第21話 怪物

【南部戦線レジスタンス陣営 山頂】


「順調そうね。スガリのほうは大丈夫かしら」


「問題ないでしょう。しかし、考えましたね」


「まあ、数が足りないのはわかっていたからね」


 ナナ側の作戦は単純で、まずは狭い山奥に引き込むことで相手の退路を断ちつつ、人数差をなくしていく。いくら三万もの軍勢を持っていても、山の頂点に立てるのはわずか一人だ。同数なら、擬人兵の方が強い。


 さらに、その前に三百人もの弓兵が控えている。山を上がれば上がるほど、こちらと条件が近づいていくことで、より戦力が均衡することは馬鹿でもわかる話。


 こうなれば、前線の敵兵には進軍への躊躇いが生まれる。そうなれば、時間を稼ぐことは容易だ。ひたすら遅滞戦術に徹して、危なくなればナナとリノの二人と擬人兵の数人で層の厚いところを突き破る。


 まあ、ここは賭けだ。それまでに、こちらが勝利できることが最も望ましい。優秀な指揮官は、できる限り確率の概念を戦場に持ち込まない。


 そして、弓兵をまずは山の麓に配置し、敵が侵入してくると弓を放つ。そして、弓を放った擬人兵をナナが消して、再び敵部隊の進行方向に生成する。これだけで、少しずつ人数差を埋めることができる。単純かつ効果的な作戦だ。


「でも、相手の減るスピードが明らかに早いのよね。なにか別の力が働いているみたいな。擬人兵は相手の動きを止めるようにしか言っていないのに」


 ナナには明らかに違和感があった。


 敵が倒れるスピードが速い。擬人兵はそこまで攻撃力が高くない。


 普通の人間と同じように動ける擬人兵たちではあるけれども、そもそも向こうの軍はトロンでもそれなりに精鋭だろう。おそらくレベルとしてはトロンの精鋭とこちらの擬人兵が一対三で戦えば互角だろうか。


 だからこそ、矢を受けてすぐに倒れるとは思えない。


「確かに、向かって十時の方向に明らかな被害が出ていますね」


 ナナが魔力を感じることに集中すると、確かにそこだけ動く人間が少ない。ナナは確かに擬人兵をきっちり割り振って配備したので、その部分だけ固まっているようなことは無いと思うのだが……スガリだろうか?


「まあ、向こうの兵数が減っていることに違いは無いので」


「そうよね。できれば、このまま倒し切ってくれると早く帰ることができるんだけど。かえって、美味しいご飯が食べたいわ。まだ、旧帝都のご飯が足りないの」


 ナナは、今のところつまらなかった。トロンの軍に、想定外が無い。


 ここまでは全てナナの思い通りに戦局が運んでいる。それが、ひどく退屈だった。


【山中】


 トロン軍が少ない人数で踏み込んでくる。


 ちょうどいい。楽しめそうだ。謎の影はにやりと笑った。


「おい、今さっき人影が見えたぞ」


「擬人兵じゃないのか?」


 どうやらこちらを指さしている。なかなか、敵を発見する能力が高い。


「いや、違う。あれは髪だ。擬人兵ではない」


「ならば、ナナ=ルルフェンズだ。行くか」


「おし」


 部隊は速度を上げてこちらに向かってくる。確かに人影だ。近づけばわかる。敵は擬人兵がほとんどで、人影なんて限られている。敵はナナと、その副官。どちらでもいい、できればナナ本人。ドクトリンから聞いた情報では、ナナは銀色の髪を持つ少女、副官は白髪の女性。


「後ろの部隊は全てやったぞ。どうする、ドクトリン様の指示を待つか」


「いや、進もう。ナナの首をとれば大手柄だ」


 トロンの部隊はその影へと近づく。しかし、近づけば近づくほど……でかい。


 明らかに女性の体格ではない。頭部が森の葉に隠れて見えないほどに。ドクトリンの情報が間違っていた? いや、ドクトリンはトロンすべての情報を管理している。ただのレジスタンス指揮官の容姿などトロンが得られない情報ではない。


