誰も知らない勇者の話
千哉 祐司
第1話
オーリエ王国の首都から馬車で三日下った交易の要所リンク公爵領の街ベルンの冒険者ギルドは今日も喧騒に包まれていた。
ここでいくつもの冒険が始まりそして終わる、そして今日も例に漏れず一つの物語が始まろうとしていた。
「失礼、貴殿らが黒い翡翠で間違いないか?」
ラフな格好だか上等さを隠しきれてない装備を身に着けた一人の女性が話を持ち掛けてきた。ギルドにいる冒険者達はどこかの高位貴族の騎士だろうとあたりを付けて様子をうかがっている。
「そうだが」
ここら辺では珍しい黒髪の男がそう答えた。
「私はベラという、依頼を頼みたいのだがいいだろうか」
「ジンだ、階級はBで前衛をしている」
「スイ、Aランクの魔法職、依頼は内容と報酬次第かな」
ここら辺では珍しい黒髪の少年が気だるげに黒目を女性を伺うように向け、鉄に近い少しくすんだ銀髪にまるで光を失ったかのような少し鈍い深緑の目をした美少女が相手を見ることなくそう言った。
「では依頼内容を言ってもいいか?」
ベラは興味なさげに食事をするスイの方を見て話し始めた。
反対に話しかけられた彼女はこちらを見て顎をひょいっと上げた後に直ぐに食事に戻った、話はお前がしろという意思表示らしい。
「このパーティーのリーダーは俺だ」
「そうなのか?」
「ああ、珍しいことにな」
ベラはちらりとスイの様子を確認して間違いないのを理解したのかこちらへと向き直した。
遠い昔聖女が魔王を倒したのをゲン担ぎにパーティーのリーダーを女性が務めることが多い。それに彼女のほうがランクも高いこともあって誰もがスイをリーダーだと思うのも無理もないことだった。
「確認もせずに失礼をした」
「別に気にしてない」
今までに幾度となく繰り返したやり取りに手をひらひらと振ってこたえる。
「依頼というのはギルドを通さずにということか?」
「ああ、そうしてくれるとありがたい」
ギルドを通さない依頼というのは多くはないがそれなりにあることだった、貴族や商会にとっては記録を残さずに冒険者に依頼を頼めるのは大きなメリットになっていた。また冒険者にとっても名前を売ったりといくつかのメリットがあり、しばしば利用される方法となっている。
「分かった、それで肝心の依頼内容は?」
「ロックドラゴンの討伐及び心臓を無傷で持ってきてほしい」
ロックドラゴンは全長10メートルほどのワニのようなドラゴンで、なんといっても全身が岩のような皮膚と異常なほどの生命力で知られている魔獣だ。
「それは難しい、というより無理だ」
「な、なぜだ!」
希望に添えないことを伝えるとベラは大げさなほどに取り乱した。
「ロックドラゴンを倒すセオリーは魔法による波状攻撃だ、心臓を傷つけずに倒すなんか保証できない」
「それでも貴殿らは一年前に一度心臓を無傷で納品しているはずだ!」
「あれはたまたまだ、もう一度やれと言われてもできる自信はない」
「無理を承知でどうにかならんか?」
「無理なもんは無理だ」
希望を持たせるようなことをせずにきっぱりと断っておく、そうすることで後々面倒になる確率を下げることができると知っていた。
それを聞くとベラは俯いてしまった。
悲壮感がありありと伝わってくるベラを横目に泡の無くなったエールを一口啜る、さきほどにくらべエールは悲しいほどに味が落ちており気分が下がってしまった。
半分ほどエールを飲み終えたころにベラが決意をしたように顔を上げる。
「心臓が傷ついても構わない、その代わり臓器を全て持ってきてくれないか」
「それなら可能だ」
「そうか、良かった」
「報酬は大金貨六枚でいいか?」
「ああ、大金貨六枚だな、問題ない」
ベラは大きく安堵の息を漏らす。
「では先に前金として半分の大金貨三枚だ」
「は?」
「ギルドへ送金が確認次第依頼を開始する」
冒険者ギルドは昔の聖女が創設した国際的な組織で一部銀行のような機能を兼ねている、基本的には街から街へと移動する冒険者が活動しやすいようにするための物であってお金を他の人へ移すにはいくつかの調査が入る、大金貨以上となると少なくとも一週間はかかるのが必須だった。
「なっ、すぐに行くのではないのか!?」
「当たり前だろ、ギルドを通さない以上前金は貰う」
「そうなると一週間はかかるではないか!」
「即金で出すなら明日にでもでる」
「大金貨だぞ!持っているわけがないだろ!」
金貨十枚で大金貨一枚、金貨が三枚あれば四人家族が一月過不足なく暮らせる金額から考えるに確かに大金貨三枚は一人で持ち運ぶにはいささか高価すぎると言っても過言ではない。
「依頼が完了したら必ず払う、この命に代えても払う。だからどうか受けて貰えないだろうか」
