ライバル会社社長×OL【社会人百合】
茶葉まこと
第1話 ごめんね。人間観察が趣味なんだ
「で、取っちゃったの?」
「そう。」
今日のことだ。友人の結婚式に参加した私は、偶然にも飛んできたブーケトスを取ってしまったのだ。わっと沸き立つ式場。響く拍手。集まる注目。まるでシャワーのように降り注ぐおめでとうの言葉たち。
「
なんて言いながらテンションの高い新婦に抱きつかれるわ、より一層拍手が盛大になるわで…。何とか愛想笑いでやり過ごしつつ、結婚式が終わった足で、そのまま行きつけの店に来たのだ。
繁華街の狭い路地裏にあるこじんまりとした店。ここの店長とは仲がいいのだ。
「というわけで、店長。このブーケあげるわ。私持って帰ってもすぐに枯らすから。」
「良いの?」
「ええ。」
「じゃあ、お言葉に甘えて。」
店長は純白のブーケを受け取ると、鼻歌交じりにカウンターに飾った。
「で、沙織は結婚の予定はないの?」
「あったらここには来ないわよ。」
「あら。確かにうちの店は女性限定の店ではあるけれど、恋愛対象は女性という決まりはないのよ。既婚者や彼氏持ちのお客さんも来るし。まあ、今日はお疲れ様。乾杯。」
カウンター越しに店長がグラスにワインを注いでくれる。そして乾杯をしようとした時だった。
「乾杯。」
隣から聞こえる声。あれ、私の隣には誰も座っていないはずだけど。視線を動かすと、そこにいたのは、明るい茶色でウエーブがかったショートヘアーが特徴的な女性がいた。
チャコールグレーのパンツスーツに身を包んだその女性は、屈託のない笑みを浮かべている。
「誰?」
「誰だと思う?」
「知らないわよ。」
何この人。距離近いし。しかも店長なんで何も言わないで、ニコニコしながら奥に引っ込んじゃうの?意味わからないんだけど。店長は何を察したのか店の奥に引っ込んでしまった。ちょっとまって店長。何してくれちゃってんの。こんなわけわからない人と二人きりにしないで。
「お姉さん、結婚式の帰り?」
「何でそう思うの?」
「そのドレスアップした可愛らしい姿と、鞄と、今店長に渡した真っ白なブーケから推測されるのはそれしかないかなって思ってね。」
「………。」
私はじっと黙って彼女を睨んだ。彼女は上機嫌にニコニコと笑っている。
「あ、返事がないってことは正解ってことで良い?いやあ、私名探偵だわ。」
彼女は明るく笑って言葉を続ける。
「でもまあ…。」
そこまで続けて彼女は私の顔をニコニコ笑ったまま見つめた。
「せっかく幸せいっぱいの空間に行ってきたはずなのに、ひとつも幸せそうじゃない顔をしてるのはどうしてだろうね?」
「は?」
「ちっとも嬉しそうでもなければ楽しそうでもない。むしろ無駄な時間を過ごしたとさえ思ってる。違う?」
「そんなことないわよ!」
あ、しまった。見ず知らずの人についつい感情的になってしまった。いけない、落ち着こう。冷静さを見失ってはいけないわ。感情的になってもいいことなんて一つもない。
「取り乱してごめんなさい。」
「んーん。私こそごめんね。お姉さんがあまりにも私好みで、ついつい話してみたくなったんだけど…気分を害してしまったみたいだね。名探偵失格だ。」
「ご職業は探偵ですか?」
「いいや、違うよ。」
彼女はくすくすと笑った。なんか騙されたみたいで恥ずかしいんですけど。
私はさっき乾杯したばかりのワイングラスをグイッと一気飲みした。
「お、良い飲みっぷり。」
「うるさいわね。」
「まだ怒ってるの。」
「別に。」
「ふーん。……ほんのりと頬が紅潮してる。ワインを飲んだからっていうのも考えられるけど、この場合は、さっきのやりとりで照れてるか私に惚れてるってところかな。」
「はい?」
「ごめんね。人間観察が趣味なんだ。」
「趣味悪いわよ。」
「よく言われる。」
彼女は笑みを崩すこともなく、カウンターに飾られたブーケから一本、白いバラの花を抜き取った。そして、私に近づいてくる。そのまま彼女は少し屈んで私の目線に合わせると、花を持ったままの手をを私に伸ばしてきた。
距離が近い。いい匂いがする。そしてなにより……。
綺麗な顔。正直タイプど真ん中の顔だ。
彼女は私の気持ちを知ってか知らずか、目が合うと少しだけ目を細めて微笑んだ。体がざわつく。こう、芯がぎゅっと締め付けられるような。どうしたの、落ち着きなさい私。
そして彼女は私のアップになっている髪にすっと一輪挿した。
