第30話 局面

【ミスリル陣内レイドロー】


「くそっ、敵の集まりがはやい!」


 レイドローは自らも前線に立って剣を振るう。敵のグラマンがどれほどの男かなんてことは何度も戦ってきた彼自身がもっともよくわかっている。南部と北部のチキンレースがこの戦争の大枠ではあったけれども、今回もそれと似たようなものだ。


 レイドローの率いる特攻部隊がグラマンに押しつぶされるか。


 元王女様の率いる銀狼が敵の街に迫って講和を引き出すか。


 二つに一つ。そのためには時間がいる。大丈夫だ。グラマンだってこちらが自暴自棄になったと確信はできない。だから、そこまで攻撃が苛烈になることはないはず。


 これまで、なんどもこの国境で争ってきた二人が、お互いに実力を信頼できるからこその作戦だった。相手を疑ったほうが、戦争に勝つ。


【アストラム陣内グラマン】


「レイドロー。お前の狙いはなんだ?」


 間違いなく、彼は囮だ。あいつは自分の価値を理解している。アストラムのように平均的な人材が多く安定した勝利を積み重ねてきた国家とは別だ。現王女の優しさと、レイドローの天才的な軍事センス。その二つのどちらでも失われればきっとミスリルという国家は崩壊するだろう。それほどまでに存在が大きい。


「なら、なにか考えがあるはずだ。しかし、銀狼を動かさないのはおかしい」


 そこで、グラマンにはある考えが浮かんだ。


「まさか、銀狼を別で動かしているのか?」


 すぐに高所へあがる。


「誰か、すぐに遠方を確認しろ。動くものがあればすぐに報告しろ!」


 声を張り上げる。いや、だめだ。指揮官が慌てていると将兵たちを混乱させかねない。そうして、しばらく待つと一人の伝令兵がやってきた。

「報告します! 銀狼は動いておりません!」


「そうか……」


 ならば、大丈夫だ。銀狼が動いていない。


 いや、おかしい。


 銀狼は一撃必殺の部隊だ。狼自体が馬にくらべれば体力がなく、一度の戦闘でもまともに使えるのは一か所のみ。レイドローはあくまで森の中にいた部族の出身だから狼たちを酷使することは望まないはず。ならば、なぜ戦場においてその姿が確認できる。丁寧に隠して、それでいて一気にこちらの陣形を突き崩しに来るはずだ。


「報告します! 銀狼がこちらへと向かってきます!」


 な、どういうことだ。報告をした兵士がいたのは逆方向のはず。


「報告します! さらに左手から銀狼が本陣へと迫ってきます!」


「な、どういうことだ。なにがおこっている!」


 もはや、なにが正確かもわからない。どちらの方向にどれだけの敵がいる。どれほどの人数をレイドローを倒すのに向かわせて、それでいてどれほどの人数を守りに残せばいい。いったい、本物の銀狼は何をしている。どういうことだ?


「こんな戦場。もはや戦えない」


 グラマンは自分の能力が古くなったことを確信した。


【ミスリル陣内元王女】


「あなたは誰?」


「そんなことはいいです。とにかく、あの蝶々の群れを説明してください」


 目の前にいる少女、彼女に魔法をかけようと人差し指を向けた。しかし、その魔法はいとも簡単にはじきかえされる。力の差は歴然だった。


「あなた、えらく若いわね。私の妹と同じくらいかしら」


「じゃあ、いいです。無理やりあなたに聞きます」


 少女がそう言った瞬間だった。その瞬間にあたり一面から蝶々が現れる。地面から、木々の合間から、空間から。その群れはそれまでに存在した蝶々を飲み込んでもなお勢いを止めることなく、元王女の体を覆う。


 視界は光り輝いて、何も見えない。そして、体の自由がはっきりと奪われる感覚があった。体が思い通りに動かない。そして、勝手に口が動いて音を紡ぐ。


「私はミスリル王所のアスターナ=フォン=ミスリルの姉である。名前は、サイレンス=フォン=ミスリル。使える魔法は氷魔法と使役魔法」


「なるほど。ありがとう。でも、お姉さんは戦争で亡くなったんじゃないかしら」


「いえ、私はあの時に悪魔と契約して命とそして使役魔法を手に入れた」


「なるほどね。ありがとう。じゃあ、グラマンの軍はなんとかしてあげるから好きにしてもらってもいいわ。あと、私に使役魔法は効かないわよ」


 彼女がそう言った瞬間に、体に自由が戻ってくる。だけど、再び彼女を操ろうという気なんて起きなかった。使役魔法において、悪魔から授かったはずのその力が全くと言ってもいいほどに通用しない。それは恐怖だった。


 死ぬ直前、矢が首に刺さった感覚もその光景も覚えている。


 だけど、それよりも圧倒的に怖い。


 世界を滅ぼす力を目の前にして、自分の命だけではなくてすべての過去が、そしてすべての未来が彼女の一存で滅ぶかもしれないということは命なんかよりも怖い。これはきっと、生存本能よりも種の保存本能が働いている証拠だ。


「ああ、名乗り忘れていました。ナナ=ルルフェンズ。レジスタンスの所属です」


 若き天才指揮官。その名前は聞いたことがある。いや、それも私が王族ほどの地位を得ていたからであって、ナナ=ルルフェンズに関する情報は多くない。だからといって、ここで聞き出すこともかなわない。


 なぜ、ここにいるのか。


 そして、彼女はどうして禁忌の魔法とされている使役魔法をここまで使えるのか。


「どうしました。グラマンの部隊はほとんど壊滅してますよ」


 彼女が指さす先では、アストラム軍が大混乱に陥っている。


「なにをしたの?」


「簡単ですよ。そちらにいる銀狼部隊をそっくりそのままコピーしただけです。そして、四方向から同時に本陣をめがけて動かした。別に、そちらの部隊ほど強いわけではないけれども、脅しには十分でしょう。さあ、早くいってください」


「私たち、ミスリルに協力する理由は?」


「アンドロマキアのためです」


 どうして、彼女はそこまでアンドロマキアに固執するのだ。ここまでの力があればアンドロマキアという国の再興はかなうかもしれない。だけど、それなら彼女が各地の小領主を侵略して新しい国を作った方が早い。


 十六歳の少女が命を懸けるほどの価値が、アンドロマキアにあるのか?


 いや、そんなことを考えている場合ではない。この少女がくれたチャンスを逃すわけにはいかないのだ。指先に力をこめて、再び銀狼を操る。


「すすめ! 我らがミスリルのために」

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