「明日、運命の人と出会うよ。」【大人百合】

茶葉まこと

明日、運命の人と出会うよ。

「先輩!今日の仕事終わり暇ですか?」

「ポップ書かないといけないから暇じゃないわね。」

「じゃあ、大丈夫そうですね。私、付き合って欲しい場所があるんです!」

三鈴みすずちゃん。今の言葉聞いてた?」

「はい、ばっちりです!」


 町の中にある小さな本屋。本日の閉店時刻を迎えたため、いつも通り片付けをしていたところ、アルバイトの三鈴ちゃんが話しかけてきたのだ。


優子ゆうこ先輩って確か29歳ですよね。」

「よく覚えてたわね。」

「私そういうところは記憶力良いんです。学業はちょっと記憶力弱めですが…ってそんなことはどうでもいいんです!アラサーの優子先輩にこそ、是非、一緒に行って欲しい場所があるんです。」


 アラサーって…何とも言えない重みのある言葉を放ちやがったわね…。三鈴ちゃんはズイズイと私に興奮気味に顔を近づけ来る。目が無駄に輝いている。ああ、大学生って眩しい。


「実はですね、この近くに不定期に開く占いの店があるんですよ。」

「へー。知らなかったわ。」

「で、すごく当たるらしいんです。」

「へえー。」

「優子さん、一緒に行ってください。」


 三鈴ちゃんはがっつりと私の腕を掴んできた。


「どうして?一人で行ったらいいじゃない。」

「店の入り口がオカルトチックで怖いんです。あと、こう…恋愛相談みたいなのは同じ大学の子と一緒に行くのは忍びないというか…恥ずかしいというか。優子さんだったらお姉さんみたいな感じだから安心できるって言うか…駄目ですか?」


 まるで子犬のような視線を向けてくる三鈴ちゃん。思わずため息が出る。


「分かったわ。その代わり……。」

「急いで閉店作業をしろってことですよね!了解しました!」


 パッと花が咲いたような笑顔になる三鈴ちゃん。まるで子どもみたいに表情がころころ変わるなあ。なんて苦笑していると、三鈴ちゃんは小首を傾げてこちらを見てきた。


「優子さん、どうしました?」

「いいえ、何でもないわ。」



 それから小一時間後、私たちは今いかにも怪しげな店の前にいる。入口には手書きで『占いの館』なんて書かれているが、明らかにやばい店のオーラを放っている。何て言うか置いてあるコウモリの置物が妙にリアルだ。これ、まさか動き出したりしないよね?

 私の後ろに隠れながら若干怯えている三鈴ちゃんの手を引くように私は入口の扉を開けた。


「ほら、三鈴ちゃん。行くわよ。」

「ああ、待ってくださいよ。優子さん。怖くないんですか?」

「怖いとか怖くないじゃないの。ここで迷ってたって始まらないでしょう?」


 それに今日ここに来るせいで家に持ち帰る羽目になった仕事もあるし。というのを喉まで出てきたのをごっくんと飲み込んだ。三鈴ちゃんは「優子さんカッコイイ!」なんて言っているが私は聞き流した。


「おやまあ、お客さんかね。」


 店の中にいたのはいかにも占い師という、黒い帽子つきのケープを被った怪しげな老婆がいた。おとぎばなしに出てくる魔女って大概こういうビジュアルよね。なんて思いながら私は後ろに隠れている三鈴ちゃんを引っ張り出した。


「この子が占いを希望しているんです。お願いしてもよろしいでしょうか?」

「え、と、えっと、私は…ああ、やっぱりいいです!あの、失礼しました!」


 完全に老婆のビジュアルにびびってしまった三鈴ちゃんはお辞儀をして全速力で店を出て行ってしまった。


「ちょっと!三鈴ちゃん!」


 追いかけようとしたが、それは老婆の言葉によって制止される。


「まあまあ、焦りなさんな。どれ、代わりにお嬢さんのことを占おうかね。」

「いえ、私は付き添いに来ただけですので…。」

「そう言わず。折角来たんだ。座りなさい。」


 まあ、ビジュアルにビビって逃げてしまうなんて、後輩がやったこととは言え老婆に対しては失礼極まりないだろう。明日三鈴ちゃんが仕事にきたら注意しないと。


あとは……。私はじっと老婆を見つめた。謝罪の意味も込めてここは占いをしておくべきかもしれない。それにもし老婆の占いの状態を三鈴ちゃんに伝えれば、彼女の恐怖心もなくなるかもしれない。


