だから打つ。

 七回の表、守備へ向かう前に選手たちが、水島を中心に円陣を組んでいた。


「最終回だ」


 学年別の予選は三イニング制だったが、決勝トーナメントは七イニングまでとなる。


「とりあえず、この回を同点で抑えりゃ、俺等の攻撃は四番のオサムから始まる」


 水島の言う通り最終回の攻撃は、四番オサム、五番水島のクリーンナップから始まる。


「つーことは、サヨナラ勝ちで確定だろ?」


 バントによる内野攻めと、水島へのささやき攻撃で二点を先取されてしまったが、オサムが全打席でホームランを放って同点に追いついていた。


 また、白鳥ミカの発案により、単純バカの水島には耳栓をさせ、なおかつ超前進守備を敷くことで追加点も取らせていない。


「なあ、オサ──」


 そう言いながら、頼りになる男の肩を叩こうとした水島の手が止まる。


「──え?」

「お、おいっ」

「ちょ、大丈夫か?」


 二年C組のエースピッチャーは、額から異様な量の汗を流し、なおかつ真っ青な顔色になっていたのである。


 只の疲労でないのは明らかだった。


「ああ」


 鋼の意思を持つ男、戸塚オサムはいつもと変わらない様子で頷いた。


 だが──、


「もちろん、ボクに任せ──」


 言葉の途中、無尽蔵な精神力でも補いきれない限界に達したオサムは、見事なまでの白目をむいてそのまま校庭の砂地に倒れ込んでしまった。


「オサム!」「お、オサムさん」「戸塚くんっ!!」「オサムきゅんっっ!?」


 せめてもの救いは彼の身を案じる生徒の数が、一学期の状況からは想像もできないほどに増えていたことかもしれない。


「ほ、保健室へ連れてかないと──誰か男子──」


 控え選手兼マネージャーとして近場にいた双葉アヤメが、素早く駆け寄ってオサムの頭を膝上に乗せた。


 出遅れたキララは鬼の形相となるが、嫉妬している場合ではないと堪える。


「僕と、京極で保健室に運ぶよ。委員長もついて来てくれ。」

「う、うん、分かったわ」


 イケメン氷室の言葉に、アヤメと京極が頷いた。


「キララも行く!」

「いや、ってか、もう試合の棄権を──きゃっ」


 駆け出そうとした白鳥ミカの体操着を、氷室と京極に抱えられたオサムが掴んだのだ。


「お、起きたの?」


 オサムがゆっくりと瞳を開く。


「──生憎と立つのは無理そうだが、意識は戻ったようだ」


 走馬灯が回ったことには触れずにおいた。


「役に立てない身で申し訳ないが、棄権は困る」

「で、でもさ──」

「勝て」


 あの夜、キララを虜にした真っ直ぐな瞳が、白鳥ミカを──そして周囲に立つ選手たちを見据えた。


「これまでの練習を無駄にするな。全員の力を合わせ逆境に抗うんだ。キミ達なら絶対に出来る」


 常になくオサムは多弁となる。


 必死だったのだろう。


「だから、勝って──くっ──」


 ボクに真っ白なゲレンデで巨乳彼女をゲットさせてくれ、と言い終える前に再びオサムの意識は飛んだ。


 ◇


 多数の生徒から失笑を買ったピッチャー交代だったのだが、終わってみれば失笑されているのは無得点に終わった三年A組だった。


「やっぱ、うちの野球部ってヘボかったんだな」

「地区大会ならいいとこまでいくって話し、嘘だったのかよ」

「ほんと、弱いくせに不祥事とか、バカじゃねぇの?」

「ま、廃部で正解だったわけだ」


 当然ながら、円陣を組む三年A組の表情も冴えない。


「外野の声は気にしないことです」


 敏腕マネージャー、万丈目楓子は円陣の中心で腕を組んでいる。


「そうは言ってもさ──確かに我ながら情けねぇよ……」


 オサムという規格外投手が退場した好機を活かせなかったどころか、交代した投手を前に三者凡退で終わってしまったのである。


「まさか、女の球も打てねーとは──くそっ──」


 ピッチャー交代、白鳥ミカ。


 誰もが滅多打ちにされると思ったが、意外な結果となった。


 水島の読みと賭けが的中したのである。


「よく、あーしに投げさせたよね」


 結果に一番驚いている本人が、ネクストバッターズサークルに立つ水島に話しかけた。


「俺まで届いてくれりゃ、ともかく遅い山なりの球が欲しかったんだよ。オサムの剛速球の後で、超スローボールだと目が慣れないだろ?」

「ふうん?」

「練習の時に見てたからさ。お前なら──って思った」

「──なるほどね」


 ミカは相槌を打ちながら、エロくない水島だったら悪くないと思った。


「後は、氷室が塁に出てくれば──」


 四番オサムの代打は、彼を運んで戻ってきたイケメン氷室だった。


 なお、養護教諭が不在だったため、双葉アヤメのみは保健室に残っている──。


「あの審判、低目に厳しいから四球は狙えるぞ。氷室よく見てけよおおっ!」


 真剣な表情で声を上げる水島の横顔と、夜道でアヤメとミカに頭を下げた元野球部員達の姿が重なった。


 ──野球──やりたいよね──きっと……。


「(ボコッ)──ぐあっ」

「うおおおっ、よっしゃあああああっ!!! デッドボールううう!」


 と、飛び上がって歓喜する水島とは裏腹に、バッターボックスでは氷室が股間を押さえてうずくまっていた。


「おーしおし。次は俺が行くぜっ!」


 バットを振り回し、戦意マックスの水島が歩き出す。


「ま、待って。水島っ」

「あん?」


 アヤメとミカは、三年A組の元野球部員達から聞いた話を、オサム以外には話していなかった。


 球技大会で彼等が優勝したなら、理由は判然としないが野球部は復活するのである。


「──だからね、無理して勝たなくても──いいのかなって」


 延長戦になれば、どのみち負けるのだ。


 いや、むしろ、負けたほうが水島の為になると考えた。


「ああ、その話な」

「え? ──知ってたの?」

「うん」


 アヤメとミカから色良い返事が無かったため、彼等は水島にも話をしていたのである。


「さんざ、脅されたぜ」


 女子相手とは異なり、容赦しなかったのだろう。


「ま、俺も野球部復活は嬉しいけどさ」

「だったら──」


 負ければいい。


「でも、この試合も負けたくねーし」


 ようやく痛みが収まり立ち上がった氷室は、ゆっくりと一塁ベースへ向かっている。


「それに──、あいつ──戸塚オサムと約束しちゃったじゃん」


 サッカー部男子、水島充はエロく、基本的に目先のことしか考えない単純バカだ。


「だから打つ」


 とはいえ、悪い奴ではない。

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