第7話 それは本気ですか?遊びですか?(上)

さて、今日の収録も無事終わったし、あとは電車に揺られて帰るだけ。明日は新曲の撮影の都合で集合時間も早朝か…。始発に乗ればギリギリ間に合うかな。いや、怪しいな。それよりもタクシーで向かった方がいい。ってことは朝は4時…いや、3時には起きた方がいいかな。


 予定を携帯で確認しながらブラブラと歩いて駅へ向かう。朝日をバックに撮りたいとか言い出したディレクターのせいで明日は早朝撮影だ。たまにあるんだよね、早朝とか深夜まで撮影すること。そのたびにやっぱりテレビ局の近くに引っ越した方がいいかなーなんて思うけれど、なかなか行動まで起こせずにずるずると数年が経過している。


「よし、今日はさっさと帰って寝よう。」


 携帯を鞄に突っ込んで足早に駅に向かおうとした時だった。携帯が振動する。私は足を止めてディスプレイに表示されている名前を見た。


「希さん?」


 希さんからの連絡。何だろう。通話だよね。


「もしもし。」

「あ、出た。真子ちゃん元気?」

「普通です。」

「そっか。元気そうでよかった。」

「……。何ですか。」

「今友人と飲んでいるんだけどさ……彼女が真子ちゃんに会いたがってるんだよね。」

「はい?」


 どうして…っていうか、その前に明日朝早いから飲んでる場合じゃない。


「ちなみにその友人はこの前泊まった別荘の持ち主なんだけど…あ、ごめん無理だったら遠慮なく断って良いからね。」


 この前の別荘の…確か社長さんって言ってたっけ。


「丁度真子ちゃんの話題になって、折角だから会ってみたいって言いだしたんだよ。私としては、彼女にはあんまり会って欲しくないんだけど。」


 誘ってるのに会って欲しくない?希さんなんか言葉の歯切れが悪いし…どうしたんだろう。むしろ断ってくれと言わんばかりの…。


「………えーと。」


 確かにこの前泊まらせてもらったし、お礼の言葉くらい伝えた方が良いかな。折角会いたいって言ってもらってるし、何より私が希さんにちょっと会いたいっていう気持ちもある。


時計に目をやると時刻は夜7時過ぎ。挨拶のために顔だけ出してすぐに帰ればきっと9時には布団に入れるから単純計算で6時間の睡眠はとれる。よし、いける……よね?


「じゃあ、ご挨拶だけしに行きます。」

「そっか……っていうか真子ちゃんならそう言うよね。」

「何か不都合でも?」

「いや、何でもないよ。私も真子ちゃんの顔見たかったし。じゃあ、お店の名前と場所を連絡するね。」

「はい。」


 なんか変な希さん。

それから程なくして店の名前と住所が送られてきた。幸いここから歩いて5分もかからない距離だった。希さんの連絡には『会員制の店だけど話はつけてあるから入店するときに自分の名前と、泉つばさの知り合いって伝えてね。』と書かれていた。


会員制の店……そんなところに私が足を踏み入れても大丈夫だろうか。そんなことを考えつつ、私はくるりと踵を返して店に向かった。


 店に入ると言われた通りに自分の名前と、泉つばさの知り合いだと告げた。店員さんは丁寧に頭をさげて私を案内してくれた。薄暗い店内には高級感漂う装飾がされていた。普通の居酒屋やバーとは雰囲気が違う。明らかにセレブが行く店だ。大体、さっきから地味に著名人がゴロゴロいる。テレビ局に出勤しているのもあって、見たことある人が何人かいる。


