My beloved brother.

 怒涛の修学旅行から一週間が過ぎている。


 日本政府の要請無き在日米軍による超法規的な救助活動は、テロ防止関連条約が適用され政治的には不問とされた。


 大半の宿泊客が修学旅行生だった観光ホテルで発生した火災が、国際的にもテロと認定されたのである。


 無論、日本政府は米軍に対する有意な抗議手段を、そもそも持ち合わせていないのだが──。


 なお、林間学校に続き修学旅行でも大規模な事故に巻き込まれたため、一部メディアからは『呪われた学園X』などと不名誉な形容詞で記事にされていた。


 何れも一人の犠牲者も出していない点については、不幸中の幸いと言えるだろう──。


「ぼ、僕は大火傷を負ったんだぞ! どう考えても不幸中のだろう」


 ベッドに横たわっている美木多は怒りに任せ週刊誌を壁に放り投げた。


「骨折までしたんだ」


 キララのストーカー活動を継続中だった彼も火事に巻き込まれていたのである。


 排気ダクトに潜み屋上へ避難する契機を失ったが、どうにかして自力で脱出したところを、三代目コウちゃん率いる益田組が身柄を回収したのだ。


 その後は偽名を使い、オサムが手配した病院に入院していた。


「ま、あんたは居ないはずの存在だし」

「林間学校の後は、指名手配になっちゃいましたしね……」

「俺達を嵌めて遭難させたんだから当然だっての」


 学校から程近いこともあり、双葉アヤメの提案で見舞いに来ていたのだ。


 キララとミカは大いに抗議したのだが、「良い考えだ」というオサムの一声ひとこえが上がり全員で病院にぞろぞろと押しかけていた。


 酷い目にあった美木多を見物しようという下衆な気持ちもあったのだろう。


「──が、キララくんが来てくれたのは喜ばしい。ようやく僕の純愛が届い──ぐあっ」


 窓際に立っていたキララは、ゴリラ伊集院のスマホを素早く取り上げると、美木多の顔面へ全力で投げつけていた。


「ストーカーの分際で個室まで手配してくれたのよ。オサムきゅんの優しさに感謝しなさい」

「痛てて──鼻血が──くっ、ひ、ひどいじゃないか、キララくん。僕のうちを舐めてもらっては困るよ。父は都議だし、祖父は──」


 美木多が無駄な抗議をしようとしたところで、病室の扉がノックされ看護師と共に新たな見舞客が入ってきた。


「え、ユウナさん?」


 京極が驚いた様子で声を上げた。


「店長──、じゃなくて、戸塚くんが来てるって聞いて──あの──」


 癒し系キャバ嬢ユウナである。


「いや、オサムさんは──あれ? どこ行ったんだろ」

「”院長と会う”」


 白鳥ミカは、いつの間にかオサムの口真似が出来るようになっている。


「なーんてイミフなこと言って消えたし」

「そ、そうなんだ──そっか──どうしよう。日本を発つ前にお礼を言いたかったんだけど……」

「え、お礼って?」

「それは──」


 口ごもるユウナに、キララが目を細めた。


「拡張型心筋症。原因不明で治癒不可能な難病。基本的にアメリカで心臓移植するほかに手段がない」


 思惑有りげな笑みをうかべたキララが窓から離れてユウナの眼前まで歩き、腕組みをして仁王立った。


「ぜ〜んぶ自費だから、渡航から滞在費も含めると五億程度は必要。ま、あんたみたいな場末のキャバ嬢には無理な金額でしょうね」

「おい、天王寺っ!」


 ユウナの事情を知る京極は、二人の間に割り込もうとしたが、その腕を白鳥ミカに掴まれた。


「う、うん。だから──感謝してるの。私も、ちはる──妹も──」

「はあっ?」


 キララの声音に若干の苛立ちが混じった。


「感謝で済むわけないでしょーが。あんたは訳の分かんない希望を信じて、バカな高校生を巻き込んだのよ」


 ユウナは信者としての位階を上げ、難病も治しうる奇跡の力を手に入れようとしたのだ。


「あんたのすべきことは、そうじゃなかった。他人を頼るか、血反吐を吐いて稼ぐか、それとも騙して、裏切って、出し抜いて、例え誰かを傷付けたとしても──」


 対称と応報こそが真実である。


 あの夜に、キララはそれを見たのだ。


 流れる血と絶叫、そして沈黙が全てを教えてくれた。


「五億を手に入れるべきだったの」

「で、でも、そんな大金──」

「黙りなさい」


 キララは指先を、ユウナの鼻先に突きつけた。


「あんたは奴隷よ」


 戸塚オサムが彼女に手を差し伸べた理由など、誰にも分からなかった。


 ひょっとしたら本人すら分かっていなかったふしがある。


 ゆえに、キララはそれに意味を与えようとしたのだ。


「オサムきゅんが死ねと言ったら死んでよね。──さもなきゃ、私が殺してあげる」


 対称でなければ、それは欺瞞だ。


 ◇


 キララとユウナの寸劇を病室の端から眺めながら、双葉アヤメはぼんやりとオサムのことを考えていた。


 高校生が赤の他人に五億の支援をしたと聞いても、病室に居合わせた面子は誰も驚いていない。


 その時点で異常なのだが、オサムの傍に居ると日常と非日常の境界が曖昧になっていく。


 だからこそ、あの日に聞いた言葉すら、想定の範囲内と思えるのかもしれなかった。


 ──私の聞き間違いじゃ──ない──よね?


 ちょうど一週間前の午後十一時、避難客を乗せたオスプレイは航空自衛隊岐阜基地への着陸を果たしている。


 緊張感に包まれていた人々も、地面に自分の足で立った瞬間に安堵したのか、そのまま倒れてしまい搬送される者も多かった。


 双葉アヤメも同じ状態だったのだが、背後にいたオサムにまたも支えられたお陰で、固い滑走路に頭を打ちつけずに済んでいる。


 隣を歩くキララが大きく舌打ちをした。


「ありがと──」

「早く離れなさいよ、このエロ女ッ」

「ご、ごめん」


 そう言ってオサムの顔を見上げた瞬間、メタリックシルバーの水筒をホテルに忘れたことを思い起こした。


「これから基地でメディカルチェックを受ける。だが、むしろ、このまま病院へ行くか?」

「ううん。いいの、大丈夫」

「そうか──む」


 頷いたオサムは、なぜか顔をしかめ前方を睨んだ。


 滑走路に降り立った面々は出迎えてくれた基地職員に先導され、基地北部に位置する分室棟へ向かっていたのだが──、


「Osamuuuuuuuuuuu」


 日本語とは異なるイントネーションの「オサム」を響かせて、向正面から全速力で走ってくる金髪極上美少女の姿が見えた。


 危機センサーが反応したキララは、跳ねるようにオサムの前に出て両手を広げる。


 だが──、その金髪極上美少女は、類稀たぐいまれな運動能力を持っていたのだ。


 手前数メートルで跳躍したかと思うと、キララの頭頂部を跳び箱代わりに使い、勢いそのままオサムの首元に飛びつき甘く囁いた。


「My beloved brother!」


 アヤメ程度のヒアリング能力でも聞き間違えるはずもない。


 ──"お兄様"──?



 


 

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