暴風雨ガール 36


       三十六



 私たちは少し奥まったところの木陰の芝生に腰をおろした。

 真鈴のミニスカートがさらに上にずれ、眩しい太ももが露わになった。


「真鈴、前にも注意したはずだけど、そんな短いスカートはやめなさい」


 私は前を向いたまま言った。


 真鈴は「えっ?」と言ったあと、両手でスカートの裾を下に引っ張った。

 そして「岡田さんって、本当におかしな人ね」と笑った。


「こんなの普通だよ。梅田あたりを歩いていたら、こんなじゃないよ。最近の女の子はこれくらいまで短いスカートを履いているんだよ」


 真鈴は手でスカートの裾を足の付け根まで上げた。

 私は彼女の太ももの眩しさに目玉が飛び出しそうになった。


「アホ!おとなをからかうな。それよりお父さんと電話でどんな話になったんだ?」


「うん、お父さんね、今の仕事がすぐには辞められないから、先ずは近いうちに必ず休みを取って一度帰ってくるって。岡田さん、お父さんって、今の仕事である程度の責任のある立場にいるの?」


「そうだな、印象としては支配人補佐みたいな感じだったよ。茶羽織がよく似合っていた」


「何?その茶羽織って」


「ほら、旅館の番頭さんなんかが上に羽織っている、身体の前で紐を括る着物だよ」


「ああ、何となく分かる。お父さん、そんな格好で働いているのね。昔はスーツにネクタイだったけど、信じられない」


 真鈴は笑った。


 沢井氏は携帯電話の番号と勤め先の田丸本館の電話番号を彼女に教えたらしい。


「いつでも連絡できるようになってよかった。できるだけ早く帰って来るから、もう少しだけ我慢してって。

 お父さんが帰ってきてから、お母さんに家に戻ってもらうように説得しようって言うの。長い間いろいろ迷惑をかけてすまなかったって謝ってくれたの。

 それからお父さんが岡田さんにお礼を言いたいって。多分、近いうちに電話があると思うよ」


 真鈴は嬉しそうな表情で言った。


 それほど遠くない日にようやく彼女は父と会える。


「よかったな、本当に良かった。こころから嬉しいよ」


「ぜ~んぶ、岡田さんのおかげだよ。でも、何でお父さん、鹿児島なんかに行ったんだろう。ねえ、どうしてお父さん、鹿児島だったんだろう?」


「それはな、長く生きていると、いろいろとややこしいことがあるんだよ。そのややこしいことを、あまり深く考えない人は気楽に生きていけるかもしれないけど、お父さんみたいに難しく考えると、鹿児島に行ってしまうことだってあるんだ」


 私は全く説得力のない説明をしていると思った。

 でも現実はそうなんだ。


「お母さんのことだけど、お父さんが帰ってくるまで今のままでもいいのか?」


「うん、お父さんがそう言うのだけど、岡田さんはどう思うの?」


「僕は君の希望を叶えてあげたいと、それだけ思っているから、先ずはお父さんが帰ってきて、ふたりの暮らしが元どおり落ち着いてからお母さんの問題に取りかかるというのもいいと思うよ」


「そうね」と、真鈴は私の意見に同意した。


「それから、さっき言おうとしていた調査費用のことだけど。あれはもういいからな。僕が自分の意思でやったことだから、気にしなくていい。

 気にするなと言っても気にするだろうけど、真鈴がこの先も友達でいてくれたらそれでいい。僕は友達がいないから、よければこれからも今のままの関係でいて欲しいんだ」


 本当に父捜しにかかった費用なんてどうでもよかった。


「岡田さん、やっぱり私ではだめなのね。そうよね、奥さんにバレたら大変だものね・・・分かった。ありがとう」


 真鈴は遠くを見るような目で、公園の平和な光景を眺めながら言った。


「ところで、レコード店に付き合って欲しいんだ」


「どうしたの?」


「うん、最近『明日への手紙』っていう歌が気に入っていてね、CDを買いたいんだ」


 手嶌さんという女性が歌っている素晴らしい楽曲を、私は最近あるきっかけで耳にしてから気に入っている。

 歌詞も素晴らしい。


「知ってるよ、その歌。すごくいいね」


 真鈴が知っていて、いい歌っていうのなら間違いないと思った。


 私たちは扇町公園を出てから梅田まで歩いた。

 東急インの前を過ぎると泉の広場に下りる階段がある。


 ここで依頼人の息子と真鈴が朝から会って、私が狼狽する間もなくホテルに飛び込んだことを思い出した。

 ずいぶん遠い日の出来事のような気がした。


「真鈴」


「うん?」


「ここで男の子と会ってホテルに入っただろ?」


「ごめんなさい」


 彼女は少し考えてから謝った。


「前に君は、僕が思っているようなことはしていないと言っていたよな。ペッティングだけでエッチはしていないって」


「エッチはしていないよ。一緒にベッドに寝転んでDVDを観たり、テレビゲームをするだけ。でもペッティングって、岡田さんのその言い方、嫌いよ」


「だってそうなんだろ?」


「そりゃそうだけど、みんな寂しい男の子たちなのよ。キスくらいはしてあげるよ、胸を服の上から触らせてあげたりね。でもみんなまだ子供なの。

 私と一緒にいるだけで楽しいって言うのよ。受験勉強で彼らは大変なの。こころの拠りどころがないのよ。それにね、今の高校生や大学生って、凄くお金を持っているの」


 私は真鈴がベッドに寝転んでDVDを見ている姿や、ゲームをする姿、ときにはキスをする姿を想像してみた。


 でもそれは気分が悪くなってくる想像だったのでやめた。

 私たちはウメチカをヘップファイブの方向へ歩いた。


「キスくらいって、そうハッキリと言うなよ」


 私は真鈴のほうを見ずに呟いた。


「岡田さん、キスして」


 一階へ上がるエスカレータに並んで乗ったとき、少し背伸びをした真鈴の唇が私の頬に触れた。

 そして柔らかい彼女の唇が私のものと重なり、すぐに離れた。


「お礼の一部ね」


 わずか三秒に満たないキスのあと、呆然とする私に真鈴は言った。


 下りのエスカレータに乗っていた人たちが、唖然とした表情で私たちを見ている姿が目に入った。


 ヘップファイブの五階のレコード店に着いたとき、私はさっきのキスの後遺症に包まれたままだった。


「どうしたの、岡田さん。『明日への手紙』を買わなくちゃ」


 真鈴が腑抜けみたい突っ立っている私に言った。


「そうだな、手嶌さんだったな」


「さっきのキスこと、奥さん怒る?」


「確実に殺されるな。でも言わなきゃ大丈夫だ」


 私たちは「手嶌葵」さんの「明日への手紙」を買った。


「スマホのアプリから買えるんだよ。インストールしてないの?」


「何だよ、それ」


「岡田さん、遅れてるよ」


「うるさいなぁ」


 私たちはそれからマンションまでしっかり手をつないで歩いた。


 四十になる中年男と女子高生、すれ違う人々は違和感を持たないだろうか。

 嬉しいけど何だかおかしな気分だった。


 真鈴との関係はこの先どうなっていくのだろう?

 全く予測がつかないなと思いながら、無意識に彼女の手を強く握りしめた。


 真鈴は少し驚いた表情で私の横顔をジッと見ていた。



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