二日目 錦市場にて。

「は? 祇園はもう行かねーって、なに?」


 腕を組んだ白鳥ミカが、『班別行動計画表』と書かれた紙ペラを、ひらひらとさせながらオサムを睨みつける。


 修学旅行二日目は、朝食を終えると班別自由行動となるのだ。


「オサムが決めた計画じゃん。これ」


 白ギャルメイクはやたらとまなこりきがこもるためか、不機嫌オーラを放つミカに怯えたサッカー部男子はイケメン氷室の背後に隠れた。


「ああ」


 他方のオサムは涼しい顔で答える。


「ボクと氷室くんは、祇園を十分に堪能してしまった」


 随分と勝手な言い草ではあるのだが、彼が高校生レベルを遥かに超えて堪能したのは事実だった。


 謎の液体を飲みながら、お座敷遊びまでこなした男子高校生など、明治開闢から続く修学旅行史においてオサムの他に存在しないだろう。


「つーか、俺等は行ってないんだけ──」

「いやっ! オサムさんがそう言うなら問題ないっす」


 ごねそうな気配を見せたサッカー部男子の言葉を、お調子者の京極がすかさず遮った。


 新興宗教と癒し系ユウナにドハマりしているとはいえ、腰巾着魂は失っていないのである。


 そして、その魂こそが、京極と現実世界をつなぐ貴重な命綱となっていた。


「お前ら、きんも」


 ミカが顔をしかめる。


 オサムに逆らえない男達はどうでも良かったのだが、見学に行く気をなくすほど夜に祇園を堪能したという点が不愉快だったのだ。


 ──なんなの、糞オサムっ。

 ──白粉おしろい女より、ギャルのがいいでしょーが。普通。


「ふん、だ。あーしは行くし。もう別行動でいいじゃん。ね、アヤメ」


 肩から掛けたサブバックの中身を確認している双葉アヤメを振り返った。


「えっ? わ、私?」


 アヤメが、ビクリと顔とミサイル乳を揺らして顔を上げた。


 サブバックからサーモスの水筒がヘッド部分を覗かせている。


 好天に恵まれた九月の京都──、喉が乾くと考えたのか、二本の水筒を所持していた。

 ピンク色の水筒と、他方は無骨なメタリックシルバーだった。


 ──ううっ。私は戸塚くんと行きたいんだけど……。


 メタリックシルバーの水筒をさわさわしながらオサムを見た。


 ──で、でも、ミカちゃんをボッチにしたら恨まれるかも……。


 次いで、不機嫌そうなミカにも視線を送りつつ、メタリックシルバーの水筒をサブバックに押し込んだ。


 ──う、ううん。それより不味いのは、友達より男を取ったと思われかねないことだわ。友達じゃないのに。ただ何となく一緒にいるだけのギャル。白ギャル。白ギャルうぜええええ──ああ、だめよ、そんな……(あれこれあれこれ)。


「えと、その、どっちでも──いや、うんと──あう、おしっ──」


 中学時代のトラウマを抱えている双葉アヤメは、人間関係における決断を迫られると緊張してしまうのだ。


 ──お、おしっこが……。

 ──ううう、すぐトイレにぃぃぃ。


 と、アヤメがもぞりだした時、救世主は意外なところから現れた。


「あのさ」


 クラス内ヒエラルキーの頂点から転落し、すっかり口数の少なくなったイケメン氷室だった。


「祇園行くのやめるんだったら、錦市場ってのに行かないか?」


 京都を訪れる多くの観光客がランチを取る人気スポットである。


「食べ歩きが楽しいらしいし、祇園も近いっちゃ近い」


 全てに角を立てずマイルドに包み込む提案だった。


「平安時代から続く市場ってことだから、歴史を見るとかいう緩い課題もクリアできる」

「ほほう」


 と、途端にオサムは興味を示し始めていた。


 平安時代というフレーズが彼の心を揺さぶったのだ。


 若くして血と骨に塗れた人生を送ってきた男だが、積み重ねた歴史というもの価値を認めていた。


「──なるほど。諸般の事情から銀閣寺に行こうと考えていたのだが、それも悪くないな。腹ごしらえをしてからという点も良い。長い一日になるだろうからな」


 諸般の事情、長い一日──不穏なワードを散りばめつつもオサムは同意の意を示した。


「そ、そうだろ?」


 弾む声音となった氷室を、ミカは訝しげに見やる。


 ──ん──何なの、こいつ?

 ──ちょっと目付きが妖しいんだけど……。


「ああ、実に良い提案だ。千三百年の息吹を感じながら、ボクたちも京料理を愉しもう。高校生らしくな」


 全く高校生らしくない意見だったが、イケメン氷室はここ数ヶ月で一番の笑顔を見せた。


 彼もまた奇妙な進化──いや、変異を遂げつつある──。


 ◇


「オサムきゅんっ。これ食べてみて」

「わわ、これもこれも、肉寿司〜」

「きゃんきゃん、串もおいしいぃぃ💕」


 手段は不明ながらオサムの動線を確実に把握しているストーカー少女キララが、錦市場のアーケード入口前で待ち構えていたのだ。


「つか、何でキララが?」

「う、うん──さすがにこれは学校に──」


 と、昨夜の一件を知らないアヤメとミカの不満を、すかさず抑え込んだのはここでもイケメン氷室だった。


「言うほうが、ヤバいと思うんだ。昨日のことまでバレるとBJ──オサムくんが困るだろ?」

「そりゃそうだけど──」


 調子が狂うっつーの、と思いながらミカは答えた。


 が、そこへさらに調子を狂わせる一行が訪れる。


かしらっ」


 三代目コウちゃん、こと前科二犯の益田が黒尽くめのスーツ姿で、串焼き屋のイートインスペースに入って来たのである。


 彼の背後には同じ様な出で立ちの男たちが──、つまりは明らかにそのスジと分かる集団が続いていた。


「準備できましたっ」


 相変わらず語尾に促音を多用するバカだったが、周囲に与える威嚇能力だけは必要以上に高い。


「(もぐもぐ)──そうか」


 オサムは頷きながら食し終えた串棒をゴミ箱に捨てると顔を上げた。


 その背後では、キララがすかさずその串棒を拾い上げ、真白いチーフに包んでポーチに入れていたのだが──それはまた別の話となる。


「ちょうど良かった。腹も膨れたしな」


 キララに薦められるまま、湯葉クリームコロッケ、肉寿司、串焼き、などを食していた。


 まったく歴史は感じられなかったが──、


「ケリをつけよう。左京区へ行く」

「おすっ」「おすっ」「おすっ」「おすっ」「おすっ」「おすっ」


 錦市場に、バカどもの低音ヴォイスが木霊した。

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