イノシシ狩り。

「ぎゃわ、ぎゃわああ、あっちいけ――しっしっ――いでえええッ!!」

「フゴッフゴッフゴオオオッ」


 アヤメも聞き覚えのある気もする男の声と、獣の怖ろしい鳴き声が聞こえる。


 だが、誰だったか、などと思い出している余裕は無い。

 人並み以上に臆病な彼女は、地面にへたり込んで、隣にいるギャルと身を寄せ合うほかなかったのだ。


「たす――たすけ――」


 口をぱくぱくさせながら、氷室ひむろ達の方へ目を向ける。

 だが――、


「ちょ、ちょっと、アンタたちっ!!」


 既に氷室ひむろとサッカー部男子は、女子二人を置き去りにして、スタコラと反対方向へ逃げ出していた。


「てんめ、うちら置いて逃げんなよっ!!」


 ギャルは恐怖も忘れ怒りまくっているが、氷室ひむろ達の姿は地面を蹴る足音と共に霧の奥へと消えていく。


 先程までより、さらに霧が濃くなっているため、数メートル先ですらボンヤリとしている。


「ぎゃああ、いでええ、だずげでええ」

「フゴゴオオオッ」


 他方、何かに襲われている男の悲鳴も止む気配が無かった。

 獣の鳴き声も、いよいよ激しさを増している。


「委員長、立てる?」

「うう――む、無理――ごめん――白鳥さん」

「肩貸すから、頑張りな。なんか、地面もびしょびしょに濡れてきたし――」

「そ、それは――うう」


 意外なギャルの優しさに、アヤメは思わず涙しそうになる。


 氷室ひむろ繋がりで同じ班になったとはいえ、クラブか何かのトイレで反グレに回されて薬に手を出すタイプと決め付けていた自分を恥じた。


 ――人を外見で判断しちゃ駄目なのね……。氷室ひむろくんなんて薄情なウンコだったし。


「ありがとう」

「いいって――それ」


 ギャルの肩を借り、アヤメが立ち上がった時のことだった。


「ぎゃあああああ、あ、あ、あああっ!?」


 獣に襲われている男が、驚きの声を上げる。


「フゴフゴフゴオン」


 地面が地震のように振動した後、木の枝が激しく擦れるような音がした。


「フンゴオォォォ――」


 さらには、固い物で、何かを打ち付ける打撲音が続く。


 新たな恐怖に震えるアヤメの感覚では永遠とも思えたが、実際には数分程度が経過しただけだ。

 獣が小さくいなないた後、辺りに静寂が落ちた。


 男の声も、獣の声も消えている。


 鳥の鳴き声と羽音、そして――、


「――ひぃぃ」

「ヤバ」


 霧の奥から、不気味な足音が近付いて来る。

 ずるずると何かを引き摺る音もした。


「ら、らめぇ」


 立ち上がりはしたが、アヤメとギャルはさらに強く抱き合った。

 というよりも、アヤメが腕と足を巻きつけて、一方的にギャルにしがみついている。


「だ、誰?――先生?」


 ギャルが、僅かな期待を滲ませて声を上げた。


「いや――」


 声が届き、霧の奥から返事が返る。


「――違う」

「え、え?」

「マジ!?」

「残念ながら、ボクだ」


 現れたのは、右肩にお調子者、そして左肩にイノシシを乗せた戸塚オサムだった。


 妖しく顔を上気させた天王寺キララも後に続いている。少し唇の端に涎が垂れている。


 尚且つ地面には大男の姿まであった。

 オサムが腕を掴み引き摺ってきたせいか、男のズボンは膝まで落ちている。


 テディベアの描かれた可愛らしいパンツが見えていた。


 ゴリラこと伊集院の意外な趣味が露見した瞬間だったが、誰もツッコミを入れる気分にはなれない。


 呆気に取られているアヤメとギャルの足元に、オサムは担いでいたイノシシを放り投げた。


「フム、何と言えばいいのかな。まあ、ちょっと、拾ったんだ」

「は、はい?」

「はあああ?」

「美味そうだったしな」


 あまりに見え透いた嘘に、アヤメとギャルの声が重なった。


 そもそも、急斜面の底にいたのではなかったのかという疑問がある。

 この短時間で、上まで戻って来るルートでもあったのだろうか――。


 頭の中をぐるぐるとクエスチョンマークが踊る。


「それより、どうにも怪我人が多い」


 お調子者は急斜面を落下した。


 元々怪我人だった伊集院は、イノシシにまで襲われている。

 松葉杖で林間学校に参加する根性はあるようだが――。


「霧が晴れたら、少し休める場所を探そう」


 そう言いながらも、なぜかオサムは鼻をひくひくとさせている。


 ――何だか嗅いだ記憶のある匂いがするな。

 ――ボクを元気にさせる――何だったろうか……。


「分かったわ。オサムきゅん!」


 いつの間にかタメ口になっているが、天王寺キララだけは、元気いっぱいの様子で答えた。

 

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