「ではお願いします。」


 私はペコリと頭を下げて、老婆と対面になっている椅子に座った。

 老婆は私の顔をじっと見つめると、にっこりと笑った。


「おやまあ、お嬢さん。良かったね。」

「はい?」

「明日、運命の人と出会うよ。」


 予想外の言葉に思わず椅子からずり落ちそうになった。


「お相手の人は紳士的で優しい人だよ。前世からの繋がりがある人。良かったねえ。」


 前世?なんかとんでもないワードが出てきたんだけど。


「えーと、前世?よく分からないんですけど、ご冗談では…。」


 老婆は満面の笑みを浮かべた。


「前世では切ない別れ方をしているみたいだね。お互い思いあっているけど、何かしら一緒にいられない理由があったみたいだ。お嬢さんとお相手をつなぐものは……文章。本。冊子。そんなものが見えるよ。」


 見えるって。お店の雰囲気もあって胡散臭さが満点なのだが、とりあえずここは大人の対応をしよう。営業スマイルを浮かべて相槌を打つ。が、老婆にはそれがお見通しだったようだ。


「信じるか信じないかはお嬢さん次第だけど、出会ったら分かるよ。きっと何らかの反応が出るから。」

「それは?」

「それは会ってからのお楽しみ。」

「参考までにその人の容姿を聞いても?」

「容姿ねえ…そうだねえ…綺麗な人だよ。」


 綺麗な人なんて星の数ほどいる。まあ、いいか。所詮占いだ。当たるも八卦当たらぬも八卦。私はそうですか、とだけ答えて話を切り上げた。


「もう良いのかい?」

「ええ、ありがとうございました。占い、当たったらまた伺いますね。」

「ふふふ。」


 老婆は笑みを浮かべた。その笑みは、さっきの怖そうな魔女のようなビジュアルではなく、本当に嬉しそうな優しい笑みを浮かべていた。それが何故かとても印象に残ったのだった。




 翌日の事だ。


「優子さん!昨日は済みませんでした。」

「本当よ。誘っておきながら置いていくなんてひどいわ。」

「申し訳ありません!これをお食べ下さい。」


 三鈴ちゃんは、商店街に売っている和菓子屋さんの豆大福を私に渡した。これは私の好物だ。この子…絶対怒られるの分かってて準備してきたな。でもまあ、反省もしてるみたいだし…。


「今度同じことをしたら許さないわよ。」

「その時は煮るなり焼くなりお好きにどうぞ。」

「じゃあ、休日取り上げ毎日出勤でバイト代は半分カットで。」

「それは困ります!」

「冗談よ。ほら、一緒に食べましょう。それから仕事再開するわよ。」

「はーい。」


 平日の昼間は客が少ない。こうやってお茶をする時間があるくらいだ。ああ、もちろん本に汚れがつかないように、飲食は奥にあるスペースで行っている。


「お茶淹れるわ。」

「ありがとうございます!優子さん大好き!」


 三鈴ちゃんはいつもの調子で言葉を放った時だった。


「すみません。」


 珍しい時間にお客さんが来た。思わず心臓がドキっと大きく弾んだような気がした。昨日の老婆の言葉が頭を過る。もしかして私の運命の人…って馬鹿馬鹿しい。そんなことあるわけないじゃない。ただの客よ。ただの…。


 一応店内を除くように顔を出すと、そこにいたのはとても綺麗な顔立ちをした女性がいた。女優さんだろうか。それともモデル?ここら辺では見かけないお洒落な服。肩くらいの髪を後ろに一つに括っている。それに綺麗な肌…唇…。まるで雑誌から飛び出してきたような美女がそこにいた。


 彼女は三鈴ちゃんにいろいろと聞いていた。眉をハの字にして笑うのが特徴的な人だ。ぼーっと眺めていると、私に向かって三鈴ちゃんが声をかけた。


「優子さん!優子さん!」

「えっ、あ、ごめん。何かしら?」


 三鈴ちゃんは私に駆け寄ってきて耳打ちした。


「お客さんが探してる本があるんですけど、こういうのは優子さんの方が詳しいと思って。」

「タイトル聞いて店のパソコンで在庫検索したら?」

「そう言うのじゃないんです。こう…なんていうか、ああもう、説明めんどくさいんでお願いします!」


 三鈴ちゃんは私の背中をお客さんに向かってポンと押した。それも結構強い力で。よろけるように私はお客さんの前に出てしまった。ぶつかる前に何とか踏みとどまる。


「大丈夫ですか。」

「はい、大丈夫です。申し訳ありません。」


 お客さんの顔を見上げた時、驚いた。それはその綺麗な顔に驚いたわけでも、思ったよりも背が高いことに驚いたわけでもない。透き通るような硝子細工のような瞳…良く通る曇りのない…鈴を転がしたような声。初対面のはずなのに、何故かその顔を見た瞬間、胸が締め付けられるような気がした。


