5-4


「麗子さんのお父様はリュカに用があってメールしたんじゃないんですか? 行方不明って……」

「父が何を考えてリュカさんにメールをしたのか、わたくしにはわかりません。父の行方がわからないのは三日前からなので」

「三日前? ちょうどメールが送信されたタイミングじゃない」

「どこかに通報とか、知らせるとかしたのか?」


 麗子は首を振る。


「いいえ。父は仕事柄か、もし自分がいなくなることがあっても簡単に通報するなと日頃から言っていました。ですから、護身用に武器はああして家にいつも常備してますの」

 リュカは呆れたように天井を仰ぐ。

「普通の家庭に常備してある護身用の武器が、真剣の薙刀とSAF仕様のMP5K? まったく良識にあふれたお父さんだね」

「あのサブマシンガンは確かに家に常備されている物ですが、薙刀はわたくしの物ですわ」

「は?! 嘘だろ?! 普通の女子高生は薙刀なんて持ってないと思う! いや持ってないよね?!」

「わたくし、小さい頃から薙刀を習っておりますの。師範位を持っております。高校の部活でも皆さまに教えておりますのよ」


 どおりで、鮮やかな剣さばきだったわけだ。


「これはわたくしの予想なのですが、父は祓魔師協会とトラブルになっていたのではないか、と」

「どういうこと?」

「少し前、父が通話で口論しているのを何度か見かけました。相手はいつも国際祓魔師協会の方で」

「なぜトラブルだと思ったんだい?」

「相手の方が裏切り者、とか約束が違う、とか言うのを聞いてしまったんです。父はそれをなだめていたようでした」

「トラブルねえ」


 藤堂が祓魔師協会とトラブルになるような要素は、少なくともリュカには思い当たらない。トラブルになっていたとしても、わざわざ落ちこぼれた昔の弟子にに連絡してくるとは考えにくかった。


「その……もしかしたら、父がお仕えしていたグレゴリオ枢機卿の側近を外されたことと何か関係があるのではないかと」

「なんだって?」


 側近を外されたなんて、初耳だった。

『聖戦』後、その輝かしい功績を買われてマスター藤堂はグレゴリオ枢機卿の側近に抜擢された。そのまま出世コースのサンプルのような人生を送っていると思っていたのに。


 ローズが小首をかしげる。

「グレゴリオ枢機卿って、今、ニュースによく出てくるあのオジサン? 五賢人になるっていう」

「ええ、そうですわ」

「側近を外されたって、なぜだ?」

「わかりません。でもグレゴリオ枢機卿は父が側近を外れた後も家に尋ねていらして、父と談笑したり、関係は良好だったようですわ。ですからわたくしは、トラブルの元はグレゴリオ枢機卿ではなく、祓魔師協会だと疑っているのです」

「マスター藤堂が祓魔師協会ともめる原因なんて、思いつかないが」

 リュカは首を傾げる。

「仕えていたグレゴリオ枢機卿ならともかく、なんで祓魔師協会ともめるんだ?」

「わかりません。でも、グレゴリオ枢機卿の側近を外されたのと、祓魔師協会の方と電話で争っていたのは、同じ時期ですわ。関係がないとは思えませんの」

「グレゴリオ枢機卿って、この人よね?」


 ローズの左手が動き、応接テーブルの前に大きな空中ディスプレイが出現する。そこには、世界各国の国旗が翻る堅牢壮麗な白亜の建物と、その周囲に集まるたくさんの観衆とマスコミ陣が映し出される。

 そしてカメラが切り替わり、どこかの教会から車に乗りこもうとしている緋色の枢機卿祭服をまとった壮年の男。人の好さそうな笑顔で、集まった人々に手を振っている。


「ああ。グレゴリオ枢機卿だな」

「そういえば今日は、グレゴリオ枢機卿が国際祓魔師協会の五賢人に就任する式典があるんでしたわね。この華やかな場所に、本来なら父もいたはずですのに」


 麗子は暗い顔でため息をついた。


「――父は、いつもそうですの」

「いつも、って?」

「厄介事を抱え込んで、でもわたくしには何も教えてはくれないのです。わたくしは娘ですが、母亡き今はたった一人の家族。そのわたくしに、いつも何も言ってはくれず、でもいつも何か厄介事を抱え込んでいる」


 麗子は唇を噛んでいる。静かな怒りを湛えた様子に、リュカもローズも言葉を挟めない。


「そしていつも貧乏くじを引いているように思えます。父の友人の方々は、教会の中でも枢機卿や、祓魔師協会の幹部に昇進している方々ばかりですのに」


 情けない、と言わんばかりに麗子は大きな溜息を吐いた。

 リュカは再び自分の空中ディスプレイを呼び出し、メールを表示させる。


「『悪魔に囚われし者を救え 偽りの聖座が生まれるとき 樹海の聖なる石は龍脈で悪魔の穢れを祓わん』。本来ならマスター藤堂も就任式典にいたはず……でもいない。ではマスターはどこへ行ったのか?」


