落ちる墜ちる堕ちる。
――落ちる時って、どんな気持ちがすんのかな?
白鳥ミカには黒歴史がある。
白ギャルへと変貌する遥か以前、彼女には大きな悩みがあった。
高所に立ち、絶え間なく行き交う人と車の群れを見下ろしながら、最終解決手段についてボンヤリと考える。
――落ちる時って、どんな気持ちがすんのかな?
「ぎゃあああああああああ」
はっきり言えば、気持ちも糞も無い。
崖上から地面までの距離は約三十メートル。衝突――確実な死までに要する時間は2.47秒。
その僅かな瞬間に、超高速で即物的な思考は巡った。
――京極コロスッ!
――処女だしぃぃぃ。
――京極コロスッ!
――ママぁぁぁあママぁぁ。
――京極コロスッ!
――捧げるっ。今、助けてくれた奴にっ、捧げるっ。全部ううう。
――京極コロスッ!
全ての思考が、パラレルに脳内展開されたのである。
なお、不味い誓いを立てた白鳥だったが、彼女の願いは天に通じてしまう。
オサムは、重力の存在を無視するかのように、ほぼ垂直な壁面を駆け抜けると、なんと全力落下中の墜ちて行く白鳥と並んだ。
次いで壁面を蹴り、飛びつくようにして白鳥を抱きすくめて、そのまま落下体勢へと入る。
二人の質量と重力加速度が生み出す衝撃に備え、オサムは息を止め両脚に念を込めた。
――結局、最後は気合いだからな。
理論派教官に座学の再履修を命じられそうなことを考えていたが、ドゴッという衝撃音を響かせて地面に足を着けた。
二人の頭上に舞った土煙が、涙と鼻水で濡れた白い頬を褐色にする。
「申し訳ないのだが――」
呆然自失となった白鳥の瞳を、醜い縫い傷のある男が見下ろして言った。
「――ハンカチを忘れたらしい」
堕ちた。
◇
救助が来たのは、それからさらに数時間を要したが、運が良かったと言える。
オサムと白鳥が落下した際の衝撃音を、少し先に居た捜索隊が聞きつけていたのだ。
洞穴からせり出した狭い棚のため、救助ヘリによる救出活動は困難を極めたようだが、どうにか全員が無事に帰還を果たせている。
「
来栖岳の麓にある病院に運ばれ、異常なしと診断された後に、今回の遭難者達は用意された特別室に集まっていた。
マスコミ対策が必要なこともあり、大いに特別待遇を受けているのだ。
「らしいぜ」
氷室の隣に座ったサッカー部男子が答える。
病院関係者から仕入れた情報なのだろう。
「ストーカーが一人消えてせいせいするわ。というか、死ねば良いのに」
自身のトップオタだった男を、天王寺キララは冷然と斬り捨てた。
学校教師としてまで潜り込んできた
「――今となっては、そうよね……」
ポツリと呟く双葉アヤメも同感だった。
ストーカーの歪んだ計画のせいで、自分達は尿を飲み、そこいらで脱糞し、最終的には飢え死にするところだったのだ。
――あ、でも、私はうんちはしてないわ。こっそり、うんちをしてたのは……。
そっとキララを見るが、睨み返されたので忘れようと思った。
「で、アンタは何してるのよ?」
敬語を使う気ナッシングなキララは、お調子者の京極に尋ねる。
京極は部屋の隅にある机に向かい、メモ帳に何かを書き続けているのだ。
「これから、色々と警察に聞かれるだろうからさ。整理してるんだよね」
意外に几帳面なタイプらしい。
「チロルチョコについては、マスコミ向けだけどな」
「お、お前、それは――」
氷室への嫌味も忘れなかった。
「けどよ、ミカが助かって良かったぜ。つうか奇跡――何があったわけ?」
キララの毒液によって、目撃者となったのはアヤメ、キララ、そして本人だけだ。
「あーしも良く分かんない」
何も言うなとオサムに言われているので、白鳥はぷいと横を向いた。
――学校戻ったら、色々と変わりそう……。
横を向いたついでに、ちょうど目先に座るオサムで視線が止まる。何事かを考えているのか、彼女の視線に気付く様子はない。
だから白鳥は、ジッと彼を見詰めた。
頬に大きな縫い傷がある。
そんな男に、BJオサムという蔑称は、実にお似合いだった。
毎朝、教壇で元気に挨拶をするのも不気味だ。
話し方もキモイ。
――おまけに百人ぐらい告ってるしなぁ。
そして全員から断られている。
――ってことはさ、ビョーキなんだよね。きっと。
実は少し優しかったりする白鳥ミカは、色々と考えた末に、戸塚オサムは病気であるとの結論に達していた。
――治して――あげたい――な。
そんな白鳥の変化など知る由もないオサムは、まったく別のことを検討中だった。
「ちょっと、いいか」
ようやく検討を終えたオサムは、スクリと立ち上がる。
「警察からの聴取についてなのだが――」
主に
つまり、共犯者であるゴリラ伊集院は、非常に困った立場に追い込まれる。
「だが――ボクのトモダチだ」
林間学校における目標であり、その成果を失うことをオサムは恐れている。
やっと出来たトモダチが、警察に連行されてなど欲しくなかった。
彼らの犯罪も、そして今回の遭難も、オサムには小さな問題である。
はっきり言えば、どうでも良い。
「そのことだけは忘れないでくれ」
真剣に語る彼が考えているのは、自らの目標達成についてのみだったのだが、受け取る側からすると事情が異なる。
――なんて心が広いのかしら。早く私のおし――を――。
――むきぃ!オサムきゅんが、キララ以外に優しくするのイヤあああ。
――ビョーキ、ぜったい治してあげっから。
――こ、こいつに、全て持って行かれるっ!!危機、すげえ危機。
――ちょっ――ミカの目付きが――やべえええ!!
――コイツの小判鮫として生きる道を探すかな……。
そして、ゴリラ伊集院だが――、
――生殺与奪を握られ――もはや――俺は――ドレイッ!!
「うおおおおおん」
と、泣いた。
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