第48話 新たな関係(魔)
「イスルギ様、お茶をお持ちしました」
勇者用品店の中にヤサカの明るい声が響いた。
ちょうど客足が途絶えて――もともと、限られた客しか来ないのだが――店内にはイスルギたちしか居ないため、ちょっとした休憩だ。
「ああ、すまない。ありがとう」
「いえいえ、私の好きでやってますから」
ヤサカは機嫌良くハミングして滑らかな動きで大テーブルに向かう。手にしているトレイには湯気立つお茶と、ちょっとした菓子がのっている。
「今日のお茶請けはククの実を炒ったものですよ」
「ああ、それは嬉しい。しかし、もうククの実が生る季節になったか」
「お塩を少し振っておきましたよ。クシナも休憩して、こっちにどうです」
声をかけると部屋の隅で錬金作業をしていたクシナが顔をあげた。椅子から飛び降りるように立ちあがって、小走りでやって来る。その金色の髪を小妖精が掴んでぶらさがっているが、お構いなしだ。
もちろん小妖精のお茶も用意してあるので、テーブルの上で大小合わせて四つのカップが湯気を立てている。そして深皿にあるのが軽く炒って塩を振られたククの実だ。
イスルギが一つ摘まんで口に運び、歯ごたえを楽しんだ。
「うん、久しぶりだ。これを食べると懐かしいな」
「そうですね。思えばこの街に来て最初に食べたものが、これでしたね」
「あの頃はいろいろあって大変だったが、今となると全て懐かしい」
「同じように今もそうなるのでしょうね」
「そうだな」
イスルギとヤサカが穏やかに笑っていると、クシナは椅子に膝をつき大テーブルに身を乗り出しククの実を鷲掴みにして、また椅子に座り直した。
「クシナ、それは行儀が悪いですよ」
「んー、届かない」
「そういう時は、ちゃんと言いなさい。とってあげますから」
「んー」
返事をするクシナだが、あまり反省した素振りもない。欲しいと合図する小妖精にも分けてやって、一緒にククの実を囓っている。
静かで穏やかな時間だ。
イスルギがいてクシナがいて、小妖精がいて、人の街で勇者用品店を営んで、こうして大テーブルを囲んでお茶を飲んでいる。本来であれば人の街に居る筈がない存在が、こうして揃っているのだ。
考えてみるととても不思議だとヤサカは思った。
魔王イスルギ領から、その魔王がここに来て店を開くと言いだした時はどうなる事かと思ったが、今はそれが当たり前となっている。
しかも、この勇者用品店は今や魔王領にとって大きく貢献した存在でもあった。
ここの経営で学んだ知識や経験や情報を爺や様に伝え、その甲斐あってイスルギ領は格段の発展を遂げたのだ。細々とした社会情勢や世の中の動きなど、それは今でも役に立っている。
だからこそ、こうして勇者用品店をやっていられる。
いかにイスルギの実力に誰も逆らえないとは言えど、伊達や酔狂だけで認められているわけではない。
「どうした? 何か笑っているようだが」
「いえ、別に大した事はありません」
言いながらヤサカは嬉しかった。
魔王城であれば周りに多数の従者や警護がいて、常に見られているような状態だ。それが、ここであれば誰も気にする必要もなく好きにしていられる。しかもイスルギをほぼ独占状態に出来て身近にも居られる。
とても嬉しい。
そして何より――。
「イスルギ様は何か食べたいものはあります?」
こうしてお世話が出来て、しかも自分の食事まで食べて貰える。
従者冥利に尽きるとはこの事だ。
「ヤサカの料理なら何でもいい」
「もうっ、そんな事を仰って困ってしまいます」
ちょっと文句を言ってみせるヤサカだったが、しかし表情が裏切っている。笑顔が抑えられていないのだ。もちろん仕草の端々にも、それが滲み出ていた。
「ではクシナは何が食べたいです?」
「お肉、焼いたの」
「なるほど、そうですか。ではその方向で考えましょう」
ただしメニューは直ぐに決まる。
考えるのは、どのお店に行くかだ。各店によって食材の取り扱いが違い、鮮度や値段だった違うのだ。