「うん、白が良く似合うね。美人な君がより華やかに見える。」
上機嫌な彼女。明らかに手つきが慣れている。きっと何人もの女の子にこんなことをしてきたんだろう。……きっと何人もの女の子を抱いて来たんだろうなんて考えてしまう私……今日は一段と心が荒んでいる気がする。
私が彼女をじっと見ると、彼女はなあに?と言わんばかりに小首を傾げてきた。
彼女は私が口を開くのを待っているようだった。どうすべきか、名前くらいは聞いておこうか。もう今日限りで会うことはないだろうけど。
「あなた、名前は?」
「私の名前?」
「それ以外に誰の名前を聞くのよ。」
彼女はジャケットから名刺ケースを取り出すと、そこから一枚名刺を取り出して、裏に何か書いてから渡してきた。
そこに記されていた会社名を見て驚いた。だってそこに書かれていたのは私の勤めている会社のライバル社だ。しかも肩書をみてさらに目を丸くした。
代表取締役……名前は……
「
「そう。泉つばさだよ。よろしくね。ちなみに裏に個人的な連絡先も書いておいたからいつでも連絡してね。じゃあ次、君の名前は?」
彼女はにっこり握手を求めてきた。反射的に握手をしてしまう。といってもまさかライバル社の社長とこんなところで知り合いになるとか。その上握手まで交わしたなんて…うちの会社にバレたら面倒なことになりそうだ。
「……
「んん?顔が引きつってる。何で?」
「別に…。」
「それに急に敬語なんて使っちゃって。変なの…あ、もしかして同業者だった?それともライバル会社とか?だとしたら勤め先は――。」
彼女がクイっと口角を上げる。彼女の口から私の勤め先が告げられた。あまりにピンポイント過ぎて、驚きのあまりすぐに返答できなかった。
「ふふっ、あははっ、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてる。ってことは図星?」
「うるさいわね。」
私は平静を装ったけど、遅かったようだ。彼女は、なるほどーあの会社かーなんて呑気に笑っている。
「あれ、急に静かになっちゃってどうしたの?怒った?」
「別に怒ってないわ。」
私は髪からさっきの白い薔薇の花を抜き取った。
「あれ?取っちゃうの?」
彼女はほんの少しだけ残念そうな素振りを見せた。でもそれは彼女の本心なのか分からない。私はそのまま花を彼女のジャケットの胸元のポケットに飾った。
「そっちの方がお似合いだわ。」
さあ、もう今日は帰ろう。
「急に冷たくなっちゃって。別に会社同士が敵対してるってだけで、私と君が敵対してる訳じゃないのに。」
彼女は胸元から花を抜いて、指先で薔薇の花の茎をくるくると回した。その仕草でさえも女性なのにかっこよくて、顔が好みなこともあって、思わず……いや、好きに何てなるはずない。こんな人間観察なんて趣味の悪いライバル会社の社長なんかと。
私はカウンターに置いていた携帯を鞄にしまい込むと、椅子から立ち上がった。
「ねえ、無視しないで?」
彼女は私の腰に手を回してぐいっと引き寄せた。
はためくスカート。カツンと小さく音をたてるヒール。
彼女目が合う。綺麗な双眼が私を見つめる。微塵も崩れていないナチュラルなメイク、整った顔、きめ細やかな肌、そして潤んだ唇。この唇に触れたらどんなに……って何考えてるの私。もうっ、なんでこんなに好みの顔なのよ。
「あれ?もしかして惚れちゃった?さっきの態度もツンデレってやつ?」
「違うわよ。」
「良いよー。私も沙織さんのこと気になるし?付き合っちゃう?」
「嫌よ。」
「でも表情も体も嫌そうじゃないんだけどな。」
彼女はそのまま私の腰をスーッと撫でた。ぞくっと腰が疼く。
「あっ。」
思わず小さく声が漏れてしまった。恥ずかしい。慌てて私は片手で口を覆った。
「可愛い。」
そのまま彼女は空いている片手で私の手首を掴んだ。ドキドキと心臓が高鳴る。そして彼女はそれから指先で私の手首をなぞった。
「んんっ。」
「ふうん、手首も弱いんだ。」
「違っ。」
「違わない違わない。ツンデレの沙織さん。」
「ツンデレなんかじゃないわ。馬鹿!」
「馬鹿じゃないよー。つ、ば、さ。ほら、名前呼んで?」
「嫌よ。」
「強情だなー。でもそんなところも私は結構好きなんだけど。」
「私はあなたのこと好きじゃないわ。」
「って言いながら、大好きなんだよね。顔、好みなんでしょ?」
「なっ。」
「見てれば分かる。人間観察が趣味って言ったでしょ?」
