第8話 居眠りと下校
週末は晴れていたのに、気づいたら梅雨入りしていた。
じめじめした重い空気の中、古文の枕草子の授業を受ける。これで1日が終わりだと思ったらギリ頑張れる。
「『ぬ』この助動詞は……で良く出るからな……とけよ」
雨が激しく降る音にかき消され、先生の声が聞き取れない。あの、後ろの方の人に聞こえるようにお願いします……。
ぼんやりと窓の外、遠くを眺めると、辺りは雨で白く見える。
授業はまともに聞こえないし、外は大雨なので、俺は窓の反対側に目を移す。
そこには、とろんとした表情で、居眠りまで秒読み、って様子の花野井さんが座っていた。
うとうとして、頭がこくっと下がって一瞬ぱっと起き、というのを繰り返している。
眠そうな人を見てると、こっちは眠気が飛んでいく。ぼんやりとしか聞こえない授業、というのはただの睡眠導入用のBGMと変わらないからなあ。
「皆眠そうだから、ここでペアワーク入れるぞー」
古文教師が若干声を張って言う。他にもうとうとしていた背中が、しゃきっと伸びる。後ろから高みの見物するのは楽しいな。
「花野井さん、起きて?」
「へ……?」
俺がちょんちょんとつつき、机を近づけると、花野井さんは綺麗な瞳をこちらに向ける。
「……寝てないです」
恥ずかしそうに、口元を手で隠して小声で言う。
ばっちり寝てたけどな、と思いながらニヤケてしまいそうなのを抑える。
「えっと……これからどうするんですか?」
「この問題の確認らしい」
俺たちは距離を縮めて座る。先生の指示によると、俺たちは清少納言の考えを相手と話し合うというのがペアワークの内容らしい。
「……こんな感じだよね?」
「はい、私もそんな風に書きました」
俺たちはたぶん合っているだろう、と安心して前を向く。
「そろそろ終わったか、じゃあ今日は6月15日だから……6+15で21番」
変則的な当て方、マジ反対。俺が当たったわけじゃないから別にいいが。
さっきのでペアワークは終わりなんだけど、なぜか花野井さんは机を離そうとはしない。
「え……?」
花野井さんのさらさらな髪が俺の肩にかかるのを感じる。
もしや……これは再び夢の世界に行ってしまっているのでは。
「ん……」
花野井さんは穏やかな寝息を立てて、さっきよりも深く眠っている。
これは……しばらく起きないな。
きなこに乗られて、そのまま眠って俺は身動きが取れなくなる、ということはほぼ毎日のようにあるので、動かずに枕になることは得意だ。
……花野井さんはやっぱり猫っぽいな、と改めて感じる。すぐ寝るところとか。
うーん……なんだか俺も眠たくなってきたな。
「「はっ!?」」
俺たちふたりは授業の終わりのチャイムで目が覚めた。クラスの皆はさっそく掃除の準備をし始めている。
「すみません。その……もたれかかってましたよね?」
「いや、大丈夫。たまたまだし、俺も寝ちゃってたから」
俺たちはお互いがさっきまでどういう状況だったか気付いて、相手を直視できないほどに照れている。
俺たちの席、一番後ろで良かった。前の方だったりしたら確実にいじられていた。というか二度とこの教室に入れなくなっていた可能性まである。
「はあ……」
正直俺の心臓はそろそろ限界だ。花野井さん、めちゃくちゃいい匂いしたし。
早く帰って猫吸いして心を落ち着かせよう。ここで陽翔たちに会ったら、なにかあったなと根掘り葉掘り聞かれるに違いない。
バキッ。……バキッ?
「ええ……」
傘を開いた瞬間、音を立てて傘の骨が折れた。どうしよう。この大雨の中歩いて帰るわけか。
俺は覚悟を決めて走って帰ることにした。
校門から出て、さらに交差点を曲がって、俺は走る。
「……猫村くん?」
前を歩いていた人を追い越した瞬間、呼び止められた。
「お、花野井さん。ごめん、傘忘れたから急ごうと」
「それなら、私の傘に入っていいですよ」
そう言って、俺が入りやすいように鞄を反対側に持ち替える。
「え、いや……大丈夫だよ」
「……クロを探してたとき、猫村くんが先にしてくれたじゃないですか」
「それはそうだけど……」
花野井さんは意地でも俺を傘の中に入れようと、背伸びして傘を上げる。
「分かった。俺が持つから」
たぶん相合い傘の意味とか知らないんだろうな。
なんだか、ピュアな花野井さんが可愛らしく、羨ましく思える。
いつも通りの帰り道だったけど、いつもの数倍景色が綺麗に見えた。
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