道中にて

沸騰 進

道中にて

 とても暑い日だった。とても暑かったのに、飲み物をちょうど持っていなかった。自動販売機という、全国に腐るほどあるはずの機械が、この日だけは、何故か僕の周りに存在していないように思えた。生唾を飲んで、喉の渇きを誤魔化そうとしたのはこれで何回目だろうか。瑞々しさの根源とも言える若さしか、今僕は持っていなかった。それで乾きを誤魔化した。山に向かっている。今歩いている道の両端には木が密生しており、林になっていた。道中、男が木の影から頭だけを出してこちらを見ていた。声がか細い。聞き取れないが口元をよく見るとなにか喋っていることが確認できた。男は必死に何かをこちらに訴えているようだった。あまりにも必死な形相をしていたため、僕もその必死さに応えようと、男の顔を凝視し、耳をすませた。しかし何も聞こえなかったため、僕は男に近づいていき、ついには男の口と僕の耳がくっついてしまった。何も聞こえなかった。

         *

 しかし、暑すぎる。地球温暖化という現象は、いささか人間に対して失礼な現象では無いかと思う。地球と人間のどちらが偉いかについて考えていると、1つの結論が浮かんだ。僕だ。僕である。僕は偉いのである。すなわち、この地球上で僕以外は僕では無いのである。それに気づいた途端、向こうに1人の女性が立っていて、僕を見つめているのを発見した。それはつまり、僕に興味があるということを意味していることに違いなかった。彼女は僕に駆け寄ってくると、こう言った。


 「自惚れるのはいいかげんにしなさい。このドブマシーン。あなたの発言はピンク色のライオンのように滑稽でいてかつプリティーであります。これは由々しき事態であって、笑い事ではないのです。分かっているのなら、大きくバンザイをしてこう叫びなさい。ふ」


 そこまで言いかけると、彼女は何か重大な事に気が付いたかのように驚いた顔をして、僕に背を向けて逃げていった。僕はバンザイをして叫んでみたが、彼女は戻らなかったし、何も起こらなかった。

         *

 暑さは増して、僕の脳みそは沸騰しそうだった。僕はいよいよ山を登り始めていた。汗が頭皮から額を伝い、まるで存在意義のない眉毛は汗を塞き止める義務を果たさず、僕の目玉の中への汗の侵入を許してしまった。僕は怒りを抑えきれなかった。すると犬がいた。犬は僕を見上げていた。犬が口を開いた。


 「少し君、見下す事が失礼だとは思わんのかね。」


 まあそうだと思ったので、僕は汗ばんで体に張り付いたシャツを土で汚しながら、這いつくばることにした。

 

「犬が喋らないからといって、そちらの都合の良い考えで俺達を解釈してもらっては困る。俺達には意思があり、かつ尊厳が存在する。君、もう少し這いつくばりたまえ。今までそうやって何度犬を見下してきた?話を聞きなさい。人に序列が存在するように、犬にも序列が存在しているのだ。そこで君らと俺たち犬を合算して序列を求めたところ、君より俺の方が序列が高いことがたった今判明したのだ。なんと喜ばしいことであり、祝福すべきことであろうか!」


 「しかし、あなたは犬でしょう。どうして犬と人間の序列を合算して求めることが可能なのですか?」


 僕は這いつくばり、顔は土にくっついていた。その状態のまま聞いたため、それはほぼ言葉として犬に伝わっているとは到底考え切れなかった。。おそるおそる顔を上げると、犬はそこにいなかった。何もいなかった。

          *

 暑さは最高潮を迎えていた。汗は僕の目玉に溜まり、こぼれ始めていた。これは涙だろうか。汗だろうか。きっと涙である。僕は頂上へと辿り着いた。山の頂上はプリンのてっぺんのように平らだった。高度1213mと書かれた札が倒れていた。その割に周りの景色はよく見えなかった。暫く歩き回り、崖の端っこにある柵に寄りかかって下の景色を見ようと考えた。その時、僕が今踏んだはずの地面が、ぐにゃりと歪んでぽっかりとなくなったことに気付いた。それはまるで、誰かがスプーンでプリンをすくったようだった。僕は転落していた。

          *

 耐えきれない暑さに夢から目が覚めると、そこは病室だった。ふと横のカレンダーに目をやると、今日が12月13日だということが分かった。暖房のせいかと目をやると、電源は付いていないことがわかった。ドアの方からノックの音が聞こえ、1人の男が入ってきた。彼は医者のようだった。彼を見て、僕は自分が入院していたことを思い出した。彼は声が小さかったので、基本的に彼が何を言っているのか僕は理解することが出来なかった。彼は必死な様子で何かを説明していた。彼は出ていった。暑さに耐えきれず服を脱ごうとして、自分の体を満足に動かせないことに気付いた。せいぜい両手を上にあげてバンザイをすることが出来る程度だった。近くにあったナースコールを押すと、看護師が飛んできた。僕はバンザイをしながら、


 「服を、脱がしてください」


 と叫んだ。彼女は言う通りに僕の服を脱がせ、丁寧にタオルで汗を拭いてくれた。窓から外を見ると、1匹の犬が見えた。犬は元気に走り回り、しきりにこちらを見ている。僕は犬のように自由に走り回りたいと切に願った。そしてハイキングに行きたいと思った。病室のベッドに体を預けて、天井をみていると、どうしようも無い気持ちになる。犬はまだこちらを見ていた。

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