5-6
新宿エリアから武蔵野エリアまで、夜を駆けるようにホバーバイクを飛ばす。
生温かい風が吹いていた。リュカも麗子も、一言も発しなかった。赤みを帯びた月の色が胸のざわつきを増大させていく。
ホバーバイクを教会の敷地に乗り入れた瞬間、リュカの顔色が変わった。
「リュカさん? どうしたのですか?」
そう言った麗子の声も遠い。これは。この
(悪魔だ)
敷地の中に血糊が落ちているかのようだ。それは車庫から教会へ、くっきりと続く残滓。吐き気のする死臭。
こんなに強烈な残滓を残すのは、ヒトを喰ったばかりの悪魔。もしくは。
(上級以上の悪魔……)
上級以上の悪魔は、姿を自在に変えられるし、一般人にはまず悪魔だとバレない。それくらい巧妙で狡猾で、人ひとりを一瞬で喰らってしまうほどに凶暴だ。
「どうしたのですリュカさん?」
教会の建物に入ってからも、何も異常のないように見える壁や床を念入りに調べるリュカに、麗子は首を傾げる。
「早くローズのとこにへ行きましょう。さっきのソファがあったお部屋かしら?」
「いや。きっとローズはもうこの教会にいない」
「なんですって?!」
部屋中を見て回る。やはりローズはいない。一見、教会の中は荒らされた形跡も争った形跡もない。それだけ速やかに拉致されたということだ。
「うかつだった……!」
マスター藤堂がずっと音信不通だったリュカにメールを送ってきた時点で、警戒するべきだった。
藤堂がわざわざリュカを頼ってくるということは、よほどこじれた案件だということ。
そして、マスターの手にも余るほどの悪魔が事件に関係しているということ。
それらを、もっと考慮して動くべきだったのに。
「お買い物とかじゃありませんの? 誰かが侵入したようには見えませんけれど」
怪訝気に首を傾げる麗子を、リュカは静かに振り返った。
「君は、お父さんが何も話してくれないと嘆いていたね」
「ど、どうしたのですか、いきなり」
リュカの静かな口調に、麗子は気圧される。
「それは、お父さんが君に、目を背けたくなるような現実を見せたくないと思っているからだとオレは思う。オレと一緒に行ったら、お父さんが娘である君に見せたくなかったモノを見ることになる。それでも一緒に行くのか?」
リュカの黄昏色の双眸に、麗子は少したじろいだ。
「急にどうしたんですの? さっきも言いましたわ。わたくし、父のことを知りたいのです」
「そこに覚悟はあるのか?」
「覚悟、って……」
「残酷で、汚くて、目を背けたくなる現実を受け止める覚悟だ」
沈黙が下りる。
下を向いていた麗子は、やがてリュカに手を差し出した。
「武器をください」
「武器?」
「残酷で、汚くて、目を背けたくなる現実と対峙するには、武器が必要だと思いますわ」
セーラー服の決意は、ひたむきだった。
◇
――同じ頃、東京シティ某高級ホテルのスイートルーム。
紺色のビジネススーツをきっちりと着た眼鏡の女性が、イライラと空中ウィンドウをタップしていた。
「もう、アマデウスったらどこに行ったのよ! 連絡がつかないなんて!」
別ウィンドウでスケジュール管理画面を開く。世界的俳優のプロモーション活動は分刻みのスケジュールだ。この後も映画サイトとファッションサイトのインタビュー対談が控えている。
本人がもどってこない状況でも、次の仕事の準備はしなくてはならない。食事をあまり摂らないアマデウスのために、彼女はいつもビタミンの摂れるミックスジュースを用意している。
そのミックスジュースの材料を買いに行っている間に、またいなくなってしまったのだ。
買ってきたリンゴとほうれん草とセロリ、レモンを怒りにまかせてミキサーにぼんぼん放りこむ。
「いきなり日本の高級住宅街を見たいとか言ったかと思ったら火災現場の野次馬になって……戻ってきたと思ったらまたフラっとどっか行っちゃって、ここで待ってろって言ったのにまたいなくなって。本当にワガママったらないわ!」
映画会社の有能マネージャーである彼女は、少し前に世界的大俳優ヘルマン・アマデウス・フォン・ゲーリングの新しいマネージャーに抜擢された。
たくさんの美麗な俳優のマネージャーを務めてきた彼女ですら、思わず見惚れてしまうほどのアマデウスの魅力に、最初こそはマネージャーになれてラッキーだと思っていた。