ね、と彼女が笑った。何て妖艶な笑みなんだろう。もっと近づきたい。理性が飛んでしまいそうなのを必死で捕まえておく。
「ねえ、私と今夜過ごさない?」
「そういう軽いノリは嫌いなの。」
「なるほど。じゃあ、じっくり一線を越えたお友達からでもいいよ。」
「なんで一線を越える前提で話しているのよ。」
「だって超えてみたいでしょう?私、沙織さんみたいな子好きだし。沙織さんも私が好き。お互いの求めるものが一致してるじゃない。」
駄目だ、彼女の口車に乗せられてしまいそうだ。必死に流されまいと踏ん張る私。
「……あなたほど綺麗な顔なら他にもよって来る女の子はいっぱいいるでしょう?その子たちと過ごしたらどう?」
「やきもち?」
「だからどうしてそうなるのよ。」
この人と会話していたら埒が明かない気がする。それにさっきから掴まれている腰や手首が熱い。
「大丈夫だよ。確かに何人か女の子と寝てるけど、こんなにそそられるのは君が初めて。」
「嘘ばっかり。」
「バレた?」
ほら、やっぱり。
「っていうのは嘘。あははっ、今しょんぼりしたよね。可愛い。」
「なんなのよ!もうっ……んっ。」
言い終わる前に重ねられる唇。柔らかくて、とろけてしまいそうな甘いキス。体の芯がキュンとする。彼女を求めてしまっている私がいる。それを必死に理性で押さえつける。なのに…なのに…
すぐには離れない彼女の唇。長いキス。そのせいで私の理性はどんどん保てなくなっていく。まるで支柱がぐらぐらの家だ。
チュ、と軽いリップ音を出して離れる唇。
「ねえ、続きしたくない?」
追い打ちをかけるように彼女は今度は私の首筋を指でなぞった。とっさに頷いてしまった。あ、と思った頃には遅い。
「ふふっ、素直。素直な子は大好き。」
彼女は出会った時のように屈託のない笑みを浮かべた。その時だった。
ピピピピピ
音を立てて鳴り響く携帯電話。私の着信音とは違う。彼女の物だ。
「はい、もしもし。――え、今から?嫌だよ。――はい、……はい。しょうがないなー。今回だけだからね?」
通話を終了すると、彼女は大きなため息をついた。
「ごめん。仕事呼ばれちゃった。」
「いえ…別に。」
「そんな悲しそうな顔しないで。また会えるから。」
「悲しそうな顔なんてしてませんから。」
「この埋め合わせは必ずするよ。あと、今度会った時はつばさって呼んでね。」
彼女はさっと会計を済ませると、急ぎ足で店を後にしてしまった。そのタイミングを見てか店長が戻ってきた。
「どうだった?泉つばさ社長は。」
「店長知ってたの?」
「うん。たまにうちの店に来てくれるから。また会うの?」
「会わないわ。あんな悪趣味な人。」
「っていうわけには行かなさそうだけどね。」
「は?」
店長が指さす方向は私の鞄。私の鞄の上には、彼女の名刺ケースが丸ごと置かれていた。
「届けないといけないんじゃないの?社長の名刺って大事よ?」
「店長が連絡しておいて。」
「それは沙織からしなさいよ。」
「は?なんで。」
「連絡先聞いてないの?」
「……聞いたけど。」
「じゃあ、よろしくね。」
「店長からすればいいじゃない。」
「残念ながら私は泉社長から個人的な連絡先は聞いてないの。」
それから何度か粘ったけれど、店長はひらりと交わして私の主張は通らなかった。
結局、もう会うことはないと思っていたのに泉つばさに電話をかける羽目になってしまった。電話の内容を店長に聞かれるのも嫌だったので、帰り道、歩きながら電話をかけることにした。
「もしもし?あ、もしかして沙織さん?」
「はい。名刺ケース忘れてましたよ。」
「ほんと!?ありがとう。ちょっと今手が離せないから、会社まで届けに来てもらっていい?タクシー代はこっちで出すから。」
「え、今から?」
「うん。明日大事な仕事があるんだけど、それに名刺が必要なんだよね。」
「今何時だと思ってるんですか。」
「まだ日付変更線は超えてないよ。名刺に会社の住所も書いていあるからよろしくね。もちろん帰りは送るよ。じゃあ、ちょっと手が離せないからよろしく。」
プツっと音をたてて切れる電話。いや、切れるんじゃない。一方的に切られたといった方が正しい。
「何なのよ…。」
結局私はパーティドレスを着たままタクシーを捕まえて、彼女の会社…つまりうちの会社のライバル社へ赴いた。
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