老人と少年と青年と老人と

ろくろわ

旅路の途中で

 人工的な音の聞こえない静かな夜。

 僕は野宿のじゅくの準備を終えると、かつての思い出を拾い集め、焚いた火の中に燃料としてべた。幸いにも此処には人を襲う猛獣も自分のテリトリーを邪魔をする人間もいない。

 小さな焚き火の灯りは意外にも辺りを反射し、暗闇に埋もれる私を照らしだすと、僕が一人である事をちゃんと教えてくれていた。

 白髪も随分と増え不揃いに短く伸びた髭を触りながら、すすついたカップにお湯を沸かし残り少なくなった貴重な珈琲を淹れた。

 昔は珈琲なんて物は毛嫌いしていて、もっぱらコーラやファンタと言った炭酸しか飲まなかったのにと、煤ついたカップの珈琲に浮かぶ焚き火を見ながら若かりし頃を懐かしんでいた時だった。



「こんばんは」


 不意にこんな場所に相応しくない、まだ声変わりも終えていない少年の高い声が静かに反響し耳に届いた。

「あぁ、今晩は」と返してはいたものの、物思いにふけっていた老人は急に話し掛けられたことに驚きを隠せなかったようだ。

 そして何より、この少年はいつの間に焚き火を挟み老人の前に来たのだろうか。時間だってもう随分と遅いと言うのに、少年が一人で居ることもいささか気味が悪い。


「君はこんな遅くに一人なのか?」

「それはお爺ちゃんがのではないかなぁ?」

 ケタケタと笑いながらそう答える少年の顔は、焚き火の揺めきではっきりとは見えない。

 何だか不思議だが、少年に言われると確かに知っているように感じる。


「よく知っている?それもそうなのかもしれない。ところで君はどうしてこんな場所に?」

偶々たまたまだよ。焚き火の灯りに人恋しくなったから出てきたんだよ」

「そうか、丁度良かった。一人より誰か話し相手がいてくれた方がいい。そうだなぁ、夢の話をしよう。君は将来、何かなりたいものはあるのかい?」

「僕の夢?僕は将来、ヒーローになりたい!弱い人たちを悪の手から守るんだ!」

 どこか大人びた返事をしていた少年は急に年相応に答えた。


「ハハッ、そりゃあ良い。きっと成りたいようになるさ。なぁ少年よ、君はこんな世の中になってしまったけど幸せか?」

 少年の夢を聞いた老人は、ボサボサに伸びた髭を触り、シミの出来た頬に卑屈な笑みを浮かべ訊ねた。


「こんな世の中かどうかは知らないけど幸せだよ!」

 少年はキラキラした表情を私に向けそう言うと、そろそろ行くねと焚き火の揺らめく奥へと背を向け立ち去っていった。


「『正義ヒーローになりたい』か」

 焚き火の揺めきに立ち去った少年の姿を思い返す。


「ヒーローがどうしたんだ?」


 老人の向かいから再び声が聞こえてきた。

 今度は随分と大人の声で威圧的。なんだあの少年は一人じゃなかったのかと老人は暗闇の中に話し掛けた。


「やぁ今晩は。なぁにさっきの少年が正義ヒーローになりたいって言ってたからね。君はあの少年と知り合いかい?」

「あの少年と知り合いかだって?それはジジィがだろ?」


 成る程。確かに言われてみればそんな気もする。知っているのかもしれない。

 揺らめく火を囲い腰を掛けた彼に老人はもう一杯、香りの飛んだ珈琲を淹れ差し出す。


「良かったらどうだい?」

「ハッ?そんなもんいらねぇよ。俺は珈琲なんて飲まないし嫌いなんだよ。さっきのヒーローになりたい話もな」

 青年は刺々しく言い放ち話を続けた。

「そもそもヒーロー何て奴は存在しないんだよ。助けて欲しい時に都合良く来ねぇんだよ」

「随分と否定的なんだね。何かあったのかい?」

 青年の言いたい事は何となく予想がつく。

「別になんにもねぇよ。ただ周りの奴らが無能で関わる価値なんて無いってことだよ。だから俺は俺だけを守ることにしたんだ」

 誰に言うわけでもない青年の声はどこか弱々しかった。

「だから部屋に引きこもったって訳だな」

「引きこもったんじゃねぇ。俺の方から俺へのアクセスを制限したんだよ」

「そうか、そうだったな。それで君は今、こんな世の中になってしまったけど幸せか?」

「ハッ、こんな世の中かどうかは知らないけど今は幸せだよ!」

 青年はやっぱり刺々しく言い放つと此方を振り向くこと無く、やはり焚き火の揺らめく先へと消えていった。再び訪れた静寂の中にパチパチと火のぜる音が響き、青年と話を終えた老人は静かに自分のこれまでの事を振り返り、語りだした。


「毎日が新鮮で夢を追いかけ、ヒーローに本気でなれると思っていた少年時代。現実に疲れ目の前の事から逃避し自分の世界に没頭した青年時代」


 老人はゆっくりと確実に記憶の糸を紡いでいた。


「奇しくも自室に篭っていたお陰で、殆どの者が死に至った人から人へ感染する変異型ウイルスによる、未曾有の災害からも逃れることが出来た。おそらく人類は感染からたった数ヶ月でそのしゅとしての役割を終えたのだろう。そしてウイルスもまた、感染する宿主を失い消滅したのだろう。自室から出たのは、いよいよ食料が底をつき周りも随分と静かになり、電気が点かなくなってからだった。最初は何処も人の気配のしない近場のスーパーやコンビニから食料を調達した」


 長年外に出ていなかったから初めは大変だったと手振りで示す老人。


 「そんな生活も長くは続かず、人との関わりを絶ったはずだったのに、誰か生きている人は居ないかと旅に出ることにした。そこから何十年と言う歳月をかけ日本中を歩き回った。少しずつ自然に還る人工物を見ていき、生態系が変わり行く様子を身をもって感じた。そして今日、旅が終わる。陸地で繋がって歩ける所は生きている人がいないか探してみた。その結果この数十年で生きている人のいた形跡すら見つけることが出来なかった」


 既に建物の大半が崩れ落ちたモールの中で揺らめく火を囲いながら、老人は真っ白になった髪をクシャと握るとボサボサに伸びた髭を触りながら僕に訊ねてきた。


「なぁ、お前は今幸せか?」


 そう言うと老人はもう会う事はないだろうと別れを告げると、炎が揺らめく奥へと歩いていく。




 カラン。

 煤ついたカップが床に落ちる音で僕の意識が戻ってくる。焚き火は既に消えており、東の空は白く霞がかって来ていた。

 僕は短い髭を髭を擦り、確かに話した事を確認する。

 僕は本当に人に出逢ったんだろうか。

 あれは夢では無かったのだろうか。


 十数年、人を探してみたが一度も出逢うことはまだ出来ていない。長いこと語り合うこともしていない。

 だけど確かに昨日、僕は三人の人と話をしたのだ。


 僕は焚き火台の奥にある一口も飲まれず冷たくなった珈琲の入ったもう一つのカップを見ながら、そう自分に言い聞かせた。


 あの老人のように、数十年探しても誰も見つからないかもしれない。だけど僕はまだあの老人の様にはならないかもしれない。


 だから僕はあの問いにこう答える。


「人がいる未来を探している今は幸せだよ」



 廃虚となったモールに一人、僕の声がこだました。

 僕の答えに返事をしてくれる人はまだ誰もいない。





 了



物語はこれで終わりです。

この後に少しだけ、補足と言うかあとがきを書きます。

良ければお付き合いください。


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