――うーん、あそこは安いですけど話が長いし。どうしましょうね。
こうして考えるのも楽しい。
自分の料理を楽しみにして貰って、どうすれば喜んで貰えるかを考えて計画をしていく。やはり魔王城に居ては味わえないものである。
「では片付けたら、お買い物に行って来ます」
ヤサカは笑顔で立ちあがり、空になったカップと深皿を回収。再びトレイにのせて洗い場まで運び、綺麗に洗って布で拭きあげた。
それからエプロンを外し、お出かけ用の上着に袖を通し買い物に出かけた。
買い物籠を手に勇者用品店を出ると、外は良い天気であった。
青空には僅かに紅色がかかって夕方の気配が漂っている。もう少しすると、夕食の食材を買いに人が動くので急いだ方が良いだろう。
「おや、ヤサカちゃん買い物かい?」
近所の人が声をかけてきた。
三軒隣りの靴屋の奥さんで、気の良い人だ。
「少し早いですけど混む前に行こうかと思いまして」
「そうかい、さっき大通りの店に行ったけどね。今日は夕方から安売りするつもりだって言ってたからね、ちょっと行ってみたらどうだい」
「あ、それは嬉しい情報です。ありがとうございます」
「あはは、どうってことないよ。ほらほら旦那さんの為に早く買いに行きな」
「えーっとイスルギ様は旦那様ではないのですが……」
一応訂正はしてみせるヤサカだったが、しかし表情が裏切っている。笑顔が抑えられていないのだ。もちろん仕草の端々にも、それが滲み出てもいた。
笑っている靴屋の奥さんに頭を下げ、路地を通って大通りへ。
新たな目的となった店は安くて鮮度も良いので、行く候補にあげていた場所だ。ちょっと距離があるで別の店に行こうと思っていたが、しかし安売りなら行くべきだ。
大通りに出た。
そのまま右に向かって歩き出すが、やはり往来が盛んで人通りも多い。しかも馬車や荷馬車も通るので、それを避けて出来るだけ端を歩いていく。
そうして人の流れにまじりながら、考え事をする。
――この大通りも随分と変わりましたね。
勇者用品店を開いた頃は、これほど賑わっていなかった。
それはかれこれ五十年ほど前の事だ。建物の幾つかは当時のままだが大半は建て替えられている。道の舗装だってもっと粗末で、馬車が走れば舗装の石が外れ、雨になれば水溜まりだらけになる道だった。
それがいつの間にやら、こんなに大きくなって立派になった。
「変われば変わるものですね。もちろん、うちのお店もですけど」
先程も少し考えたが、魔王であるイスルギがここで店を開くと言いだした時はどうなる事かと思ったが、今ではそれが当たり前となっている。
最初の十年はお客も少なく資金繰りが大変。
次の十年で徐々にお客が増えたが、同時にトラブルもあった。この頃までに知り合った勇者で今も現役の者は少なくなったが、懐かしい顔ぶれが時々遊びに来る。
次の十年は経営が軌道に乗って少し余裕が出来たが、より良い商品を求めて試行錯誤。各地のダンジョンを荒してしまったのも、この頃だ。
次の十年は勇者一人一人に向き合い赤字覚悟で支援。地道に応援して信頼を得た事で、知る人ぞ知る店として確固たる地位を築いてきた。
ここ十年ぐらいは微妙に黒字で安定した経営になっている。
「思い出してみると、いつも経営危機があったりして大変でしたね」
どれもその時は大変で大忙しだったが、今となれば良い思い出ばかりだ。何よりイスルギと二人で乗り越えてきたという実感がある。
「こうした日々も悪くないですね」
ただしイスルギの夢である、勇者に倒されるという点だけは許容できない。それについては表向き協力しつつ、最後の一線として邪魔をするつもりであるのだが。
その時にイスルギがどんな顔をするだろうか。
想像したヤサカは、クスッと笑って街を歩いて行く。
知る人ぞ知る勇者用品店の看板娘の、そんな可憐な姿に気づいた何人かが目で追い見とれるのだった。
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