1-4


「――ほんとに死んでたらシャレにならないんですけど」


 次に意識が戻った時、まず目に入ったのはローズの仏頂面だった。


「まさか本当にやりすぎて死ぬなんて思いませんし」

「……なんの話だ?」

「死んでませんよね?」

「……ちゃんと生きてるよ」

 いたた、とリュカは上半身を起こした。


 周囲にはJSAFの車両と救急車が何台も停まり、応急処置や現場検証が燃料スタンドのあちこちで行われていた。サイレンの明滅が地面にうるさく反射している。


「すっごいカッコいい顔になってますけど? デートで痴話ゲンカでも?」

「はは、まあね。ひっさしぶりにパンチの利いた蹴りだったな」


 軽口を叩きつつ、リュカは内心眉をひそめる。


(速すぎた)


 男の動きはほとんど見えなかった。不意を突かれたのもあったが、それだけじゃない。


(通常の人間の動作速度をはるかに超える動き。突発的な破壊行為。あれは――)


「ラブラブデートだったんじゃないんですかっ」

 ローズがリュカの肘に巨大な絆創膏を叩きつけたことで思考が中断された。


「〇×◇※〇◆!!!!」

 痛さに言語化不能の悲鳴を上げるリュカをローズは横目で睨む。


「無事でよかったですけどっ。賞金首捕まえる前に死なれたら、今月の光熱費払えませんからっ」

「賞金首?」

「もうっ、さっき通話で言ったでしょ?! 端末にデータも転送しましたよ! 光熱費の支払いが迫る今、あたしたちの命綱なんですから!」


 ほらっ、とローズはリュカに自分の空中ウィンドウを指す。

「こいつは……」

 そこに映った男を半目で睨み、リュカが呟いた。


「……こいつが賞金首? なんで? 白昼のスタンドで銃乱射した傷害致死と銃刀法違反?」

「ちがいますっ、なんですかそれっ! なんであたしたち祓魔師が傷害致死とか銃刀法違反とかのクビを追っかけなきゃなんないんですかっ」


 通常犯罪の賞金首と比べ、悪魔絡みの賞金首『悪魔案件』は祓魔師しか請け負うことができないため、賞金がはるかに高い。

 その中でもフリー祓魔師たちがまず狙うのは、『悪魔案件』の中でも賞金が高いものだ。


「三浦クロウ。ありふれた運び屋稼業の男ですが、今回ものすごく賞金が値上がってます。というのも、この男、新宿エリアを縄張りにしている組織からドえらいモノを盗んじゃったんですよ」


 ローズが声を低めた。


「『悪魔の吐息』。知ってますよね?」


 ウィンドウに映ったいかつい男の映像を睨み、少し考えてからリュカは言った。

「……もちろん知ってる」


 リュカはポケットを探る。美女が落とした物。おそらく怪我をしたリュカに使えという意味で落としたハンカチ。

 その白いハンカチと一緒に落ちた、超小型のペン。

 それはドラッグの摂取に使われるありふれた吸入器で、中には透明の赤い液体が揺れている。


「おそらくこいつを使った人間にボコボコにされたからな」

「! リュカ、それって」


 ローズが言う間に、リュカはホバーバイクに飛び乗っていた。


「後で連絡する!」

「え? あっ、ちょっとリュカ!!」


 まだサイレンが明滅する燃料スタンドから、黒いホバーバイクが爆音を上げて飛び去った。





「落としただとぉっ?!」


 恋人の血走った目にレナは思わず後じさった。


「ご、ごめんなさい、確かにポケットに入れて――」

 瞬間、視界に火花が散る。痺れるような熱い痛みが頬を走り、床に倒れた。


「気を付けろっ、ブツをさばく前に足が付いたらお終いだろうがぁっ!」


 殴られたのだと気付いて、レナは呆然とした。

 クロウと付き合って長い間、殴られたことなど一度もなかったというのに。

 これは悪い兆候だ。


「ごめ――」

 悪い兆候を消したくて口にした謝罪の言葉は、しかしクロウが突如落とした口づけに呑みこまれる。


「ん……」

 喰われてしまいそうなほど激しい口づけに息ができなくなる。

 苦しくて身体を離そうとすると強い力で抱きしめられた。


「ごめんレナ、ごめんなっ……おまえを殴るなんてっ……」

 クロウは涙を流して泣いている。

「愛してるレナ……俺はおまえを幸せにしたくて、ブツを」

「わかってる、わかってるからクロウ」 


 子どものように声を上げてなくクロウをレナは必死になだめ、背中をさする。熱があるのだろうか、クロウの骨ばった背中は妙に熱い。

 クロウの呼吸がしだいに落ち着いてくる。レナはそっと溜息をついた。


(だんだんひどくなるわ)


 さっきのようにちょっとしたことでキレた後、レナをひどく罵倒したと思ったら大声で泣く。そうかと思うと、急に笑い出して止まらないこともあった。

 情緒のふり幅が日に日に大きくなっていく。


(きっと、あのドラッグのせいね……)



――ひと山儲けて、おまえを幸せにする。

 クロウにそう言われたときはうれしかった。


 組織から『悪魔の吐息』を横領したと聞いて驚いたが、自分のために危険を冒してくれたのだと思うと胸が震えた。

 手に入れた『悪魔の吐息』をすべて売れば、海外で二人、一生不自由しない生活ができる。


 世界中の豊かさと人種のるつぼ、東京シティ。その夜の街で、組織の影と悪魔に怯えながらの暮らしから、抜け出せる。



 二人で手を取り合って明るい未来に笑った――しかし、それは束の間のこと。


 組織からはすぐに追手が差し向けられ、追手を振り切って逃げるためにクロウは使ったのだ。

『悪魔の吐息』を。


 もともと呼吸器吸入型のドラッグは即効性があるが、『悪魔の吐息』はケタ違いだった。

 吸入して三秒後、クロウは超人的身体能力で弾丸さえもよけ、素手で追手の頭蓋骨を粉砕し、屍の山を作って逃走し続けている。


「はあ……はっ……ううっ、うえぇっ」 

 安ホテルの洗面所で苦しむ恋人から、レナは思わず目をそむける。

『悪魔の吐息』による急激な身体能力の増幅効果に、クロウの身体は確実にむしばまれていた。


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