「どうかしました?」

「いえ…。何でも…。」

「そうですか。あの、探している本があるんですけど…。」

「はい、お伺いしますね。」


 まさか昨日の占いの…って何を考えているんだ私は。今は普通に接客しないと。ブンブンと顔を振って、私はいつも通りの笑みを浮かべた。彼女は私の顔をじっとみて、それからフッと笑みを浮かべた。


「絵本を探しているんです。出来れば小学生向けの、明るい内容が良いです。あとは大人向けの心がほっと温まるような小説を。」


 ああなるほど。そういうことか。これは三鈴ちゃんには無理だったかも。タイトルで本を探すんじゃなくて、お客さんの要望に沿った本を紹介するってことね。うちの本屋の本なら大概目は通しているし、自分が本好きなこともあって、うちの本屋の本という限定であれば希望に沿った本を提案することは造作もない。


「それでしたら、こちらはどうでしょう?冒険ものなのですが、大人が読んでものめり込んでしまうような面白さがあります。絵本にしては少し長めのストーリーなのですが、読み応えはありますよ。」

「なるほど。それは興味深いですね。是非読んでみたいです。ああでも、出来ればなんですけど、もう少し短めの話はありますか?」

「短め…でしたら、こちらはどうでしょう。魔法使いが皆の願いを叶えていく話で…。」


 説明をすると、彼女はうんうんと頷きながら聞いてくれる。


「大人向けの本ですと…あ、これ結構昔の本なんですけど、初夏の蛍の話で、切ないんですけど心が温まる話なんです。」


 そこまで話したところで、偶然手が滑って本を落としてしまった。


「すみません。」


 慌てて本を拾おうとした瞬間だった。偶然開いていたページ。彼女はしゃがみ込んでまじまじと見つめた。それから彼女はスウっと小さく息をすって、流れるように読み上げた。


「夏の夜。少年は少女を呼び出した。そして少年はゆっくりと口を開いた。――蛍の寿命は約七日間しかない。でも、寿命って長ければいいってものでもないと思うんだ。短くてもいいから、誰かの心に…少しでも記憶として残ってくれればそれでいいかなって思う。僕はそうありたいと思っているけど、君はどう思う?」


 驚いた。彼女が読み上げるだけで、まるで情景が目に浮かぶようだった。それに何だか懐かしい気がする声。胸がザワツク。どうしたんだろう。やっぱり昨日のことで感化されすぎているのだろうか。彼女はそれだけ読み上げると、チラっと私の顔を見上げると、うんと頷いて本を拾った。


「これ、気に入ったから買います。」


 彼女がにっこりと微笑む。そして本に視線を移動させれば、さっき落としたタイミングでページが曲がってしまっていた。


「すみません。ページが折れ曲がってしまっていますので、新しいものと交換を…。」

「いいえ。これが良いんです。」


 彼女は微笑んだ。その笑みはどことなく圧があって、それ以上新しいものを進めることは出来なかった。彼女は会計を済ませると、買ったばかりの絵本と小説を小脇に抱えて嬉しそうに店を後にした。


「……不思議な人。」


 思わずぽろりと言葉が零れた。


「不思議って言うか、綺麗な人ですよね。髪もつやつやですし。モデルさんですかね?」

「さあ…?って三鈴ちゃん。どうして私より先に豆大福食べてるの。」

「だーって、優子さんあのお客さんの接客中でしたし。」

「だからと言って先に食べることないでしょうが!」


 もうっと、小さなため息が出た。



 それから数日後の事。今日は店の定休日。たまった仕事という名のポップを描き上げようと意気込んだ私は、ついでに少しでもテンションを上げようと、電車で数駅先のカフェに来たのだ。


