1-9


 願いを了承するとレナは安心したのか、目を閉じた。

 その身体を静かに横たえ、リュカは立ち上がる。


 柱の影から出ると同時に素早く銃をホルダーに収めた瞬間、腰から白銀の光が閃いた。

 リュカが手にしたのは銀色の棒。それを構えた刹那、くぐもった音と共に蒼白く輝く光刃が出現した。


 それはかつて、悪魔と人類の『聖戦』において、聖騎士団と呼ばれる対悪魔戦闘特殊部隊兵が所有した『聖剣』と呼ばれる武器。



 聖剣――超高性能プラズマジェットが約一メートルの光刃こうじんとなって出現するこの兵器は、プラズマアークを安定化するシステムを持つ。数万度の高温と高圧状態を保ったまま近接戦闘を可能にし、どんなに強度の高い物質でも切断することができる。使い手の技量により攻防両方の使い方が可能で、その威力とどんなケースにも対応可能な応用力は時に銃火器をしのぐとさえ言われ、近接戦闘用兵器としては地上最強を誇る。



 さんざんらされた悪魔は、やっと小賢しい攻撃が止んだことに狂喜して跳躍、耳障りな奇声を上げてリュカに襲い掛かってきた。



 喜々としてあぎとを開く悪魔を、黄昏色の双眸が静かに見据える。


 意図する戦闘リーチに巨影が達した瞬間、聖剣を構えたリュカが薔薇の花弁を一握り撒き、聖句せいくを紡いだ。


「In nómine gládii et rosae mundábo et exorcífic am ánimas corruptas.イン・ノミネ・グラディ・エト・ロザ・ムンダロ・エト・エクソルシフィカム・アン・アニマス・コラプタス――剣と薔薇の名の元に我汚れた魂を浄め祓わん」



 聖句が紡がれると同時に地面に光が走る。

 その光線は散らばった薔薇の花弁が紡ぐ結界――悪魔の魂を浄め祓う浄化領域――を描きながらリュカと悪魔を囲んでいく。


 リュカが地面を蹴り、悪魔がそこへ飛びかかった。


 薄暗いフロアに稲妻のような光が幾筋も走り――数拍後。


 重低音と共に、赤黒い巨体が床に倒れた。

 リュカは聖剣を一振りする。ただの銀色の棒になったそれをホルダーに収め、悪魔を見下ろした。

 その赤黒い身体の心臓部には、リュカの聖剣が斬った十字。


 吸血鬼が太陽の光や斬首で滅せるように、悪魔は心臓に十字を入れられると生命活動が停止する。しかしそれだけでは悪魔を祓ったことにはならない。


 悪魔の魂を浄化領域の中で浄化する――これが完全な悪魔祓いだ。

 悪魔には祓魔師しか対抗できない、というのは、これ故だった。


《Spero te poenitere et pro peccatis tuis satisfacereスペロ・テ・ポイニテレ・エト・プロペケレ・ティス・ツゥイス・サティスフェチェレ



