第14話 岩

 九尾の眠る地には、ほとんど人が来ない。近づくと災いが降りかかるとか、呪われるとかいう噂があるので、誰も近寄ろうとしないのだ。


 そのおかげで、藤花は他人の目を気にせず、ここまでやってくることができた。


 ただ、実際、この場所には陰の呪力が広がっており、嫌な匂いもする。並の人間では、近づくだけで体調を崩してしまうだろう。下手をすると、死んでしまうかもしれない。


 白面家が封印に関わっているにしては少々雑だが、安易に人が近づくよりはいいのだろう。



「……これが、九尾を封じる殺生岩せっしょうがん



 濁った空の下、しめ縄を巻かれた巨岩が一つ。高さも藤花の倍の十尺はありそうで、その岩自体にも、藤花は怖れを抱いてしまう。



「ねぇ、雪姫。本当に、封印を解いてしまっていいのかな?」



 藤花は、封印の箱に入った雪姫に問いかけた。箱の蓋は開いているので、雪姫にも殺生石は見えている。



「それは私にもわからんさ。未曾有の大災害を引き起こす可能性はあるが、案外なんともならんかもしれん」


「いざとなったら、雪姫が九尾を退治できるんだよね?」


「それは保証できんな。九尾はなかなかに強い妖怪だ」


「……雪姫って、結講無責任だよね。わたしをここに来るように提案したくせに、上手く行くかわからないなんて」


「どうして私が責任など持たねばならんのかね? 私は道を一つ示したにすぎん。その道を行くかどうかは藤花次第だ。海を渡るのに、別の方法を探るというのなら、私はそれでも構わんよ」


「……自分のためでもあるのに、いつも他人事みたいなんだから」



 ただ、藤花は雪姫の考えも聞いている。


 奈落封獄ならくふうごくのような強力な封印を施されたとしても、全く問題ないという話も聞いた。


 確かに、雪姫としては、百年後には自由になれるのなら、強力な封印を施されても平気だろう。


 でも、藤花としては、それではダメなのだ。雪姫が百年も封印されてしまったら、もう自分と過ごすことができなくなってしまう。


 そんなのは寂しい。苦しい。辛い。



「……雪姫にとっては、わたしなんてやっぱりどうでもいい存在なんだよね」



 雪姫が、ほんの少しでも、自分と一緒にいる未来を望んでくれればいいのに。藤花はそんな不満を抱いてしまう。


 独りよがりな想いではないと思えたなら、藤花は、もっと強くなれる気がするのに。



「どうでもいいとまでは言わないさ。お前はなかなかに面白い。私のために家族を裏切り、さらに九尾まで復活させようとしている。こんなおかしな女、白面家には今までいなかった。お前が死んでしまうと退屈そうだから、せいぜい長生きして私を楽しませてくれよ」


「もう。そういうことじゃないのに……」



 面白いと言ってほしいわけではない。好きだと言ってほしいのだ。



「自分の望む答えが返ってこなければ不機嫌になるのも、女の悪癖の一つだな」


「……それは、女も男も関係ないと思う。はぁ……。もういい……。とにかく、わたしは九尾の封印を解く。雪姫は、いざとなったらわたしを守るために戦って」


「それが命令ならそうするさ。今までと何も変わらん」


「うん」



 藤花は一旦封印の箱を地面に置き、雪姫の首を取り出す。その肌に触れると無性に抱きしめたくなってしまい、藤花はそっと雪姫の首を抱きしめる。その白雪の髪を撫で、頭頂部に鼻を押し付けて息を吸う。愛しい者の体温と匂いが、藤花の心を温かくしてくれる。



「……好き」


「人の首を抱えて好意を呟くなど、傍から見ればなんと猟奇的な場面だろうな?」


「うるさい。黙ってて」


「やれやれ。望まぬ反応以外は全ていらぬとは、わがまま過ぎる子供だな」


「うるさいってば。馬鹿」



 口づけでその唇を塞いでやろうか。


 一瞬そんなことも考えたけれど、藤花は実践しなかった。余計に寂しくなる気がしたから。


 藤花は、しばし雪姫を堪能した後、封印の箱に蓋をして、その上に雪姫の首を置く。


 それから、巾着袋から愛用の打刀うちがたなを取り出した。


 呪具にして妖刀、緋雨ひさめ


 人の手で作られた呪具ながら、妖怪を斬りすぎて、もはや妖怪のような気配を漂わせている刀。妖怪にとどめを刺すのにも使うが、封印の術を破壊するのにも使える。



「……このしめ縄と岩を斬れば、九尾が目を覚ます。すぐに戦いになるかもしれない。そのときには、ちゃんと対応しないと」



 藤花は、不測の事態に対処することを苦手としている。でも、きちんと心の準備をしていれば、多少はマシになる。


 戦いになるかもしれないと心構えをしていれば、九尾の攻撃でいきなり殺されるということもないはずだ。


 藤花はゆっくりと深呼吸。何も焦る必要はない。


 やがて、過度な緊張はほぐれる。平常通りとはいかないが、強大な敵と戦うにはむしろ丁度良い。


 藤花は緋雨を鞘から抜き放つ。緋色に染まった刀身からは、妖しげな呪力が湯気のように立ち上っている。


 藤花は鞘を地面に置き、雪姫に尋ねる。



「雪姫、準備はいい?」


「私はいつでもいいぞ」


「うん。じゃあ、斬るね」



 藤花は殺生岩に近づき、刀を正眼に構える。

 


(ゆっくり、落ち着いて。一太刀に、全力を注ぐ)



 藤花は刀に呪力を行き渡らせる。最高の一刀を放つには準備に時間が掛かり、素早さが必要とされる戦闘には向かない。今の藤花は隙だらけで、近くに敵がいればすぐさま殺されてしまうだろう。


 じっくりと時間を掛けて、呪力が刀に行き渡った。刃は、赤々と鈍く輝いている。


 藤花は刀を振り上げ、また一呼吸。


 そして、全力で刀を振り下ろした。


 刃が殺生岩に触れる前に、刃が何か硬いものに当たる感触。バリン、と大きな音がして、その抵抗も消える。


 その後、刃が今度は殺生岩に当たる。だが、想像していたような抵抗はなく、刃はすっと滑らかに岩としめ縄を切り裂いた。


 殺生岩が、真っ二つになった。

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