「ふう、美味しい…。」


 少し栄えている町なので、カフェも少しお洒落。何だか自分が会社勤めのOLになった気分だ。というのはさておき、珈琲飲みながら作業作業。まずは目に付くキャッチフレーズと、色合わせと…。


「どうしてだろう、温かい涙が溢れてくる。……うん、良いキャッチフレーズですね。」

「へ?」


 顔を見上げると、そこにいたのは数日前店に来たあの綺麗なお客さんだ。


「それ、お店のポップですか?」

「ええ、まあ…。」

「ということは今日は書店はお休みですか?」

「はい。あの、お客様は…。」

「ふふっ、お客様なんて。今は別に客として貴女に接してる訳ではないですよ?あ、もし良かったら、相席しても良いですか?この前の本とっても良かったのでお礼もしたいですし。」

「お礼だなんてそんな。」


 彼女はにっこり笑うと、トレイに乗った珈琲と一緒に私の向かいの席に腰を下ろした。


「そういえば、まだ名乗っていませんでしたね。私は羽岡水季はねおか みずきと言います。フリーでナレーターをしているんです。貴女は?」


 ナレーター。通りで声が良く通るわけだ。スラスラと文字を読み上げたのも納得できた。


「私は笹野優子ささの ゆうこです。仕事はしがない書店員です。」

「しがないなんてとんでもない。素晴らしい書店員さんだだと思いますよ。」

「そんなことありませんよ。」


 羽岡さんは私の顔をじっと見つめた。思わず目を逸らす。けれど、それが面白かったのか、羽岡さんはフフッと小さく声を零して笑った。


「本の紹介も分かりやすいし、求めていたものを提示してくれたのは流石だと思います。良く本を読んでいて、本好きじゃないと出来ませんよね。それにポップも読む人の事を考えて、目を引くように、本たちが必要としてくれる人に届くように配慮してくれている。それって素晴らしいと思いますよ。」

「羽岡さん、褒めすぎですよ。」


 褒められ慣れていない私としては顔が真っ赤になる。ああ、暑い。ホットコーヒーじゃなくてアイスコーヒーを注文しておくべきだった。


「事実を言っただけですよ。あ、もし差支えがなければ、今度ラジオに出演するので、この前教えていただいた本を紹介してもいいですか?」

「それは構いませんが…。」

「良かった。ありがとうございます。」


 スッと目を細めて笑う羽岡さん。窓から入る光が反射してキラキラと睫毛が輝いている。瞳が硝子玉みたいで吸い込まれそう。


「綺麗…。」

「え?」

「いえ。何でもないです。あはははは。」


 誤魔化して笑ってみる。羽岡さんはまた笑った。


「ふふっ、笹野さんって可愛らしいですよね。それに、出会って間もないのに、笹野さんの顔を見てるとなんか懐かしい感じがするんですよね。あ、ごめんなさい。変なこと言ってしまって。」

「い、いえ。」


 やばい。話が途切れてしまった。何か…何か繋ぎに話題を。


「羽岡さんって、今日はお仕事じゃないんですか?」

「今日はお休みです。ああ、でもこの後ちょっとした予定があるんですよ。……あ、そうだ。もしこの後時間あれば一緒にどうですか?」

「へ?」

「うん、それに笹野さんがいてくれれば助かるんですよね。どうでしょう?」

「どうでしょうって…。内容とか行き先は何処ですか?」

「この近くの図書館です。」

「図書館…。」


 ここの近くと言えば、あの大きな図書館か。何か調べものでもするんだろうか。だとすれば多少は力になれるかもしれないし、しばらく来てなかった図書館な上に、本好きとしては新しい本との出会いがあるかもしれない。まあ、特にポップを描く以外は用事もなかったし、行ってみようかな。……本音のところ、少し羽岡さんも気になるし。


「分かりました。ご迷惑でなければご一緒しても?」

「良かったです。では行きましょうか。あ、その前に珈琲飲んしまいましょう。」


 急いで飲んだ珈琲はすっかり冷めていて、まるでアイスコーヒーだった。けれど、この後の展開に何か期待しているのか、体は相変わらず火照っていたのだった。




 それから羽岡さんと一緒に向かった図書館。彼女が真っ先に向かったのは、子ども向けのスペースだった。そういえば、この前絵本を探しに来ていたものね。

 子供たちは羽岡さんを見つけると、ぱっと笑顔になって羽岡さんに走って集まっていく。


「みずきおねーちゃん!きょうはどんなほんをよんでくれるの?」

「みずきちゃん!このまえのほんおもしろかったよ!」

「はやくはやくー!」


 子どもたちに引っ張られるようにして連れて行かれる羽岡さん。ポカンとした顔で見つめる私に、羽岡さんは眉をハの字にして笑った。


「みんな待って待って。今日はもうひとりお姉さんがいるから。このお姉さんはね、この前読んだ本を選んでくれたお姉さんだよ。いろんな本を知ってるすごいお姉さんなんだよ。」