 聖句を紡ぎ、胸の前でリュカは十字を切る。

 瞬間、結界が強く発光し薔薇の芳香が強くなった。


 刹那、悪魔の心臓部の傷から柔らかな光が漏れ、そこから小さな光の泡がぽつり、ぽつりと沸きだしてきた。

 それはすぐに無数の光の泡となり、破壊された天上から夜闇の空へ上がっていく。


「きれ、い、ね……」

 それを見て、レナが微かに呟く。リュカはレナの傍らに膝をつき、頷いた。

「心配するな。彼は悪魔から解放され、天へ還る」


 ありがとう、とレナの唇は動いたようだった。

 血溜まりの中、それでも彼女は幸せそうに微笑み――そして静かに長い睫毛を伏せた。


「……美女も天に召されり、か。オレってやっぱり、女運無いのかな」


 リュカはいびつに曲がった鉄筋越しに夜空を見上げる。

 遠くから、JSAFと救急隊のサイレン音がけたたましく近付いてきていた。





「――なるほど。わかりました」


 事件の顛末てんまつを聞いたローズが、食卓テーブルから静かに顔を上げた。


「で? 捕まえたんじゃなくて祓ってしまったから賞金はパアだけど、コロニーを悪魔から救った報奨にJSAFがこれを?」


 テーブルの上に載ったプラスチックの薬瓶を、ローズは胡乱うろんげに眺める。


「そ、そーそー、あのドケチなJSAFも少しは気遣いみせるよなあ」

「これ、どう見てもステーキには見えませんけど?」

「ま、まあな……でも! どんな切り傷にも、打ち身にも効く薬だって。ほらっ、オレの傷見てみ? すごい効果だよな? どんな成分が調合されているのか、ローズも興味がそそられるだろ?」

「ま、まあ、たしかに」


 ローズと燃料スタンドで別れた数時間前、いくつもの切り傷や打撲痕があったリュカの顔は、少しの痣を残してほぼ元通りになっている。リュカの怪我が早く治ったこともよかったし、確かに薬の成分はとても興味深い。


 ラボで成分を分析してみよう、などと考えつつ、ローズは頬杖をついて大きく溜息をついた。


「すまん。ステーキが……」

「なんか切ないな」

「へ?」

「その二人。きっと、ただ幸せになりたかっただけなのにね」

「ああ……そうだな」

「古い映画の二人みたいに、逃亡劇はやっぱりハッピーエンドじゃないってことですかねえ」


 はあ、とローズは溜息をもらした。


「幸せになりたいって、誰もが思っていることなのに……どうして幸せになる人とそうじゃない人に分かれるのかしら」


 ステーキのことなどすっかり忘れたように、センチメンタルな顔で頬杖をつく少女を見て、リュカはふと笑った。


「……そうでもないさ。浄化されれば、魂は再び出会うことができる」

 ローズが大仰に顔をしかめる。

「クサっ。説教クサっ。聖典に書いてあることみたいですよ」

「聖典に書いてあったかどうかは覚えてないが、そういうものじゃないか? クサいけど、信じたいだろ?」

 リュカの言葉に、ローズは叱られた子犬のように目を逸らす。

「確かに、そうですけど。そんな救いって、本当にあるんでしょうか」

「『悪魔』がこの世界にあふれたことで、宗教の教義ってのもあながちウソじゃないって証明されたろ。天国だか地獄だかなんだかわからないが、死んだ後の世界で今頃手をつないでいるさ、あの二人は」

「あ、なんかリュカのくせにまともなこと言ってる」

「だろ?」

「やればできるじゃないですか、ちゃんとした神父」

「まあな」


 得意げなリュカの前に、どん、とローズが皿を置いた。


「……じゃあちゃんと稼いできてくださいっ」


 食卓テーブルの上の白い皿には、レタスとハーブが空しく山盛りになっている。


「ステーキのことは忘れたんじゃないのかよ?!」

「忘れてませんっ。今夜はステーキ食べる気まんまんだったんですからっ! もうっ、これじゃお肉三昧どころか今月の光熱費も払えませんよっ! 水道も電気も止まっちゃいますよっ! お風呂入れませんよっ! どうすんですか?!」

「え、風呂に入れないのは困るぞ!」

「困るぞ、じゃないでしょう?! ああ、またあたしがラボで夜なべして香油やら薬やら作ってネットで売って小金を作ることにっ」

「甲斐性あるなあ、ローズは。将来が楽しみだ」

 うんうん、と頷くリュカに、

「ヒモみたいなこと言ってないでちゃんと稼いでこいってんですよっ、このへっぽこ神父っ!」



 ガラス玉が無数に連なる古いシャンデリアの下、ローズの絶叫が響いた。



 こうして、古い教会の夜は更けていくのだった。




【Episode1 Bonniy&Clyde おわり】


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