1-6


「おまえがここへ来るのは久しぶりだな、リュカ。すっかり齢とったもんだ」

「……あんたに言われたくないよ、ラオ。オレはまだ22なんだけど」

「それに、男っぷりが上がったな」


 老人はからかうようにリュカの痣と傷だらけの顔を指した。


「うるせーな」


 リュカはふてくされて傷をさすり、痛さに顔をしかめた。


 目の前の老人はいったい幾つなのか正確なところは知らない。50歳という者もいるし、200歳を超えているという噂もある。座したその姿は、昔どこかで見たブッダ像に似ている。

 禿頭に痩せた皺だらけの顔の中、丸眼鏡の奥の柔和そうな目はいつも笑っているように見える。縮れた白いアゴヒゲが、極彩色の魔法陣を描いた絨毯に届いていた。


「聖戦が終結してから何年たったかな。三年? いや、五年か」

「さあな。あんたの時間軸はアテにならない」

「おまえさんの傷はたいそう深かったが、癒えたはずだ。なにせ診てやった医者の腕がよかったからなあ」


 老人は冗談めかして枯れ木のような腕を叩いてみせる。


「古傷が痛むなら特別な薬草を調合してやるぞ。割増料金で」

「元・聖医のくせに相変わらずがめついな」

「がめつくなきゃ、生き残れん世界だからな。なにせいつ悪魔に襲われるかわからん。ヒトにもな」

「はは、確かに」

「そういやあ、茉莉佳まつりかはどうしている? さぞ極上の美女になったろう。それとも、愛想つかされたか、ん?」


 ラオは冗談めかしてリュカをのぞきこむ。リュカの黄昏色の瞳は、床の魔法陣を静かに見つめたまま。


「あいつは……死んだよ」


 ラオは笑みを引っこめた。

「聖戦のどさくさでか?」

「まあ、そんなところだ」

「そうか……それは、すまなかったな」

「あんたが謝ることじゃない」


 重い沈黙が流れる。

 しかし一拍後、リュカは重い空気をふっきるように顔を上げた。


「今日は別件だ。ここへ男が来なかったか?」

「男だと?」

「この男だ」


 リュカは空中ウィンドウを表示させ、浅黒い男の顔をラオに見せる。


「運び屋稼業だそうだが、ちょっと多めのドラッグを捌こうとしている」

「さてさてさてさて。おまえさんの探しものは果たして正義か無粋か、どちらかな」


 ラオは腕を組み、リュカをうかがうように目を細めた。


「おまえも知っていると思うが、ここにはいろんな人間がくる。ドラッグの売人もその一人だ。ここじゃドラッグは、救済になる場合もあるからな。手術や、手の施しようのない者がすがることのできる物。JSAFにも、祓魔師にも、神にも見放された者への、唯一の救いだ」


 元・聖医で、今はコロニーの人々の拠り所となっているもぐりの医者に、リュカは苦笑を返す。


「わかってる。ただのドラッグの売人を追ってるわけじゃない。奴が捌こうとしているのは『悪魔の吐息』だ」

「なんだと?」


 ラオの顔色が変わった。


「あれはいかん。あれはドラッグなどという生易しい物じゃない。出所は知らんが、ヤバい物であることは間違いない」


 ラオは珍しく身を乘りだした。


「見たのか、『悪魔の吐息』を」

「ああ」

 ラオは暗い顔で呻く。

「このコロニーでも三人……バカな若い奴らがあれを使って、全員――死んだ」

「なに?」

「ほぼ即死だった。手の施しようもなかった。まだ十代だったのに……あいつらもバカだが、あいつらにあんな劇薬を渡した奴らはもっとバカだ」

「『悪魔の吐息』とは、なんなんだ」

 ラオの顔の皺が、さらに深くなった。

「わからん。今もわからんままだ。このオンボロテントでできる限り手を尽くして調べたが、成分が何なのか見当をつけることもできんかった。ある種のアルカロイドが含まれることはわかったが、後はさっぱりだ。極上の快感と引き換えに、強烈な中毒性、異常なまでの凶暴性が現れる。数回使うと、ヒトでなくなるという話もある。それが比喩なのか、文字通りなのかはわからんが」

「らしいな。JSAFと祓魔師協会が賞金を掛けてる」

 ラオは大きく目を瞠った。

「祓魔師協会……悪魔絡みか。ふん、やっぱりキナ臭いドラッグだ」

「オレが追っている賞金首がさばこうとしているのは、組織から横領した大量の『悪魔の吐息』だ。換金して海外にでも逃げる気なんだろうが、早くしないと捌く前に組織に殺されるかオレらのような狩師かりしに捕まる。奴は焦っていると思う」

「なるほどのう。だが、ここには来ておらんぞ。その男の情報も入ってきておらん」

「……そうか」


 リュカは立ち上がった。


「邪魔したな」

「悪いことは言わん。嫌な予感がする。『悪魔の吐息』には関わらん方がいい。他の賞金首を追え。おまえの腕なら賞金首なぞ選び放題だろうが」

「ご忠告どうも。そうしたいのはやまやまだが、今夜はステーキ決定なんだ。家庭菜園のレタスとハーブだけじゃ、味気ないだろ」

「なんじゃそりゃ? なんの話だ」

「それに、借りは返す主義なんでね」


 リュカは顔の痣や傷を指した。

 するとラオは大きな息を吐いて、脇の箱から何かを取り出し、行きかけているリュカの背中に投げつけた。リュカは後ろ手でそれを受け取る。


「なんだ?」

 それは小さなプラスチックの薬瓶だ。

「傷に塗れ。打ち身もすぐ治る」

「ありがたいが、今、超絶ちょうぜつ金が無いんだ」

「……茉莉佳まつりかへの花代だ。わしの代理で墓参りに行ってくれ」


 怒ったようにそっぽを向いた老人に、リュカはわずかに笑んだ。


「あんたにそんな殊勝な心があったとはな」

「あの娘には、世話になったからな。このコロニーにも茉莉佳が作った薬に救われた者が多くいる」

「……わかったよ」


 リュカは薬の容器を僧衣のポケットに入れた。


「ここよりもっと西へ行ってみるといい。中央道インター近くのショッピングモールだった廃墟がコロニーになっておる。そこに、ヤバいブツでも扱うって有名な雑貨屋があるそうじゃ」


 この世界で「雑貨屋」といえば、武器――合法から非合法の物まで――やドラッグを扱う闇商人の店を指すことが多い。

 表向きは食品や日用品やタバコを売ったり、家具屋だったり、酒屋だったりいろいろで、こうして人の口から口へその存在と場所が伝わる。


「了解。行ってみる」

「リュカよ。――祈れ」


 顔を上げた老人は、リュカをじっと見つめた。ほとんど笑んでいるような細い目の奥で、きらりと黒い瞳が光る。


「おまえも神父の端くれなら、祈れ。誰かの無事を、誰かの温かな食卓を願って祈れ。誰かが誰かのために祈るってえのは、人間にしかできんことだからな」

「ご忠告、確かにうけたまわったよ」


 昔よりも一回り小さくなった元・聖医に、リュカは静かに礼を執った。

 それは正式な騎士の礼――かつて聖戦を戦った、聖騎士団の礼だった。

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