「えっ、そうなの?このまえのまじょのほんも?」

「すっげー。おねえさんなんでもほんしってるの?」

「おねえさん、おれ、すっげーかっこいいほんよみたい!」

「わたしはかわいいほん!!」


 あっという間に子供たちの注目の的は、羽岡さんから私に変わってしまった。子供たちが群がる。囲まれえる。普段子どもに囲まれることなんてないから、どこを見たらいいのやら。ぐるぐる回って、その場でしりもちをついてしまった。


「痛った。」

「あははっ、おねーちゃんがころんだ!」

「こーら、みんな。お姉さんを困らせないの。」


 羽岡さんがクスクスと苦笑している。


「ごめんなさい、笹野さん。立てますか?」

「はい。」


 羽岡さんの手を借りて立ち上がる。うん、お尻がズキズキする。明日辺りに青あざ出来ているかも。臀部をさすりながら立ち上がると、羽岡さんは、もう一度ごめんね、と声を掛けてくれた。


「とりあえず、ここに座ってください。」


 彼女は紳士的なエスコートで私を座らせると、パンパンと手を叩いて子どもたちを一か所に集めた。絨毯が惹かれているフリースペースのようなところに子どもたちは集まっていく。


「さあ、今日の本を読みますよ。今日はこの本です。」


 じゃん、と口で言いながら取り出したのは、前に私が紹介した本だった。


「これは冒険のお話です。すこしお話が長いので、今日は途中まで読みます。じゃあ、始めますよ。」


 羽岡さんはページをめくって本を読み始めた。これは……読み聞かせだ。さすがナレーションの仕事が本業なだけあって、一気に物語の世界へ引きずり込んでいく。子どもたちだけではなく、その親も話へのめり込んでいく。私もこの本の結末を知っているのに、手に汗を握って聞き入ってしまった。



「じゃあ、今日はここまで。続きはまた来週。」

「えー。もっとききたい。」

「来週のお楽しみだよ。」

「ねえ、おねーさん。わたしよんでみたいほんがあって。」

「ああ、それはあそこに座っているお姉ちゃんに聞いてごらん?」


 私を指し示す羽岡さん。子どもたちはまるでミサイルのように私の方へ一直線に走ってきた。それから子どもたちの意見を聞きながら、一人一人に要望に沿った本をオススメして、気が付けば夕方手前。最後の子どもが本を借りて帰ったころには、日は沈みかけていた。

 館長さんは、久々にいっぱい本を借りてくれたと大喜びで握手をしてきた。


 そして子供たちが帰ると、羽岡さんは私の方へ歩みを進めた。


「すみません、いろいろ巻き込んでしまって。」

「いえ、私もお役にたてて良かったです。それよりも水季お姉さん…あっすみません。羽岡さんの朗読ですよ!自分もこのお話の結末は知っているんですが、それでも続きがどうなるんだろうってハラハラドキドキしました。すごいですね、ナレーターさんって。」

「あははっ、水季で良いですよ。そう言っていただけるとありがたいです。ナレーター冥利に尽きますね。ナレーションの仕事が少なかった時に、ここの図書館の館長さんに読み聞かせのボランティアに誘われたのがきっかけなんです。」

