疫病神ハ彷徨ス 6

   神無月 一三日(夜)


 さて、そんなこんなで、一時間前、俺はこの部屋に住み始めた。といっても、さっそく仕事が始まったわけではない。仕事は不定期で、今は依頼がないそうだ。


考えてみれば当然だろう。「事故物件に住む仕事」なんてものに、引きも切らず需要があるとは思えない。


依頼がないときに過ごすためのとして、この部屋は用意されたのだ。


 某マンション、三○一号室。洋室の六畳一間。内装は小綺麗だし、南向きで日当たりも良い。まあ俺からしてみれば、部屋があるだけほんの三週間前までより格段にマシなのだ。


その上、最低限ではあるが、流が家具や家電まで調達してくれた。ベランダに出る掃き出し窓に向かって、右側に小さなコタツテーブル、左側に安っぽいパイプベッド。玄関廊下と部屋の境に、小さな冷蔵庫と電子レンジ。


 いたれり尽くせり……というのは変かもしれないが、俺にとっては十二分。さしあたって問題は風呂をどうするか……何やら流の手違いで、ガスの開栓が出来ていないらしい。そこまで手間の掛かる手続きではないと思うのだが、相変わらず彼の考えていることはよく分からない。


「近くに銭湯がありますから、大丈夫ですよ」

「湯船を土左衛門で埋め尽くすつもりですか?」

「……冗談です。まあ体が痒くなったら、連絡をくだされば迎えに行きます。。事務所のシャワールームがありますから」


……わざわざシャワーのために事務所まで連れて行ってもらうのも気が引ける。まあ何といっても、ここ半年間、路上生活をしていたのだ。少なくとも数日は平気だろう。


テーブルの上に置かれた小さな置き時計は、午後七時を指そうとしていた。


そういえば、腹が減ったな……


我ながら偉そうなものだ。ホームレスだったときは、一日一食でも御の字だった。炊き出しで食った豚汁の温かさに、思わず咽び泣いたこともあった。それがどうだ。ちょっと真人間のような生活環境に置かれるだけで、腹時計も人並みに鳴りやがる。


 玄関に置かれた段ボール箱にヨタヨタと歩み寄る。先ほど庵鬼屋が


「ヨッコイショーカラピーにシャクを盗られてまあタイヘン!」


という奇天烈な掛け声とともに置いていったものだ。とんでもない親父ギャグと変な口調からは想像だにつかないが、彼女は中学生らしい。中学生にしてもチビ過ぎる気はするが……


そしてベルボトムのジャージにドクターマーチン。あの格好で学校に行っているのだろうか……


 何にせよ、ダンボールには当日の夜から翌日の昼まで、三食分の食事が入っていた。これからしばらく、庵鬼屋が毎日学校帰りに届けてくれるそうだ。


ちなみに、俺はスマートフォンも何も持たされていないから、流への連絡というのは即ち、庵鬼屋に言伝するということになる。


……その伝言能力にいささか不安があるのは言わずもがな、彼女に「体が痒いから事務所に行きたい」と伝えなければならないのが、目下の憂慮事項だ。


 ベタ貼りされたガムテープに多少苛つきながら、何とか段ボールを開封する。中には小ぶりなレトルト食品のパックが数袋入っていた。無作為に二袋ほど取り出してみる。


『入れ歯なんてポイッ!グズグズ肉じゃが』

『米は飲み物!グチャグチャおかゆ』


以前、派遣社員として勤めていた会社でよく見たパッケージ……老人介護用の誤嚥ごえん防止食品だ。ジョークグッズと見紛うほどのふざけた商品名なので、よく覚えている。


――しかしまあ、老人扱いかよ。こちとら花も恥じらう二十四歳だぜ。

  庵鬼屋の奴、妙にニヤニヤしていると思ったが……


「アキラさんはまだまだ病み上がりですから、胃に優しいものを用意したであります!」


気遣ってくれるのは有り難いが、総身にビシビシと響くような悪意を感じずにはいられない。釈然としない気分で、レトルトの中身を皿に移し、レンジにぶち込む。


――やはり、からかわれているのだろうか……


ふと、胸にザラついたものが過る。事故物件に住むという都市伝説じみた仕事内容、一件につき最低百万円という報酬、どことなくイカガワシイ流という男……


庵鬼屋が見せた超自然的な現象を、すなわち担がれていない証拠だと考えて本当に良いのだろうか……


無意識に彼岸へ追いやっていた厭なものが、ゾワゾワと足下から這い上がってくる。


……チン


「まあ、今さら考えても仕方ないか……」


自分に言い聞かせると、肉じゃがを一掬すくい口に運ぶ。肉じゃがというより、もはやジャガイモのペーストだが……


――意外と悪くないな……


ジャガイモと米のペーストを一気に口の中へ流し込む。そのドロドロとした嚥下が、せり上がってきた厭なものたちを押し流してくれるように。


残念ながら、胸にはモヤモヤが残った。


が、案外、腹は満たされた。急速に眠気が襲ってくる。俺はそのままベッドに突っ伏した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る