第16話 対岸
【アストラム南部】
「交渉決裂、ですか」
「ええ、おそらく敵はすぐに動きを見せるでしょう。我々もより国境線に近い位置へと移動しましょう。敵は我々が思っているよりも手ごわい」
アストラムの南部戦線を担当する部隊の本陣。
そこには、アストラムの将軍・ガルゼムと、トロンのドクトリンがいた。
「そうですか。では、すぐにでも我々は移動しましょう。ミスリルとレジスタンスの戦力はそれぞれどれくらいですか?」
五千。ドクトリンから見れば、いや普通の人から見れば圧倒的にアストラム・トロンの連合軍が有利だ。さらに、こちらしか知らない事情ではあるがトロンは今回、新戦力を導入している。その実験場という意味でこの戦争に参加した。
それが、魔法使い部隊だ。
もちろん、それは本物の魔法使いではない。当然だ。
かつて最も大きな戦力を持っていたころのアンドロマキアでさえ実戦で投入される魔法使いなんて片手の指で数えるほどしかいなかった。
だが、その少ない例を真似て魔法を開発し、あるいはそれを簡略化して実用化した兵器があるのだ。そして、それを扱う部隊は、ドクトリンの手駒の中にいる。
「この部隊がどれくらいやれるか、それにしか興味はないんですけどね」
トロンはこの戦局がどうなろうと、特に影響はない。
この戦闘で魔法使い部隊が役に立つことが分かれば、アストラム、ミスリルなどまとめて併合できる。できれば、領土が荒廃しなければいいと思うくらいだ。
大本営はそんなことを考えていないだろうが、ドクトリンにはすでにそこまで計算がたっていたはずだった。あの少女がこの戦場に現れるまでは。
「ナナ=ルルフェンズ。彼女は厄介ですね」
ドクトリンは懐中時計を眺める。
もう、その針は動かない。その懐中時計の持ち主はずっと眠っている。
「できれば、若い天才指揮官の顔を拝んでみたいものですね」
ドクトリンには、読んだ書物を全て記憶する能力がある。
これは、魔法ではない。脳の構造が人と少し違う。バグのようなものだ。彼の存在自体がトロンという国を壊した。過去のトロンを、一気に変えた。
だが、彼は天才指揮官などと呼ばれたことはない。もちろん、彼がそもそも軍人ではなく宰相として働いていることも要因の一つだろう。しかし、どれほど兵法書を読み込んでも、彼が天才政治家と呼ばれても、天才指揮官と呼ばれたことはない。
「ベルトラン大将軍と私の何が違うのか、彼女に教えてもらいましょう」
ベルトラン。その名前を聞くだけで敵は震えあがり、まともな戦闘にならない。トロンの領土拡張において、彼は無くてはならない存在だった。戦場に生きて既に五十年を数えながらも、彼はそれでも優秀だった。
しかし、寄る年波には勝てない。ほんの数年前から寝たきりになってしまい、最近では話すことも厳しい。これでは、せっかくの頭脳と経験で立てた作戦も意味が無くて、ただベッドの上で消えていくだけだ。
軍神とまで呼ばれた彼の状態は、トロン全体の拡張戦争に大きな影響を及ぼしたことで、ついに軍人の育成を急いでいる。アンドロマキアだって、本来ならばベルトラン指揮の下で全土併合とまではいかなくてもストレイジングを蹴散らして傀儡政権のアンドロマキアを建てるくらいはできたはずだ。
「できれば私は彼と同じ時代に生まれたかった。そうすれば、トロンは大陸を支配できただろう。彼亡き後のトロン軍がどこまで復興するアンドロマキアにあらがえるか。きっと、ナナ=ルルフェンズとまともに当たれるのは少ないでしょう」
隣のアンドロマキアはその以前から軍人の育成を行っていた。その結実がサンクチュアリを始めとした軍人たちだ。トロンはある程度の元アンドロマキア軍人を囲う事には成功したけれども、誰もサンクチュアリがでる戦場にはいきたがらない。
近くで見たものほどよくわかる怖さがあるのだろう。
ドクトリンは歩みを進める。ただ、自身の能力を知らしめるために。
「そろそろ、時間です」
本陣の外にいた兵士に告げられる。
「そうか、王は何か仰せか?」
ガルゼムが問うと、伝令役の兵士が答えた。
「自由にやってもいいが、必ずドクトリンに気を使うことと仰せだそうです」
「わかった、では対岸へ移動しよう」
ミスリルとアストラムの境にある河川。そこにはすでにミスリルの軍が戦闘準備を始めているとの情報も入っていたため、ガルゼムは移動を急いだ。
「これで、いいんだ」
彼は呟く。それは自分に言い聞かせるように。
「この戦争が終わったら。きっと明るい時代がくるだろう」
ガルゼムが軍役を退けるのはいつのことになるだろうか。
【ミスリル北部】
「北部にはこれだけか。ナナ殿が食い止めてくれる間に、なんとかしないとな」
アストラムは南部戦線に戦力を集中させてきている。
おそらく、ナナへの警戒心がそうさせているのだろう。レイドローとしては、ほぼ実戦経験のない齢十六歳の少女に敵の目が向くのは癪だが、仕方がない。
そのおかげで、自分たちは楽に侵攻できる。レイドローが戦うのはもちろん、国のためであり、自分を育てくれた森を守るため。だが、彼は愚かしくも王女のために戦いたいとそう思っていた。
「よし、我々も進むぞ!」
「おおっ!」
北部戦線はミスリル・アンドロマキア連合軍が先に動いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます