」
「だ、大丈夫です」
花野井さんは、こほんと小さく咳払いをすると、いつも通りの表情に戻った。
「……顔、洗ってきてもいいですか?」
「うん。なんでも好きに使ってもらっていいよ」
俺はそう返すと、靴下を履いて外に出る支度をする。昨日買い出しに行けなかったので、食パンは枯渇していると思われる。
「じゃあ、俺はちょっとコンビニまで……って、どうしたの?」
「待ってください」
なぜか花野井さんは、洗面所からバタバタとやってきて俺を引き止める。
俺の腕を抱きしめていて、絶対に外に行かせないという強い意志を感じる。
「……?冷蔵庫に食材がないから、ちょっと買いに行こうと思って」
「なら、私が家から持ってきます。昨日あんなに体調悪かったんですから、無理しちゃだめです」
分かった、と返すしかなかった。
花野井さんは、すぐに自分の家から食パンを持ってきてくれて、俺たちはトースターの前で気長に待つ。
「「いただきます」」
花野井さんと朝食を共にするなんて、半年前の自分は想像さえしなかっただろう。
普段俺が食べているのと同じ食パン、塗ったのは同じマーガリンだったけれど、ふたりで、それも花野井さんと食べると美味しくて何枚でも食べられそう。
「……今日は一日中私とまったり過ごしてください」
「わかった。花野井さんこそ、ゆっくり休んでね?」
俺たちは食べ終えて食休みを取っていると、花野井さんは突然俺に頼んできた。
そんなことは言ってないけど、「拒否権はないですからね……?」って心の声が聞こえてくるような。目がそう言ってる。
拒否なんかするはずがないから、安心して?
「それと……もうひとつ、私の要望を聞いてもらえますか?」
「うん。昨日ほんとにお世話になったから、なんでも聞きます」
「……なんでもですね?」
なんでも、とか言ってしまった。これは何を要求されるのか……?
「……どう?」
「はい、こんな感じでお願いします」
花野井さんは、俺の胸を背もたれにして、クロを抱きかかえて座る。
きなこはキャットタワーのハンモックで爆睡中なので、残念ながら俺たちのどちらにも抱かれていない。
「どのくらいこのままいたらいい?」
「えっと……私が満足するまで、ですかね」
花野井さんの髪から香る甘い匂いで、既に俺は意識が遠のきかけている。
花野井さんは案外欲張りだったりするので、これはかなり長丁場になりそうだ。……そこも、可愛らしいところなんだけど。
果たして、俺のHPは持つのだろうか。
「……昨日はほんとにありがとう」
随分リラックスしている様子で、クロを撫で撫でしている花野井さんに感謝を伝える。
「……お礼を言われるようなことは、あまり出来てません」
最初は照れているのか、と思ったけれど、本気で言っているようだった。
「いや。きつい時に、一緒にいてくれるだけで本当に嬉しかった。ありがとう」
「……!」
花野井さんは、俺の腕を捕まえて優しく抱きしめる。
「……私も、一緒にいたかったので。でも……そうお礼を言ってもらえて、嬉しいです」
そうじっくり噛みしめるように言って、花野井さんは俺の方を振り向いて見上げてくる。なんとなく、想いが通じ合ったような……そんな気がした。
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