「そう言って逃げたやつを知ってる」
ギルドを通さない依頼は依頼と言っても口約束に過ぎずしばしば踏み倒す者が出ていた、そのため少しでも損失を減らすための保険としても前金は払ってもらう必要がある。
「お嬢様の命が懸かっているんだ」
絞り出すようにベラは呟いた。
「気の毒だが知りもしないあんたのお嬢様の為に命を懸けれない」
話は終わりだと言外にスイの方へ向き直って食事を再開する。
何を言っても無駄だと悟ったのかベラはトボトボとギルドの扉へと向かって歩き出した。
「良かったの、断って?」
「仕方ないだろ、命を安売りするわけにはいかない」
「大金貨すぐに出せる人なんて滅多にいないよ」
「知ってる、それでも契約は契約だ」
「その割には嫌そうな顔してるよ」
「そりゃそうだろ、あんなに切羽詰まった奴をにべもなく断るのは辛いさ」
出来るなら依頼を受けてやりたかった、それは噓ではない、ただ安請け合いできない理由が確かにあった。
「それにロックドラゴンを倒すのに余裕があるほど溜まってはないだろ」
「ふーん、そっか」
それっきりスイは興味を無くしたのか残っていたサラダに手を付け始めた。
「ふふっ」
新しく届いたエールをちびちびと半分ほど飲み終わったときにふいにスイが笑い始めた。
スイは何が面白いのか小さく笑い始めた。
こうなったら結果はもう見えたようなものだ、こんな風に笑った彼女に勝った試しはなかった。
「はぁ、何が面白いんだ?」
「別に、ただ変わったなって思って」
「変わった?」
「うん、昔の君なら何も言わずに受けただろうなって」
「そりゃ、昔の俺とは違うだろ」
「それもそっか、でもなんか寂しいね」
「しょうがないだろ、前金が無いって言うんだから」
「それでも昔の君なら受けたよ」
スイは深い緑の眼でこちらを射抜くように真っ直ぐと見据えてそう言った、そこまで言われて何も言えずいじけた子供の様に目を背けた。
「それはとんだお人好しだったんだな」
せめてもの抵抗のようにそうポツリとこぼした。
「お人好しというよりは多分繋がりが欲しかったんだと思うよ」
「繋がり?」
「そう、繋がり。ここに居てもいいって繋がりさ」
「なるほど」
人の目から見た自分の人物像は新鮮味があって面白かった、ただ俺がこの話をに興味を持った時点でもうこの時点でこの話の結末の天秤は彼女のほうに傾いていた。
「でも相手がロックドラゴンだぞ」
「不安かい?」
「ああ、一年前みたいになりたくないしな」
「大丈夫でしょ、魔王よりは弱いさ」
「比べる対象がおかしいだろ」
「それに君だって一年前より強くなったから大丈夫だよ」
そこまで言って一呼吸おいて綺麗な翡翠の目でもう一度こちらを見据える。
「大丈夫だよ、私が守るから」
最後の悪足掻きもそう言い切られたら何も返す言葉が見つからなくなっていた。
真っ直ぐにこちらを見てそう言って微笑む彼女は何よりも説得力があった。
「分かった、分かったよ、降参だ」
「ふふ、ありがと」
「はいはい、じゃあちょっと行ってくる」
「いってらっしゃい」
ひらひらと手を振るスイに見送られて席を立ってカウンターでせめて少しでも稼げるように依頼を見繕ってからギルドを出る。
幾分か時間が経ったというのにベラはギルドの扉の前でいまだ立ち尽くしていた。
「おい」
「何だ、私を笑いにでも来たのか?」
ベラはこちらを睨んで恨み言を言う。
「金、いくら持ってる?」
「は?」
「だから今いくらなら出せるか聞いているんだ」
ベラはこちらが言わんとしていることを理解したのか慌てた手つきで腰に付けた布袋をまさぐる、そうして出してきた手に握られていたのは数枚の金貨と銀貨だけ。
全部合わせてもとても前金に届かない金額、そこから金貨二枚だけを取る。
「これで前金は確認した、出発は明日の朝東門に集合」
その言葉を聞いたベラは信じられないように「い、いいのか」と振るえながら呟いた。
「なんだ?文句でもあるのか?」
「ない!あるはずがないだろう」
「そうか、なら明日朝ちゃんとこいよ」
「ありがとう、この御恩は必ず命に代えても返す」
「終わったらちゃんと残りの金額を貰えればそれでいい」
頭を下げ続けるベラを放っておいてさっさと席に戻ってエールを飲み干すことにした。
金貨二枚でのドラゴン討伐なんてそれこそ冒険譚でしか聞かないような話だ、それでも大切なパーティーメンバーのスイの希望とあってはしょうがない、そう言い聞かせることでなんとか自分を納得させることにした。
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