第9話 見ると死ぬ

人だった。

林に逃げ込んだのは猫や犬では無く、無論それ以外の獣の類でも無かった。

 逃げるそいつの襟首を捕まえてみればそれは見慣れた学園の制服。そう、あの海堂周かいどうあまねの細い首根っこだったのだ。

 俺はビクついている海堂の顔に自身の顔を近づけ、わざとニヤついた笑顔を作り、先日の金的きんてきの礼とばかりに丁寧な口調で言った。


「…これはこれは、何の偶然かな。海堂君じゃないか」


 何かされると思ったのか、海堂は顔の前に手を翳して身構えた。


「大丈夫だよ、海堂君。僕らは何もしないから、そんなに怖がらないでくれよ」


 井上が俺をチラと見るものだから、俺も不本意ながら「この前は悪かったよ」と謝っていた。


「海堂君、こんな所で何を?ここは生徒たちも滅多に来ない所だぜ?」


 井上という男は人を不愉快にさせない才能があるのだ。その声音に安心したように、海堂の肩から警戒心が薄れていくのが分かった。


「あ、あの。この前は本当にすみませんでした。僕の敵か味方が分からなくて…」

「はあ?敵?味方?お前何の話をしてるんだ」


 意味不明な言い訳に、俺の抑えようとしていた声が荒がると、再び海堂が縮上がる。


「もう、瀬尾君は黙ってろよ。君は直上的すぎるんだよ。脅すな、彼が話せないだろう」


 井上に俺の方が睨まれた。全く海堂はどうもやりずらい相手だった。

 男相手にどうしてこんなに気を遣わねばならないのかと思う。

 それもこれもこの女々しい容姿に井上の脳が撹乱されているに違いないとさえ思ってしまうのだ。

 だが結果、井上が話した方が海堂も話しやすいようだった。


「ボ、ボクも調べてるんです。この学校や島の事…。井上さんの事も佐々木先輩から聞いて。FA研に勧誘を受けていました。その矢先にあんな事に…」

「そう、君もこの島に興味を? 不思議だよね、この島も学園も…」

「…はい」

「ところで、もう一つ聞いていい?君が拾ったあの赤い袋の事なんだけど。アレが何なのか教えてくれるかい?」


 俺はすっかり、海堂の対処を井上に丸投げしていた。きっと俺が話したらこうはスムーズに話してはくれなかっただろう。


「アレは…母の形見で僕のお守りでした。でも恐ろしい禁忌があって…」

「恐ろしい禁忌?…それはどんな?」

「絶対に袋を開けて見てはいけないという事です」



ザっ…!

バサバザバサ…


 その時、鴉が近くの木から飛び立ち、遠くで五時を告げる音楽が流れ始めた。門限まであと三十分。気づけば辺りも薄暗くなっていた。


「君は寮生じゃ無いんだろう?家はこの近くかい?今の話、歩きながら詳しく教えてくれるかい?」


 そう言って、俺たち三人は海岸沿いの坂を下り始めた。もっとも井上と海堂が並んで歩き、その後ろを不本意ながら俺が着いて行くと言う感じだった。


 海堂が言うには、彼自身がこの島の出身というわけでは無く、母親がこの島の出身なのだと言った。

 それが一年ほど前に母が亡くなり、元々父親が居なかった海堂はこの島の遠縁へと引き取られて来たという。

 彼の家系は代々、龍神神社の巫女の家系だったせいもあり、海堂は幼い頃から神楽を習って居たらしい。

 そう思えば入学間も無い海堂が、あそこまで流麗な巫女舞を踊れたのも納得がいった。


「ボクの家はこの島の神社とずいぶん古くから関わりがあると母が言っていました。お祖母さんも曾祖母さんもそのもっと前から龍神神社に仕えてたって。

あのお守りはそのずっと前から我が家に伝わっていると言われていて、中身を見た人は死んでしまうと言われているんです。

だから袋が古くなると中身は見ずに袋ごと取り替えて来たそうです。

今は掌サイズでもきっと昔はずっと小さな袋だったんだと思います。

 あの日、佐々木先輩がボクのお守りを見つけてどうしても井上さんにこれを見せてあげたいって言っていて、それでほんの少しだけならと佐々木先輩に貸したんです。勿論、恐ろしい禁忌の話もしました。

でも、先輩があんな事になって…もしかしたら、この袋の中を覗いてしまったんじゃ無いかと…。それで怖くなってあの時ボクは落ちていたお守りを回収したんです」


 そんな話は御伽話や昔話なのだろうなと俺はぼんやりと考えていたが、井上は真剣に聞いていた。


「その、袋の中身は何が入っているんだい?」


 海堂は少し言いにくそうに俺たちを見た。


「…指…」


「ゆび?!」


「…はい。人魚の小指が、入っているそうです」


 一瞬三人が黙り込んで顔を見合わせた。俺は一瞬でも皆がこの事を真剣に捉えた事がおかしくなった。


「ふっ、はははっ…それ、お前信じてんのか」


 笑い出した俺を井上が「笑うなよ」と嗜めたが、海堂は少しムッとしながらこう続けたのだ。


「ボクだって半信半疑だったんです。でも、突然佐々木先輩があんな風に亡くなって…もしやと思うじゃないですか!」

「ごめん、ごめん!だってさ、今はもう21世紀だぜ?そんなのお伽話にしか思えないぜ」

「瀬尾君、もし仮にこれがお伽話だとしても、連なる一つの家族が代々信念を持って大切に守ってきたものだ。それって凄い事じゃない?それこそ世紀を跨いでこれは存在してる。

その時点で既に真実かどうかなんて問題じゃない。それ自体が尊い存在なんだよ。

よく百年大切に使った道具は神様になると言われているだろう?その袋も彼ら一族にとっては神様かもしれないんだ。笑ったらダメだ」


 そう言われて俺は恥ずかしかった。何事にも深く意味を求める井上に、俺は敵わないと思うことがある。

 思慮深くて暖かい人間性を持つ井上という存在が俺は好きだった。

 あの頃、心のどこかで俺は、いつかこんな人間になれたら良いと、同級生ながらも彼に羨望の気持ちを抱いていたのかもしれない。


 こんな話をしながら海岸沿いを三人で歩いた。

港近く、海を一望する場所に海堂の足が止まった。

 ここだよと言われたその場所に達は驚いた。

 そこは龍神神社の外宮げくうと呼ばれる龍神神社の分社だったのだ。


「え、これ…お前んち?

嘘だろう?」

 

 見上げる俺達の前には学園の門と同じ朱塗りの鳥居が、まだ淡い三日月を頂いた鳩羽色はとばいろの空にすっくと立っていた。















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