しかし最近では、アマデウスのワガママに心底うんざりしている。
彼が突然いなくなることは日常茶飯事で、その度に彼女が周囲や現場に平謝りし、尻ぬぐいをさせられた。
ミキサーが野菜や果物を粉砕する音と共に、日頃の鬱憤を叫ぶ。
「もう疲れたわ! 外見が綺麗でも、中身は悪魔並みにサイテーよ! あんなガキのマネージャーなんてもう辞めてやるんだから――」
そう叫びつつ、インタビューで着るアマデウスのスーツをチェックしようとクロゼットのドアを開けたマネージャーは、驚愕に固まった。
「な、なに、この子?!」
そこには、中学生くらいの女の子が床に転がっていた。
黒づくめのゴスロリファッション。艶めく銀色のツインテール。大きなすみれ色の瞳。アンティーク・ドールかと見間違えるくらい、綺麗な美少女だ。
「あーあ、見つけちゃった?」
耳のすぐ近くで囁かれ、マネージャーは悲鳴を上げて倒れ込んだ。
「アマデウス! び、びっくりするじゃない! いったいいつ戻ってきたのよ!」
「んー、君が『あんなガキのマネージャーなんてもう辞めてやる』って言ってた辺りかな」
「なっ……聞いてたの?」
「うん。で、辞めてもいいよって思った」
血の気が引いた。今、仕事を失うわけにはいかない。アマデウスのマネージャーは給料が破格なので、新しいマンションと車を買ったばかりなのだ。あわてて媚びるように笑みを作った。
「あ、あれはウソよ。ちょっと疲れていただけなの。ほ、ほら、人間、誰にでもそういうことってあるでしょう?」
するとアマデウスは、麗しい顔でちょっと困ったように首をかしげた。
「さあ? そういうのわからないな。僕、人間じゃないから」
「え……?」
見る間にアマデウスの容貌が変化していく。
緑眼は金色の光を放ち、笑んだ端麗な口からは牙がのぞく。漆黒の高級スーツが破け、闇より黒い羽が不気味な花びらのように広がった。
マネージャーは腰が抜けて、床にへたりこんだ。
「う、うそうそうそうそあ、あく、あく、ま」
「僕もね、あんたをサイテーのブタだと思っていたところさ」
もはや人間のものとは思えない大きな手のひらがマネージャーの頭をつかんだと思った瞬間、首が千切れた。
血が噴き出し、一瞬でスイートルームの絨毯が真っ赤に染まる。
つかんだ頭に無造作に喰いつき、アマデウスが吼えた。
「まずっ。やっぱコイツ不味いわ」
ひゅ、と宙を斬る音がして、ミキサーが粉々に砕けた。中のジュースが飛び散り、転がったマネージャーの首に降りかかった。
「僕、あんたの作るそのジュースが大嫌いだったんだ。あんたは美容と健康に良いっていっつも羨ましがってただろ? よかったねえ、最期に飲めて」
ケタケタと嗤い、ぱちん、とアマデウスが指を鳴らした。
「何か言いたいことがあるんでしょ、ローズちゃん」
アマデウスの異能でしゃべることすらできなかったローズは、自由になった身体をすぐさま起こしてありったけの憎悪を叫んだ。
「このクソ悪魔っ、ぜったいに祓ってやっ……」
再び指を鳴らす音で、ローズの唇は開かなくなる。
「人間って言葉遣いが悪いよねえ。まるで低級悪魔みたい、って、なんだよコレ」
アマデウスは己の尻尾をちりちりと焼く痛みに振り向く。
ローズが硬直する寸前に放ったらしい聖花が、蛇のような尻尾にぴたりとくっついている。そこから嫌な臭いがして、煙が上がっていた。
「人間の分際で僕に傷付けるとわぁっ」
「?!」
ローズが声なき声を発したときには、ぐお、という獣のような声と共に尻尾がうなり、ローズの背中を直撃していた。
「う……うう」
痙攣したローズは、床に崩れ落ちた。
「あれぇ? ちょっと叩いただけなのにぃ。もう、人間ってデリケートでうざいなあ。でも、この子はリュカ・アルトワと麗子をおびき寄せる大事な大事なエサだからねえ。殺さないようにしなくちゃ。あ、そうだ」
アマデウスは軽々と片手でローズをつまみ上げて肩に担ぐと、窓に向かって手をかざす。
凄まじい粉砕音と共にガラスが粉々に飛散り、地上から200m上空の強風が室内を吹き荒れた。その轟音が、夕闇の上空へ飛び去ったアマデウスの笑い声をかき消す。
「この子の手当をしてもらおう。藤堂にさ……」
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