暴風雨ガール

藤井弘司

暴風雨ガール



        一


 土砂降りの雨の中、大阪駅からタクシーに乗って引越し先のマンションの前に着いた時刻はもう午後七時を過ぎていた。


 妻から追い出され、必要最低限の荷物を夜間指定の宅配便で送っていたので、大阪駅に着いたときに突然激しい雨が降り出したこともあってタクシーで急いだのだ。


 大阪の通称はキタと呼ばれる界隈からちょっと外れた、歓楽街と言っても北ノ新地とは趣が異なる、やや庶民的な飲食店街である曽根崎通りを抜けたところに位置する兎我野町の外れが私の引っ越し先である。


 ともかく季節外れのフライング台風が、まだ梅雨も明けていないのに日本列島を縦断しているのだ。狂っている。


 五階建てのかなり老朽化したマンションの五階の一室が私の新たな住処である。


 タクシーを降りてマンションの入口まで走り、エレベータ前で待った。


 ほんのわずか雨に身体を晒しただけで、タオルが必要なくらいの叩きつけるような土砂降りになっていた。


 ノロノロと降りてくるエレベータを待っていると、ひとりの女の子が全身ほぼびしょ濡れになってマンションに走り込んできた。


 長い髪はまるで怪談に登場する幽霊みたいに顔半分を隠して、毛先から雨粒を滴らせていた。


 私はその風貌に一瞬ギョッとしながらも、開いたエレベータに先に乗るように手で示して、彼女が少し頭を下げて乗り込んでからゆっくりと続いた。


 だが、エレベータはふたりが乗ると横幅がほぼギュウギュウの狭苦しい代物であった。エレベータもかなり狂っていた。


「何階ですか?」


 私は女の子に訊いた。


「あっ、五階です。すみません」

 

 五階のボタンを押して、極めてゆっくりと上がりだしたエレベータの階数表示ランプを見上げた。


 階がひとつ上に表示されるのに五秒以上もかかり、五階に到達するまでに女の子の髪から滴り落ちた雨粒で床に小さな水溜りができたくらいだ。


 エレベータのドアが開き、先に彼女を降ろした。


 続いて私が出ると彼女の姿はなく、不動産屋から受け取っていた部屋のキーをポケットから取り出し、501号室のドアに差し込んでからうしろを振り返ると、エレベータのすぐ隣の部屋の前に立ってこちらを見ている彼女の姿があった。


 エレベータと部屋の入り口とがコンクリート壁で隔てられていたので、さっきは見えなかったのだ。


 私は無意識に軽く手を振った。


 すると彼女は少し頭を下げたようでもあり、そうでないようでもあったが、相変わらず顔の半分が髪で隠れたままの状態でドアの向こうに消えた。


 それが沢井真鈴を見た最初であった。外は明け方まで暴風雨がやまなかった。

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