最後の恋人
波平
第1話 忘れ物
「あの… チェンジ… でしょうか?」
ここは都内の某ホテル。
とある部屋のドアで女が尋ねている。
男はその女を前に無言で佇んでいた。
女はいわゆる風俗嬢だ。
呼ばれて来たのだが客の男はドアを開けたまま
フリーズしていた。
「あ、いや、ごめんごめん。
素敵な人なので驚いちゃって、入って」
「ありがとうございます。
アキです。よろしくおねがいします」
笑いながら女は会釈した。
同時にきれいな黒髪が流れる。
ベージュのスカートに白のニット。
上品なOL風がいいな。風俗嬢に見えない。
男は感心しながら女を部屋に招き入れた。
勝手なイメージで夜の女は品が無いと思っていた。
だが、この子は清楚なお嬢様にみえる。
料金説明を懸命にしてくれているが可憐な姿に見とれて
全然話が入ってこない。
男は
51歳。とある商社の管理職だ。
現在独身。1つ下の嫁とは4年前に協議離婚した。
門野は海外出張や単身赴任で家を空けがちだった。
妻も公務員。共働きで生活はすれ違いが多く
別居状態も常な期間があった。
子どもの縁が居なかったため気楽な暮らしだった。
ただ、あまりにふれあいが少ない夫婦だったため
愛ある夫婦生活ではなく、ただ生きていくために
ルームシェアで暮らしている。そんな感じだった。
妻は40歳を過ぎた頃から離婚の計画を建てていたようだった。
門野が45になった頃、お別れの相談をしだした。
お互い自由に余生を謳歌しましょうよと言われた。
門野はそれに対して何の感情も湧かなかった。
2人で買った一戸建てを売り現金に替えて折半する。
お互い個人的な動産には一切関与しない。
なんどか話し合いの機会を経て円満離婚が成立した。
門野は自分の貯金も少しはあったので
新たに2DKの賃貸マンションに移った。
駅に近くて通勤は楽。繁華街も近い。
買い物も便利だし賑やかでいい。
でもやはり人恋しい。独り身の寂しさから
たまに出張先のホテルで風俗嬢を呼んでしまう。
「お優しいですね」
帰り支度をしながらそんな事を言われた。
「え?オレ?そんな事ないよ、普通だって」
そう言いながら内心よかったと思った。
門野自身、彼女を見た瞬間から一目ぼれだった。
こんなオヤジの相手は嫌だろうなとすぐ思った。
なので、嫌われないように気遣って過ごした。
その気遣いをアキは肌で感じていた。
「また東京には出張で来られますか?」
「え?」
そんな事聞かれるなんて思わなかった。
何時来るか?わからないオレに予定聞くなんて。
営業にしては丁寧すぎるだろ?と思った。
いや、そこまでするのが最近の営業なのかな?
門野はそう思いながら返事をした。
「うん、3か月に1回くらいは来るよ」
「また東京に来られたらお会いできますか?」
どんなお誘いだよ?と思いながらうれしかった。
独りになって4年、やっぱり寂しい生活だった。
営業トークとわかっていても乗っかりたかった。
「うん、また来たらお願いしようかな」
「本当ですか?じゃあ連絡先お渡ししていいですか?」
そう言うとアキは店の名刺を取り出し裏に何か書いた。
「これ、私のメールです。よかったら連絡ください」
「お店に関係ないので、お楽にメールください」
少し恥ずかしそうに名刺を渡す。
それは店の名刺だった。
裏に手書きで彼女のメールアドレスが書いてあった。
「ありがとう!次、出張決まったら連絡するよ」
門野は少し舞い上がりながら名刺を仕舞う。
「お待ちしてますね。今日はありがとうございました」
アキは照れくさそうに頭を下げドアを閉めた。
2時間の恋人は仕事を終え帰っていった。
どうしようもない寂しさがこの部屋を包む。
虚しさと悲しさに押しつぶされそうになる。
ソファにだらしなく沈みながら泣きそうになる。
オレ、どんな顔してんだろう?
門野は立ち上がりバスルームへ行く。
あんな営業トークに舞い上がるほど寂しいのかな?
やっぱり独りが耐えられないのかな?オレは…
鏡を見て思う。
寂しいなんて思わない。
別れた嫁に負けたような気がするから。
奴はきっと独身を謳歌しているはずだ。
なんともないさ、独りで清々しているよ。
会うことが無い相手に意地を張る。
鏡の向こうに無理して笑う51歳が居る。
その時気づいた。
スプレーボトル?
シンクの横にちょこんと置いてある。
こんなのアメニティにあったかな?
手に取り部屋に戻りながら考える。
上がシルバーのプッシュ部分。
下が半透明のなんて言えばいいんだ?
ポリのようなプラスチックのような?
中は水みたいだ。作りが安っぽい。
100均のかな?
あの女の忘れ物かもしれない
たしか?帰り際トイレに行ったな。
あの時に忘れたのかな?
忘れ物の件を伝えようか?
探しているかもしれないし…
さっき受け取った名刺を手に取った。
再度、しっかりと読み直す。
アキちゃんね。マジで素敵だったな…
フリーメールか?これは仕事用だな。
たまたま門野も同じメアドを持っていた。
メールするか…
でも、こいつも釣られたよって
笑われるんだろうなぁ…
手の中のスプレーボトルは
いつの間にか、生暖かくなっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます