初日にして!

「ここはさ、夢も希望も無い場所なんだよね」


 眼鏡を掛けた気弱そうな中年が、狭いバックヤードの事務机に頬杖をつきながら呟いた。


「なるほど、勉強になります。店長」


 黒スーツ姿となったオサムは、真面目な顔で答える。


「場所も悪いしさ――田舎だしさ――西船だしさ――」


 ジョンに紹介されたキャバクラは、牛丼屋の二階に店舗があった。

 

 西船橋駅北口から徒歩三分という立地は悪くないが、ここまで来る途中に他グループのキャバクラが二件、ガールズバーが三件もある。


 そんな店の名は、

 

 『クラブ プレリュード』


 何の前奏曲なのだろうか――というのが、本日の初出勤時に抱いた疑問だ。


「そうですか。なお、店内外の清掃、テーブル及びソファの整理並びに除菌、酒類のキッチン搬入まで終わりました」

「トイレも?」

「はい」


 組織に属していた頃から、オサムは掃除で手を抜いたことが無い。というより、何をやるにしても、手抜きという概念を持ち合わせていなかった。


 黒服の業務内容も、ネット調査と現地尋問により把握済みである。


 なお、新宿警察署では、頬に傷のある年若い不審人物についての通報を、多数の黒服から受けており、対象が未成年者の可能性有りとして生活安全課が動き始めていたのだが――。


「――ホントに?」


 開店一時間前ちょうどに出勤してきたオサムに、店長はまだ何も仕事を教えていないのだ。


 憂鬱な気分で机に座っていただけである。


 そんな状況で、新人が開店準備をこなせるとは信じられない。


「ちょっと、見てこ――」


 疑わしい思いの店長が、新人の雑仕事を確認しようと、ようやく椅子から重い腰を上げた時のことだ。


「ちーす」


 ガムを噛みながら、ジャージ姿の女が入って来た。


「なんか、怖いほどキレイになってんだけど。とうとう店畳むわけ?」


 壁際に置かれているロッカーを開けてトートバッグを置き、中からペラペラでキラキラな安物ドレス――いわゆるキャバドレスを取り出した。


「ち、違うってば、クラリスちゃん」

「ふうん――あれ、新人くん?」


 店長からはクラリスと呼ばれたが、単なる黒髪の女がオサムに目を向けた。

 顔の方も、かなりの地味顔である。


 ――だが、おっぱいは大きいな。


 色気も何もないジャージ姿だが、双葉アヤメに優るとも劣らず、見事なばるんばるんぶりだった。


 オサムは最重要ターゲットであると認識し、姿勢を正した後に頭を下げる。


「はい。新人の――」

「ぎゃはは、完全にBJじゃん――あ、でもぉ、ごめんごめん」


 とてつもなくデリカシーの無い女だが、オサムは全く気にしていない。 

 むしろ、偽名を使う手間が省けて助かったと思っていた。


 ――言い間違えると面倒だからな。


 そもそも、ジョンが適当につけた、倉田ゲンジマルという名前にも違和感があったのだ。


「構いません――良くそう呼ばれます」

「そなんだ。じゃ、BJでいっか。楽だしぃ」


 そう言って、クラリスはウンウンと頷いた。


「でさBJ。そろそろ他のキャストも来るから、そこ閉めてくんない?」


 狭いバックヤードは、ロッカーの置かれているエリアと、店長が座る事務机の間に、仕切り用のカーテンが設置されている。


 キャスト達が着替えるためだろう。


「失礼しました。では――店長、ボクはフロアに行きます」

「え、う、うん、よろしくね――よろしく?」


 新人に任せっきりで大丈夫なのかと疑問を抱きつつ、今日も仕事が面倒になった店長は、まあいいかと思い椅子に座り直した。


 店長の傍を離れたオサムはカーテンを閉め、最重要ターゲットとなったクラリスに一礼した後にフロアへ出た。


 西船キャバクラ、『クラブ プレリュード』開店である。


 ◇


「ちっ、来いつってんだろうが。給料日前とか知らねぇし」

「錦糸で飲んでま~す――だ?ブスしかいないっての。死ねや」

「うう、もうLINEするのダルい……」

「同伴すっぽかされたよ。お腹すいたぁ……。牛丼食べたぁい」


 客が誰もいない店内で、フロア隅の照明を暗くした長ソファに、煌びやかだがチープなドレスで着飾るキャスト達が並び座っている。

 彼女達は、スマホを睨み営業活動に勤しみつつ、好き放題に悪態をついていた。

 

 本来なら注意すべき店長はといえば、フロアにすら顔を出さずバックヤードに引きこもっている。


 他方のオサムは、入口付近でひっそりと立っていた。


 来店客をエスコートする為である。


 ――ボクの調べた限り、この時間にこれでは不味いのだろうな。


 午後八時に開店し、既に十時近くとなっているが、店の扉を開けた者はいない。


 このままでは、巨乳女子と親しくなる前に、肝心の店が潰れるのではないかとオサムは心配になっていた。


 地味顔のクラリスは、ウィッグと、メイクで完全に変貌している。

 他のキャスト達も、素材自体は悪くはない――はずだ、とオサムは考えていた。


 といっても、オサム自身は、女性のルックスに実はあまり興味が無い。


 ただ、キャストの採用面接にジョンも参加すると聞いたので、彼の判断を信頼したのである。


 ――最悪、ボクが変装して客として来るか……。


 シャンパンタワーなどという、馬鹿馬鹿しい散財の可能な儀式もある。


 ――いや、それでは誠心誠意、ジョンのために働いたことにならんぞ。


 巨乳彼女をゲットするだけでなく、オサムは義理も果たすつもりでいた。


 そこへ――、


「む」


 開かずの扉が押し広げられ、とうとう客が来店したのだ。

 冴えない五十近くのサラリーマンとおぼしき人物である。


「いらっしゃいませ」


 オサムは渾身の礼を決める。


「田淵様――お待ちしておりました」

「え」


 男は名を呼ばれ、驚いた様子を見せる。


「俺のこと、覚えてるの?」


 独自調査によって、オサムは過去二年間に来店した人間全てを、資産状況に至るまで調べ上げていたのだ。


「前任者より聞き及んでおります。何よりクラリスが、田淵様のご来店を待ちかねておりました」

「ほ、ホントに?」

「ええ、ご案内いたします」


 テーブルへ案内し、膝を床に着けて、一杯目の水割りを作りながら尋ねた。


「――本日は、いかがされますか?」

「じゃ、じゃあ、クラリスちゃんを指名しちゃおうかな~、くふっ」

「畏まりました」


 オサムはスクリと立ち、女達が並ぶ長ソファへ向かう。


「クラリスさん」

「おっけ」


 クラッチバッグを手に持ち、ソファを立つ。


「――やるじゃん、BJ」


 耳元でそっと囁いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る