「そうなんですね。読み聞かせは随分前から?」

「もう10年ほど。」


 フフッと笑う羽岡さん。10年ってことは、もしかして私とほぼ年齢変わらないのでは?でも歳を聞くのって失礼だよね。


「何か聞きたいことでも?」

「えっ。」

「顔にそう書いてありますよ。優子さんって分かりやすいですよね。」

「そんなことないですって。羽岡さんこそ私に聞きたいことあるんじゃないですか?」


 苦し紛れに言ってみた言葉だったが、羽岡さんは、スッと私の両手をとった。思ったよりひんやりとしている手。冷え性なのかな。


「ええ、まあ、ちょっと聞きたいことがあるのは本当ですね。」


 え、ちょっと何で今手を取ったんだろう。羽岡さんの手は冷たいのに、私は高まる体温に頭から湯気が出てしまいそうだ。どうしちゃったんだろう。


 もうすぐ閉館時間を告げるアナウンスが鳴る。人がいない奥から順番に電気が消えていく。青色の外灯の光が館内をぼんやりと照らしている。


「あのですね。」


 見つめ合う二人。なんだろう。胸がザワツク。それに無性に切ない気持ちになるのはどうしてだろう。

 羽岡さんはじーっと私を見つめてから、ぱっと手を離した。


「やっぱりいいです。すみません。変なことして。引きました?」

「いえ、そんなことないです。」

「だと良いんですけど。あの、また良かったら本を教えていただいてもいいですか?」

「はい。喜んで。」


 ごめんなさい、そろそろ帰りましょうか、と付け加えて羽岡さんは踵を返した。その瞬間だった。


 一冊の本が落ちていることに気付いた羽岡さんは、それを拾い上げた。その時、ほんの一瞬だったのだが、羽岡さんの姿がワンピース型のセーラー服をきたショートカットの少女と姿に見えた。でもそれはほんの一瞬で、すぐにその姿は髪を一つに括っている、さっきまで見ていた羽岡さんの姿がそこにあった。


 幻覚だろうか。


「え、あれ?今の…。」

「ん?」


 振り返る羽岡さん。


「あの、すごく、非現実的な話をしてもいいですか?」

「今、羽岡さんがなんか古風な制服を着た女の子に見えて…いや、何言ってるんだって感じですよね。変ですよね。すみません、忘れてください。」


 羽岡さんは驚いたように目を見開くと、足早に私の元へ歩み寄った。そして羽岡さんはバっと勢いよく私の両手を掴んだ。


「ううん。変じゃないです。実は私も初めてお店に行ったとき、笹野さんが古風な制服を着た、女学生って感じの服を着ているように見えたんですよね。実際は全然普通にエプロン姿の書店員さんなのに。変だなと思って。それになんか気になってしまって。今日偶然会ったのも、なんか勝手に運命的なものを感じちゃって。変ですよね。」


 羽岡さんは笑った。全然変じゃない。羽岡さんは私と同じようなものが見えていたのだ。こんな非現実的なものを。頭を過る老婆のあの占い。あれはもしかして本当に…。


「あの、実はですね。この前占いに行って…。」


 そこまで言ったところで館長さんが閉館を告げに来た。


「すみません。すぐに帰ります。」


 ペコペコと頭を下げて図書館を後にする。二人で並んで歩く帰り道。一旦冷静になると、さっき自分が言っていた言葉が何だか急に恥ずかしくなる。30手前になってファンタジーな幻覚の話をするなんて。羽岡さんももしかしたら話を合わせてくれていただけかもしれないし。


「すみません、さっきの図書館での話は忘れてください。」

「いや、その占いの話、詳しく聞かせて欲しいですね。」

「えーと、その、引きません?」

「引かないですよ。私も変な話しているんですから。」

「じゃ、じゃあ…。」


 私は羽岡さんに先日の占いの老婆の話をした。羽岡さんは引くこともなく、私の話を聞いてくれた。


「なるほど。つまり笹野さんの運命の人は私ってことで良いですかね?」

「いや、運命の人に会うと言われただけなので。すみません、変な話をして。」

「私は笹野さんが運命の相手だったら嬉しいですけどね。」

「へ?」

「初めて会った時から、もっと仲良くなりたいなって思ったんですよね。不思議と。これって運命かもしれませんね。」

「そんな…冗談を。」

「冗談じゃないですよ。どうしたら信じてくれます?」


 羽岡さんは私と向き合うと、困ったように笑った。

 相変わらず吸い込まれそうな瞳。それに、何だかこの人の傍にいるの無駄にドキドキするのはどうしてだろう。


「じゃあ、こうするのはどうでしょう?運命の人であろうがなかろうが、私ともっと仲良くなりませんか。まずはお友達からっていうのはどうでしょう。」

「そ、それなら。」

「決まりですね。」


 やった、と喜ぶと羽岡さんは私の手を握った。



外灯に照らされる二人の影、繋がる手。

 さっきまで冷たいと感じていた羽岡さんの手が、ほんのりと温かくなったような気がしたのだった。




おわり


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「明日、運命の人と出会うよ。」【大人百合】 茶葉まこと @to_371

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