 リュカは空中ディスプレイを睨んで、立ち上がった。


「どうしたのよリュカ」

「消費した武器を調達してくる。麗子、一緒に来てくれ」





 東京シティ郊外の閑静な高級住宅街は、かつてないほど騒然としていた。

 乙女椿の垣根と白漆喰しろしっくいの外壁に囲まれた日本風邸宅の周囲に、JSAFの車両と消防隊、救急隊車両が何台も止まっている。

 銃弾痕と爆破の痕が激しい玄関周辺を現場検証していたJSAF隊員に、黒い影が近付いた。


「お仕事中失礼」


 声を掛けられた隊員は内心舌打ちする。この忙しいときに。

 しかしここは東京シティ内屈指の高級住宅街。周辺住民の不興を買って後で通報でもされたら厄介だ。

 やや迷惑げに振り返った隊員はしかし次の瞬間、飛び出さんばかりに目を見開いた。

「え、あ、あんた、もしかして……!」


 目の前に立っている漆黒のスーツの男は、現在来日中の超有名俳優だった。

 スタントマンを使わないアクロバティックなアクションと「悪魔的に完璧な美しさ」と称賛される中性的な美貌が世界中で人気を集めている。

 艶やかな長いブロンドを一つにまとめた、190cm近い長身に長い手足。同じ人間とは思えないその姿が、こちらに歩いてくる。


 いやいや、そんなわけない。映画界の世界的大スターが突然こんなところにいるはずない。


 しかし男は麗しい顔に人差し指を立て、宝石のような緑色の双眸を細め、「お忍びだからナイショにしてくれる?」と、隊員の男の肩に上品に腕を回した。


「実は僕は、俳優業のかたわら祓魔師協会にも所属していてね。祓魔講師で高名な藤堂先生に個人レッスンを受けに来ているんだけれど、これはどうしたことだい? 先生に何かあったのかな? とても心配なんだ」


 緑色の双眸が気づかわし気に揺れる。男でもそのゾクゾクするようなその蠱惑こわく的な顔を間近に見て、隊員は上ずった声で言った。


「は、はははい、実は藤堂先生は御不在ですが、娘さんが御在宅だったようで! しかし、何者かがこちらの邸宅を襲い、娘さんは拉致されてしまったようでして……」

「なんだって! 僕は麗子とも親しいんだ。君、麗子はいったいどこへ連れ去られたんだい? お願いだ、教えてくれたまえ!」


 まるで映画のワンシーンのような迫り方に、隊員は呑まれた。周囲に誰もいないことを確認して、左手を操作、空中ウィンドウを呼び出し、セキュリティーキーを入力、JSAFの捜査用メイン情報システムにアクセスする。


「監視カメラの映像から、この僧衣カソックの男が事件に関わっているようでして」

「ふうん……かなりなイケメンだね。藤堂先生のお知り合いだろうか」

「いえ、この男はどうやら、ただのフリー祓魔師のようでして。えーっと……武蔵野エリアで『L&R祓魔事務所』という祓魔事務所を営んでいる、リュカ・アルトワという男らしいです」

「へえ、リュカ・アルトワ――」


 俳優は低く笑った。その魅惑的なテノールの響きは、なぜか隊員を恍惚こうこつとさせる。

 くつくつと優雅な調べのように響く笑い声が、渦のようになって隊員の意識を取り巻いた――。


「――あ、あれ?」


 気が付くと、周囲は慌ただしく鑑識や捜査員が立ち働いている。

 なにボケっとしてるんだ、と怒声が飛んできた。

「すいません!」

 やりかけていた銃弾痕の調査を再開し、隊員はふと首を傾げる。

「おれ……何やってたんだっけ? マジで記憶が無い。うわー、仕事中寝るとかあり得ない。疲れてんのかな」

 ぶるぶると首を振って、隊員は気合を入れ直した。



 その頃、藤堂邸から少し離れた場所に停まっていた黒塗りの車が、滑るように動き出した。

「はあ。ヒトって本当にバカ。グレゴリオの手下がしくじったせいで僕が『誘拐』なんて陳腐なことしなくちゃならなくなったしさ。あの間抜けなJSAF隊員も、藤堂が不在なことなんて知ってるっての。僕と一緒にいるんだからさ。でも良い情報も得られたな」


 車内にしつらえられたテーブルの上で、長い指が楽し気にリズムを刻んだ。


「L&R祓魔事務所、リュカ・アルトワか。きっと麗子も彼と一緒だよね。さっそく『誘拐』に行かなきゃな」


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