 ならば、こいつは誰だ? そう思った瞬間だった。


「うわあああぁぁ!!」


 一人の兵士が悲鳴を上げる。


「どうした?」


 駆け寄った彼の首元には、一本のナイフが突き刺さっていた。そこから血が温泉のように噴き出し、あたりを赤く染める。ナイフの刺さった位置は、的確に血管を捉えていた。まるでおもちゃのように血が出て、彼はぴくぴくと動いていた。


「敵はどこだ!」


「後ろです」


 その声に反応して振り返るが、誰もいない。


「ここだよ」


「うっ……」


 また一人、別の兵士の首にナイフがつきたてられる。どしんと音がして、一人の人間が膝から崩れ落ちた。じわじわと恐怖が押し寄せて来る。


「くそ、敵か」


 そう理解した瞬間に、辺りが開けた。


 人影が木を切り倒した?


 顔が見える。その男は、赤髪の長身で、体格も大きい。いや、こいつは人間なのか。身長、体格、全てが人間離れしている。それよりもヤバいのは眼だ。人間の目ではない。例えるなら、草食動物の死体を見つけたハイエナのような獲物を狙う獰猛な目。直感でわかる。やばい、殺される。


 その男はゆっくりと話す。


「おお、残りは四人か。まあ、肩慣らしには充分だな」


 その間に逃げ出そうとした。しかし、体が恐怖で動かない。


「燃焼魔法!」


 一人が、その男に魔法を放つ。その瞬間に緊張が解け、男から距離をとった。


 直撃。よし、この至近距離で砲撃を食らって生きていられるわけがない。


 しかし、それはあくまで普通の人間であるという仮定の話。


「おいおい、まずは挨拶だろうよ」


 男がそう言った瞬間、一人の体が真っ二つに裂ける。悲鳴すらもあげる間が無かった。恐怖を覚える前に死ねたのが幸福だと思えるほどに一瞬だった。


「てめえらは抵抗しねえのか? じゃないとつまらん」


「くそっ」


 三人ともが、こいつを倒さなければ殺されると判断した。


 前身の力を集めて放つ燃焼魔法。それを三発分。


「喰らえ! 最大火力の燃焼魔法!」


 大きな音が山中にこだまする。あたりが震えた気さえもした。これがトロンの魔法使い部隊が優れたところだ。基本的に魔道具は独立した力だ。そのため、ナナのように自身の努力で魔力を増強し、それをエネルギーに変えることはできない。だが、トロンの科学力は疑似的にそれを可能にする。


 その方法は、魔力の代わりに体力を消費するというやり方だった。


 体力を消費して魔法を打った兵士は、少なくともその戦闘では使い物にならず、相手からすれば格好の的だ。なにせ、体力の消費量はすさまじく足が震えてまともに歩けないほど。そのため、基本的には確実に勝てる状況か、魔法を使わなければ命が失われる場面でのみ使用される最終兵器のようなものである。


 そのため、その威力はすさまじい。すでにかなりの時間が経ったはずだが、煙は収まらないほどだ。初めての魔法だったけれど、放った自分が驚いている。


 そして、煙が晴れる。しかし、そこにいたのは、肉を抉られた姿の男だった。


「最大火力なのに……」


「なかなかやるじゃねえか。俺に傷をつけるとは」


 違う、傷をつけるのが目的じゃない。殺すために撃ったはずだ。


「もう、終わりか。じゃあ行くぞ」


 その男は体の半分をある大剣を振り回す。まるで子供がおもちゃで遊ぶかのように軽々しく、また、無邪気に。二人が一瞬でやられた。終わりだ。逃げられない。


「グヘヘへへエヘヘヘヘ、やっぱりたまらねえなあ。肉を切る感触は」


「貴様、何を笑っている」


「ああ、そうか。もう一人いたんだったな」


 その男は加速してこちらに迫ってくる。


「最後に、名前を教えろ」


 抵抗はそれしかできない。


「ああ、挨拶を忘れていたよ。俺はアンドロマキア最強の戦士フェンドリックだ」


 その言葉が終わるのが先か、無謀な突撃に繰り出した男が死ぬのが先か。言うまでも無い。月明かりに照らされたのは、吹き飛んだ男の生首だった。

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