 私は場違い感に肩をすぼめながら案内してくれる店員の後をコソコソと付いていった。


「こちらです。」

「ありがとうございました。」


 丁寧に頭をさげる店員さん。そしてその先には、希さんともう一人、茶色でゆるふわなショートのウエーブヘアーが特徴的なこれまた綺麗な人がいた。


「初めまして。三守真子さんだよね。泉つばさです。よろしく。」

「こちらこそ初めまして。先日は別荘を貸していただいてありがとうございました。」

「礼儀正しいね。声も綺麗で可愛い。さすが歌のお姉さん。」

「えっ。」


 するりと手をとって手の甲に唇を落とされた。こ、こんなの少女漫画の王子様でしか見たことないんですけど。

 チュっと軽くリップ音をたてて泉さんは微笑んだ。


「真子ちゃんこっち。」


 泉さんから奪うように私の手をとり、腰に手を回した希さん。そのまま引き寄せられた。


「わっ希さん。」

「真子ちゃん、呼んでおいてなんだけど、この人節操なしだから近づいじゃ駄目だからね。」


 ポスンと希さんの胸元に納まる私。

はあ、と珍しくため息をつく希さん。泉さんはそれをみて面白そうに笑っている。


「あの、どういうことですか?」

「んー?」


 泉さんは楽しそうに口を開いた。


「いやー、私が無理言って君に会いたいって言ったんだよ。希は嫌がってたけど。」


 希さんの顔を見ると、口角は上がっているものの眉間に皺が寄っている。


「最初は希に無理って言われたんだよ。じゃあ、個人的に君に会いに行くって言ったら、それをされるくらいなら私がいる状態で君を呼んだ方がマシだって。そんなに私を警戒しなくてもいいと思わない?」

「どの口が言うのかな?つばさ。」


 希さんは私を抱きしめた腕を離さないまま、言葉を続けた。


「ごめんね真子ちゃん。この人本当に気になった女子はとりあえず全員口説くようなたらしだから。しかも人間観察が趣味の変人。」

「その紹介はないでしょー?これでも一会社の社長よ?」


 泉さんはニコニコと笑っている。良く笑う人だなあ。


「それに、節操なしは希もでしょう?ねえ、三守さん。この人高校生の頃からモテモテで、常に女の子に囲まれてたんだよ。優しいしカッコイイし恋人になりたい女の子は後を絶たなかったんだよ。」

「そ…そうなんですか。」

「そうそう。優しいからとりあえず抱いてくれるけど、本気で付き合わないっていうかむしろモゴッ」


 泉さんが言い終わる前に希さんはいつの間にか私から手を離して、その手は泉さんの口を塞いでいた。


「ちょっとお喋りが過ぎたかな。つばさ。」

「たらしだの変人だの言ったお・か・え・し。」


 えーっと…なんだかとんでもない事実を聞いてしまったような…。この二人どちらもしゃべり口調は穏やかだけど、明らかに私が来てから張り詰めた空気があるような。と、とにかくここは和ませないと。


「えっと、お二人は同級生なんですか?」


「そうね。お二人、というか私を含めて三人ね。」


 へ?

