運命の出会いは良きものと思われがちだがそうでない時もある 2

 扉と窓に鍵をかけ、それから四日の間、マテアは枕に顔を埋めて泣き続けた。

 ほんのわずかの救いの光も見つけることのできない深い絶望を知ったとき、涙というものは涸れることがないのかもしれない。頬は赤く腫れあがって熱を持ち、泣きすぎて目も頭もズキズキと痛んだが、次々とあふれ出てくる涙を彼女にはとめることができなかった。


 記憶は断片的に途絶えていて、崖の上からいつ・どうやって自分の部屋まで戻ってきたのかマテアは覚えていない。けれど、はっきりと覚えていることもある。自分から<リアフ>がはがれおち、奪われた、あの瞬間だ。


 どうして自分はもっと慎重に周囲の安全を確かめなかったのか。どうしてもっと注意して、もっと早くあの男が近付いていたことに気付かなかったのか。



 どうして。どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして!



 尾をくわえた蛇のように、そればかりがぐるぐる頭の中を回っていた。とり返しのつかない事をしてしまった後悔と、他の者たちに知られることへの恐怖が瘴気となって胸に渦巻いている。どす黒い、毒の色に染まっているであろうそれが己を内側から侵食し、蝕み、食い破ろうと暴れているのがわかった。


 あれは何?


 目をあわせた瞬間の男の姿が瞼の裏に焼きついて、片時もはなれてくれない。

 この月光界には存在しない、闇色の髪と瞳、肌の持ち主。手も足も服も血に染まって、穢れたおぞましい姿でじっとこちらを見ていた。


 地上界の民だ。命の大切さもわからずに、寝食を惜しんでひたすら互いを殺しあっているという、愚かな、最も蔑すべき相手。そんな者に、いくら油断していたとはいえやすやすと<リアフ>を奪われてしまうだなんて!


 腹立たしかった。その愚かな人間よりも、もっと自分の方が愚かだったのだと思うと、自分自身への憎しみまでがあふれた。


 おそろしい所であるとは噂で聞いて知っていた。サナンも言っていたではないか、噂通りの地だと。あんなに穢れにまみれていて、警戒していたはずなのに、いざそのときになると月光力をとりこむのに夢中になって、すっかりそれを怠った。あげく、あんな輩にたやすく<リアフ>を奪われたなんて。なんと愚かな自分! 地上界人などに<リアフ>を奪われてしまったことを知ったら、みんなはどう思うだろう。何よりラヤは、どう思うのか。禁忌を破って界渡りをし、<リアフ>を失った――馬鹿な女と見下げはて、嫌悪するにきまっている。



 きらわれてしまう。

 ラヤに、きらわれてしまう!



 これまで自分のした、どんな間の抜けた行為も笑って許し、受け流してくれた優しいラヤ。けれど、こればかりは許してくれるとは思えなかった。あきれはて、非難の目をして自分を見るラヤの姿を想像するだけで、ずきずきと胸が痛む。早まった動悸に喉をふさがれ、満足に息もできなかった。だがそんな心臓の動きとは正反対に、体は鉄の塊のように冷えて重く、どこまでも沈んでいく気がする。


 このまま、死んでしまいたかった。できることなら今すぐにもこの世界から消えて、なくなってしまいたい。


 けれどもそれはできない。自ら命を断つことは、生を得た者がしてはならない行為の中でも最も重い大罪である。異世界人などに魂をとられただけでも十分罪だというのに、これ以上罪を犯すことはできなかった。


「マテア、おねがい、返事をしてちょうだい」


 固く閉ざした扉の向こうから、彼女の身を案じる小さな声が聞こえてくる。

 気がつけば、いつも誰かがそこにいて、声をかけてくれていた。

 あの日以後、自室に閉じこもってしまった彼女を心配する聖女たちの<リアフ>から放たれる、思いやり深い波動が空気を伝わり、部屋に満ちて彼女を包みこむ。話しかけ、独りでないと知らせることで少しでも癒そうとしてくれているのだと感じとるたびに、申しわけなさがこみあげた。そのまま胸が押しつぶされるような痛みを感じて、胸元を握りしめる。


「ねえマテア、おねがいよ、一言でいいの。せめて無事と答えてちょうだい」

「あなたのことがとても心配で、不安なの。声を聞かせて、マテア」


 よろよろと扉に近付き、中央の合わせ目からわずかに漏れる光に手を添えた。

 いっそこの扉を開け、何もかもを打ち明け彼女たちの慈悲にすがりついてしまいたい。

 己を罰し続ける苦しみに堪えかね、何度そう思ったことか。

 だが開けられるはずがない。<リアフ>を失ってしまった、こんなみすぼらしい姿など、彼女たちに見せられるはずがない。


「帰って……」


 扉に肩を凭せかけ、隙間に向け、マテアは小さく呟いた。


「マテア!」


 四日目にしてようやく返事を聞くことのできた喜びと、疲弊しきった嗄れた声への驚きの入りまじった声がする。


「帰って…………わたしを、独りにしておいて。

 ――おねがいだから……」


 あなたたちの、わたしを思ってくれる心が、今はとても痛いの。


 切れ切れの声でそれだけを言うと、扉を押しやるようにして身を立たせ、離れる。直後、扉が強く叩かれ、声がさらに張り上げられた。


「マテア、マテア! わたしたちではだめなの? あなたを蝕むその苦しみをともにわかちあい、あなたの心を少しでも軽くすることは、わたしたちにはできないの?」

「そんな苦しみの中にあなた一人を放っておくなんて、そんなこと、できやしないわ!」


 ともに苦しもうと言ってくれる、彼女たちの思いの真剣さに、マテアはその場に跪いた。

 自分は、彼女たちまでも傷つけ、苦しめていることに気付いて。

 わななく口元を両手でふさぎ、懸命に、高ぶった心の乱れを悟られまいとする。その指を伝って、新たな涙が床にしたたり落ちた。

 それほどにひどい事を、自分はしてしまったのだ。たとえこの事が知れたとしても、罪を負って苦しむのは自分一人だと思いこんで。


 許して!


 両手をあわせ、必死に心の中で彼女たちの許しを乞う。マテアには、そうすることしかできなかった。

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