第6話 逃した魚

「お前達、ここで何をしているんだ。自室待機のはずだが?」

「雅楽科の生徒に用事があったようです」


 学園長の質問に答えたのはフランケンだった。フランケンは愛想が悪いくせに学園長には忠犬なのだ。


「用事?誰に何の用事があったんだね」

「い、…一年生の海堂君です。落とし物を拾ってくれたと言うので…」


 そう俺が言った瞬間、何故かその場の空気が張り詰めた気がした。何かマズい事でも口走ったかのような空気感が肌を刺した。


「海堂と言う名の生徒はこの寮にはおらん」

「え、でも今、緑川先生と話されてましたよね?あまね君とは海堂君のことでは、」

「盗み聞きとは関心せんな、ともかく海堂周かいどうあまねはここには居ない。さあ、自室に戻りなさい」


 即答する学園長のにべもない態度が不自然だった。俺と同じものを感じたのか井上が更に学園長に詰め寄った。


「今日巫女舞を踊った男子生徒の事ですが…、居ない筈は…」

「《《ここには居ない!》さあ、戻りなさい!」


 学園長の何も有無を言わせぬ圧倒的な威圧を感じて俺達は黙って引き下がる他なかった。


 狐に摘ままれたようだった。この学園は全寮制のはずではないのか?あの舞台で強烈な存在感を放った海堂。

 それなのにこの日俺達はまるで蜃気楼のように彼に触れる事ができなかった。


 何も進展しないまま漫然と翌朝を迎え、急遽行われた全体朝礼で俺達は正式に佐々木が死んだ事を知らされた。ショックだった。

 あんな倒れ方をしても、佐々木はきっと大丈夫だと何処かで思っていたような気がする。

 何故か死因は生徒達には公表されなかった。生徒達の受けるショックを考えたのか、はたまた別の理由があったのか分からないが、

あれは絶対に毒殺だ。確信はあるが確証だけがなかった。

 あの時血溜まりから海堂が拾い上げたものがその確証になる!そんな強烈な邪推に駆られた俺は、朝礼から帰っていく雅楽科の生徒達の中へと猛然と突撃していた。

 

「海堂!海堂周は何処だ!出てこい海堂!」


 何事かと驚く一年生達をかき分けるように探していると、生徒達の中に俺を見た途端、走り出す者がいた。チラと振り返った瞳は怯えたような色素の薄い瞳。顔色を失った顔。一目で俺はそれが海堂だと分かった。


「待てよ!海堂!」


 その時の俺はまるで兎狩りをする狐のように、すばしっこく逃げる海堂を人気の無い本殿の裏手まで追い詰めた。

 本殿の冷たい漆喰の壁に阻まれ、逃げ場を失った海堂は俺とは一回りほど体格差がある。その海堂の腕を俺は乱暴に掴んで振り向かせた。


「おい!こっち見ろよ!」


 大きく見開いた瞳が小刻みに震えながら、まるで怯えた小動物のように俺を見た。

 間近で見る海堂は遠目で見るより美しかった。その生々しい美しさが何故か俺を余計に苛つかせた。


「や、やめて…下さい…放して…!」

「お前、俺見て逃げたよな。逃げるって事は何か後ろめたい事があるからだろう?」


 そう言って俺は掴んだ腕を揺さぶると、ますます海堂は体を縮こませた。


「な、何のこと?貴方が追いかけてきたからボクは逃げただけだ!」

「しらばっくれるなよ一年坊主。俺は見たんだよ血溜まりの中からお前が何かを拾うのを!」


 佐々木が死んだショックで俺は理性の箍外れていた。まるで海堂の仕業であるかのように追い詰めて、海堂の身体を激しく揺さぶり壁に打ちつけた。


「お前が佐々木を殺したのか!」

「ボクじゃない!ちが…っ!」


「止めろ!瀬尾!」


 その時、逆上している俺を静止する声がした。井上だった。

井上は俺を追って来たのだろう、息を切らせながら海堂に掴み掛かる俺の腕に手を掛けた。


「乱暴にするな、瀬尾!離してやれ!海堂が犯人だって決まったわけじゃない。話を聞くだけだろう!」


 我に返った俺が海堂を掴む手を緩めた瞬間、あろう事か海堂の膝が俺の股間を思い切り直撃した。


「ゔっ…!」


 不覚にも一撃を喰らった俺は目の前に星を散らせ、股間を押さえて蹲った。まさかこのいかにもひ弱そうな海堂に一発食らわされるとは思っても見なかった。油断していた。


「大丈夫か瀬尾君!」


 井上が驚いて俺に屈んだ瞬間、海堂は脱兎のごとく逃げ失せた。


「待て!海堂…っ、くそっ!」


 逃した魚はデカかった。海堂が何かを知っていることは確かだったのに俺は追いかける事が出来なかったのだ。


「逃げやがったなくそったれ!」

「大丈夫?瀬尾君立てるかい?」


 しばらく痛みが治ってから、俺は井上の肩を借りてようやく立ち上がった。


「アレは君が悪いよ、瀬尾くん。君は最も下手くそな聞き方したんだからね。下級生を襲ってるようにしか見えなかったぜ?」


 そう言われると俺は跋が悪かった。


「つい頭に血が上った。なんかアイツ見てると苛つくんだ!

でも、アレは何か知ってる目だった…」

「まあ、それが分かっただけでも良かったじゃないか。痛い授業料だったけどね、ははは!」

「〜〜笑うな!」

「まあまあそう怒るなよ。僕も少し収穫があったよ」

「収穫?」

「うん、雅楽科の同級生達から聞いた話だと、海堂君はこの島の出身だそうだ。親戚の家から通っていて、やはりこの寮には住んでいないらしい。

それから…。あの学園長とは遠縁に当たるらしい」


そう言う事なのか…。


 昨夜、学園長が『』と言った言葉がようやく飲み込めた。

 同時に海堂の名前を出した時の、あの異様に張り詰めた空気が脳裏を過った。

 佐々木の不可解な死と海堂の持っている何か。そしてそこに、学園長の影がチラついつき始めている。

 俺達は何か大きな暗雲の前に立たされている気分だった。


「なあ、井上。この事はもう警察沙汰になってるんじゃないか?学校側だって事情聴取されてるはずだよな。そしたらFA研の俺達にもきっと警察は話ぐらい聞きに来るんじゃ無いのか?」


 その時、俺達は何を聞かれ、何を尋ねられるのだろう。そして何を答えればいいのだろうか。


 その時、どぉぅ…と風がこのやしろの周りの竹林を駆け抜けた。潮の匂いのする生温い風だった。










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