 後ろを振り向けばもう一人女の人が立っていた。美人で綺麗。巻かれているポニーテールと、ふわりとした上質なスカートが特徴的な女性だった。


「雨季。いいタイミング。ちょっとつばさを黙らせてくれないかな?」

「私にとってメリットがあるのかしら。」

「もちろん。それは約束するよ。」

「まあ、希はつばさより信頼できるタイプだけど。」

「え、雨季それは失礼じゃない?」


 言葉とは裏腹にニコニコとまるでゲームを楽しんでいるように笑っている泉さん。よく分からない人だ。そんな泉さんをよそに、希さんは鞄を手に取った。


「というわけで、私たちはこれで失礼するね。じゃあ、真子ちゃん行こうか。」

「へ?えっと、あの、良いんですか?」

「良いの良いの。じゃあ、雨季、折角だけどまた今度皆で飲みに行こうね。」

「……まったく自分勝手ね。まあ、いいけど。つばさ、今日はあなたのおごりってことでいいかしら。」

「もちろん。雨季、どうぞこちらへ。」


 二人を置いて希さんは私の手を引いて店外へ出た。


「あの、良かったんですか?折角のご友人との飲み会なのに。」

「良いの良いの。」

「私が来てから空気が張り詰めていたっていうか…あの、もしかして私が来た事でご迷惑だったんじゃ。」

「それは絶対にないから。あとつばさはいつもあんなのだから。場の空気をひっくるめてぐるぐるとかき混ぜるのが趣味の変人だから。」

「でもご友人なんですよね。」

「友人…だけど、悪友に近いかな。」


 フフッと笑って希さんは私の手を引いて歩き出した。


 悪友…。


「真子ちゃん、良かったらどこかで飲みなおさない?」

「あ、えっと。私明日早いので、今日はこれで失礼しようかと。さっきも挨拶だけ顔をだすつもりでしたから。」

「そうだったんだ。ごめんね。ちなみに明日の仕事は何時から?」

「えーと、5時には職場に到着したい感じですかね。」

「大変だね。真子ちゃん家どのへんだっけ。」


 私は最寄り駅の名前を挙げた。


「真子ちゃんまあまあ遠くから通ってるんだね。近くに引っ越さないの。」

「引っ越しは何度か考えているんですけど、なかなか行動に移せなくて。」


 苦笑いを返すと、希さんはふーん、と相槌を打って携帯を操作した。


「その駅から朝5時にテレビ局着だと、朝3時起きくらいになっちゃうんじゃない?」

「ええ。でも大好きな歌う仕事ですので早起きも頑張ります。これくらいへっちゃらです。」


 出来るだけ元気いっぱいに笑って見せた。すると希さんは何か考えるような仕草をして、それから私の手を引いて方向を変えた。


「わっ、あの、希さん何処に行くんですか。駅こっちじゃないですよ。」

「んー駅よりこっちのほうがつかまりやすいんだよね。」

「何がですか。」

「タクシー。」

「はい?」


 そのまま希さんはタクシーを捕まえて、私と一緒に乗り込んだ。

 そして行き先を告げると、タクシーは走り出した。


「希さん。」

「何?」

「そっちは私の家の方向ではないのですが。」

「うん、むしろ私の家の方向だからね。」

「何でですか。」

「私の家の方がテレビ局近いから、その分ゆっくり寝れるかなーって。」

「は?」

「ちなみに明日の朝はテレビ局まで車で送ってあげるから安心して。」


 希さんはにっこり笑った。


「そんなの悪いですって!」

「悪くないよ。私がしたいだけだし、それに真子ちゃんと一緒にいたいし。」


 にっこり笑う希さん。いつもの希さんだ。だけど、その瞬間ふと頭をよぎった泉さんが言いかけた言葉。


優しいからとりあえず抱いてくれるけど、本気で付き合わない。



「………それは本心ですか。」

「ん?」


 希さんは不思議そうに小首を傾げた。

 ずっと頭の中で反響する泉さんの言葉。もしかして私は希さんに遊ばれているだけでは。付き合うなんて彼女にとってはゲームみたいなもので、私はその攻略キャラクターの一人にすぎないんじゃないか。なんだか胸の中でモヤモヤした黒いものが渦を巻いている。


「真子ちゃん、どうしたの?」

「希さんは私と付き合ってるんですか。」

「そうだよ。」

「それは本気ですか?遊びですか。」


 スッと希さんの顔から笑顔が消える。怒らせただろうか。


 丁度タクシーは目的地へ止まり、希さんは無言で会計を済ませると、私の腕を引いてタクシーから降りた。何だろう、いつも笑っていて、優しくされていたからか、無言の希さんが何だか遠い人のように感じてしまう。


「希さん。」


 か細い声で彼女の名前を呼ぶ。私に振り向かずに腕を引いたまま歩き出した。


「希さん!」


 もう一度、今度ははっきりと彼女の名前を呼んだ。希さんはピタリと足を止めて、振り返った。月明りに照らされるその顔は、怖いくらいに綺麗で、瞳にだけ熱が籠っている。



「本心だよ。」


「……。」

「君を好いているのは本心。遊びじゃない。」


 一切笑わずに告げる希さん。射貫くような視線。私は身動きが取れなかった。


「え……あ……。」


 上手く言葉が出ない。希さんはそのまま私を抱き寄せて唇を重ねた。


「んっ…う。」


 こんな…外で。深い深いそのキスは体の芯が疼いてしまう。離れようと希さんの胸元を押してみるが、私の抵抗はむなしく、希さんのキスでどんどん力が抜けていく。


「はあっ…。」


 車が近づいてくる音が聞こえる。希さんも聞こえていたのか、ゆっくりと唇が離れた。


「ごめんね。詳しい話は家でするね。」


 申し訳なさそうに笑う希さん。私は小さく頷いた。


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